53. 薔薇の火焔
アルシェスタは氷の魔術を素早く展開すると、暴れまわっていたアイアンアルマジロの足元を凍らせて動きを鈍らせる。イルヴァンは目を見開くと、アイアンアルマジロの回転攻撃を躱した後、後ろを見る。
「シェス!」
「避難は終わりました! 加勢いたします!」
「無茶するな、下がって!」
アイアンアルマジロはアルシェスタの氷をいとも簡単に割ると、また元気に活動し始めた。警備兵たちが果敢に立ち向かうものの、かなり凶暴化しているアイアンアルマジロは、頑丈な殻のせいでほとんど攻撃が通らないようだ。
「やっぱり、あの殻を何とかしないと消耗させられるばかりだね」
「そのようだな。あの殻を破れる程の強力な魔術と言えば――」
ユーウェルがそうつぶやいた瞬間、息を切らせたベルローズが、競技場へと到着した。彼女は赤い髪を乱して、額から汗を流している。
その姿を見て、ユーウェルはおお、と声を上げた。
「ベルローズの薔薇の火焔なら、あの殻ごと燃やし尽くせるかもしれんな」
「ああ……マギアス公爵家に伝わる、とんでもない火属性の魔術ですね」
「へ?」
ユーウェル、オーエンがそう告げ、ベルローズが呆けた顔を上げた。
必死に避難誘導をし、やっとの想いで駆けてきたら、突然最前線に駆り出された。そんな顔をしているのである。
公爵令嬢である彼女からすればまさしく「唖然」といった様子である。
「アイアンアルマジロの弱点は火でしょ? でも、この場で火属性を使えるのって、オレとサンチェスター卿とラヴァード王弟殿下くらいだったんだけど、全然出力が足りてなくてね。でも、マギアス嬢の魔術なら、魔物化したアイアンアルマジロの殻も貫けると思うんだ」
ベルローズの火属性魔術は、正真正銘の砲台級超火力魔術だ。当てるためには工夫が必要で、発動までに時間も魔力もとんでもない量を要するが、当たればまさに一撃必殺。この場にいる魔術師の中で、恐らくは一撃の威力が一番出るのはベルローズだったのだ。
しかも、アイアンアルマジロとの相性がすこぶる良い。ベルローズはすでに疲労困憊なのだが、幼馴染たちはあまりにも容赦がなかった。それはある意味で、ベルローズへの信頼にも思えた。
「――、わ、分かりましたわ。薔薇の火焔は、私の練度では発動までにおよそ5分ほどかかります。それまでに、何とか動きを鈍くして、当てやすいようにしてくださいまし」
「分かった。皆の者、聞いたな。これよりベルローズの超火力魔術を当てるための作戦を決行する」
ユーウェルは凛とその場を執り仕切り始めた。アルシェスタは氷魔術によってアイアンアルマジロの妨害を試みながら、その言葉に耳を傾ける。
「ベルローズに絶対に敵を近づけるな! 弱化の魔術が使える者は、奴の火属性耐性を落としてくれ! イルヴァン、オーエン! お前たちは私と共に前に出よ!」
「はいはいっと。殿下はあんまり無理しないでくださいよ」
「は! 命に代えても、お守りいたします!」
イルヴァンとオーエンは、抜群のコンビネーションで前に出て、最前線で盾役を務める。ユーウェルは、中衛寄りの前衛位置で、イルヴァンとオーエンのサポートをうまくしながら、指揮を執っている。
「ラヴァード王弟殿下! 申し訳ないが、二人のサポートを頼んでも構わないか」
「無論だ。イル、きつくなったら代われ!」
「ああ!」
「サロモンはベルローズを守れ! 奴の攻撃を、絶対にベルローズに届かせるな!」
「承知いたしました、殿下!」
適切に役割を割り振っていく様は、まさしく王家の人間だった。彼は学院の成績はあまり芳しくはないが、兵法や戦術、そして戦場での指揮においては、現在の王家でも右に出る者はいないというほどの英傑だ。彼の大きな背中には安心感があった。
