06. 麗しのホストくん
アルスとヴィンスは、そのままドレスの品評に興じていた。やはりヴィンスはドレスに並々ならぬ興味があるのか、その熱量にアルスはたびたび隣を向いていた。
気になったドレスの最後の一つを見渡したところで、スレンを預けていた従業員が戻ってくる。
「アルス社長!」
「ああ、ご苦労様。彼の様子は?」
「天才です……っ! いったいどこであんな逸材を見つけて来たんですか!?」
従業員たちはきゃぁきゃぁと黄色い声を響かせながら、顔を赤らめて顔を見合わせている。
どうやら、予想以上の変貌を遂げたらしい。アルスは連れてきて、と従業員に頼む。すると、ドアを開けて、背筋を伸ばした一人の男が出て来た。
白のスーツは、やはりどこかうさん臭さはあるが、高級感は文句をなしだ。元の素材が相当に良かったのか、引き締まった体躯のラインがスーツによって強調されると、その体のつくりは理想的とさえいえる程だ。
短く切られ、外にはねさせられた髪はオイルで固められて額が露出しており、薄らと施された紳士用の化粧が、彼の洗練された顔立ちをさらに際立たせている。
汚れた身なりから一転、清潔さを感じさせる装いからは育ちの良さが滲み出ていて、口元に浮かんだ甘い微笑みは、婦女の心をわしづかみにする。
スレンは、見事な変貌を遂げ、アルスの目の前へと歩いてくると、優雅に一礼をした。
「社長どうですか? 似合います?」
「見違えたよ。相当な逸材だと思ってはいたけど、ここまで化けるとは」
「俺も、こんなに綺麗にして貰ったの生まれて初めてなので感動してます」
いいところの坊ちゃん、夜遊びスタイル。
まさしく、アルスが夜遊びの際に変装している空気感に近いものを纏う彼はきっと、あのホストクラブの看板となれる。
それを確信したアルスは、早速彼を連れてホストクラブへ赴くことにした。支配人――トムに面接をして貰うためだ。ついでに、ホストクラブの様子を見ておきたいという企みもあった。
打ち合わせは終了したので、そのまま引き続き作業を進めて貰うことをお願いして、アルスとヴィンスは馬車へと移動し、街道を走りだす。
「ヴィンスは明日からホストクラブだよね。トムに改めて紹介するよ」
「はい。僕は裏方ですが、お金の管理や仕入れの方を学ばせていただくことになっています」
「タイミングが良かったね。僕も明日からはしばらくは拠点に帰れないし、何か困ったことがあったらエリーゼやトムにすぐに相談するんだよ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
ヴィンスはここ数日、忙しない商会の従業員たちに揉まれて、徐々に仕事に向かう感覚が身についてきたようだ。要領も良く器用で、覚えも早く判断力もある彼は、すぐにでも自立して、商会の中で重要なポストを担えるだろう。
当初、子爵家子息の彼をどう扱っていいか分からなかった従業員たちも、アルスに負けず劣らずの勢いで働く彼に徐々に心を開き、少しずつだが打ち解けてきているような光景を見るようになった。
ふと、窓際で外を見ているスレンの姿が目に入って、アルスは顔を上げる。すると、スレンは車輪がからからと転がっていくごとに、少しずつ体をこわばらせていった。口元は引き結ばれ、ぴくぴくと伸ばした腕が震えているのを見て、緊張しているのだと感じた。
「スレン、緊張してる?」
「ききききき緊張? いや、全然余裕っすけど」
「そんなに分かりやすい反応する?」
彼は、今までに表舞台に立ったことがないのだ。家からは冷遇され、虐げられ、貴族の子息でありながら、それらしい生活を送らせてもらえなかった。
やっと手にした自由に溺れて外の世界に歩んできたはいいものの、実際に自分を前に出して生きるのは初めての経験だ。
自分らしく生きるのには勇気がいる。アルスも最初、しっかりと男装して夜の街に繰り出したとき、かなり緊張したことを覚えている。
けれど、それを乗り越えてしまえば、自分らしく生きていくことで、前を向けるようになった。
