03. 叔母と従姉たち
アルスはリリーナに見上げられる形で、瞳を見つめられる。桃色とダークグリーンが交差し、互いに硬直したような、不思議な間があった。
やがて、視線を先に外したのはアルスの方だった。片足をベンチの上に上げ、片膝に毛玉の猫を寝かせたままで、膝の上に肘を立てて頬杖をつき、リリーナを見上げた。
「今日会ったばかりの人間に頼むにしては、結構重めの依頼を口にしたね。その真意は?」
「申し訳ありません……ですが、預けられる先に心当たりもなく」
「この子が懐かないから?」
「はい……一人、心当たりがあるにはあるのですが、すぐに連絡が取れる方ではないので」
スクルズ子爵のことだろう。彼の姿をしているときに、マシロに一度甘えられた覚えがある。
「不躾なのは十二分に承知です。ですが、今この子を家においておくわけには行かないのです」
「……ふーん。ねぇ、僕にはそれに対して何故、と問う権利があると思うのだけれど。だから聞くよ。どんな事情があって、この子を家に置いておけないんだろうか」
左手の指先で、毛玉の猫の毛を梳きながら、アルスは目を伏せた。数秒間、言葉を選ぶ間があった後に、リリーナはゆっくりと事情の説明を始めた。誰にでも理解ができるように、ある程度順序立てて。
「私の父の妹――叔母に当たる人物が、今家に来ています。数日滞在をする予定なのですが、猫が苦手らしくて」
「罰当たりだねぇ。こんなにかわいいのに。まぁ、好みは人それぞれだけれどね」
「苦手なだけならいいんです。ただ、叔母はマシロを家から追い出そうとして」
「家主の許可なく、ペットを勝手に逃がそうとするなんて、随分と傍若無人な御仁なんだね」
アルスが歯に衣着せずに言い放てば、リリーナは少し顔を引きつらせながら、観念したように頷いた。言葉を選んでいたが、彼女自身もそう思っていたのだろう。
リリーナの叔母に当たる人物は、どうやら使用人を掴まえてあれを捨てて来いと口にするような人物であるようだ。人には好き嫌いがあるとはいえど、コミュニティの共通認識を自分の価値観だけで好き勝手に乗り越える人物には、何かしら態度に問題があるケースが多い。
当初は家の庭の隅にある小屋に匿おうとも考えたが、猫は自由な生物だ。閉じ込めておけばどうなるかもわからないし、知らぬ間に外に出ている可能性もある。
そうなって、もしももう一度叔母に見つかれば、次こそマシロがどんな仕打ちを受けるか分からない。
「――ですから、その間だけでも、預かってくださる方を探していたのです」
同情の念が湧いて来た。この猫も、リリーナ自身も何も悪いことはしていないのに、家を追い出されてしまったのだ。
アルスは膝で丸まって微かにふるふると動く小動物の温度を、急激に鮮明に感じ取るようになった。
それにしても、リリーナにそんな傍若無人な叔母がいたとは、アルスは知らなかった。彼女は父の話は楽しそうにするが、母のことは知らないし、それ以外の家族のことは話そうとしなかったからだ。
「叔母については……幼いころに少しだけ恩があるので、あまり無碍には扱えなくて。母がいない私の、母代わりの存在だったんです。でも、従姉たちは少し意地悪で……正直に言えば、今も苦手です。彼女たちが一年に一度、家に来るのですが、いつもその期間は友達に泊めて貰ったりして、外に出ていました」
「そうなんだね。じゃあ、今年も家出?」
「したいのはやまやまなのですが、今年は私も対応しなければならないので……ですので、マシロだけでも預かってくださる人を探していたんです」
だいたい事情を理解した。リリーナには傍若無人な母代わりの叔母がいて、その娘であり従姉たちは意地悪であり、この時期はいつも家出をしているのだが、今年はどうやらそれができないらしい。そして、その叔母が嫌っている猫を家に置いておけないので、預かって欲しいということらしかった。
