02. 猫と天使を拾いました
各々がプロジェクトの実現のために動き出した、夏休みの入り口。アルスはプレオープン会場、そしてそれ以降平民向けの娯楽施設として運営される「雀荘エル・オーラム」という店を中心に駆け回っていた。
アルスの人脈は商業にかかわる貴族家が多いが、それと同じくらい、中央商店街の主要な商会の重鎮が多い。
彼らは、中央商店街から一本奥のこじんまりとした通りに、娯楽施設が生まれることを喜んでいた。今まで、娯楽施設はどうしても下町に固まりがちだった。表にオープンさせると、何かと近隣住民からの苦情が増えるからだ。
しかしこの雀荘に関しては、知り合いの商店の二階がワンフロアまるまる空いていたことからその場所を借り、平民向けに運用することになったのだ。足を運びやすいが、中央街道沿いではない場所はまさにジャストな立地だっただろう。
パーティーの準備を進めながら、従業員たちと目通りを済ませ、簡単に麻雀を遊んでみる。従業員たちは漏れなく全員がこのゲームにはまったようだ。バックヤードに自由に使える雀卓を置いてやったところ、休憩時間や非番の日にも顔を出して、卓を囲んでいる従業員を見かけるようになった。
「ふふ、楽しみだね。オープン」
「左様でございますね、オーナー。オーナーとしては、日の当たるところでの商売は珍しいとお聞きしますが」
「それはどっちの意味かなぁ。まぁ、否定しないけど。たまには賑やかな場所で商売をしてみてもいいんじゃないかなって思うよね」
アルスが今までに経営していたのはほとんどがクラブで、それらはどうしても貴族領から遠い薄暗い歓楽街に立てざるを得ないものだった。住宅地の真ん中に建てようものなら、バッシングは必須だろう。
新規に募集した従業員は、いずれも中央商店街に隣接する住宅街から通いでやってくる人手だ。ある程度働く時間に融通が利くシフト制を採用したお陰で、副業として働きに出てくる人手が多かった。昼間は別の仕事をしているものが夜に働きに来たり、夜は夫や子どもの面倒を見る主婦が、昼間に少しだけ働きに来たり。
オープン後はきっと、よりそのありがたみが実感できるだろう。そう思いながら、アルスは手元に残った招待状を配る先へ歩き出そうと、雀荘を出て路地を歩いていた。あと一枚、配り終われば、それで満了だ。
裏カジノの知り合いにはほとんど配り切った。フラウも、時間を作って遊びに来てくれるそうだ。彼も彼で、新しい遊びに飢えている様子なので、きっと気に入ってくれるだろう、とほくそ笑む。
静寂を守る路地裏で、口笛を吹きながら歩く。すると、視線の先から、何か小さな白い塊がてちてちと細かい歩幅で歩いて来た。
真っ白な長毛を毛玉のようにしている生物は、アルスの足元へと至ると、その額を足首へと擦りつける。アルスは目を瞬かせてその毛玉の生物を見つめた後に、そっと持ち上げて、肩へともたれ掛からせる。
真っ白な毛玉の正体は猫だ。少し姿は面妖だが、よく見れば街のあちこちで見かける野良猫に類似した特徴が見つかる。触り心地の良い長毛に、この夏は暑そうだ。
毛玉の猫は、肩にもたれ掛からせると、頬にすりすりと額を寄せる。随分と人に慣れている子猫だ、と思いながら、アルスは軽く指先で猫を撫でる。
抱き上げたときに、微かに左手が痛んだ。もう表面はほとんど治ったが、まだ内部は治りきっていないので、衝撃を加えたり、表面を押し込んだりすると、まだ痛みが走るのだ。
「よしよし。人懐っこい猫ちゃんだな」
「みゃぁ……」
「ん~ふわふわで気持ちいい。君、どこかの家の猫ちゃんなのかな。人に慣れてるね」
「みゃぁ」
小動物は好きだ。アルスは、そう思いながら猫をかわいがる。小さな体躯で必死に生きる彼らは、しかし人間にとっては愛くるしく、眺めているだけでも娯楽になる貴重な存在でもある。
