10. 困った人たち
アルスは早速、ミランを促してその場で契約書の作成に取り掛かった。免責事項、業務内容、実施日、拘束時間などを丁寧に書き連ね、そして報酬の内容も明記した。作成した書類を、リリーナへと手渡す。
リリーナは丁寧にその文章を読み進めていたが、とある一点を見つめて、視線が止まる。
そして、顔を引きつらせた。
「アルス……」
「何?」
「この、報酬って……」
「あれ? 足りなかった? まぁ、リリーナは男爵令嬢だからもうちょっと上乗せしても」
「い、いえっ!」
ぶんぶんと激しく首を横に振るリリーナは、大きく深呼吸を繰り返していた。貴婦人の前で堂々たる振る舞いをする必要があるモデルたちには、負うべき責任が多数伴うため、報酬はかなり色を付けて提示してある。
盛夏の式典で表彰され、光の魔術を披露したリリーナの評判は、貴婦人を中心に緩やかに軟化してきている。同世代の子女はまだ彼女のことを認められない者も多いようだが、彼女の力や心意気を認められる人物は着実に増えてきている。
今のリリーナには「話題性」という付加価値が付随する。であるので、もう少し上乗せしても構わない、とは思っていたのだが。
まぁ、リリーナの場合は報酬を上乗せしすぎると、がちがちに緊張をして失敗しそうだ、というのがアルスの所感である。
「君は学生だし男爵家の子だから、男爵に話を通しておいた方がいいね。僕としては、大切な娘さんを預かるわけだから、直接了承を得ておきたいんだけど」
「父と話を?」
「うん。男爵邸に招いて貰っても構わないなら僕から伺うし、外の方が都合が良ければセッティングする。話をする場を取り持ってもらってもいいかな」
後々のトラブルを失くすという意味でも、男爵に話を通すというのは必要な行程だ。幸いにして、今日のオープン前の業務に関しては滞りなく終了したので、このまま明後日のオープンには影響がない。
しばらくは雀荘の人の入りを見ながら、麻雀に興味を持ってアルスに問い合わせてくる貴族たちの接待に回るつもりであったアルスには、今はある程度の時間の余裕がある。
ファッションショーにかかわる業務を同時進行しても問題はないのだ。
リリーナは何かを躊躇った後で、少し俯きがちに漏らした。
「……今、家には叔母たちがいて……」
「そうだったね。じゃあ、外の方がいい?」
「……でも、叔母が毎日父に無理難題を言うので、父は今精神的に疲弊していて……体調を崩しているんです。ですので、家から出したくないんです」
「なるほど。じゃあ、僕から伺おうか。それでいい?」
リリーナは申し訳なさそうに頷いた。生憎と、厄介客には慣れているので、ある程度のクレーマーなら和やかに窘められると思うし、クレーマーですらない人間は舌鋒を振るって大人しくさせればいい。
アルスのクソガキという気質は、こういったときに非情に役に立つ。
「早い方がいいね。今夜、尋ねてもいいかな」
「今夜ですか? 私は構わないのですが、おもてなしはできないと思います」
「いいよ、そんなの。ビジネスの話をしに行くんだから、紅茶の一杯でも出してくれれば十分」
アルスは早速外へと出る支度を始めた。そして、ミランに声を掛けた。
「男爵の許可をもぎ取ってきたら、明日彼女を連れて工房に行くよ」
「かしこまりました! ありがとうございます、社長。皆にも伝えてきます」
「じゃあリリーナ、行こうか。案内してくれる?」
「はい!」
アルスはリリーナと共に店を出て、馬車に乗り込んで、彼女の家へと向かう。勿論彼女の家の場所は知っているのだが、彼女に案内をさせる形で見慣れた家に乗り付けると、中から使用人が顔を出した。
「お帰りなさいませ、お嬢様。……そちらの方は?」
「マシロを預かってくださっている方なんです。実は、マシロを預かって貰う対価に、少し仕事を頼まれまして。その仕事の内容を父に確認して貰うために、足労頂きました」
「まぁ、そうだったのですね。すぐに旦那様にお伝えして参ります」
アルスは丁寧に、物腰柔らかに紳士の礼を取る。すると使用人ははっとしたように丁寧に頭を下げると、そのまま二階へと上がっていった。リリーナに連れて行かれたのは、いつもの応接室だ。ソファに座るように勧められてそれに応じると、使用人が間もなく紅茶を運んできた。
「少しお待たせしてしまうかもしれません」
「構わないよ。そもそも、こっちから押しかけてるわけだからね。会って貰えるだけでも御の字……本来なら先触れを出すものだからね。慌ただしくてごめんね」
「とんでもないです。父も、アルスと会いたいと仰っていたので。マシロを預かって貰ってありがとう、と」
どうやら、リリーナは男爵にアルスのことをちゃんと伝えていたらしい。それならば、できる限り和やかに話が進められそうだ。そう思ったのも、つかの間。
嵐というのは、突然訪れるから嵐というのだと。
困り顔の男爵が、応接室を訪れたのは、10分ほど経ってからだった。それはもう、後ろに姦しい女性たちを引き連れて。
顔色は青白く、少しやせ細ったように思える。この一週間の苦労が目に見えて分かるようだ。
「お待たせいたしました」
「シルファス男爵。此度は急な訪問にも関わらず、お会いいただけてたいへん光栄です。ACE代表、アルスと申します」
「こちらこそ、リリーナがお世話になっているようで。お会いできて光栄です、アルス殿」
