04. ヴィンスくんがホスト候補生を拾いました
プレオープンパーティーに向けて忙しなく駆け回っていたアルスは、一度商会の拠点へと戻った。
マシロは雀荘エル・オーラムのカウンターの上に乗せられたふかふかのクッションの上で、寝息を立てていた。スタッフが触れようとすると前足で抵抗するものの、随分と人に慣れているのか、ぶすっとした表情を隠そうとはしなくとも逃げ回ったりなどはしなかった。
むしろ、人間をおちょくるのに味を占めているのでは、と思えるほどに、アルスにはべったりな毛玉の猫は、他者には塩対応をする。
そんなマシロのことを従業員に任せて出て来たのだ。従業員たちは、もふもふふわふわの毛玉に夢中だった。
拠点のドアを開けると、ソファの周りに人だかりができていた。アルスは運んできた書類を書棚に丁寧に仕分けしながら、その塊へと声を掛ける。
「どうしたの? 何かトラブル?」
「あ、社長。お疲れ様です。トラブルというか……」
アルスは書類を片付け終わると、一息を吐き出してからソファの方へと歩み寄る。すると、氷嚢を額に乗せられている若い男と、その氷嚢を掴みながら、必死に顔色を窺っているヴィンスの姿があった。
「ヴィンス、何かあった? その人は?」
「あ、社長……えっと、この人は……」
「……ん? この人、どっかで見覚えがあるような……」
アルスは従業員を掻き分けてソファの傍にしゃがみ込み、その男の顔を覗き込む。
金色の髪はざっくばらんに切られていて、あまり清潔感はない。長い前髪の奥は整っていて、控えめに言っても「美男子」という言葉がよく似合う。
顔を赤くしている男は、ぼろぼろの麻の服を身にまとって魘されている。症状とヴィンスが行なっている対処法から知る限り、どうやら軽度だが熱中症のようだ。氷が詰め込まれた水筒が傍に置かれている。
アルスはしばらくその人物の様子を確認した後、はっと気が付いた。
「この人、もしかして……スレン・ヴァーデミュー?」
「はい。社長、その通りです」
「何で彼がここに……」
「順序だててお話しますね」
ヴィンスは氷嚢をほかの従業員に預けてアルスと向き合うと、今朝の出来事を説明する。
出社し、外回りに行っていたヴィンスは、帰り道に路地裏で倒れている影を見つけた。ぎょっとしたヴィンスがその人影を助け起こすと、そこには見知った顔があった。
スレン・ヴァーデミューは、アルシェスタ、そしてヴィンスのクラスメイトだ。ヴァーデミュー子爵家の次男であった彼は、しかしクラスでは目立つ存在ではなかった。
何故ならば、彼のその出で立ちがあまりにも特異だったからだ。長い前髪に、ビン底の眼鏡。清潔感があるとは言えない姿形から、クラスメイトからは遠巻きにされるどころか相手にもされないほどの影の薄さを発揮していた。
ヴィンスは委員長という立場であるからか、彼によく声を掛けていたようだ。
彼は初夏の節の頭から休学している。その理由は、件の生徒総会の騒動だ。
彼自身は関知していなかったのだが、彼の一つ年上である長男がやらかしたそうだ。しかも出頭拒否という罪を犯してしまった。
その結果、二階級降格されたヴァーデミュー子爵家は準男爵家となり、その爵位は親の代で消滅することが決定したのだ。
つまり、長男、次男は確実に平民となることが決まったのである。スレンにとっては、あまりにも寝耳に水な出来事だっただろう。
そんなスレン・ヴァーデミューが、なぜか路地裏でぼろぼろの姿で寝転がっていた。ヴィンスは素早く彼の容態を確かめると熱中症だと判断し、その手に握っていたものに気が付いて、オフィスに連れてきて看病をしていたのだそうだ。
そして、介抱していて今に至る、ということらしい。
「――というわけで、申し訳ありません、社長。部外者をオフィスに連れ込んだことについては謝罪します」
「それはまぁ、一応咎めてはおくけど、熱中症は命にかかわるものだから、君の判断については賞賛しておくよ。医院でもよかったのでは、と思うけれどね」
「この付近の医院には、すぐに動ける氷魔術師はいないと記憶していたので」
「君は医学分野にも精通してるんだね。対処も見事だけど、医院の内情まで理解してるなんて」
医院に常駐している氷魔術師は多くはない。たいていの場合、数少ない氷の魔術師たちは、派遣業務や氷の販売などで生計を立てていたりする。
このオフィスには、アルスがやって来た時に、保冷箱にありったけの氷を補充するので、常に氷がそこにある。場所的にも、オフィスに連れてくるのが第一だと判断したヴィンスの見立ては正しい。
「ん……」
スレンが、微かに呻き声を発して、体を捩る。うっすらと目を開いて、ゆっくりと何度か瞬きをしていた。
「スレンくん、大丈夫ですか?」
「あ……れ……ヴィンス、さん……?」
「お水、飲めますか。水分を補給しないと」
ヴィンスはスレンを助け起こすと、氷が詰め込まれた水筒の蓋を開けて、スレンの腕に握らせた。スレンはその水筒に口を付けた。最初は遠慮がちにだったが、その冷気に快感を覚えたのか、次第にぐいぐいと飲み込むようになった。
ひとまず、回復はしたようだ。このオフィスが少し涼しい立地なのも幸いしたのだろう。
スレンは周囲を見渡して「え」と小さな声を上げる。
「ここは……」
「スレンくんの目的地だった場所です」
ヴィンスの言葉に、アルスは目を丸くした。ヴィンスは立ち上がると、スレンの傍に転がっていた、端が少し破れた紙を拾い上げて、アルスへと差し出した。
「これが、スレンくんが持っていた紙であり、僕が彼をここに連れて来た理由です」
アルスはその紙を受け取って、目を通す。そこには、ホストクラブの求人が載っていた。人手不足を補うために「貴族のマナーにある程度の知識があるもの」を対象に張り出されたチラシだ。
トムから求人を出すという報告は受けていたため、このチラシの存在には納得だ。存在を消していたクラスメイトが、何故このチラシを手にしたのかは分からないが。
「ってことはヴィンスさん、ここって、ACEの拠点っすか」
「ええ、そうですよ。僕はこの夏の間、こちらで働かせていただいているんです」
「そうだったんすか。へぇ~」
――ん?