――とはいえ、猫を連れてあまり長距離は移動できないだろうし、猫を飼える施設も心当たりはない。自宅に連れて行くには遠いだろう。クラブは人の出入りが激しすぎて、置いてはおけない。
色々考えた末、マシロを置いておけるのは一か所しかないと、アルスは判断した。
「分かった。一週間でいいんだよね」
「引き受けていただけるのですか?」
「うん。貸し一ね」
「……は、はい!」
リリーナは肩をびくりと跳ね上げて、少しだけ挙動不審に視線を彷徨わせた。行きずりの身元不明の男に大事な家族を任せるくらいの大胆さはあるらしいが、その男に貸しを作るという自覚は及ばなかったようだ。
とはいえ、アルスの言う「貸し」とは、それほど大きな意味を持つわけでもない。商売ならば話は別だが、それ以外ならばある意味でパフォーマンスだ。リリーナのように根が善良である者は、相手にメリットがないとなかなか頼みごとができないのだ。
それを軽減するための口約束が「貸し」である。これ、貸し一ねと告げるだけで、相手の心理的負担が少し和らぐのである。
だからリリーナが本気で困惑しているのは、恐らくアルスの気のせいだろう、と納得して、アルスは指先でマシロを撫で上げた。
「ああ。貸しについては、君が返さなくてもこの子が返してくれればいいから」
「え?」
「今、貴婦人たちのブームなんだよね。ふわふわの猫を飼うの。だから、一週間だけうちの看板猫になって貰おう。働かざる者食うべからずっていうじゃない?」
「看板猫……」
恐らくだが、入り口のカウンターの上でクッションの上に寝そべているだけで、この猫は立派に仕事を成し遂げるだろう。見たところものすごく睡眠が好きであるようだし、それほど難しいことでもなさそうだ。
気まぐれに歩き回る時間は休憩時間として換算すれば、十分に給料分の仕事はしてくれるだろう、というのがアルスの目算である。
「この子は今までに出会った猫ちゃんの中でも、格別に毛並みがいいから、ものすごくいい看板になってくれると思うんだ。ちょっと綺麗なお姉さんたちに撫でられるくらい我慢できるよね」
「みゃぁ……」
「よしよし。いい子だ。かわいいね、君は」
マシロをそっと抱き上げて、鼻先と鼻先でキスをする。その瞬間、ぺろりと口を舐められて、アルスはうわ、と小さく悲鳴を上げてマシロを膝の上に下ろした。
「本当に僕のこと好きだね、君」
「みゃあ、みゃあ」
「分かった分かった。じゃあ、今日から一週間よろしくね」
「みゃ~」
猫と戯れていると、傍に座っていたリリーナがほっとしたように息を吐き出した。アルスはその横顔をちらりと見て、懐から一通の封筒を取り出すと、それをリリーナへと差し出した。リリーナは、目をぱちぱちと瞬かせて、おずおずと受け取ると、裏返したりすかしたりして、首を傾げていた。どんな密書が入っていると思われているのだろう。
「それ、僕が経営してる店のプレオープンパーティーの招待状。叔母さんたちの相手に疲れたらおいでよ」
「い、いいんですか? こんなものを貰ってしまって……マシロを預かっていただくのに、何から何まで」
「ちょうど一枚余ってたんだ。この子が働く予定なのもその店。中央商店街の近くだから、そんなに遠くないと思うよ」
アルスはマシロを抱き上げて、そっと立ち上がる。肩に前足をもたれ掛からせて、マシロは大人しく抱かれている。
「じゃあね、僕の天使。また会える日を楽しみにしてるよ」
アルスはその言葉を最後に、マシロを連れて、店へと戻っていった。その後ろ姿を見送るリリーナは、微かに顔を赤くして、招待状とアルスを何度も見比べていた。




