13. 自分のために
リリーナを採寸のために奥の部屋へ送り出し、スレンもまた、衣装チェックのために別室へと連れ去られた後、アルスはそっと息を吐いた。指先に違和感を覚えて振り向くと、愛らしい少女の姿をしたヴィンスが、袖を小さく引っ張っていることに気が付く。
彼を連れて部屋の隅へと移動すると、二人で丸椅子へと腰かけた。
「大丈夫……ですか? 彼女とは、お知り合いだったのでは……」
「うん、大丈夫。あんまり気づかれたくないけどね」
「どうして? 同性同士で、僕よりも親しい友人だったのではありませんか?」
「だからこそ、かな」
リリーナとアルシェスタの仲がいいのは、魔術競技会を終えた後、速やかに全校生徒の知るところとなった。彼女にマナーを教え、光属性の才能開花に一役買い、彼女を庇って大怪我を負ったという話は、いつの間にか美談のように生徒間を伝播していった。
今までは、やや遠慮がちに、迷惑を掛けてはいけないと、公の場では遠慮していた彼女が、嬉しそうに教室まで会いに来てくれるようになったのも記憶に新しい。
けれどとうに、気楽に打ち明けられるタイミングは逸した。あとはもう、何かのきっかけでバレて怒られるのを待つか、そのまま気づかれずに他人として気楽に付き合うかの二択である。
何よりも、リリーナは「淑女」としてのアルシェスタを好きになった娘なのだ。
こんなものぐさな自分を見せて、今はまだ偶像を壊したくはない。少なくとも、彼女が一人前のレディとして、貴族社会に臆することなく踏み込めるまでは、彼女を支える偶像が必要だ。
「今はまだ、彼女には目指すべき目標が必要だと思う。自惚れでなければ、彼女の貴族女性としての目標は僕だろうから」
「それはまた、重いものを背負っていますね」
「知ってる。でもそれはさ、自分とは少し性質が異なる偶像を演じるって決めた時点で背負うべきものだから。期待されて失望されるのはだるいけどね。そこはまぁ、善行を積んでおいて、本気で怒られるくらいに留められるように努力するよ」
何かがきっかけで、リリーナがアルスの真実に気づいたとき、彼女は「何で言ってくれなかったんですか!」で済ませてくれるだろうか。
失望して、それで終わってしまうだろうか。
ショックで何も考えられなくなるだろうか。案外、アルシェスタの根の部分を冷静に見つめていて「納得しました」で済ませて貰えるだろうか。
他人の心がどう動くかは、判断がつかなかった。
「自分らしくいるって、たいへんですね」
ヴィンスの言葉に、アルスはゆっくりと顔を上げた。行儀よく膝の上に手を乗せて、背筋を伸ばして座っている姿は、何となく様になっている。
アルスは一度呼吸を置いて、コンディションを整えた後で、気になっていたことについて、口にしてみることにした。
「ヴィンスの言葉には実感があるね」
「……そう、でしょうか」
「僕ね、気になることがあったんだ。ヴィンスは僕の正体を看破したとき、夜遊びをしている理由や、姿を変えている理由について言及はしたけど……僕が男装していることや、男として振舞っていることに関しては、何も突っ込まなかったなって」
「……っ」
普段のアルシェスタを知る者ならば、真っ先に疑問に思いそうな、男性としての振る舞い。
けれどヴィンスは、そこには一度も触れることはなかった。その理由について、アルスは今日まで深く考えることはなかったのだが、今日のヴィンスの姿を見て、思うところはあった。
女性の格好をして、恥ずかしそうな素振りを見せたのは、アルスが来た直後だけ。もっと言えば、リリーナを含めた、初対面の人を前にしたときだけ。
実際に、今アルスの隣に腰かけているヴィンスは、すぐに「着替えます」と叫んで恥ずかしげに引っ込んでいくわけでもなく、アルスとのおしゃべりを優先した。
これらの事実から導き出される結論として、ヴィンスは異性装に偏見がないのだ。さらに言うならば、自分が異性装をすることにすら抵抗がない。
「初めてじゃなさそうだね」
「……はい」
