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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 夏休み篇 長期休暇は己と向き合う時間
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16. 父親、というもの

 雀卓に移動し、楽しげに会話を交わしながら牌を掴んで笑い合っている彼らを見て、アルスはほっと胸を撫で下ろす。

 緊張のあまり失神しかけている従業員たちに軽く声を掛けて、何とか持ち直させると、軽食の準備を進めさせる。酒のアテにする程度だが、バーンズ伯爵とマギアス公爵が空腹である素振りを見せていたので、指先で摘まんで、一人で十分に小腹に収納できる程度のものを用意する。


 異変を感じたのは、その少し後のことだった。今日は夜も遅いし、2局ほど打てばそれでお開きなのでは、と思っていたのだ。

 しかし、彼らは意気揚々と3局目を打ち始めた。アルスはもう一度時計を確認してから、少し躊躇いがちに歩み寄って、ウルズ大公の傍に膝を付いた。


「大公。お時間が迫っておりますが、よろしいのでしょうか」

「ああ……すまない。楽しくてつい。皆はどうだろうか」

「支配人殿の許す限り、遊んで帰りたい気分だな。なに、明日は休日なのでな」

「私は昼から出勤ですので、たまには夜更かしも悪くはありませんね」

「無論、私もきっちりと明日のスケジュールは調整してありますぞ! 何しろこのような顔ぶれで遊ぶ機会などまたとないでしょうからな!」

「……ということなのだが、アルス。何時までなら平気かな?」


 アルスはぽかんとして口を半開きにした。それを自覚したときにはっと口を手で隠して、きちんと頭を回す。

 このクラブの閉店時間は朝の3時だ。深夜営業はやりすぎると周囲に迷惑だが、この店の周囲には男女カップル向けの高級宿くらいしかないので、ある程度は大丈夫だということで、こんな時間設定になっている。

 今は23時過ぎになるので、そこから閉店までの後片付けをする時間を計上すれば、従業員に無理な残業を強いることなくこの場を治められる限界の時間は――。


「2時、までなら」

「ありがとう。では、ぜひその時間までこの酔っ払い4人の面倒をみておくれ。延長料金はもちろん払わせて貰うからね」

「おお。あと3時間もこのゲームで遊べるのですね。やっとルールが掴めてきたところなんです。ここで帰ってしまっては、気になって寝られないところでした」

「では続けよう。次は三着などという不甲斐ない結果にはせん」

「私も負けませんぞ! 商人として、土壇場での勝負勘は優れていると自負しております!」


 どうやら、大口案件は、超大口案件に進化を遂げたようだ。この四名から転がり込んでくる金の計上を、現実逃避のようにし始めると、アルスは大公に名を呼ばれ、顔を上げた。


「アルス。こういう場面では、どの牌を切るのが強いのかな」

「え? ええと……」


 アルスは膝を付いて、大公の持っている牌を覗き込む。そうして、少し考えた後で、軽い解説を付けて牌の候補をいくつか提示すると、大公はそれをうんうんと楽しそうに聞いて、やがて自分で考えたのちに、アルスが提示した牌のうちの一つを切った。


「おや。大公閣下、アドバイザーですか」

「ああ。アルスは遊戯(ゲーム)の腕も良くてね。ルールや定石の理解が早くて参考になるんだ。すごいだろう?」

「息子の相手ができるということは、チェスもお上手ということですからね。ですがフェアではありませんね。というわけでキングレー嬢、私にも一つアドバイスをいただけませんか?」

「え?」

「クロスクロイツ公爵の次は私の方も頼む。定石や思考方法を取り入れれば、もう一段階上の勝負ができる気がするんだ」

「おお。ではその次は、ぜひ私にも、頼みますぞアルス殿!」


 アルスは戸惑いながらも頷いて、一人一人の席を回って傍に膝を付き、手牌を覗き込んで、ある程度のことを説明し、いくつかの候補を提示したうえで、どれを選ばせるかという選択肢を相手に任せた。

 彼らは誰もが、アルスの話を楽しそうに聞いてくれた。これはどうだろうか、と聞き返されれば、その牌に関する見解を説明する。

 国の中核を担う官僚や、経済を担う商人である彼らは、アルスには至らないところに頭が回る。次々に跳んでくる疑問に答えるのは大変だったが、アルスは徐々に満たされていくような幸福を感じ取った。

 胸の内に、ぽかぽかと温かいものが湧いてくる。


 その後も数局、続けて打っていくうちに、随分と打ち解けたような気がした。あんなにも緊張して、うまく話せなかった雲の上の人たちと、遊戯(ゲーム)を通じて語り合っていくうちに、自然と会話ができるようになっていった。


