閑話:ベルローズの今まで
生を受けたとき、ローズの瞳を持った女子が生まれたと、公爵家では大騒ぎだったらしい。
エルデシアンの真紅の薔薇と呼ばれるマギアス公爵家にローズの瞳を持った女子が生まれると、その代で栄華が約束されるからと。
かつて「紅の女王」と呼ばれた偉大なる賢王が興した家。彼女は王としての命をたった五年で焼き尽くすほどに、鮮烈に、国に改革を齎した。しかしあまりの苦労が祟り、彼女はわずか五年で玉座を降り、このマギアス公爵家を興した。
彼女の息子が王となり、娘が女公爵となり栄えたこの家は、今でも改革の化身として、保守的な者を説き伏せ、国の発展のために変化を恐れずに尽くすという使命を持って生まれる。
案の定、ベルローズがまだ4歳の時に、同い年の第二王子のユーウェルとの婚約が調うこととなった。
王家もまた、マギアス公爵家のローズの瞳の美しさと重要性を理解していたからだ。祖父の代で一度、王家からの降嫁が発生しているが、公爵家には定期的に王家の血を入れるのが習わしとなっているため、婚約は両家共に了承し、結ばれたのだ。
ベルローズが、不思議な記憶を持っていることに気づいたのは、彼女が7歳の頃だった。
国一番の貴族家で不自由なく育ったベルローズは、その時はまだ我儘三昧だった。王子妃教育が始まる頃には収まるようにと、父母が必死にタイミングを見計らい、教育の程度を慎重に決めていた矢先、ベルローズは散歩中に転び、頭を強く打って、一日寝込んでしまった事があったのだ。
幸いにして外傷はほとんどなかったが、ベルローズはその時に、自分の中に、自分ではない別の人間の記憶があることに気が付いた。
「前世」と知覚したその記憶を、ベルローズは当初否定した。この国の死生観では「前世」という発想が出てこないからだ。
この国では、死者の魂は根源たる太陽へと還り、燃え尽きて無へと帰るとされている。転生という概念は遥か異国の地で謳われる死生観の中にしか存在せず、この国の教えでの死の概念を前提とするならば、転生をする、前世の記憶を持つといった発想自体がありえないことだった。
けれど、ベルローズ自身がそれを当たり前のように考えていることを気づいたとき、その記憶が本当に前世のもので、ベルローズは転生をしてこの世界へと生まれ落ちたのだと自覚した。ただし、この思想は、国における絶対的な信仰である、太陽と月への畏敬を否定するものなので、決して誰に対しても口にできはしなかったが。
前世の不思議な世界の記憶に、ベルローズは憧憬した。走る鉄の箱、空を飛ぶ白い鳥のような箱、街角で輝く光の軌跡、身分の存在しない社会、光を羅列した箱の中で歌い踊る愛らしい女子たち――すべてが、貴族として生きて来たベルローズにとって新鮮なものだった。
けれど、その中で、ふと――ベルローズは、一つ気づいてしまった事があった。
薔薇の名を持つ真紅の少女、国の筆頭公爵家の娘にして第二王子の婚約者、薔薇のような色の炎と、恵みの土を操る天才魔術師。
ベルローズ・マギアスという名を、その記憶の中で見つけてしまったのだ。
ベルローズ・マギアスは「エルデシアンの花の色」と呼ばれる乙女ゲームなる娯楽の、悪役として描かれる少女だ。
厳しい教育を受けてその教養と魔術の才を身に着けた深窓の令嬢ではあるが、ひとたび癇癪を起こすと、理不尽極まりない暴君へと変貌する苛烈なる姫君だ。その本質は、自らの抱く理想と差異があると、激しく感情を爆発させることにある。
彼女は、このエルデシアンの花の色のメイン悪役令嬢として描かれていた。
乙女ゲームとは、恋愛シミュレーションをして遊ぶ遊戯のことだ。一人の少女の人生を追体験し、いくつかある運命の分岐路を選択し続け、一人の男性との恋の行方を見守る、そんなゲームだ。
成長シミュレーションと恋愛シミュレーションの側面を併せ持つこのゲームは、周回プレイをすることによってヒロインのステータスを上げやすくなり、理想の淑女を作って恋愛を楽しむことができて、比較的好評なゲームだった。
ベルローズの前世の人間は、このゲームをプレイしたことがあったため、記憶の中にかなり詳細なシナリオが残っていた。
ヒロインである光の乙女・リリーナはとある貧乏男爵の娘だ。しかしある日、光魔術の才能に目覚め、貴族社会の中へと飛び込むために、王立学院の三年生として編入してくる。
稀有な才能を持ち、誰にでも等しく優しい天真爛漫な少女は、第二王子や宰相の息子、大商人の息子や魔術師局のエースといった将来の要人たちから一目置かれ、彼らと恋に落ちる。
しかし、貴族との恋愛を中心に描く本作においては、彼らには当たり前のように「婚約者」という存在がいる。
その婚約者というのが、各恋愛対象者――攻略対象者というらしい――のルートにおける悪役令嬢となる。
つまり、メインヒーローである第二王子のユーウェルの婚約者であるベルローズは、メイン悪役令嬢の立ち位置なのだ。
ベルローズは聡明な女だったが、婚約者との足並みが合わないことに長年悩んでいた。
互いに嫌い合っているわけではない。ただ、このまま結婚というのも、何だか変な気がしていた、それくらいの距離感だった。
しかし、現れた光の乙女が、王子と瞬く間に恋に落ち、自分には見せてくれたことのない笑みを浮かべているのを見て、ベルローズは狂うような嫉妬心を芽生えさせた。