「そうだったんだ。驚いたな」
「……変でしょうか……」
ヴィンスが不安げに、震える声で絞り出した言葉は、切実さを訴えていた。彼にとって、この事実に対する他人からの所感は非常に気になるところなのだろう。
アルスは肩を竦めて、半笑いで告げる。
「僕がそんな風に思うって? 本当にそう思う?」
「いえ」
「そうだろうね。僕には君の気持ちが少しわかる。ヴィンスも変わりたかったんだ。自分じゃない、何者かに」
「……はい」
人は誰もが、理想の自分を夢見る。自分をどれほど肯定できるかは人によるし、うまく生きられる自分が好きな者もいれば、思い通りに生きられなくてもどかしくなり、いっそ自分と違う誰かになれたなら、と夢想する者もいる。
見た目を大きく変えるというのは、一つの手段だ。全く違う自分になってみれば、何かが変わるかもしれないと期待して、自分の成りたい姿に思い切ってなってみる。
「女の子になりたいわけじゃないんです。父は騎士で、僕も小さい頃は騎士になるんだって思ってました。でも、発育が進むにつれて、周りとの差に置いていかれて……」
ヴィンスは小柄で手足も細い。筋肉がない訳ではない。スリムな体つきは、きっちりと絞っていることを思わせるが、その割には筋肉の付きが悪い。
体質なのだろう。筋肉が付きづらい、身長が低く手足が短いことは、長い獲物を扱う騎士にとって、致命的な弱点ともいえる。
身近な騎士であるイルヴァンは恵まれた体躯を持っているので、殊更に少女と見紛うヴィンスの姿は、騎士の理想とは程遠く思える。
「父は、騎士にならなくてもいい。文官でも、国に仕える立派な人になりなさいとよく言ってくださいました。けど、周りは勇猛な父と同じく騎士になることを期待していて……けれど僕はそれに耐えられなくて」
「……」
「幼馴染たちにもバカにされて、苦しくて。いっそのこと、女の子に生まれたら、こんなに苦しまなくて済んだのかなって思ったこともあって」
「それで、女の子の格好を?」
「最初は魔が差したんだと思ってたんです。でも、気が付いたら、女の子の洋服の美しさに魅せられてしまって。ひらひらしていて、綺麗な布がたくさん使われていて、デザインもすごくよくって」
ヴィンスはドレスの裾をそっと持ち上げながら、瞳を揺らして、自分の体を覆うそれを見やる。憧憬、羨望、そして愛情。そんな熱のこもった瞳には、溢れんばかりの女性服への「好き」という気持ちが詰まっていた。
「逃げただけだから現実は変わらなかったけど、でも好きなものが一つでも出来ると、まだ頑張れる気がしたんです」
「分かるよ、その気持ち。男の子になりたい、女の子になりたい、そういう気持ちよりも、好きなものを好きだと言いたい、自分らしくいたい……そういう感情なんだよね」
「はい。……アルスさんも、淑女でいるのが苦しいですか?」
「苦しいよ。繕い方は叩き込まれたけど、それでも僕って本当はこんなだからさ。期待とか、そういうのを気にせずに、気楽に自分らしくいられる場所を得るためには、今はこうするしかないから」
女性の姿をしていると、どんなに変装をしていたとしても、いずれはアルシェスタに結び付くだろう。しかし、男性の姿を借りていれば、全く別の人間として息を抜くことができる。
アルスは男になりたいと思ったことはあまりない。それこそ、母から逃げるために考えた一度くらいだ。世間ではまだ女性の自立は男性に比較すればやや困難ではあるものの、ローズ・ベルベットという偉大な先人が立てた標によって、それも成せないことではない。
「僕たち、思ったよりも似た者同士なんでしょうか」
「そうかもね。まぁ、傷を舐め合う関係は大事だよ。気を張ってばっかの人間関係じゃ、疲れるもの」
「あはは。はい、そうですね。あ、あの……この話は、できれば内密に」
「分かってるよ。僕だって似たようなもんだからね」
意図せずしてヴィンスの一面を知ることとなったが、しかしアルスにとっては、得難い理解者を一人得たことに等しかったのかもしれない。




