14. 保護者会 in クラブハウス
リリーナを連れて必要関係者の元を周り、彼女を男爵家に送り届ければ、リリーナは少し名残惜しそうにこちらを見つめた。
頬が微かに紅潮しており、息も少しだけ乱れている。普段、家からそれほど出回ることのない貴族令嬢を、今日は一日をかけて街中連れまわすことになったのだ。その疲労感は最たるものだろう。
しかし、リリーナの表情に不満そうなものは一つも見えない。どちらかと言えば、今日の想い出は楽しいものになったのだろう。
「今日は色々と連れまわして悪かったね。明日からは、ホールでのリハが中心になると思うから」
「いいえ。とっても楽しかったです。色々と勉強にもなりましたし、皆さん親切で」
「そう。それなら良かった。じゃあ明日はプリズムホールまで出向いて貰うから、そのつもりでいて欲しい。待ち合わせ時間は今日と同じで」
「はい」
「急用で僕が迎えに来られなくなったら、スレンを代わりに寄越すから。じゃあ、よろしく」
「はい。お疲れ様でございました」
何となく、手慣れた挨拶をするリリーナの様子に少しだけ首を傾げつつも、アルスは微笑みを向けて、リリーナと視線を合わせて告げた。
「じゃあね、僕の天使。また明日」
ひらりと手を振れば、リリーナは顔をまた赤くして、ゆっくりと手を振って、その馬車を見送っていった。
楽しい一日だった、とリリーナは息を吐いた。家の中からかすかに聞こえてくる、叔母と従姉たちの癇癪の声に現実に引き戻されることを拒みつつ、屋敷の中へと戻っていった。
◆◇◆
リリーナを送り届けた後は、アルスは急ぎ馬車を駆って、クラブへと走った。
クラブ・アルカンシェルは入り組んだ道の中にあり、カップル向けの高級宿の地下に存在する巨大遊戯施設だ。
接待を受けてアルコールを飲んだり、簡易パーティを行なえるスペースのほか、ビリヤードやダーツを楽しめる遊戯施設、そしてメインステージでは名のある演奏家や歌姫が音楽を奏でている。
その奥に存在する全部で七つのVIPルームは、貴族の身分を持つ者が事前にアルスに打診を行なうことで使用することができる。つまりは、このクラブはアルスの知り合いである貴族たちが羽目を外すために使う隠れ家だ。
馬車を御者に託して裏口側に下車し、アルスは急ぎクラブへと入る。すると、そわそわとしていた従業員がアルスの姿を認めて歩み寄ってくる。
「支配人、お疲れ様です。良かった、間に合って」
「おや。その様子だと、少し早めに着くと先触れがあった?」
「左様でございます。もう10分ほどで」
「それは焦るね。ごめん、すぐに身だしなみを整えて来るから、お迎えの準備を進めておいて」
「かしこまりました」
本来であれば30分あったお迎えの余裕も、10分後にまで縮まっては従業員たちの心の準備は整っていない。それほどまでに楽しみだったのか、と今日の賓客の顔を想像して、アルスは肩を竦める。
支配人室の大きな姿見の前で支度を整え、3分でホールへと出ると、VIPルーム側の通路へ向かって、裏口の方へ向かう。従業員たちがそちらに集まっているのを見て檄を入れ、待ち人の到着を待つ。
やがて、出迎えに出ていた従業員が二人がかりで大きなドアを開くと、その向こうから、今日の賓客たちが現れた。
その顔触れに、アルスは頭を下げながらだらだらと汗を流しそうになる。
大公の意向で、その日誘えそうな人間を三人連れて行くから、気楽な感じでもてなしてくれると嬉しいと言われていた。
しかし、この面子を前にして、そんな呑気なことを言っていられる人物が何人いるのかと、思わず天を仰ぎたくなるのを必死に我慢し、アルスは大公の声が聞こえたので頭を上げる。
「アルス、ご機嫌麗しゅう。今日は急な打診にもかかわらず受け入れてくれて感謝するよ」
「ご機嫌麗しゅう、大公閣下。お待ちしておりました」
「ああ。今日はお忍びなのでそんなに大仰にせずともいい。先に部屋に通して貰っても? いや、我ら四人、今日は無礼講で酒を酌み交わすために馬車馬のように働いてくたくたでね」
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
鼻歌でも歌いそうな気軽さで足取り軽くアルスの後に続いたウルズ大公。その後ろに続くのは、真紅の髪を揺らしながら、威厳のある立ち姿を見せつける、公爵家序列第一位、真紅の薔薇、マギアス公爵。
そしてさらにその後ろに続くのは、国王の右腕とも言われる現王国宰相、怜悧な雰囲気とは裏腹に、口元には穏やかな笑みが浮かぶ、公爵家序列第二位、宵の秋桜、クロスクロイツ公爵。