「キングレー嬢。どうだろうか、今の一打は」

「非常にお上手ですね。対面(トイメン)和了(アガリ)を意識しながら、自分の手の受けも広くする、良い一手かと。これならば、きっと牌も応えて――おおっ」

「これなら追えるな。立直(リーチ)だ」

「何ですとぉっ!?」


 先に立直を掛けていたバーンズ伯爵を追う形で、マギアス公爵が立直を掛ければ、さらに次の巡目でアガリ牌を自模(ツモ)る。点数計算をした後で、マギアス公爵は温和な笑みをアルスへと向けた。

 いかに雲の上の人物だろうと、普段はかかわりのない人物だろうと、遊戯(ゲーム)というのはこれほどまでに垣根を失くしてしまうのだろうか。アルスはその微笑みに、こちらも微笑みを返した。


「何だか不思議な気分だよ。娘とはこういう話をしたことがないから、娘と同じ年頃のお嬢さんと、遊戯(ゲーム)についてこれほどに会話ができるとは」

「楽しんでいただけておりますか?」

「ああ。盤上遊戯(ボードゲーム)もそれなりにやり尽くしたと思っていたが、世界は広いな。こんなに面白い遊戯(ゲーム)がまだあったとは」

「光栄です。この国に、たくさんの遊戯(ゲーム)を持ち込みたいと考えているので、マギアス公爵閣下のお眼鏡に適うのなら、自分の目に自信が持てます」


 普段は理性で自分を制し、国の中核で働く彼らを、帰りたくなくさせる程に夢中にさせる、遊戯(ゲーム)というもの。

 やっぱり、この国に娯楽を広めていきたい。どんどん新しいものに挑戦して、常に目新しい新体験を供給し続けられるような、そんな娯楽の集積を。

 アルスは今日の保護者会の接待を通じて、改めてその想いを強くした。


 やがて、タイムリミットとなり、最後の局が終わったとき、彼らはやり切ったと言わんばかりの表情で、余韻に浸っていた。

 アルスは氷を適度に入れた冷水を用意し、彼らの腰かける席のサイドテーブルへと順に並べていく。勝負で火照った身体を癒す冷たい水を、彼らは噛みしめるように喉に流し込んでいた。

 従業員たちにお見送りの準備を進めるように申し付けた後、アルスはまたウルズ大公の傍で膝を付いた。


「大公」

「ああ。本当に、今日はありがとう、アルス。とても楽しかった。この遊戯(ゲーム)は流行る……いや、私が流行らせるよ。どんどん色んな人に遊んで欲しい。心からそう思う」

「良かった。私も、皆さんとお話ができて光栄でした」

「ああ。また皆で来ても、構わないだろうか」

「是非。いつでもいらしてください。私の方に連絡をいただければ、いつでもVIPルームを開けられますので」


 どうやら、今日の接待は大成功だったらしい。安堵と歓喜とが入り混じり、何とも表現しがたい想いが、喉の奥辺りから溢れてくるような感覚だった。

 マギアス公爵も、クロスクロイツ公爵も、バーンズ伯爵も満足げに頷いている。


「定期的に保護者会も開催しませんか。今の情勢なら、できる限り学院の生徒たちに気を配っておきたいので」

「異議なし」

「是非とも、こちらからお願い申し上げます!」

「ふふ。私の隠れ家が皆に知られてしまったな。居心地がいいからと言ってあまり入り浸らないでおくれよ。アルスも忙しいのだから」


 相も変わらず、大公は保護者のような言動をする。それがむず痒いような、嬉しいような、何とも言えない感情に支配される。

 その様子を見て、彼らは笑い声を漏らした。大公は人当たりはいいが、どこか掴みどころがなくて飄々としているので、何かに執着している姿が少し珍しいのだろうか。


「キングレー嬢。娘のこともよろしく頼む。そなたは何かと色々なところに顔が利きそうだ」

「――。……私が、お嬢様の傍にいてもよろしいのでしょうか?」

「何故、そのようなことを聞く?」


 ふと、急に心配になった。彼らは皆、アルスを当たり前のように受け入れているが、アルスのような振る舞いは、表の社交場では決して良い顔をされない。素性を隠して男装をし、裏で商売をしている伯爵家の娘に関して、彼らは思うところがないのだろうか。


「いえ……私は皆に秘密にして、このような場所でこのような格好をして商売をしておりますので。あまり良い印象はもたれないのでは、と思っていたので」

「まぁ、確かに頭の固い連中は、足を引っ掛けようとしてくるでしょうけれど。私はそれよりも、行動をしていることを評価したいですね」

「行動をしていること?」

「近年、王立学院を卒業して、王宮に出仕してくる文官たちは皆、数年は使い物にならない者ばかりですから。高官の補佐として入ってくる者らは例外ですが、プライドばかりで仕事ができない者の多いこと」