猫を飼うためにはある程度の費用が掛かるので、猫をペットとして飼っている家はある程度裕福であることが予想される。しかもこの猫は毛並みも綺麗で手入れが行き届いている。つやつやの毛は、指を容易に通してしまう。どう考えても、いいものを食べさせて貰っている顔をしている。
しばらく猫と戯れていると、道の先から、女の子の声が聞こえて来た。
「マシロー!? マシロ、どこ?」
アルスはその声を聞いて、肩にもたれ掛かって額を擦り付けてくる猫に目をやった。純白の長毛は、それを意味する「真白」という名に相応しい。
もしかしたら、この子の飼い主だろうか。そこまで思い至ったところで、アルスはん、と足を止めた。
(あれ……マシロって言う名前の猫ちゃん、確かどこかで……)
せめてもう少し早く思い出せたなら、心構えもできたものを。
路地の向こうから駆けて来た少女を見て、アルスは微かに瞳を揺らした。白と茶色のワンピースに身を包み、桃色のリボンで髪を纏めている少女は、見知った顔だった。
リリーナは息を切らせながら、アルスを見つけると、こちらへと駆け寄ってきたのだ。
「マシロ! もう……急に駆けて行ったらダメじゃない」
「みゃぁ……」
「あの、すみません。うちのマシロがご迷惑を」
リリーナは顔を上げてアルスの顔を見て、一瞬固まった。
――気づかれた? そう思いながら、アルスは肩にもたれ掛からせていた猫を軽く持ち上げると、リリーナへと差し出した。
「何にもされてないし、何もしてないよ。随分と人懐っこい猫ちゃんなんだね」
嘘だ。確か、以前にリリーナから「マシロはあまり人になつかない」と聞いていた。恐らく、マシロはアルスに対して何か感じるところがあるのだろう。
けれど、リリーナに返そうとしたマシロは足をばたつかせて、アルスの手の中に戻ろうとする。その様子を見て、アルスは左腕の痛みを隠しながら苦笑した。
「ありゃ。まだおうちに帰りたくないのかな。もうちょっと散歩したいの?」
「みゃぁ……」
「す、すみません、マシロが……」
「別に構わないよ。猫ちゃんってかわいいし」
ね、と額を合わせれば、マシロは少しだけ顔を緩めて笑ったような気がした。愛らしく一声「みゃぁ」と鳴く声が、アルスの頬の筋肉をどんどん緩めて行ってしまう。
正直に言えば、リリーナと顔を合わせている状況は気が気ではないが、リリーナと顔を合わせる頻度はそんなに高くはない。似ている別人で誤魔化せる可能性は全然ある。
今、リリーナにアルシェスタかと指摘されて、冷静に返せる自信は微塵もない。もう少し心の余裕があるときにしてほしい。そう思いながら、アルスはいったん別人として振舞うことに決めたのだった。
「あ、あの……」
「ああ、ごめんね。君としてはこの子が帰る気になってくれないと困るのか。僕もできることならすぐに返してあげたいのだけれど、猫ちゃんは気まぐれだもんね」
「そ、そんな。とんでもない。マシロがご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「別に迷惑じゃないってば。今、言っちゃえば休憩中だし」
「この辺でお勤めされているんですか?」
「うん。もうすぐそっちの通りでオープンする店でね。……猫ちゃんが帰る気になるまで、少しお話でもしようか?」
アルスは、噴水の傍のベンチを指さした。リリーナは少し緊張しながら、こくりと頷いた。
アルシェスタとリリーナの身長の差は、アルシェスタの目線がやや下だが――シークレットブーツで身長を盛っているアルスよりも若干下だ。いつもは見上げているリリーナを、少しだけ見下ろしているのは不思議な気分になる。とはいっても、ほとんど同じくらいだが。
ベンチに腰掛けると、マシロはアルスの膝の上で丸まって、気持ちよさそうに寝息を立て始めた。その様子に苦笑する。
「こんなに猫ちゃんに懐かれたの、生まれて初めてだよ。随分人懐っこい子なんだね」
「いえ……普段は、全然人に懐かないんです。私も未だにお世話に苦労することもあって。父なんて、いつもそっぽを向かれてしょんぼりしてます」