派閥の人間を使った苛烈なまでの虐め、光の乙女が公の場で恥をかくような妨害工作――それが行き過ぎて、事故を装って周囲の人間を巻き込んだ殺人を企てるなど、あまりにも目に余る行動を繰り返した結果、悪事が全てバレ、そのまま幽閉、もしくは処刑という結末を辿る。
四人いる悪役令嬢の中でも、苛烈な最期を迎えるのはベルローズのみ。ベルローズは絶望した。
メインヒーローのルートは、ある意味でこの世界の「正史」であり、それ以外の攻略対象者のルートはいわゆる「if」や「分史」と呼ばれるもの。
つまり、この世界が正史を辿るのならば、ベルローズの破滅は必死だったのだ。
前世の自分がどんな最期を迎えたかは朧気であまり思い出せないが、しかし失意の中で死んだような気がした。
そんな中で、またもや残酷な最期を迎えてしまうかもしれないと知ったベルローズの心は、幼いうちから諦観に満ち溢れていた。
しかし、生来の生真面目さからか、王子妃教育を始めとした、超一流の淑女になるための努力は欠かすことができなかった。
自分は筆頭公爵家の娘。そう考えて、ベルローズは日々を過ごした。
「ベルローズ」
「ユーウェル殿下。ご機嫌麗しゅう」
「話がある。内密な話だ」
王立学院の最終学年が始まろうという頃、ベルローズはついに、シナリオが始まってしまうことを予感する。
「光属性の魔術を使う者が見つかった」
「……!」
「名はリリーナ・シルファス。法服貴族であるシルファス男爵家の娘だ。歳は私たちと同じで、彼女を王家で保護することになった」
「そう……ですか」
ベルローズの未来の鍵を握る人物、リリーナ。自分が悪役ならば、彼女は主人公。
理想の淑女を目指して邁進し、ロマンチックな恋に落ちる、世界から愛された人。自分とは大違いのその人物の動きによって、ベルローズの未来は曇ってしまう。
「王立学院にも編入することになった。私たちは、学院で彼女に変な気を起こす人間がいないかを見張る役目を仰せつかった」
「……国王陛下の仰せのままに」
「同じクラスだ。そなたも、目を光らせておいてくれ」
リリーナは、攻略するルートによっては、悪役令嬢から苛烈な虐めを受ける。ユーウェルルートはもちろんのこと、オーエンルートでもそうだったはずだ。
シナリオの構成としては、略奪愛とは少し異なる。――ユーウェルルート以外は。
しかし、ユーウェルルートのリリーナの行動は、どう考えても略奪愛だと、今なら分かる。政略結婚の大切さを身に染みて理解している今ならば。
それでも、わが身可愛さに、ユーウェルがリリーナと恋に落ちたのなら、譲ってしまいそうになる。
処刑も獄中死も、あの平和な国で暮らしていたベルローズに受け入れられるとでも思うのか。
この世界のリリーナが善良であることを祈って、しかしどうあがいても邪魔ものになってしまう自分の行く先を憂いて、ベルローズは屋敷へと帰った。
自室にこもり、枕に顔を埋める。自分のハッピーエンドが約束されない結末へ向かっていく世界を、呪いたくて仕方がなかった。
そんなベルローズの姿を見て、次期当主である兄が、一枚の招待状を差し出した。
「お兄様、これは?」
「噂を聞いて、コネを使って手に入れたんだけど、その日視察が入って行けなくなったんだ。ベルが興味があるなら、行ってみるといい。知り合いには、妹にあげたと連絡しておくから」
「仮面舞踏会……?」
「他国ではいかがわしい舞踏会という意味もあるようだが、わが国の下町で密かに行なわれているこれは、きわめて健全なものらしいぞ。一日、自分の身分も立場も忘れて、好きなだけ食べ、好きなだけ飲み、好きなだけ踊る。他者との出会いの場ではなく、自分が好きな自分で在れる場所。それがコンセプトだそうだ」
白い封筒に金縁という高級感のある招待状を開けば、明日の日付と開催会場、開場時間や宴の開始時間などが丁寧に綴られている。折られている紙を伸ばすと、そこには注意事項が書かれていた。
――このパーティーでは、必ず顔を半分以上覆いつくす仮面を着用すること。
――ドレスコードを守れば、どのような姿であっても問わない。
――ドレスコードは喪服の色を避ける。ほかは正装ならば問わない。
――偽名の使用を推奨。出会った相手の素性を尋ねることは禁止とする。
――一夜限りの出会いとし、このパーティーで起きたことは、あなたの現実には持ち込まない。
父母に相談すれば、少しだけ困惑されたが、兄が招待状を貰った相手を告げれば「ベルローズの好きにしなさい」と穏やかに告げられた。兄の言うことには、社交界で地位のある者らが、信用のおける人間にのみ配るものらしい。変な人間はいないが、珍しい人間には会えるかもしれない。最も、仮面を被っているし、当日は髪を染めたり体型を変えたり肌の色を変えたり、とにかく仮装大会のような様相になっていて、とてもではないが個人の特定は難しいとのことだった。
ベルローズは純粋に思った。楽しそうだ、と。仮装大会は、前世では縁がなかったが、憧れがあったという想いが胸の奥でうずいている。今からでは仮装を準備することは難しいだろうが、パーティーに足を運んで、色んな人と話をするだけでも楽しそうだ。
夜会では、筆頭公爵家の娘であり次期王子妃であるベルローズにはひっきりなしに人が絡んでくるが、このパーティーなら純粋に夜会を楽しむことができそうという理由もあった。
兄と父と母に、たまには羽を伸ばしてくるといいと言われ、ベルローズは初めての仮面舞踏会への参加を決めた。




