閑話:リリーナの今まで
エルデシアンの花の色――通称、エル花。
元孤児という出で立ちを持つ貧乏男爵家の娘、主人公が17歳のとき、ふとしたきっかけで光属性という希少な魔術の才能に目覚め、それをきっかけにして貴族の暮らす華やかな世界に飛び込み、理想の淑女を目指す、成長・恋愛シミュレーションゲーム。
男爵家の娘であったリリーナは、貴族社会に飛び込むにあたって、あまりにも足りないものが多い。そのため、特に前半は成長シミュレーションの側面が強いゲームだった。
教養、社交、マナー、芸術、身体能力、魔術、固有魔術といったパラメータが存在し、攻略対象と仲を深めるためには、それらのパラメータが一定値以上必要だ。
攻略対象も、どういうわけか高位貴族の人間が多い。例外もいるが、ほとんどがそうだ。
一途で生真面目、愛国心と民を大切にする心を持つ王族、ユーウェル。
卑屈で捻くれ者だが、努力家で人間らしい宰相の息子、グウェン。
大らかでしっかり者、見た目に似合わず癒し系で、天然なところもある大商人の息子、サロモン。
女たらしの遊び人だが、数百年に一人と呼ばれる四属性使いの魔術師局エース、オーエン。
女性が苦手だが高潔な騎士で、一度身内と思った者を誰よりも大切にする第三騎士団の副長、イルヴァン。
パッケージに書かれている攻略対象はこの5人で、それに加えて3人の隠しキャラがいる。
ゲーム性が育成シミュレーション寄りだったので、普段乙女ゲームに興味がない人も遊んでいたようだ。
キャラクターごとに重視するパラメータが違っていて、ユーウェルなら社交、グウェンなら教養、サロモンなら芸術、オーエンなら魔術、イルヴァンなら全般というように、攻略したい対象に合わせて、リリーナを成長させていく。
ゲーム自体は、決められた期限までに、固有魔術のパラメータを一定値上げることで進行していく。
そんな、前世で全ルートを遊んだ彼女は、この世界にリリーナ・シルファスとして転生した。
その記憶を思い出したのは、光魔術に目覚めた時だった。
大好きなエル花の世界、主人公という、この世界の核とも呼べる存在への転生。
当初、オタク趣味を思い出したリリーナは、物語のような展開に興奮しっぱなしだった。これから主人公として、この世界を愛し愛され、画面の中でいつも微笑んでいた彼らと恋愛を楽しむんだ。そんな風に浮かれ切っていたリリーナが、現実を思い知るのはそんなに日が経たないうちだった。
最初はパラメータが低いので仕方ないと思っていた。けれどゲームでは、たとえば授業に出れば教養のパラメータが上がっていき、攻略対象の難しい話にも適切なリアクションを取れるようになる。そういう描写があった。マナーのパラメータはある程度数値がないと特訓が受けられなくなったり、一部の攻略対象に眉を顰められたりする。
しかし、授業に出るだけで頭が良くなるなんて、普通に考えてあり得ない。ゲーム気分で、パラメータを上げようと授業に出ていたリリーナは、一節ほど経った辺りで違和感に気づいた。
(あ、あれ? 教養、上がってない……? 全然、分からない……)
それに気づいたのは、ゲーム中でもあった、授業中に当てられるという展開で、言葉に詰まったときだった。教養が一定値以上あれば、答えたという描写が入る。けれど当然ながら、勉強を中途半端にしかしていなかったリリーナの頭の中に、その問いに対する答えは存在しなかった。
結局答えられずに、教室中からはくすくすという嘲笑が響く。冷や汗が首の後ろを流れ落ちて、リリーナは思わず息を呑んだ。
そこで、浮かれ切っていたリリーナの熱は完全に冷めた。この世界は、全てがリリーナの都合よく回る、理想の世界ではない。
授業を受けても自分が勉強する気でなければ教養は身につかないし、マナーや社交術も同様だ。
作中に、リリーナは身に着けるために努力した、という一文が省かれていただけで、授業を受ければ都合よく頭の中に知識が入ってくるようなシステムは存在していない。
レッスンを受けていれば、いつか一流の淑女に勝手になれるわけではない。それに気づいたのは、遠目に彼女の存在を見たからだ。
(シェス様……なんて優雅な)
アルシェスタ・キングレー。ゲームではリリーナの親友ポジションを担い、ある意味で指標を示すキャラともいえる。彼女を目指してパラメータを上げていくことで、リリーナはどんどん成長していく。
攻略対象と仲を深めるのに必要なパラメータを教えてくれるのも彼女だ。情報収集能力が凄まじく、彼らが今、何に興味を示しているのかを教えるという形で、具体的な数値目標を示してくれる。
たとえば、教養をあと3pt上げてみましょうとか、光魔術の訓練は進んでいますか、とか。
初見の時は、とにかく彼女の言うことに従ってパラメータを上げて行けば、シナリオを最後まで読めるというお助けキャラである。
