50. 誰よりも認めてほしい人
第三関門となるアスレチックは、かなり過酷だった。そういったスポーツとして採用できるのではと思うほどに。
懸垂を必要とする縦移動は、とてもではないが蝶よ花よと育てられた令息令嬢に超えられるものではない。身体強化魔術があっても、イメージがなければ乗り越えられないだろう。
ここまで来て、アルシェスタはどうやら今年の魔術競技会を仕切る教師たちは、高位貴族の子女に鬱憤が溜まっていたのだと確信した。
クリアできるものならばしてみろ――そのような心の声が、頭の中に直接響いてきそうだ。
実際に、このJチームとQチームの面々は全体的に身体能力が高く、優秀だからこそこなしていけているようだが、通常のチームならば、優秀な魔術師が揃っていたとしても、第二関門の湖上アスレチックで脱落者が当たり前のように出ていたかもしれなかった。
「シェス」
「大丈夫ですよ。これくらい、キングレー伯爵領の娘ができなくてどうします?」
キングレー伯爵領は険しい自然を有する土地だ。母は嫌がっていたが、イルヴァンに連れ出されて遊びまわった野山はかなり過酷な環境だった。
木登りから不安定な足場での作業まで、一通りのことをこなすだけの身体能力はアルシェスタにも身についている。アルシェスタは大きく深呼吸をすると、身体強化魔術込みで、一本の細い棒から、その体をゆっくりと立体構造物の上部へと持ち上げた。
観客席の方から歓声が上がる。汗にまみれながら競技に懸命に挑むアルシェスタの姿に、平民の生徒たちが大きな声を出して応援を送る。
「頑張れっ! キングレー嬢!」
「お願いですっ! どうか、怪我をなさらないように!」
「キングレー様! カッコイイです!」
この王立学院の生徒の分布は、平民の方が圧倒的に多い。この訓練場に立ち、歓声を浴びている間は、つまらない令嬢たちの陰口は耳に届かない。
歓声に声をかき消された令嬢たちは顔を顰めたが、その時にようやく理解したのかもしれない。
あの場に立つ者と立てない者。立てない者には、声を上げることすら許されないのだと。
娯楽や競技を観戦する者には、貴賤に囚われず、自分の好きな者に応援の言葉を叫ぶ権利がある。
上がりきらなかった細い体躯を、イルヴァンとジェフリーに支えられる形で、何とか押し上げて、細い足場の上にゆっくりと登った。割れんばかりの拍手が巻き起こると、アルシェスタは心がざわついた。
(確かに、平民の子らに人気を得てる自覚はあったけど、まさかこれほどだったなんて……ちょっと、うまく種を蒔きすぎたかな)
アルシェスタにその自覚はなかったが、これほど気軽に声援を届けられる貴族令嬢もいなかったのだろう。
その在り方は、正しく「偶像」であった。
「シェス。あと、あそこを降りれば終りだ。もしかしたら、これ勝てるかもしれないぞ」
「ああ。よく頑張った。私たちは先に下りよう。もしも降りるのがつらければ、二人がかりで全力で受け止めよう。飛び降りるといい」
「ジェフ……それはありがたいけど、やっぱり危ないよ」
「お気遣いありがとうございます。何とか、やってみますので」
アルシェスタは、当然二人の力をそのまま借りるつもりはなかった。過保護なイルヴァンが心配そうに瞳を揺らすので、最後の段階を支えるくらいは手を借りるようにしているが――自分の力で、できるところまでは意地でもやり遂げる。それが、アルシェスタの矜持だった。
湖の上に浮かぶ立体構造物には網が縦に張られていて、それを降りることによって、ゴールとなる。
地上5mほどの高さの構造物を降りるのは、かなりの身体能力を必要とする。けれどイルヴァンとジェフリーは慣れているかのように、すいすいと降りて行った。
(足を引っ張ってる自覚はある。あの二人が規格外とも言えるけど――でも。確かに、僕が躊躇いなくこの手を離して二人に飛び込めば、そのまま勝利できるだろう。けど、それで勝ったって意味がない)
