09. スカウト
次の日の夕方、雀荘へと赴くと、窓辺でマシロを抱きしめて、撫でているリリーナの姿を見つけた。
アルスは、リリーナへとゆっくりと歩み寄った。リリーナが足音に気づいて見上げたのにひらりと手を振って、その正面へと腰を下ろした。
「待たせたかな」
「いえ。ついさっき着いたところです」
「そう。ああ、ごめん。お茶を持って来てくれるかな」
従業員に茶を淹れるように頼むと、アルスは空っぽの瓶を、水魔術と氷魔術によって氷で満たしていく。リリーナは目を瞬かせて、その瓶を見つめていた。
自領の夏はとりわけ暑く、キングレー伯爵家の者たちは、魔術を扱える歳になると、真っ先に氷魔術の習得に励む。魔力から作り出す氷は食用にもなり、保冷にも使用でき、何よりも暑さへの強い武器となる。
暑い外を歩くときも、氷魔術が上手なアルスは、器用に魔術を使って涼みながら移動しているのである。
運ばれてきた茶に、氷をスプーンで掬って入れていく。リリーナは目を輝かせて、ありがたそうにその茶を飲んでいた。
「氷魔術、羨ましいな……」
「でしょ? 僕もね、夏場は皆の冷風機代わりだよ。僕の近くにいると涼しいからって、皆僕の近くで仕事をしようとするんだ。暑苦しいったらないよ」
「ふふ。でも、確かにアルス様がいらっしゃってから、店内の温度が少し下がって過ごしやすくなった気がします」
「暑いと冷気噴き出しちゃうんだよね。僕も暑いの嫌いだからさ。……ああ、僕のことはアルスでいいよ。そんな仰々しく呼ばれるようなもんじゃないし」
「え? でも……」
リリーナは何かを言おうとして、口を噤む。アルスは冷えた茶で喉を満たしながら、その様子をちらりと見やる。
リリーナがアルスに馴れ馴れしく接することができない理由は、何となく理解ができる。しかし、なるべく学院にいるときと今でメリハリをつけて貰った方が、アルスとしても頭が切り替わって助かるのは事実だ。
アルスは数拍の思考の時間を置いた後、ぱちんと指を鳴らして、提案する。
「まぁ、君が僕にそういう態度をとる理由については見当がついてるけど。分かった、そういう場でそういう振る舞いをするかどうかは君に任せるよ。でも、こういうどの方面にも気を遣わなくていい場では、気楽に呼んでくれると僕も嬉しいな」
「……はい。ア、ルス……」
「うん。それで、話を聞こうかな。マシロは連れて帰れそう?」
問いかければ、リリーナの顔が曇る。俯いて、何かを吐き出そうとしては飲み込むのを繰り返す。
彼女の様子と表情から、家庭の問題は解決していないことを察してしまったアルスは、スプーンで掬い取った氷を直接舌の上に落として噛み砕いた後、一息を吐いた。
「アルスにお願いがあるんです……」
「うん、とりあえず聞こうかな」
「マシロを、もうあと少しだけ預かって貰えませんか?」
すると、マシロはリリーナの腕の中からするりと抜けると、優雅に足元へと着地して、てちてちと短い手足をばたつかせてアルスの足元へと寄ると、そのまま額をふくらはぎへと擦り付け始めた。
マシロはリリーナの言動を理解しているのだろうか、とさえ思えるほどの行動力だ。アルスは数秒間、ぼんやりとその毛玉を見つめた後で、リリーナへと視線を戻した。
「叔母さんはまだ、家を出る気はなさそうなんだ」
「……はい。いつもは、一週間くらい家に来たら、ぐちぐち言いながらも帰っていくんですけど……今年は長くて」
「そう。まぁ、幸いにしてマシロはこの店の従業員皆に好かれてるから、預かるのは問題ないと思うよ。あまりにも看板猫の味を占めた従業員たちが、マシロが帰った後も新たな看板猫を雇い入れることを画策するくらいだから」
こうして会話をしている間も、耳がこちらに向いている従業員たちは、マシロに夢中だ。触り心地が良く、大人しいふわふわの猫は、たった一週間の間にも、多くの人の心を掴んで離さない。
やがて、抱き上げて貰えないことに不平を覚えたのか、マシロは実力行使でアルスの膝の上に登ってくると、そのまま膝の上で丸まってしまった。アルスはそれを見て苦笑しながら、マシロを指先で優しく撫でる。
「だからまぁ、預かること自体は構わない。ただ、期間延長ってことだから、貸しは増やさせてもらうけどね」
「うっ……は、はい」
「一応商人なんでね。利益にならないタダ働きはしない主義なんだ。猫ちゃんを健康にお世話するのもタダじゃないしね」
「……すみません」
リリーナはしょんぼりと肩を落とした。彼女の場合は、対価として渡せる手札の少なさに罪悪感を覚えているように思えた。あまり自由に使える金銭も多くなく、彼女自身の能力も、今はまだ並の男爵息女程度だ。
人に頼みごとをするときは、金を握らせるのが最も手っ取り早く、それでいてある程度の成果を担保できる。
今のリリーナには、残念ながらその能力がないのだ。
「まぁ、安心してよ。ちょっとやばい店で働いて貰おうかな~とかは言わないからさ」