まずは、後ろの彼女たちに意識を向けずに、家長へと丁寧な礼を取る。それを見て、男爵は何かを察したように、紳士の礼を返した。男爵はげっそりとした様子で応接室へと入ってくると、その後ろにいた、暫定叔母、従姉、従姉と思しき三人の女性も、何も間違っていない様子で堂々と部屋に入ってくる。
男爵がアルスの正面へと腰を下ろすと、リリーナがその隣に座り、暫定叔母がさらにその隣に座る。
そして、暫定従姉たちは、何故かアルスの隣へと座った。
「……こちらの方々は?」
「あら。私はリリーナの叔母ですけれど、母代わりなんです。この子の話なら、私にだって聞く権利があるはずだわ」
「申し訳ありません、アルス殿……このままお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「まぁ、男爵が構わないのであれば私に異存はありません。他人に聞かれて困る話でもないですし」
これ以上叔母のことで心労を掛けると、男爵は今にも倒れてしまいそうだ。たった一週間でここまで人を疲弊させることができるとは、一体何が起きているのだろうか。
そう思っていると、リリーナはアルスの隣に座る従姉たちをちらりと見て、憂鬱そうにため息を吐いた。
「それで、アルス殿。本日はどのようなご用件でしょうか」
「はい。我がACEでは、ちょうど一週間後にプリズムホールにて、ドレスのファッションショーを開催させていただくこととなったのです」
「ドレスのファッションショー!? 何ですか、それ! 見たいわ!」
早速、隣に座った従姉が声を上げる。ああ、リリーナが居たたまれそうな顔をしている、とアルスは心を閉ざして、凪いだ微笑みを浮かべて話を続ける。
「各所からかなりの出資を募り、色々な商会と手を取り合って催されることになったこのショーなのですが、実は足を怪我して、泣く泣く辞退することとなったモデルがおりまして。ただちに人員を補充しなければならなくなりました」
「なるほど……ファッションショーですか。ああ、確かにお話は伺ったことがあります」
「流石はシルファス男爵、お耳が早くて素晴らしい。ほとほと困り果てていたのですが、そのモデルの体型が、リリーナ嬢にかなり近似しております。我々にとっては、光明と言っても過言ではありません」
アルスは鞄の中から、先ほどリリーナにも確認して貰った書類を取り出した。シルファス男爵側で保管するために一通、アルスが持ち帰るために一通。
契約書を男爵へと差し出すと、男爵は「頂戴します」と受け取って、内容を確認し始めた。
男爵はしばらく契約書についての質問をアルスへと投げかけた。それに対し、一つ一つ丁寧に対応する。契約書には当たり前の免責事項や注意事項などが書いてあるだけなので、大したツッコミはなかった。ただ、報酬の金額がそれなりに高額なので、念入りに確認をしているだけのように思えた。
やがて一通りの問答が完了すると、男爵は頷いた。
「分かりました。娘にとっては非常に得難い経験となるでしょう。たびたびお世話になって申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、彼女の助力を得られるのは大助かりですので、お互い様です。お嬢さんは責任をもってお預かりします」
契約書にサインを交わして、何事もなく、にこやかに商談は終了――。
するはずなど、なかった。叔母が、サインを終わった契約書を、机の上から取り上げたのである。アルスはその振る舞いに、ぴくりと眉を動かした。
「おい、ティア」
「私にも確認させてちょうだい。……何、この金額! リリーナ、あんたにこんな仕事務まるの?」
雇用主の前で堂々と報酬の話をする、他人。見ていてあまり愉快なものではないな、とアルスは笑みを張り付けたまま、心の中で独り言ちる。
そしてそれだけでは終わらなかった。叔母が悲鳴のような声をあげたことで、従姉たちが叔母から契約書をひったくり、それに目を通して、目を輝かせた。
「すっごい大金! ねぇ、アルスさん、リリーナじゃなくて私がこの仕事を受けるわ! いいでしょう?」
「な……っ」
「だってリリーナってば、昔から愚図で引っ込み思案なんだもの。大勢の前でショーをするなんて無理よ。だから私が代わってあげるわ!」
従姉の横暴に、リリーナは完全に口を閉ざしている。アルスはその様子を客観視して、リリーナの言っていた「意地悪な従姉」の意味を理解したのである。
男爵は顔を赤くして立ち上がり、怒鳴りつける。
「いい加減にしないか、お前たち!」
「兄さん、悪いけど私はフェリに賛成よ。リリーナにこんな仕事が務まるはずがないわ。大勢の前で恥をかくに決まってる」
「お前たちにそんな権利があると思っているのか! これはアルス殿からリリーナへと依頼した仕事だ」
「あら。同じ男爵家の娘なんだから。貴族の娘がショーに協力してあげるんだから、きっとお喜びになるわよ。リリーナに頼んだくらいなんだもの、貴族の娘で、ちょっと顔が整っていればだれでもいいんじゃなくて?」
「その点でいえば、リリーナは孤児だけど、私たちはちゃんと男爵家の血を引いてるから、私たちの方がどう考えても相応しいでしょ? ね、アルスさん」
暴論に暴論を重ねると、人をここまで困惑させられるのだ。アルスはそれを思い知って、思わず感嘆の溜め息が漏れた。その様子を、肯定と取ったのか、隣で従姉がニコニコと笑いかけて来るのに、アルスは清々しい笑顔を返して、そして口を開いた。