精一杯手足を突っ張ったって、女性であるアルシェスタは、男性であるイルヴァンやジェフリーのように、筋肉量も決して多くはないし、身のこなしも一般人に少し心得を足したレベルだ。
魔術の知識や実践では力になれても、身体能力の面では足を引っ張ることになる。
けれど、それでいいのだ。人間は万能ではない。得意分野と不得意分野はごく当たり前に存在する。
今、歯を食いしばりながら必死に反対側で構造物を登っている、リリーナのように。自分でやるからこそ、価値があるものというのは、この世の中に無数に存在する。
(大事なのは、自分の意思で、自分の力で、どこまで行けるか試すこと。それで勝ちをとれれば最高。もしも負けたって――誰かの心に残らない勝ちより、誰かの勇気になれる負けの方が価値がある)
魅せる、ということ。
アルシェスタはごくごく当たり前にその考えに至り、いつの間にかしのぎを削る競技会の場は、アルシェスタにとってのショーの会場になっていた。
イルヴァンとジェフリーも、同じ考え方を持つ同士だということは、この競技会を通して理解していた。
彼らとて、より綿密に魔術を練って、課題に応じた方法でクリアを試みることもできたはずだが――彼らは敢えて、物理攻撃に魔術を乗せる、その方法に拘ってここまでやって来たのだ。
それは、己の限界を測るということだ。彼らにとって、勝つことは目的ではあるが必須ではない。
何よりも大事なのは、己に課した信念から逸れずに、自分を追い込み、自分の力を試すこと。
(それこそ、きっと僕らの魔術競技会の本懐なんだ)
勝ち・負けというのはモチベーションを与えるための動機に過ぎない。
このような考え方を持つ三人が集まったからこそ、アルシェスタ達のチームは、勝ちにこだわったわけではなかった。
(あーもう。誰だよ、適当にやって適当に負けるって言ってたやつ。分かってますよ、僕は負けず嫌いなんだって。自分の力で、切り開いていくことに幸福を覚えるんだって。だから――)
アルシェスタは網を引っ掴んで、そのまましっかりと足を一つ一つ、網の隙間へと下ろしていく。
もう足はくたくたで、少しでも気を抜けば、そのまま落ちてしまいそうだ。落ちれば、イルヴァン達が受け止めてくれるだろう。
けれどそんなことは、認められなかった。
(絶対に自力で、下りきるんだ)
その決意を心に秘めて、アルシェスタは己と戦い始めた。
◆◇◆
「リリーナ、大丈夫かい? これで終わりだけど……」
「すみません……だい、じょうぶです。でも、私……足を引っ張って……敗退、してしまうかもしれません。すみません……」
「俺は別に、勝ち負けなんて二の次なんだけどね。まぁ、やるなら勝ちたいって思うけど」
「まだあきらめるには早いですよ、先輩方。まだ、相手チームの最後の選手が、下りている最中です」
呼吸を整えて、リリーナは隣の構造物へと目をやった。
真剣な顔をしたアルシェスタが、一つ一つ、順調に網を降りている。腕は微かに震えていて、足元は泥水で汚れている。
いつだって清廉で、綺麗な友人は、泥を浴びてもなおあんなに美しい。
(シェス様……)
リリーナは、ぐっと手を握り締めた。オーエンはそれをちらりと見て、告げる。
「リリーナ。俺たちは先に下りるよ。呼吸を整えたら、リリーナも降りてくるといい。もしも降りるのが難しければ、俺たちを信じて飛び降りてくれないか」
「で、でも、それは……」
「リリーナの気持ちは分かってるつもりだよ。でも、怪我をしたら元も子もない。無理をして降りようとして、君が怪我を負うくらいなら、最初からすべてを委ねてくれた方が俺たちも安心だから」
守られる自分、守ってくれるヒーローたち。
その構図は、リリーナがよく知っている物語において、自然なものだった。天真爛漫で、誰にでも分け隔てなく、行動力に溢れるリリーナは、しかしいつも常に強い誰かに守られている存在だった。