アルスは、頭の中でクエスチョンマークを浮かべる。何となく、いつも教室の隅で本を読んで大人しくしていたスレン・ヴァーデミューの姿と、目の前のスレンの印象が重ならない。
それはヴィンスも同じようで、目を瞬かせている。スレンははぁ、と息を吐き出してから、長い前髪を後ろへと追いやった。
輝かんばかりの麗しい貴公子がそこに現れる。何故、隠していたのか理解できないほどには整った顔立ちだ。
「やべ。久しぶりに視界広い」
「スレンくん……あの。君の家は、生徒総会の騒動で、事実上の取り潰しとなったと聞きましたが……あれから何があったんですか?」
「いや、ちょ聞いてくださいよマジで。アホすぎて笑うしかないんで」
何となく独り劇場が始まる気配を察知したアルスは、ひとまず返せる従業員を仕事に返した後、ソファに腰かけて彼の言葉に耳を傾ける。
アルスとしても、消えてしまったクラスメイトのその後には興味があったからだ。スレンは身の上話を始めた。
ヴァーデミュー子爵家は取り潰しとなり、社交界から締め出され、準男爵とは名ばかりの平民となった。
子爵家では嫡男の教育に力を入れ、次男の扱いはあまりにも粗雑だった。この長男という男が本当に困った人間であり、弟が自分より優秀なことも、顔立ちが美しいことも気に入らないことだらけだった。
彼は学院で、顔を隠して存在を消して過ごすことを余儀なくされた。父母のヒステリーに付き合うのが面倒だったという話だ。
そんな兄は、父母の金の力で上位クラスを維持していたが、その折に生徒総会で発表予定の学院の運営体制の変更を耳にし、デモに加担した。
その結果、国家反逆罪を犯してしまった長男を、父母は過剰なまでに庇った。次男に代わりに出頭してこいとすら言ってのけた。仕方なく行ってみれば、お前ではなく兄の方だと騎士団は冷静に指摘をして、むしろ虐待の容疑があるのでは、と一晩を屯所で過ごしたそうだ。
その後、子爵家は取り潰し。父母と兄は貴族でなくなった現実と向き合うことができず、絶え間なく言い争いが続く家を、スレンは抜け出してきた。
平民の絶縁は、実は貴族に比べてかなり楽だ。成人済みの場合、向こうが拒否しても、相応の理由があれば通ることが多い。
スレンは家を出ることに決めたのだという。そして、そのために職を見つけるために求人を探して街を歩き回っていたところ、このチラシを見つけたのだという。
王立学院で上位クラスに入っている――しかも、先ほどの話を統合する限り、兄とは違い自身の実力のみで――、元貴族令息。
確かに、これ以上にないほど、ホストクラブに欲しい即戦力のように思えたが。
「マジで甘えて生きて来たから、これだけ自分のスキルを活かせそうな職場って、これ逃したら二度と出会えないと思ったんで。頑張って拾って貰おうと思ったんですけど」
「その前に熱中症で行き倒れちゃったんですね」
「いやマジで申し訳ないですほんと。ヴィンスさんは俺の命の恩人です」
動機は理解した。彼がここに来た理由も、家を出たいと願った理由も。
同じく我慢ならない父母を持つ身として、彼の境遇にはある程度の同情が湧いて来たのも事実だ。
「というわけで社長、面接って受けて貰えますか」
「うん。それはもちろんね」
「えっ、社長ですか!? どうも、スレンと申します」
「どうも。ACE代表のアルスです。まぁ、今の身の上話で大体察したから、それ以上の自己紹介は不要だよ」
スレンはアルスのことを上から下まで見渡して「社長~若ぇ~」と感心したようにつぶやいた。
アルスは逆に、スレンのことを上から下まで見つめた。ぼろぼろの服、数日水浴びをしていないからか、少しだけ臭い体、ぼさぼさの髪、薄汚れた顔。
これをそのまま、面接に通すわけには行かない。特に、ホストは容姿が大切な職だ。
「ただ、面接の前に身だしなみを整えて貰おうかな。流石にそのままじゃちょっとね」
「ほんと申し訳ないです」
「仕方ないよ。磨けば光りそうだし、そのあたりは専門家に任せてみようか」
アルスは立ち上がると、鞄を持ち上げ、ヴィンスの方を向いた。ヴィンスは頷いて立ち上がると、スレンに手を貸して立ち上がらせる。
「ちょうどよかったね。これから行く工房で身だしなみを整えて貰おう。彼女たちは常に服飾のモデルに飢えているから、いい素材が見つかったって喜びそうだ」
「アザレア工房ですね。僕も行くのは初めてなので、楽しみです」
「ファッションショーの打ち合わせにね。その間に、きっと大変身させてくれるよ」
現実についてこられずに首を傾げているスレンを引っ張って、アルスとヴィンスはオフィスを出立し、アザレア工房に向けて馬車を走らせた。




