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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 夏休み篇 長期休暇は己と向き合う時間
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12. 巻き込まれ体質の彼女

 次の日の朝、夜に接待する予定の大口の客を迎えるため、クラブで打ち合わせをした後、昼前に雀荘へ向けて移動した。雀荘に入ったアルスは、そこで食事を出されて嬉しそうに頬張っている彼女の姿を見つけた。

 傍らには、ぶすっとした顔の毛玉の猫の姿がある。従業員にもみくちゃにされるよりは、飼い主であるリリーナの傍の方が良いのだろうか。しかしその猫は、アルスの姿を見つけると、我先にと机の上から大きな音を立てて降りた――というより、落ちたという方が表現として正しいかもしれない――。

 マシロはアルスの足元までやってくると、額を擦り付けてくる。それを認めた瞬間、アルスがほっと息を吐き出すと、アルスから冷気が噴き出した。室内の温度が下がると、従業員たちは暑さで苛立っていた表情を和らげる。


「もしかして君、僕がひんやりしてるから僕のことが好きなの?」

「みゃぁ~」

「暑そうだもんね、その上質なコート」


 アルスはマシロを抱き上げて肩へともたれ掛からせると、食事を頬張っていたリリーナの元へと歩いていく。リリーナは何がそんなに気に入ったのかは分からないが、感極まった様子で、一心不乱にスプーンを動かしている。


「そんなに美味しい?」

「はいっ! 炒飯(チャーハン)……炒飯……!」

「麻雀のことを調べたとき、せっかくだからその国の食文化も調べて取り入れてみたんだけど……そんなに美味しそうに食べられると、頑張って料理を指導した甲斐があったね」


 米を水分によって炊き上がらせて、ソースや卵で味付けをし、肉や野菜などを細かく刻んで炒めたメニューは、何かと好評だ。ソースの研究によってもっと美味しいものが作れるのでは、と思っている。

 茶を運んできた従業員に話を聞いたところ、リリーナはほんの三十分ほど前にここへやって来たのだが、その時の彼女があまりにもやつれていて不憫だったので、食事を摂ったかを尋ねたところ、朝から何も食べていないのだという。彼女に同情した従業員たちが、賄のついでに彼女の分も食事を用意してくれたようだ。

 アルスは軽くネクタイを緩めて、茶を喉へと流し込む。従業員から「社長も賄要ります?」と問いかけられたので頷いて、昼食をいただくことにする。

 リリーナを拾ったらどこかで食べていく予定だったが、その手間が省けるならここで食事をしても構わないだろう。アルスの前にも、皿に半球状に盛られた炒飯が運ばれてくる。


「家の方は大丈夫だった?」

「大丈夫ではないですけど……使用人に逃がして貰いました。叔母は私を家から出そうとしないし、従姉たちは相変わらずで。家に何かを持って帰ろうものなら、すぐに取られてしまいそうです」

「うーん、普通に営業妨害。土産に関しては留意しておこう。家に持ち帰らなくても、当日出先で準備できるようにするから」

「本当に、何から何まですみません、アルス。それと、叔母たちの無礼も……」

「だから気にしなくていいって。あんなの、子どもの我儘みたいなもんでしょ。かわいいもんだよ」


 彼女たちは、自分の立場を振りかざして見下して、自分の思い通りにならなければ騒ぐだけの、かわいらしいものだ。気に入らないからと犯罪行為全肯定で襲い掛かってくるどこぞの令嬢とは違う。

 相手にしなくともアルスにとっては些細なことであるし、相手にすれば指を一度鳴らすだけで、彼女たちを排除することは簡単にできる。

 けれど、アルスがそれをやっても意味がない。あとは、男爵がどう応えるかを見物するのみである。


「とはいえ、リスクヘッジはしておくべきだね。リリーナ、君には負担をかけて申し訳ないんだけど、もしもの時の対策は取っておきたいんだ」

「もしもの時の、対策……」

「叔母たちの妨害を受けて、当日会場に来られないようなことがないようにね。集合時間を早めて、その時間までにリリーナが来なかったら僕が男爵邸に乗り込む。どう?」

「それは、ありがたいですが……アルスにそこまで迷惑をかけるべきでは」


 リリーナの遠慮を聞いて、アルスは首を横に振った。

 迷惑というのは、煩わせなくてよいことに労力を割かされることを言うのだ。アルスは、リリーナが家庭環境に何らかの事情を抱えているのを承知のうえで、仕事を任せることに決めたのだ。

 その事情によってアルスが煩わされるのは、いわば想定内だ。彼女の家庭から、器用に彼女を逃がすところまでが契約内容に含まれていると定義されるならば、それは決して迷惑ではない。


「僕にとって一番大事なのは、ショーが成功することだよ。このショーにはたくさんの人の想いが詰まっていて、たくさんのお金が動いていて、たくさんの人の膨大な時間をつぎ込んでいる。これを、ただの子どもの我儘で転ばされるわけにはいかないんだ。僕が子どもを叱って、それでショーが成功するなら、それでいいんだよ」


 炒飯を丁寧に掻き込んで、ナプキンで口元を拭うと、食器を重ねて手を合わせる。リリーナはすっかりと冷めてしまった炒飯の最後の一口を口に入れると、同じように口を拭いて食器を重ねた。