あらゆるものに愛を囁かれる、恋愛ゲームのヒロイン。
その意識は、段々とリリーナの中で、まるで根を張った樹木のように、鬱蒼とリリーナの視界を塞ぐ障害と化し始めていた。
オーエンとレイサムは手慣れた様子で、素早く網を降りていく。まるで軍人のような動きに、リリーナが目を奪われたのも一瞬だった。対岸で降りるアルシェスタを悠々と追い越し、彼らは地面へと降り立った。
こちらのチームのオーエンとレイサム、向こうのチームのイルヴァンとジェフリーがすでにゴールラインを超えており、後はリリーナとアルシェスタ、どちらが先にゴールするかで勝敗が決まる。
つまり、リリーナの判断次第で、この競技の勝敗は決してしまうということだ。
(今からシェス様に追いつくためには、同じように下りていては間に合わない。だから、オーエン様とレイサム様を信じて飛び降りるしかない。でも――)
今、ここから飛び降りて、二人の力を借りて勝ったとしても、誰がリリーナの勝利を認めてくれるのだろう。
アルシェスタは、自分の力で降りようとしている。下ではらはらとしながら見上げている二人を見る限り、恐らくはイルヴァンとジェフリーは、リリーナが言われたのと同じことをアルシェスタに言ったのだろうと思う。
けれど、アルシェスタは自分の意思で、自分の力で立ち向かおうとしている。
会場は、皆が頑張るアルシェスタを応援している。そんな状況で、リリーナが楽をして得た勝利に価値はない。
(だったら、私は――)
リリーナは意を決すると、歯を食いしばる。恐怖で足が竦みそうになる。
けれど、そんなときに隣を見れば――頑張る彼女の存在が、いつだってリリーナに力をくれた。
(私は、貴族の皆よりも、平民の皆よりも、誰よりも――)
頭の中を、次々に過るのは、大好きな友人の顔と言葉だ。見えるところで、見えないところで、リリーナを助け、支えてくれたアルシェスタという存在に報いるために、リリーナがすべきことは一つしかない。
(シェス様に、認めてほしい)
リリーナはそのまま、頂点を蹴って、青空に体を委ねた。オーエンとレイサムが慌ててキャッチ体勢に入るが、しかし二人は目を見開いた。
リリーナが身を投げたのは、構造物の下ではなく――その側面側。つまり、弱化の魔術がかかっている、湖の湖面に対してだからだ。
(飛び込みは、前に一度だけやったことある。着地はすごく痛いけど、でも、私の力でシェス様に勝つためには、これしかないっ!)
リリーナは勇ましい声を上げながら、5m上空から、水面へと落下した。大きな水しぶきが上がり、リリーナの体操着が水を吸って重くなる。
弱化の魔術は思ったよりも強く、息苦しい。それでも何とか水面に這いあがって、リリーナはありったけの力を使って、光の魔術を使う。
再生の力――それを使って、失った体力を必死に回復しながら、側面から、構造物の下側へと這い上がる。
まさか、弱化の水に飛び込んで、這い上がることで構造物を超える生徒がいるなど、教師たちは想定もしていなかった。
しかし、ルールへの抵触はない。リリーナは体力を奪われながら、それを光の魔術で回復して繋ぎ、何とか構造物のへりへと手を掛けた。
(負けない――負けられないっ! 真剣に勝負をしてくれてる、シェス様のためにも! 絶対に……)
リリーナは声をあげて、そのまま構造物の上へと上がり、床に転がった。その直後、アルシェスタが網を降り切って、足場に足を付いた。
一瞬の静寂が、会場内に広がる。
教師が、勝者のチームを告げる。すると、一拍を置いて、歓声が強く響き渡る。
オーエンとレイサムが、リリーナへと駆け寄ってくる。
「まったく、無茶するね、君も。でも、かっこよかったよ、リリーナ」
リリーナは疲労で気絶しそうな体を必死に持ち上げ、落ちそうな瞼をかろうじて支えて、力なく微笑んだ。
対岸で、アルシェスタが満足そうに微笑んでいるのを見届けると、リリーナの意識は闇へと落ちていった。