殿を務めるのは恰幅が良く、肩幅も大きい巨漢ではあるが、実に快活に笑う若々しさと、国一番の商人としての完璧な振る舞いを崩さない仕事人、若きラナンキュラス、バーンズ伯爵。
王城の中にあっても、このような顔ぶれがすべて揃うことは珍しい。彼ら三人は同じ派閥、あるいは親交のある派閥であるため、仲が良いのは自明ではあるのだが、それでもこれほどの重鎮たちが一堂に会するというのは、城で行われる重要な会議の場であっても珍しいのではないだろうか。
少なくとも、バーンズ伯爵は政治に興味がないようなので、国の政治と密接にかかわる大公・マギアス公爵・クロスクロイツ公爵とは、同級生以上の仲ではなかったと記憶している。
最も広く、調度品も整ったRoom00に彼らを通すと、従業員たちがドリンクを運んでくる。毒見を通した後に彼らの前へと並べれば、彼らは着ていた衣服を着崩した後で、グラスを高々と掲げ、乾杯をした。
アルスが従業員に合図をして、従業員たちは彼らが脱ぎたそうな上着の回収へと向かい、部屋の隅に設置されているワードローブへと丁寧に仕舞っていく。
大公をもてなすときでさえ、未だに恐縮してしまう従業員たちは、かなり慎重に動いている。無理もない、と感じる。基本的にこのクラブの人間は、平民の出の従業員でほとんどが占められている。
であるからこそ、アルスは今日はこの場から離れることはできなかった。
「本日は急にお声掛けをして申し訳ない。皆、応じてくれてありがとう」
「何を仰る。あなたの誘いならば断わるなどと無粋なことは言いますまい」
大公が丁寧に礼を取るのに対して、淡々としているように聞こえるが、確かな温かみがある声音で応えるのは宰相のクロスクロイツ公爵だ。グウェンに雰囲気はよく似ているが、彼に処世術をこれでもかというほどに植え付ければ公爵のようになりそうだ。息子の仏頂面とは違い、宰相本人には人当たりの良さが感じられる。
「左様ですな。私としては大変光栄です。いつも息子がお世話になっております」
「こちらこそ、娘の力になっていただき感謝する。生徒会の面々は優秀だと、よく家でも話しているよ」
「うちの倅はあまり学院の話をしないので、是非ともお話を聞かせていただきたいですね。あれは不器用ですから、無用な溝を生んでいないかと」
――そう。何を隠そう、ここの面子は、王立学院の今年度生徒会、その学生たちの保護者会と言っても差し支えがないのだ。
恐らく、ウルズ大公はその意図でこの面子をかき集めたのだろう。
学院では、つい最近も国家反逆罪が判明したところだ。当然ながら、ここにいる者らの子女たちは十二分に教育されているため、それらに加担することなどないだろう。しかし、それに容易に加担してしまった無知な貴族子女たちの癇癪に巻き込まれ、厄介ごとに発展する可能性はゼロではない。
今、学院生を子に持つ親たちは、情報収集に必死だと耳に挟んだことがある。どこに自分の家の醜聞を生み出す種があるか分からないのだ。
であるからこそ、派閥が敵対していない親世代同士は、密やかに会談を重ね、自分の家、そして子女の地位を盤石にするために動いている。今期の社交シーズンなどは、その傾向がより顕著だ。
だとするならば、生徒会に所属している彼らの親同士が、互いに持つ情報を交換しようという動きは決しておかしくはない。
こうして、エルデシアン学院生徒会保護者会は爆誕したのである。
「時に大公、そちらのお嬢さんを紹介してはくださらないのですか?」
そんな会話が聞こえてきた後、従業員たちに指示出しをしていたアルスは大公に呼ばれ、一度深呼吸をした後、背筋を伸ばして「はい、ただいま」と答えてテーブルの傍へと向かう。
テーブルの傍へと寄ると、ウルズ大公がにこやかに促す。
「アルス。今日彼らを連れて来たのは、君に挨拶がしたかったからだそうだ」
「私に……?」
「ああ。だから、ぜひ、ご挨拶を」
何故、彼らがアルスを目に掛けてくれたかは分からないが、しかしウルズ大公の口ぶりからして、アルスの正体はとっくに割れているのだろう。そう判断したアルスは、しかし今は接待を行なう身であるため、大仰に膝を付いて、頭を垂れた。序列が上の、上座の者から順に挨拶の言葉を述べる。
「エルデシアンの真紅の薔薇、マギアス公爵閣下にご挨拶申し上げます。ACE代表、アルス――そして、キングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
「グラート・マギアスだ。初めまして、キングレー嬢。いつも娘の体調を気遣ってくれているようで、感謝する。そなたから紹介されたハーブティーを気に入っていて、私にも勧めてくれたよ。今では一家全員気に入ってしまってね」
「とんでもございません。お口に合ったようなら何よりでございます」
