15. 保護者会は穏やかに続く
アルシェスタにとって父親は、母親の味方であり、敵だった。
自分を縛り付け、自由な時間と感情を奪い、暴力を正当化してアルシェスタを苛む母を肯定し、何の介入もしない父。
助けてほしかった時に助けてくれなかった父。
すべてを幼いアルシェスタの責任として押し付け、そしてアルシェスタの望むべき未来を悉く潰していく父。
アルシェスタからの「父親」への印象は、「母親」同様に悪い。
(でも、大公閣下は親父とは違う)
キングレー伯爵は、アルシェスタの話をまともに聞いてくれた覚えがない。
けれどウルズ大公は、ずっと辛抱強くアルスの話を聞いてくれることが多い。アルスの考えに物申すことはほとんどなく、大抵はアルスの考えに頷いて、なるべく安全な道をと一緒に頭を悩ませてくれることが多い。
時折口論になることもあるが、そういったときはたいていアルスが危険な橋を渡ってでも利益を得たいと考えているときで、実際に失敗すると良くないことが起きるケースが非常に多い。
ウルズ大公は、アルスにあまり危険なことをしてほしくないのだ。口にせずとも、彼の態度からはそれが滲み出ている。
家族でないからこそ、一歩引いた位置からだからこそ、ウルズ大公はアルスに先入観を持たずに、ちゃんと話を聞いてくれる。アルスのことをよく知らないからこそ、何故アルスがそう考えたのか、何故それをやりたいのか、それを辛抱強くヒアリングしてくれる。
自分の娘だから「こう思っているはずだ」「こう望んでいるはずだ」と決めつけて、アルスの話を聞かない両親とは違う。
だからやっぱり、アルスにとってウルズ大公は父親ではない。
アルスは手慣れた様子で、年代物のワインのコルクを抜き、それを丁寧にグラスへと注いでいく。多くの大人を相手に接待をした経験は着実に身についており、保護者会の大人たちは先ほどから上機嫌に寛いでいる。
適切なタイミングでグラスに酒を注ぎ、彼らの様子を観察しながら、冷風機の制御を要求する。何かを探してきょろきょろと視線を彷徨わせ始めた客人には、すぐに何か欲しいのかと尋ね、望みの物を用意する。
もてなしの極意は、娯楽には欠かせないものだ。アルスが率先して身に着けることで、後進が良く育つ。
「あの冷風機……」
「ああ、マギアス公爵も気になっていらっしゃいましたか。私もなんです。見たことのない型ですね」
「ああ、待たれよアルス殿! この私が当てて進ぜましょう。ずばり、あれは稀代の魔道具博士、エドワーズ・キングレー博士の作品ではありませんか?」
バーンズ伯爵の言葉を、アルスは肯定する。アルスが経営する店には、兄が試作した最新の魔道具がごろごろと置いてある。
何しろ兄が自ら「試してみてくれ」とたびたび輸送してくるのだ。最初は家で使用しているのだが、市販のものよりも遥かに性能が高い試作品については、店に置いて動かしている。
キングレー伯爵家は氷の魔術が得意なので、こういった「冷やす」「凍らせる」といった魔道具の開発は、王都よりも遥かに進んでいる。
「稀代の魔道具博士、か。彼は魔道具士の免許を持っていなかったな。何という勿体ないことを……」
魔道具を売り出すためには、国が認可する魔道具士の免許が必要なのだが、なんとエドワーズはそれを所持していない。
魔道具の研究は個人の自由であり、それは何人たりとも妨げることは許されない。だが、実際に販売するとなると、正しい知識を持って、安全に設計されたことを証明するために、魔道具士免許という認可証が必要なのだ。
「キングレー伯爵領の魔道具は、王都のものよりも5年ほど進んでいますからね。それらが稀代の魔道具博士の手腕によるものだというのは本当に素晴らしい。彼が面倒がらずに免許を取ってくだされば、王都にも素晴らしい魔道具の数々が流れ込み、キングレー伯爵家にはさらに莫大な金が転がり込むでしょうに」
「エドワーズ殿は金儲けには興味がなさそうだったからね。彼にとっては、販路に乗せる過程で生じる煩わしいものよりも、研究の時間が大切なんだよ」
ウルズ大公の言葉に、アルスは控えめに同意する。この件にも、実は裏がある。
またしてもあの父母が、エドワーズが魔道具を作るのにずっと反対していたという背景がある。エドワーズは隣領の公爵令嬢を妻に迎え、領主として伯爵領を守っていく立場だ。魔道具発明にかまけている時間はない、というのが父母の見解だった。
それに対して、エドワーズは小さな反抗と言わんばかりに、王立学院をたった3節で卒業し、領地にとんぼ返りした。社交を拒否して学院をすぐに卒業し、浮いた時間で魔道具の発明をし始めた長男を見て、絶賛反抗期に陥っていたアルシェスタの面倒を見るのにも手を焼いていた両親はてんやわんやしていた。
魔道具士の免許を取得するための試験は王都でしか受けられず、だいたい半年ほどを目途に課題に沿った設計を一から行ない、製作まで面倒を見て、やっと免許を取得できるのだが、父母に反抗をしてたった3節で領地に帰ってしまったエドワーズは、魔道具士の免許を取る時間がなかった、というのが真相だ。