「ここまで綺麗に整えて貰いましたけど、やっぱうまく行かなかったらどうしようって気持ちがそこそこあるんで、何とも……」
「まぁね。……あのさ。貴族の子息から平民になって生きるのって、とても大変なことだと思う。平民の世界は無限に広くて、自由で、でもそこには貴族のように守ってくれる分厚い壁は存在しない」
アルスは平民に下りたがっているが、よく知っている。自分が今までにこうして健康的でいられたのは、紛れもなくその身分に守られていたからだと。
その庇護から抜け出し、自由を得て、自分のやりたいように生きるために捨てなければならないものは、決して少なくはない。
「でも、だからこそ、平民の選択の一つ一つは、自分が穏やかに生きるための大勝負なんだ。だから、後悔だけはしちゃいけないと思う」
「後悔はしちゃいけない……」
「後悔するのって、どんな時だと思う? 僕はね……自分に嘘を吐くような形で、選択を終えることだと思う」
スレンはいつの間にか、その美しい顔でじっとアルスを見つめていた。それはヴィンスも同じだった。アルスの声音には、苦しい葛藤を乗り越えた実感が滲んでいたからだ。
「貴族はさ、そういうの苦手だよね。家のために、民のために、自分に嘘を吐いてでも合理的な選択をしなきゃいけない。でも、平民はさ……特に、手に職ついてないような状態だと、守るべき相手って自分しかいないから。結果的に、自分が納得できない選択をすると、後悔が残っちゃうんだよね。だから、自分のそうしたいっていう衝動に従って、全力でやりきることが大事なんだと思う」
馬車が、停まる。下町の、少しだけ治安が良くない区画。それでも、この辺りはまだ、マフィアやごろつきが闊歩しているような場所ではなく、酔っ払いが厄介な絡み方をする程度の歓楽街だ。
アルスは御者が扉を開いたのを見て、素早く馬車を降りると、スレンを見上げてまっすぐに告げた。
「だから頑張れ、スレン。今を全力で生きよう」
「……社長~! はいっ!」
ホストクラブに入っていくスレンの背は、着替えをさせて貰った直後と同じくらいに、しっかりと伸びていた。
ホストクラブは、酒場の地下に潜る形で入り口が形成されている。こういった、人の目に触れずにひそやかに楽しみたい娯楽施設は、目立つ看板の下に、軽く目立たない看板を吊り下げる方が入りやすいのだろうか。地下にあるということも相まって、秘密の遊び場という意識が強い。
ホストクラブのドアを押し開けると、受付のボーイが恭しく頭を下げる。アルスは胸ポケットから名刺入れを取り出して名刺を見せる。すると、受付のボーイは目を白黒とさせた後に、しっかりと背を伸ばした。
「こ、これは社長。ようこそお越しいただきました」
「一応、僕が視察に行くことは伝えてあったと思うけど……もしかして、伝わってなかった?」
「い、いえ。ただ、社長がこんなにお若い方だとは思わず」
「あはは。よく言われる。ところで、トムはどこに?」
「オーナーは少し外に出てくると。今日は客の入りが良さそうで、酒の在庫が心配になって来たとのことで――バーンズ商会の支店を訪ねております」
バーンズ商会――バーンズ伯爵家が営む、大規模商会だ。アルコール類の流通・製造を一手に引き受ける商会には、各地に支店がある。王都にも、アルスが把握しているだけでおよそ五軒の支店がある。
ホストクラブに卸すアルコール類をどうしようかと悩んでいたトムに、アルスがバーンズ商会のことを話した。その結果、彼は見事に商談を成功させて、安定した量をこのホストクラブに卸して貰えることとなった。
客層が女性の場合、酒の品質だけに拘っていても良くない。そのアルコールの見た目が華やかであることも、客の心を掴む要素の一つだ。
バーンズ商会の卸しているカラー・リキュールと呼ばれる一連の商品は、様々な色・味・風味を持つ酒で、カクテルにしたり、この酒を出すときにグラスに一手加えるだけで、女性に好まれる飲み物へと変貌する。
国でも重要な組織の一つであるため、信用が高く、品質にも全く問題がない。
「そっか。即戦力になりそうな労働力を掴まえたから、トムに面接して貰おうと思ったんだけど」