 酔っている勢いか、宰相の口からは皮肉のような言葉がだらだらと流れている。それを聞き流すマギアス公爵とウルズ大公、そして快活に笑い飛ばすバーンズ伯爵の姿は、これこそ社交界では決して見せられない姿だと感じ取る。


「政治の場は貴族の遊び場ではありません。それを考えれば、どんな手段を使ってでも、きちんと自分で考え、動き、目的を達成できる者というのは好ましいです」

「……はい」

「つまり、そなたの姿かたちでそなたの在り方を判別する者は、ここには一人もおらんということだ」


 マギアス公爵は優しい顔をした。あまりにも慈愛に満ちた表情は、公務の間は決して見せない、一人の「親」の顔をしていた。


「私がそなたの父だとすれば、私はきっと、口煩く叱ったうえで、過保護にも知られぬように応援してしまうのだろう。いつだって親というのは、子が自分で考え、自分で行動を起こし、転んでは前に進む様子を見るのが好きなものなのだ」


 その言葉に、アルスは目を丸くした。そのまま、しばらくは言葉を尽くせずに、ゆっくりと頭を垂れて、その言葉を受け取った意志を示すことしかできなかった。

 やがて見送りの準備が整い、各家の侍従たちが後片付けを終えると、彼らはそれぞれ家へと帰っていった。ウルズ大公だけは、アルスと話したいことがあるのか、その場に残っていた。


 三時に撤退できるように、従業員たちに指示を出した後、アルスはウルズ大公を支配人室へと通して、ソファに腰かけた。ウルズ大公は、気持ちよく酔った後で、非常に上機嫌だ。


「アルス。麻雀はいい遊戯(ゲーム)だね。広めたいから、社交シーズンの間は定期的に相手を変えてここに招いても構わないかな」

「……はい。勿論です。そこまでしていただけて嬉しいです」

「私が遊びたいだけだから、君が気にしなくてもいい。……アルス? 何か気になることがあった?」


 ウルズ大公は、俯きがちなアルスの様子に気づいて、穏やかな声で問いかける。その様子は、外から見れば、父親が娘に声を掛けるそれに見える。

 アルスはまとまらない胸の内を、少しずつ吐露していく。


「父親、というものについて、考えていました」

「……」

「大公閣下に娘のようだと言っていただけたとき、光栄だと思いました。……でも、私にとって、大公は絶対に、父親ではないのです」

「それはどうして?」


 大公は、少しだけ沈んだ表情を浮かべる。彼にとってアルスは実の娘のようにかわいがっていて、愛しく思っている対象だからだ。それが一方的なエゴであろうとも、ここまで明確に「父」を拒絶されるとなると、少し思うところがある。

 あまり詳しくは聞かなかったが、アルスが何かしらの家庭問題を抱えていることを察していた大公は、彼女の言葉を聞き漏らさないように、酔った頭を冷たい水で覚ましながら、耳を傾けていた。


「私にとって父親は敵だから。母と結託し、幼い私の世界と時間と感情を奪ったモノだから。理不尽にこちらの言い分を聞かずに、こちらに責任を一方的に押し付けて、私を苛むモノだから」

「……」

「でも、大公閣下やマギアス公爵閣下に、娘のように扱っていただいたとき、私には父というものが分からなくなってしまいました。私の抱いている父親の像は、かなり歪んでいるようですね」


 アルスにとって、大公は理不尽な敵ではないから、父親ではない。

 その歪な方程式を聞いて、大公は少しだけ眉間に皺を寄せた。アルスに根付いている父母の価値観は、あまりにも悲惨だ。しかし、大公の知るキングレー伯爵夫妻の印象とはどうにも異なる。


 その後も、少しだけアルスと会話をして、クラブを立ち去った大公は、付き従う侍従に問いかける。


「キングレー伯爵家への訪問はいつだったかな」

「はい。青海の節の10の日からですね。三日間の滞在の予定でしたが」

「分かった。……保護者面をするならば、ちゃんとした保護者との面談は必要だな。それに、何か……何か、あの家庭はすれ違っている。そんな気がする」


 アルスという少女が父母の庇護を拒否し、一人きりで王都に飛び出してきた理由。アルスが話したがらないので、今までに触れなかった、アルスの父母への憎悪とも呼べる曖昧な感情を解き明かす。

 そのためにはまず、伯爵夫妻との対話が必要だと考えたウルズ大公は、子を持てない身で、彼らと向き合ってみることに決めた。

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