 一連の出来事で分かってしまったことだが、どうやらリリーナの中で、叔母たちからの妨害を受けずにこの件を乗り切ることは不可能に近いと断定しているようだ。


「……なんで自分の価値観が強い母親って、子どもの行動を縛ろうとするんだろうね」

「え?」

「あ。ううん、何でもないよ。さて、少し話し込んじゃったけど、そろそろ工房に移動しようか。工房の人たちにリリーナを紹介して、すぐに採寸して貰うからよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 二人で連れ立って、すぐにアザレア工房へと向かう。昨日のうちにミランから、工房の担当者には話を付けておくように言っておいたので、着いて挨拶が終われば、すぐにでも採寸に取り掛かって、衣装の手直しに入れるはずだ。

 工房のドアを開けると、アルスは目を瞬かせた。


 そこには、まるで春の妖精のような、見慣れない愛らしい少女が、従業員に取り巻かれて立っていたのだ。

 桃色のふわふわとした髪は、肩上までのショートヘアだ。白い肌に、頬に桃色のチークが塗られ、目はぱちりと大きくて空を映し出したような色をしている。

 着ているドレスは、確かアザレア工房の新作だ。庶民向けのドレスだが、生地が安くてもデザインは一流であるため、値段よりも高価な仕上がりになっている。リボンとフリルがあしらわれたそれに身を包んだ少女は、恥ずかしそうに体を縮こまらせている。


 アルスが唖然として目を瞬かせていると、従業員がアルスの訪問に気づいて、こちらへと近づいて来た。


「社長! お疲れ様です。お待ちしておりました」

「お疲れ様……えっと、もしかして別口でモデルが見つかった……とか? 僕、何の連絡も受けてないんだけど」

「いえいえ、違います! ただ、逸材だと思って、そうしたら気づいたらこんなことに」


 そんな会話をしていると、春の妖精はアルスの姿を認めて、そしてうるうると瞳を潤ませて、アルスの方へといたたまれなさそうに駆けだしてきた。

 近くまで寄ってくると、身を縮こまらせていたその背丈は、アルスよりも頭一つ分ほど高いことに気づく。そして、縋るように助けを求めて来たその喉から出た声は、とてつもなく聞き覚えのあるものだった。


「しゃ、社長……助けて……」

「その声……もしかして、ヴィンス?」


 愛らしい、少女のようだとたとえられたヴィンスは、メイクとドレスによって、完璧なまでの淑女に変貌を遂げていた。

 アザレア工房の面々は一仕事を終えたかのように清々しい顔をしている。どうやら、ファッションショーの運営のためにホストクラブから合流したヴィンスは、一足先にここへ辿り着き、従業員たちの餌食となってしまったようだ。


「ヴィンスさんめっちゃかわいくないっすか?」

「あ。スレンも一緒? そういえば、エスコート役引き受けてくれたんだっけ」

「うぃっす! 任せといてくださいよ。いやぁ、しかし委員長にこんな才能があったとは……」


 そう告げて、スレンは易々とヴィンスの肩をそっと抱いてウインクをした。外から見れば、どう見ても美男美女のお似合いカップルといった様相だが、実際には男と男である。

 目の前で目まぐるしく始まった出来事に完全に置き去りにされていたリリーナに声を掛けると、彼女ははっとしたように我に帰る。


「リリーナ、紹介するよ。ここがアザレア工房で、君が着る予定のドレスを作った職人たちが所属する工房ね。で、こっちのかわいい彼が、僕の商会に体験入社中のヴィンスくんで、ショーの運営を手伝ってくれるスタッフ。こっちが、つい最近うちの店に入ったホストのスレンくんで、リリーナのエスコート役を引き受けてくれた人だよ」


 リリーナの視線は、アザレア工房の従業員に停まって挨拶をするところから始まり、ヴィンスに停まって、彼が男だということを聞かされて思考停止したように顔を引きつらせた後、スレンへと向いて、その視線がかちりと止まった。スレンはリリーナの前まで優雅に歩み寄って跪き、そっと手を差し出した。


「初めまして、リリーナ嬢。今回、あなたをエスコートする栄誉をいただけました、ホストのスレンです。あ、ホストとしての名前はレンっていうのでどうぞレンって呼んでください。いやラッキーっすねこんなかわいい子のエスコートさせて貰えるなんて、役得です」


 前半は貴族の男子を感じさせる丁寧な挨拶だったのだが、途中から彼の素の言動が出て、途端にチャラくなってしまう。そこがスレンの良さでもあるのだが、リリーナは急な温度差に少し戸惑っているようにも思えた。

 ドレスを着るにあたって、紳士のエスコートは必須事項となるのだが、今回辞退したモデルのエスコート役は彼女の夫であり、彼女の看病のために、彼もまたエスコート役を辞退したので、急遽人材を探したところ、白羽の矢が立ったのがスレンだったのだ。

 彼は元子爵家の子息で振る舞いにも隙が無く、ホストという職に就くにあたって磨き上げられた美貌は、リリーナの隣に並んでもリリーナを霞ませることも不釣り合いになることもない。むしろ互いの魅力に作用して、互いをより美しく見せることができる相手だと判断した。


「初めまして、リリーナ・シルファスと申します。未熟者ですが、精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」


 リリーナは一度深呼吸を挟んだ後、隙の無い淑女の礼を披露した。その瞬間、アザレア工房の面々がほう、と息を呑んだ音が聞こえた。

 こうして、リリーナを一流のモデルへと磨き上げる一週間が始まったのである。

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