「グウェン、キングレー嬢! 先も言ったが、水属性魔術は貴重だ。奴の火属性耐性を、下げられるだけ下げろ! 弱体と妨害を頼む!」
「仰せのままに」
「かしこまりました」
「リリーナは前衛が傷ついたら、すぐに回復してくれ! お前の回復が鍵だ! 前が崩れたら全て終わる。頼むぞ!」
「はいっ!」
その様子は、正しく死闘であった。五分間の沈黙を守る、それだけのミッション。しかし、この歩く災厄を前にして、その意識はあまりにも浅い。
死力を尽くして、五分を稼ぐ。そろそろ、援軍が到着する頃だろう。この五分さえ凌ぎきれば、選りすぐりの精鋭たちが、救援に訪れるだろう。
しかし、それを頼りにしていられない状況だ。あまりにも、魔物が現れる場所が想定の外だったからだ。
何故、アイアンアルマジロが魔物化してしまったのかは分からないが――ここで食い止めねば、どれだけ被害が出るか分からない。
有志の生徒たちによって組まれた突発パーティで、巨大な脅威を前にレイド戦。
最前線で、アイアンアルマジロと対峙するイルヴァンとオーエンは、しっかりとその攻撃を捌いている。
「サンチェスター卿とこうして魔物退治に出るのは何だか久しぶりだね。君が隣にいると、やはり心強い」
「こちらもだ。あなたの魔術の支援は心強い。っふ!」
「それに、今回はサンチェスター卿級の剣士がもう一人いる。頼もしいね」
「ジェフ!」
「ああ、イル!」
二人は器用に立ち回りながら、交差するようにアイアンアルマジロの足を切り裂いた。耳の奥まで劈く絶叫が鳴り響いたが、アイアンアルマジロの勢いが衰えることはない。
「油断するな。……っ。オーエン、結界の展開を! イルヴァン、少し下がれ! リリーナの治療を受けろ!」
「っすまない!」
「サンチェスター卿! お願い、治って――!」
ユーウェルが素早く指示を出して魔術でカバーし、傷を負えばすぐに下げさせてリリーナへ治療の指示を出す。この指揮官がいれば、戦場の士気は盤石だ。慣れていないリリーナもまた、ユーウェルの指示があれば、かなりロスなく回復に臨むことができる。
アイアンアルマジロが殻にこもり、ぐるぐると大きく回転を始める。まるで坂道を転がる大岩のような巨大な塊が、暴れまわり、ベルローズへと向かっていく。
それを、サロモンが土の結界術を使って受け止める。耳障りな摩擦音が、その場に強烈な不快感を引き起こす。ベルローズは目を見開いた。
「バーンズ卿!」
「大丈夫です、会長! 何のこれしき。ぐおおおおおっ!」
「無茶をなさらないで!」
「私のことはお気になさらず、会長は詠唱に集中してください! これでも、守りには自信があるのです!」
サロモンの頑強な結界と、渾身の力技で、何とかアイアンアルマジロを弾き返した。地面に接触する寸前、四つの軌跡が、宙を描いた。
そのうちの三つは弾かれてしまったが、一つはアイアンアルマジロの殻の間に挟まり、アイアンアルマジロはうまく回転ができずに、ぱっと顔を出して咆哮する。
アルシェスタの投げた強化した氷ナイフが、細い隙間に侵入し、その回転を止めたのだ。
「キングレー嬢、弱化の特質顕現はどれくらいの練度ですか」
「自慢ではありませんが、水属性の魔術運用の中で、弱化顕現が一番得意です」
「奇遇ですね。私もです」
アルシェスタとグウェンは、同時に水属性の魔術を練り上げて、アイアンアルマジロの火属性耐性を下げることを試み続ける。何度かは拒まれたが、何度かはアイアンアルマジロを侵した。これで、ベルローズの魔術はより通りやすくなったはずだ。
(あと、一分――!)