「も、もう! 冗談でもやめてください!」
「分かってる分かってる。人が足りなくなったときに、超忙しいカフェのホールに放り込むくらいがせいぜいだよ」
あのカフェの制服はかわいいし、ドレスを贈られるたびに目を輝かせているリリーナは喜びそうだ。リリーナは器量がいいので、即戦力として投入してもそれなりには働けそうだ。
もちろん、貸しとはいえタダ働きにするつもりはないし、単純に人材として時間を確保して貰う手間を貸しの代金としてもらい受けるだけである。
アルスは膝の上で丸まっていたマシロを軽く右腕で持ち上げると、カウンターの方へ歩いて行って、マシロをクッションの上に寝かせた。途端、仕事を終えた従業員たちが群がって、マシロは途端にぶすっとした表情で周囲を見渡した。
そしてリリーナのところへと戻ってくる途中、雀荘の扉が大きく開いた。その向こうから、肩で息を切らせているミランの姿が現れた。
ミランはアルスを発見すると、素早く駆け寄って来て、息を整えながら這う這うの体で伝える。
「社長! すみません、トラブルが……」
「どうしたの? ショーに何か問題が?」
「それが……実は、モデルを頼んでいた娘が一人、足を怪我してしまい、歩けなくなったと連絡があったんです」
ファッションショーは一週間後だ。モデルには有名な店の踊り子や、劇場に務める女優などが選ばれ、数節前からスケジュールが押さえてあった。
売れっ子というのは、それだけ綿密なスケジュール管理や事前打ち合わせが必要となってくる。
貴族を相手にしたアピールの場とするために、モデルの容姿や振る舞いにも妥協を許すつもりがなかった。つまりは、今からモデルに仕立て上げる娘を探すのは非常に難しいということである。
「兼任できる人はいる?」
「一着は引き受けていただけたのですが、あと三着が……少なくとも一人は雇わないと厳しいかと」
「そう。分かった。ひとまず、僕の方でも伝手を探してみるから、辞退になった子の体型をざっくりでいいから教えてくれる?」
「はい」
ミランはアルスの耳元で、ごにょごにょと耳打つ。ミランはアルスが女性だと知っているので、スリーサイズなども包み隠さずに全て話したところで――アルスは、おや、と思う。
アルスは、リリーナのサイズ表を確認したことがあるのだ。何故かというと、彼女のドレスを作る際に、適切な助言ができるように「見ていること」は秘密にして、さりげなく会話を誘導したりしている。
ミランが耳打ちした体型は、まさにリリーナにぴったりとまでは言わずとも、限りなく近い。アルスは少しだけ考えた後で、ミランに頷きを返して、リリーナに近づいていくと、告げた。
「リリーナ、立って」
「え? はい」
リリーナはスカートを整えて丁寧に立つ。アルスはリリーナの傍に立って、自分との身長差を丁寧に観察する。
「リリーナ、身長は?」
「165cmです……」
「奇遇だね。僕は今、まさにそれくらいの身長の女子を探している」
リリーナは口元を押さえて、目を真ん丸にした。
アルスはミランを傍に呼ぶと、彼女をリリーナへと紹介する。丁寧に会釈をして挨拶をした後、アルスは底の見えないニヤニヤとした顔つきで、リリーナへと問いかける。
「リリーナ。さっきのマシロを預かる借りを、今すぐ返済する方法があるんだけど」
「は……い」
「簡単に言うとね。一週間後、王都内の中央付近にあるプリズムホールで、貴婦人向けのドレスのファッションショーがある。そのショーのモデルが一人、怪我で辞退をすることになってしまって、僕はとても困っている」
「ファッションショー……」
ミランはすでにリリーナの美貌に釘付けだ。彼女の春を思わせる温かな色の瞳は、いつまでも見ていたくなるような美しさを湛えているからだ。
目で、こう訴えかけてきている。社長、この美少女、モデルに貰えるんですか、と。
「そこで君だ。どうやら、君と体型が近いみたいでね。それくらいなら、一週間あれば修正ができるだろうと思う。ちなみに、借りの返済はこの仕事を受けて貰えることで帳消しとし、モデルとして働いた分は正当に報酬を出すよ」
「……」
「舞踏会で見ないタイプの超珍しいドレスがたくさん仕上がって来ててね。服を着ることやお洒落をすることが好きなら、無償でプロのメイクが受けられるんだけどどう?」
「――や、やります! やらせてください!」
リリーナはぐっと胸の前で握りこぶしを作って、前のめりに頷いた。アルスが戦力確保~とぱちんと指を鳴らすと、ミランは大仰に手を挙げて喜んだ。
貧乏男爵家の息女であるリリーナには、あまり自由に使える金銭もないのだろう。学費や交際費はスクルズ子爵を通して援助されているものの、リリーナの性格では、それを自分の娯楽のために使うのは躊躇いそうだ。
それならば、自由に使える金を渡してやるといい。そして、娯楽にずぶずぶにハマればいい。
そんな思いを抱えながら、アルスは今後必要な根回しを、頭の中で考え始めた。