そのアルシェスタは、ほぼすべてのパラメータがカンスト近い数値をしている。それは実際に彼女を見てみることで、より顕著に違いが理解できた。
アルシェスタの容姿はとてもかわいらしいが、絶世の美女という感じではない。前世の表現を借りるなら、アイドル的なかわいらしさだ。
独特のかわいさがあるが、同じくらいかわいい女の子を並べてしまえば、突出しない、そんな感じがある。
王立学院に通う貴族の娘はまさしくそんな感じで、容姿としてはアルシェスタは別段目立たない。髪色と瞳の色が少し珍しい色なので、その部分で少し目を惹くくらいだ。
けれどその中で、あれほど存在感がある理由は、彼女が周りと比べて一段と優美だからだ。息遣い、足運び、一つ一つの所作、言葉選び、仕草、人の輪での振舞い方、人当たりの良さ――。
そういった一つ一つの要素が結びついて、彼女は周囲に比べると頭一つ抜けて魅力的に見える。
(これが、本物の理想の淑女――ゲームのリリーナが目指した姿)
そこで、リリーナは思いだしたのだ。何故、自分がこのゲームを好きだったのかを。
前世、地味で取り立てて優秀なこともなく、自信をもって胸を張れることが何一つとしてなかった自分が嫌いだった。けれど現実はうまくいかなくて、友達も少なく、仕事に生きる人間だった。
どんな仕事をしていたか、とかそういったことはうまく思い出せないが、やるせない気持ちと、特別な人への妬みの気持ちが、胸の中に溜まっている。
エル花は、理想の自分になれる世界だった。自分の思うとおりに自分の分身を育てると、すごい男の子たちがそれを認めてくれて、恋に落ちていく。
最低でもノーマルエンド。バッドエンドが存在しない優しい世界。決められたシンデレラ・ストーリーに、リリーナの前世は熱狂していた。
リリーナの前世が抱いていたのは、強い変身願望。自分ではない、何か特別な、誇れるものがある自分になりたい。
それを叶えてくれたのが、エル花の世界だった。
(シェス様みたいになりたい。自分が思い描く、素敵なレディに)
恋に浮かれている場合ではない。リリーナのこれからを考えれば、マナーも社交も勉強も、全部頑張らなければ。
光魔術を使えるのだ。最低でも、宮廷魔術師の席には座らなければならない。そうでなければ、国からどんな苦言を呈されるか分からない。
そのためには、貴族社会で生き抜いていくための力を身に付けなければならない。
(ようし、もう間違えたりしない。私は、理想の女の子になるんだ!)
ゲームのヒロイン気取りはもう終わりだ。恋にうつつを抜かさずに、自分は自分のやりたいように生きる。
誰かに誇れる、自分だけの特別な何か。それを今度こそ、この世界で見つけるんだ!
リリーナはそう考えて、気持ちも新たに、この世界を前に進み始めた。
――のだが。
「な、なんで……どうしてぇえええええええ!?」
理想の自分を目指すため、一番大切だったイベント。
すなわち、アルシェスタとの出会いのイベントが、発生しなかったのである。
「ま、間違ってないよね……? この時期に、確かお茶会があって……」
お茶会の誘いがあり、それに出かけると、そこでアルシェスタと話す機会がある。そこで意気投合したアルシェスタは、その後何かとリリーナを気に掛けてくれることになるのだ。
親友キャラと出会える、大切なイベントだったのだが、リリーナに茶会の招待状は来なかった。
(そういえば、ゲームでは社交のチュートリアルがあって、それで……あれ? 私、それっぽいイベント、顔を出した、っけ?)
もしかしたら、パラメータが足りない――つまり、茶会に呼ぶに値しない人物だと、主催者に判断されてしまったのでは?
このときばかりは、リリーナはさっと青ざめて、ぶるぶるとクッションを抱きしめながら泣きそうになっていた。
「ど、ど、ど、どうしよう……シェス様と出会えなかったら、私どうやってレッスンとか受ければ……」
この世界のことを知り尽くしているつもりでも、そうでもない。乙女ゲームの中で描かれるのは、この世界の1%にも満たないのだ。あのゲームの登場人物なんて、世界のほんの一部で、ゲームで登場する貴族の派閥だとか、家だとか、そういったものは現実だと複雑に絡み合っている。
とてもではないが、リリーナが一人で生きて行けるようなものではない。何故製作者が、親友キャラなどというものを用意したのか、その理由が理解できてしまう。
「な、何とかしてシェス様と出会わないと。私、このままじゃ、ゲームにないバッドエンド一直線では……?」
ゲームだと思って甘く見て、何もしてこなかった結果が、今だ。負債が積もりに積もってリリーナにのしかかり、泣きそうになる。
何としても、彼女と縁を持たなければ、リリーナの理想の淑女計画は始まらない。焦りながら、その機会を死に物狂いで模索した。
そして、少し時期は遅れたが、リリーナはその縁を、何とか手繰り寄せることに成功した。