「それはたいへん助かります。最近、何しろ人手不足でして」
「そう。この店の経営はトムに一任しているから、僕の方からあまり口出しはしないつもりだけど、なかなか難しいよね。この店は、従業員教育にも時間がかかるし」
「そうなんです……ですが、その教育の甲斐もあって、名のある婦人方に贔屓にしていただいていますから」
徹底的な教育の上で成り立つ、もてなしの極意。それによって支えられているサービスの品質を、人手が足りないからと落とすわけにもいかない。
トムも忙しそうに走り回っているし、それを解消するために必死なのだろう。
だとすれば、やはりスレンの出来は、この店の今後にも影響してくる。アルスはそう確信した。
「ひとまず、彼が帰ってくるまで、フロアの見学をさせても構わないかな。バルコニーの上から」
「もちろんです。オーナーが帰っていらっしゃったら、お声掛けしますね」
「ありがとう。じゃあ、スレン、ヴィンス。こっちに来て。店の中の様子を見て貰うから」
アルスはスレンとヴィンスを連れ、階段を上がってバルコニーへと移動する。バルコニーは、いわばVIP席である。貴族の夫人が戯れに店を訪れたときに接待するための場所であり、基本的には普段は空いている。
今日ももちろん、予約を確認したが空いていたため、店の中を一望できる場所として、アルスは二人をそこへと案内した。
階下のフロアでは、すでに入っている客たちを、ホスト達が接待している。それを見下ろして、スレンは目をきらきらと輝かせていた。
「すげー……これがホストクラブ」
「うん。僕も全部把握してるわけじゃないんだけど、簡単にこの店の形態を説明するとね……お客さんは、もてなしてほしい人を指名して、一緒のテーブルにつく。指名されたホストはお客さんの奢りで一緒にお酒をいただいたりするんだ」
「酒を奢って貰えるんですか!?」
「そうだね。公衆酒場に少し近いかな。あっちは女の子たちがいて、チップを渡すと席について一緒に酒を飲んでくれるでしょう? うちは指名料っていうのを取っていて、人気なホストほどその額が上がる。指名料を払わない場合は、今手が空いているホストが接待にあたるって感じだね」
階下では、多くの女性に囲まれて、にこやかに酒を注ぎ、一人一人の相手をしている見目麗しい若い男が見える。お返しにと女性に酒を注がれ、グラスを合わせて乾杯している。
そんな光景が、ざっと十個ほどのテーブルで、間を申し訳程度のパーティションで区切られて行なわれているのが見える。
「あとは、時間によってイベントを開催したり、特別な注文をしてくれたお客さんを、ホストとお客さんの全員で盛り上げたり祝ったり。そうやって、軽く羽目を外しつつ、理性は保ちつつ、お客さんを巻き込んで楽しい空間を作り上げるっていうのが、このホストクラブの方針だね」
「……すげ~。俺、ここで働けるかもしれないってこと?」
スレンは、顔を輝かせて、階下を見下ろしていた。本人のモチベーションも十分だ――スレンの実力なら、トムの面接もパスできるだろう。
そのまましばらく、階下を観察していると、受付のボーイが呼びにやって来たので、スレンの背を押して、面接へと送り出した。アルスはそのまま、ヴィンスと共にバルコニーに残ろうとしたのだが――。
「社長、お耳に入れたいことが――」
「うん、どうしたの?」
「実は、社長が本日いらっしゃることをお耳に入れた貴婦人方が、4名ほどでいらっしゃって――」
「……名簿、見せて?」
ボーイから予約票を受け取って目を通すと、そこには懇意にしている貴婦人方の名前が連なっていた。中には、アルス、あるいは商会へと経済的支援をしているパトロンも含まれている。
甥をかわいがっている感覚の彼女らは、顔を見せない時間が続くと、寂しくて手紙を寄越してくる。暇を持て余しているからか、寂しがるまでの間隔もそれなりに狭い。
「この方々の相手は、流石にホストくんたちじゃしんどいね」
「左様でございます。ほんの30分ほど、社長と飲んで話が出来たら帰ると仰られているのですが……」
「なるほど。どうぞ、この席へご案内して?」
「かしこまりました」