長い、五分だった。しかし、終わりが見えて来た。息を切らして、汗を流して、全員が自分の役割を全うする。しかし、疲労は綻びを生み、綻びは歪みを広げていく。
安定して前を支えていた前衛が、一瞬の隙を見せ、崩れてしまったのは偶然だった。イルヴァンとジェフリーが吹き飛ばされ、オーエンは結界を維持しきれずに尻もちをついた。
アイアンアルマジロはまた殻にこもって丸まり、暴れるようにして、そのまま直線を進み始めた。その進路の先にいたのは、リリーナだった。
リリーナは名前を呼ばれて、慌てて地面を転がる。しかし、足元に転がる自分を見下ろして、アイアンアルマジロは、鈍く光る赤い瞳で、リリーナを見下ろしていた。
体の奥から、ふつふつと恐怖が沸き上がる。背筋を駆け抜けて、体を震わせた。リリーナは、思わず目を閉じて、自分の体を丸めるようにして防御態勢を取る。
「――リリーナッ!」
聞こえたのは、誰の声だったか。思っていた衝撃が来なくて、リリーナが目を開けると、目の前で鮮血が飛び散った。
揺れたのは、淡い青色の髪だ。リリーナを庇ったアルシェスタは、アイアンアルマジロの鋭い爪の一撃を、左手に受けながらも、作り出したナイフを爪の間に挟みこんで、何とかその一撃を食い止めていた。
アルシェスタがそのまま吹き飛ばされて訓練場を転がった隙に、前衛が何とか持ち直して、アイアンアルマジロの攻撃を止める。
イルヴァンが声にならない叫びを上げながら、しかし必死に理性を抑え込んで、前衛の役割に徹していた。リリーナは慌てて、アルシェスタへと駆け寄った。
左腕が抉られ、血がどくどくとあふれ出している。リリーナは涙をぼろぼろとこぼしながら、光の魔術を展開した。
「お願い、治って、治って……シェス様……っ」
「……リリーナ様、ご無事ですか……」
「私は、大丈夫です! ごめんなさい、シェス様、私……私……っ」
未熟な魔術では、血を止めるのがやっとだった。自分の無力さを噛みしめながら、リリーナは止血を済ませて、アルシェスタの肩を何とか持ち上げ、訓練場の隅へと運んでいった。
ユーウェルはその献身に心の中で深く頭を下げた後で、背後を振り返った。ベルローズの全身から、薔薇色の魔力が迸っているのが見える。
「――グウェン! 一瞬でいい、奴の動きを止めろ! それを確認したら、前衛は全員撤退だ! サロモン、お前もベルローズから離れろ!」
ユーウェルの指示に合わせて、グウェンが一瞬、魔術でアイアンアルマジロの足を止めた。それを合図に、イルヴァンとジェフリー、オーエンは後ろへと下がり、ユーウェルもまた、その場を素早く飛びのいた。
次の瞬間。アイアンアルマジロは、薔薇色の火炎に包まれた。あまりにも美しくキラキラと輝くのは、エルデシアンの真紅の薔薇の色を持つ、鮮烈なる炎だ。
花の色を持つ家の魔術師が使えるという「花」の魔術。それが指し示すのは、長い年月をかけて編み出された、家に代々伝わる秘宝である。
「薔薇の火焔!」
ベルローズが勇ましく叫ぶのに合わせて、薔薇色の火炎はさらに激しく燃え上がった。天高くまで登る葬送の煙が、人を蹂躙する災厄の魂を太陽の元へと送っていく。
黄昏の空を沈んでいく陽を、後追いするように。
薔薇色の火炎が収まった後、そこには黒ずんだ、生物だった何かが横たわっていた。
ベルローズの秘儀は、文字通り、魂を焼き尽くしたのである。魔物の絶命を確認して、ユーウェルは勝鬨を上げた。
かくして、魔術競技会は幕を閉じた。この件に関しては、学院が責任をもって調査を行なうということであった。