普段ならば、口を利く機会さえない雲の上の人であるのに、本来ウルズ大公もそうであったと認識すれば、何とか正気を保つことができた。続いてアルスはクロスクロイツ公爵の方へと方向を変え、再び頭を下げて、挨拶を述べる。
「エルデシアンの宵の秋桜、クロスクロイツ公爵閣下にご挨拶申し上げます。ACE代表、アルス――そして、キングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
「ベルモンド・クロスクロイツです。キングレー嬢、息子が随分とお世話になったようで」
「とんでもございません。未熟な若輩者である私を気遣い、支えてくださる偉大な先輩にございます」
「あの朴念仁な倅が、女生徒の話をするのを珍しく聞きまして。聞けば、チェスのお相手をしてくださっているとか」
「僭越ながら、お相手を務めさせていただいております」
「実は最近、倅がよくチェスの相手を強請ってくるようになり、親子間のコミュニケーションが増えたのです。あなたには本当に感謝しているんですよ」
なお、未だにグウェンにはチェスで一度も敗北を喫していない。それでも彼は、毎度のように反省点を洗い出し、それに対して検討を繰り返しているようだったので、負けるのは時間の問題だろうと考えている。その上で、ウルズ大公を満足させるチェスの名手であるクロスクロイツ公爵の手も借りているならば、夏期休暇明け頃に初の敗北を喫しそうだと予測する。
続いて、アルスはバーンズ伯爵の方を向き、同じように挨拶をする。
「エルデシアンの若きラナンキュラス、バーンズ伯爵にご挨拶申し上げます。ACE代表、アルス――そして、キングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
「ダウィッド・バーンズだ。いや、お会いできて光栄だアルス殿! あなたのお噂はかねがね、聞き及んでいるよ。未発達の娯楽分野で、たった一年と少しでめきめきと頭角を現している若き実業家、しかも調べればあのキングレー伯爵領の姫だという。一度、商人として話してみたかったのだ」
「光栄です。大商人と呼ばれる伯爵に、そのような身に余る評価を賜れるとは」
「実のところ、我が商会にいつ商談を持ち込んでくれるのかと待ち望んでいたのだよ。いやはや、今後ともよい関係を築かせていただきたいものだ」
「こちらこそ、バーンズ商会とは今後とも末永くお付き合いさせていただきたく存じます」
片や、男装をしてだらだらと冷汗を流しながら、挨拶をする伯爵家の娘。片や、そのどれもが国の重鎮と言って差し支えない、学院における先輩たちの親御。
なんだこの状況、というのはアルスが幾度にもわたって自問自答している問いかけである。しかし、ここで少しでも動揺を面に出せば、せっかくこの雲の上の人たちから賜った高評価を覆してしまうことにもなりかねない。
アルスは伯爵令嬢としての礼儀をしっかりと表に出しつつも、飽くまでも今は、ACEの代表として振舞う。
実際のところ、アルスの素性については調べれば簡単に行きつく。ACEの設立者は「アルシェスタ・キングレー」という名義になっているので、調べられる手段を持つ者が調べれば、すぐにアルスの正体に行きつくだろう。
それを調べない者がほとんどであるので、学院の同級生たちは誰も知らないだけである。
しかし、大商人であるバーンズ伯爵ならば、王都で勢力を広げている商会があればきっちり調査を入れるであろうし、公爵家レベルの諜報力があれば、アルシェスタからでもACEへときっちりと辿り着くことができるだろう。
彼らは国の中でも、キングレー伯爵家の動向には注目しておかなければならない立場だ。そんな伯爵家の娘が、自分たちの子と同じ学内組織に所属しているのだ。調査を入れない道理はない。
「私は伴侶も子も持つことはないと思っていたが、この子を見ていると、もしも自分に娘が居たらこのような感じなのだと、最近は本当にそう思っている」
「娘……」
「大公も、養子を取られてはいかがかと前々から打診を受けていると聞いておりますが」
「確かに。今はアルスがかわいくて仕方がない。以前よりは随分と前向きに検討しているよ」
「それは素晴らしい。王太子妃殿下が子を産めば、あなたも伴侶を持つことが許されるかもしれませんからな」
「伴侶は……もうこの歳だからな。あまり想像はできないが」
大公の言葉に、アルスはしばらく口を噤んでいた。
大公という人物には心の底から感謝をしているのだが、父親という言葉に印象が良くないアルスにとって、彼をその枠に当てはめていいのかと、そう思い悩んだからだ。