結果的に、優秀なエドワーズは領主業もきっちりとやって研究の時間を確保することに成功しているが、魔道具士免許を持っていないために彼の作品は市井には出回らない。自身の領地で使う分と、こうしてアルスに送ってくる分しか存在しないのである。
「しかし、最近になってエドワーズ博士は出資を集め始めておりましたな。もしや、近いうちに魔道具士免許を取ってくれるのではありませんか?」
その状況を変える発明が、二つある。一つはアルスに紹介したEL-Phoneと言われる遠距離通信機の魔道具。そしてもう一つが、港の開港に伴って王室から正式に申し入れがあった、とある一つの魔道具。
すなわち、巨大移動型魔道具、魔導機関車である。
現在、キングレー伯爵領の主要都市を繋ぐ公共交通機関、魔導機関車。それらは隣領であるサンチェスター侯爵領の都、そしてオーリンゲン公爵領をも繋いでおり、人や物の輸送に大いに役立っている。
何を隠そう、エドワーズの元へとオーリンゲン公爵令嬢が輿入れをしてきたのは、この魔導機関車を公爵領に通すための政略でもある。
通常、数日かかる運路をたった十数時間で往復するこの発明だが、当初王室の印象はよくはなく、王都と繋ぐことは許されなかった。
懸念されたのは王都からの人口流出だ。ゆえに、長い間サンチェスター侯爵領との行き来にしか利用されていなかった交通機関だが、公爵領に通ってからというものの、王室は再度この技術に着目した。
オーリンゲン公爵家は、現在の王妃の生家でもある。キングレー伯爵領に外交を許可する港を設置する以上は、もはや王都に魔導機関車を導入しない理由はなくなった。
他国から訪れた賓客が王都へ赴く際に交通の便を整えることは極めて重要な課題だったからだ。
「魔導機関車を発明した当時、エドワーズ博士は弱冠14歳……恐ろしい才能ですよ、あれは」
「エドワーズ博士が最も盛んに社交をした時期と言われておりますな。しかし勿体ない! あの才能を領主という器に収めるとは」
「仕方なかろう。領主としても優秀なのだから、伯爵の気苦労が目に見えるようだ」
エドワーズは領主として優秀だし、公爵令嬢を伴侶に迎える以上は、エドワーズを次期当主としておかない選択肢はなかった。とはいえ、彼が魔道具の発明だけに注力したのだとしたら、一体どれほどの文明の進歩が見られるのか。
すでに国の常識を変える発明品を生み出している天才の兄の存在を、アルスは誇りに思っていた。
「アルス。エドワーズ殿は、今年の魔術学会には?」
「出られると思います。出資の成果が固まったので、論文にしていると聞いておりますし、魔術学会と書簡のやり取りをしているのは公開情報です」
「それはそれは! 是非とも目通り願いたいものだな!」
魔術学会は、社交シーズン真っただ中の青海の節に行なわれる大規模研究成果発表会だ。
男性の社交場として有名なこの場所は、パートナーなしで気軽に出入りできることもあり、より優れた魔術の叡智を我が家にと望む若手から重鎮まで、さまざまな貴族男性が出入りする。
女性も少ないが出入りしており、家の社交よりも技術の情報交換を主として行われるため、浮ついた輩は浮いてしまい、出入りする女性はいずれも才媛ばかりだ。
エドワーズはEL-Phoneの基礎研究がまとまったと言っていたので、商品化に向けてさらに出資を募るため、学会で発表を行ない、関心を集める算段のようだ。
その過程で、恐らく魔道具士の免許も取るのだろう。
「キングレー伯爵も鼻が高いだろう。キングレー伯爵領の魔道具が王都でも流れ始めれば、また色々と流通も変わりそうだ」
「そこが商人の腕の見せ所と言ったところですな。実際に、室温・湿度を調節できる魔道具は酒の管理にも非常に有用です。実のところ、私はすぐにでもエドワーズ博士にコンタクトを取り、発明を打診したい」
「――私でよろしければ、お繋ぎいたしましょうか?」
「よろしいのですか。ぜひ、よろしくお願いします、アルス殿」
バーンズ伯爵領都の社交は、ある意味でキングレー家の課題でもある。国内最高峰の商会との顔つなぎは、アルコール類を大量に欲するキングレー伯爵領からすれば命綱でもある。
彼の方から望んでくれるなら、兄と繋ぐのは妹である自分の役目だ。商談をまとめるのは父の手腕だが、アルスの使命は伯爵領を豊かにすること。
重要人物との縁は逃してはならないと自分に言い聞かせ、緊張で震える指先をまっすぐに伸ばす。
アルスの疲労感を見てか、ウルズ大公は手を軽く挙げ、そしてにこやかに彼らを見渡して告げた。
「そろそろ、今日の本命でもある麻雀を遊びませんか。私はさっきから遊びたくて仕方なくて」
彼らが同意したのを確かめると、アルスは立ち上がり、従業員に素早く指示を出した。VIPルームの端に併設された雀卓へと、彼らを案内する。
麻雀を遊んでいる間は、アルスには大きな仕事はない。
ウルズ大公からウインクで「任せろ」と言わんばかりの気遣いを受けて、アルスはへにゃりと微笑んだ。
やっぱり、自分のことを気遣ってくれる大公は「父親」とは程遠いと、アルスは静かに深呼吸をして、心を落ち着けながら、彼らが麻雀で遊ぶ様子を見ていた。