突如としてホストの真似事を求められたアルスは涼しい顔をしている。一方で、ヴィンスはおろおろとし始めた。
「ヴィンスも、彼について行っておいで。ホールの中を案内してもらうといい」
「社長は、接待されるんですか?」
「うん。早くいかないと巻き込まれるよ。彼女らの好みは、まさしくヴィンスや僕みたいなかわいい系の少年だから」
ほれほれ、と背中を押して、ヴィンスをバルコニーから追い出すと、ボーイに連れられて、ぞろぞろと見慣れた婦人方が現れる。アルスは丁寧に礼を取って、バルコニーの席で彼女らの接待を始めた。
◆◇◆
スレンの面接は、その場で即合格となった。彼の高い教養に加え、人懐っこい言動、整った所作があれば、この店に足りていない従業員の穴を埋めるには十分だった。
スレンは初めて、自分の力で勝ち取った仕事にわくわくしていた。今日のところはホールの出入り口に立ち、入退店の挨拶をすることによって、客に顔を売っておこうという話になり、スレンは店の入り口でにこやかに送り迎えを繰り返していた。
中には、スレンに見惚れて名前を聞いてくる女性もいた。ひとまず、研修が終わればホールに出る予定であることを伝えて、ホールに出られたら指名してほしい旨を伝えておく。
アルスからの店のシステムの説明と、トムからの簡単なルールを聞いて、すぐにこの行動に出られるスレンの優秀さに、トムは満足げに頷いていた。
「支配人」
壁際に立ち、スレンの様子を見守っていたトムとヴィンスの元へ、ホストのうちの一人が歩み寄ってくる。彼は今、指名を最も集めているナンバーワンホストである。
彼はどこか苛立ったように顔を顰めている。トムは首を傾げて、事情を尋ねた。すると、彼はバルコニーの方をちらりと見やりながら、納得ができないといった風に呟いた。
「あのバルコニーの上にいらっしゃるのは上客の方々ですよね。でも、俺たちに話が回って来てなくて、誰だか知らない人が接待しているというのはどういうことなんでしょうか」
どうやら、この青年は、ナンバーワンとしての矜持を傷つけられ、どこの誰かも分からないアルスが接待に応じているのが不満であるようだ。
トムは小さく息を吐き出すと、彼を宥めるようにして告げる。
「あちらにいらっしゃるお客人ですが、侯爵夫人に伯爵夫人、子爵夫人が二名です」
「……え」
「残念ながら、うちの従業員の教育レベルで、あの方々を一度に相手にするのは不可能でしょう。というよりは、あれはあの方だからできることであって、あのレベルをやすやすとあなた方に求めようとも思いません」
この店の従業員の教育レベルは、男爵夫人をもてなせる程度だ。トップの方になってくると、ぎりぎり子爵夫人に満足感を与えられるほど。
とてもではないが、伯爵夫人や侯爵夫人といった、さらに高位の夫人をもてなせるだけの技術は、この店の従業員にはない。
「じゃ、じゃあ、あの人は一体どういう人なんでしょうか」
「接待をしているのは私の上司――私が所属している商会の社長です」
「しゃ、社長!?」
幼い少年のように見えるアルスが、淀みなく気を回し、婦人方を捌いているのを見て、彼は目を瞬かせていた。その所作はまさに、彼らが目指す「理想のホスト」の姿に近かった。
「そもそも、私がこのホストクラブを立ち上げようと思ったきっかけは、社長が婦人方をもてなしている様子を見て、これは商売になると思ったからです。いわばあの方は、このホストクラブの初代ホストと言っても差し支えない方」
「初代ホスト……!」
「あなた方が目指す先はまさにあの方の姿です。よく見て、学んでおきなさい」
いつの間にか、ナンバーワンホストの彼は、目を輝かせて、バルコニーの上で婦人方を相手に笑顔を振りまき、接待をするアルスを見つめていた。その様子を陰から見守っていたヴィンスは、確かに普段のアルスが夫人たちに取っている行動は理想のホストムーブに近いことに気づいてそして――女性であるはずのアルスの接待の様子から、この女性接待のクラブのアイデアが生まれたことを強く理解した。
そしてヴィンスは、考えるのをやめた。