「おや。そうなんだね。だとしたら、僕とこの子は波長が合うんだろうか」
「本当に、急にマシロが迷惑をかけて申し訳ありません。私はリリーナ・シルファスと言います」
「知ってる。君、有名人だし」
そう告げれば、リリーナは目を丸くした。社交界に通じている者ならば、光の乙女の名と姿を知らない者はいない。その綺麗な桃色の瞳は、この国において唯一無二と言えるほどに珍しい身体的特徴だ。
アルスの立場なら、当然知っているべき人物――という考えに至り、こういう答えを返した。嘘ではないので、ボロも出にくい。
「光属性の魔術が使える、光の乙女でしょ。最近皆が騒いでるよ」
「わ、私なんて……そんな、たいそうに祭り上げられるようなものでは」
「式典で光属性の魔術をお披露目したんだって? 綺麗だったって皆言ってるよ」
指先でマシロを撫でながら、アルスは軽く体を反った。くぁ、と欠伸が漏れる。睡眠時間が少し削られがちなのは仕方のないことだ。夏休みは休む予定が全くないのだから、この眠気さえもアルスにとっては愛しいものだ。
「あの、あなたは……」
「僕? 僕はアルス。ACEって商会の代表をしてる」
「商会長さん……!? すごい……」
「そうかなぁ。やろうと思えば誰だってなれる肩書きだと思うけどね。利益を上げたいとか考えなければ」
へらりと微笑んでひらひらと手を振る。目元にじわっと湧いて来た涙を軽く指先で拭って、太陽を見上げる。あまりにも気持ちよくて日向ぼっこをしたくなる陽気だ。間違いなく熱気に宛てられて倒れるだろうが。
「ACEって、どんなお仕事をされているんですか?」
「お。君ビジネストークうまいねぇ。社員の素質があるよ。うちの商会は、主に娯楽を扱う仕事をしているよ。下町でちょっと楽しい店を経営したり、民間向けに安価な盤上遊戯を販売したり。あとは、夜会のプロデュース業とかもそうかな」
「盤上遊戯……楽しそうです」
「おや。君は盤上遊戯は好き?」
「はい! でも、やる友達がいなくて……」
リリーナの声のトーンが徐々に下がっていく。盤上遊戯を遊ぶうえで、一緒に遊ぶ友達がいないというのは由々しき事態だ。
やはり、女性向けの娯楽サービスはまだまだ発展の余地がある。王都にある遊戯クラブはほとんどが男性向けのサービスを提供していて、若い女性が一人で入れるような場所ではないのだ。
「そっかぁ。僕みたいなのは遊戯クラブに顔を出せばテーブルに着くだけだけど、君みたいな若い女の子にはまだまだ入りづらいよね」
「そうですね……そういうお店を、たまに探してみたりはしているんですが……平民の女の子でも入れるような店って滅多になくて」
「君は男爵令嬢なのに」
「ほとんど平民みたいなものなんです。贅沢なんて、最近国から保護されて、支援をしてくださるパトロンがついて、貴族らしい生活を少し体験させて貰ったくらいで」
リリーナは、マナーを身に着け始める前はほとんど平民の少女のようなものだった。アルシェスタにマナーを乞いにやって来たその日の距離感なんかはその最たるものだった。
しかし、リリーナが娯楽に興味を持っているのは何となく意外だった。娯楽の都の娘であるアルシェスタの前でそういった話が出てもおかしくはなかったのだが、彼女と話す内容はいつも真面目な内容が多かっただろうか。授業だとか、魔術だとか、マナーだとか。
そのまましばらく、彼女と他愛のない世間話をしていた。するとリリーナは少しだけ呼吸を落ち着けて、アルスの膝に座るマシロと、アルスの顔を見比べて、意を決したように尋ねた。
「……マシロに好かれているアルス様に、折り入ってお願いがあるのですが……一週間ほど、マシロを預かっていただけないでしょうか」
リリーナからの提案は、アルスにとっては驚くものだった。一体どうしてそのようなことになったのか、アルスはもう少し、リリーナから経緯を聞き出すことにした。




