40. 天才魔術師の婚約者
魔術競技会まで、残り数日。
アルシェスタは、学友たちと移動教室の途中、その修羅場に遭遇した。遠巻きに眺めている生徒たちの視線の先には、少しばかり穏やかではない光景が広がっていた。
「ねぇ、何とか言ったらいかがかしら」
謹慎期間明けだというのに、甲高い声を響かせているのは、一つ年上の第三学年に所属するもう一人の公爵令嬢――アインズ公爵令嬢である。四つある公爵家の中で序列は四位と下の方だが、花の名も授かっている由緒ある家系である。
アインズ家は公爵家でありながら領地を持たないが、しかし数代前に、魔女と呼ばれた天才魔術師の姫君が降嫁したことで生まれた家だ。当時伯爵家であったアインズ家は、異例の降嫁を受けて公爵家へと陞爵し、その後も優れた魔術師を輩出し続けることで、その地位を保っている。
どうやら、その魔女が残したたくさんの魔術理論の叡智がアインズ公爵家には残されているとのことだ。
しかし、長きにわたりその叡智を独り占めしていた公爵家は、いつからか様々な魔術師たちから疎まれてしまうに至った。
現代のアインズ公爵が、魔術師局の局長を務めていることが、奇跡のようだが――。
「わ、わたしは、オーエン様に魔術の指南をしていただいているだけです!」
「まぁ、お名前で呼ぶなんて厚かましいと思いません? あの方は、わたくしの婚約者ですのよ」
オーエンは浮名を流しているだけあり、様々な女子に名前を呼んで欲しいと言いまわっていることは有名な話だ。
ただし、下位貴族の子女はその言葉を真に受けたりはしない。侯爵家の嫡男である彼に、気軽な振る舞いはできないのである。
そういう点では、彼女にとっては、少しだけオーエンという存在は不親切だったのかもしれない。
アインズ公爵令嬢――システィナの取り巻きに囲まれて、気丈に震える手を隠しているリリーナは、しかしまっすぐにシスティナの瞳を見つめていた。
アインズ公爵家の長女システィナは、社交界ではちょっとした有名人だ。天真爛漫というかお転婆とでもいうのか、とにもかくにも口が達者なレディだ。脊髄と口が直結しているとでもいうのか――あまり思慮深くなく、物事を口にしてしまう悪癖がある。
貴族令嬢としては致命的な欠点ではあるが、しかし彼女は何かと味方が多い。どれだけ失礼なことを口にしても悪意がないことが分かるからなのか、公爵家の明るい光に集う蝶のごとく、令嬢たちがもてはやしているのだ。
「わたくしが謹慎中に、人の婚約者と競技会のチームを組むだなんて。何ってこと!」
びしっと、システィナは扇子をリリーナに向けて、はっきりと言い切った。
ひゅー、と風が静かに中庭を駆け抜けていく。此度の謹慎は、事情が事情であるだけに、決して胸を張れるものではないのだろうが――。
何せ、此度の謹慎の対象は「国家反逆罪未遂」である。出所の不明な非公開情報を鵜呑みにし、広めたことは、流していい噂かどうか、裏を取る下調べを怠ったことに他ならない。
他人の恋愛沙汰や泥沼の修羅場の様相など、裏を取らずとも流せる噂と違い、明らかに何かしらの制度・法案の変更などは、情報として手に入れた場合は、他者に流す前に裏を取ることがほとんどだ。
そうしなければ、今回のような大事件に発展しかねない。貴族家は自衛のために、それを怠ってはならない。
もし知ってしまっていたとしても、自分までで留めて、公表まで口にしなければ罪に問われることはないだろう。知ってしまうことは時に不可抗力となり得るからだ。
その裏取りをせずに、デモなどという事件に発展したからこそ、今回のような処置になったのだ。
「殿下やベルローズ様と組まれるならばまだいいわ。わたくしの婚約者は優秀な魔術師ですもの。殿下の護衛に選ばれるなんて光栄なことではなくて? ですが、あなたのような男爵家の娘がすり寄っていい相手ではなくってよ。恥を知りなさい!」
「…………」
アルシェスタとしては、複雑な心境だ。オーエンの方から声を掛けて来たのを目の前で見ていた。今回のことはリリーナの提案ではなく、オーエンの提案だからである。
だが、システィナの行動自体も、婚約者として相手に釘をさす行動としてはそんなに変な行動ではない。自分の身分の高さをアピールし、婚約者と恋愛関係に発展する相手に牽制をする。
婚姻後のトラブルを避けるためにも、恋人などいない方がいいのは事実だ。それを許容する人間がいるのも確かではあるが。
(ただ、この公の場でやらなくていいことではあるなぁ)
アルシェスタは片腕を背中側に隠して、軽く指をくいっと引いて、影の魔術を展開する。
アルシェスタの魔力がシスティナの影に入り込むと、アルシェスタはそのまま軽く指先を動かした。
(こしょこしょ……こしょこしょっと)
すると、離れた位置にいるシスティナが、突然びくっと体を捩らせて、けらけらと笑い始めた。
「や、やだ! 体が何だかむずむずするわっ! きゃっ! あははっ! あははっ!」
「シ、システィナ様!? 大丈夫ですか!?」
「ご、ごめんなさい! ちょっと失礼するわね! どうしたのかしら、突然体がかゆくって!」
「シ、システィナ様~!」
システィナは取り巻きに支えられながら、その場を立ち去って行った。リリーナはしばらくしょんぼりとしていたが、やがて次の授業のことを思い出したのか、慌てて立ち去って行った。
「アインズ公爵令嬢ったら、相変わらず破天荒ね。嵐のように去って行ってしまわれたわ」
「賑やかな方でいらっしゃるわね。キングレー様、さ、行きましょう」
「ええ……」
アルシェスタは淑女の微笑を返して、その後をついていった。
まるで、何事もなかったかのように、何食わぬ顔をして、教室へと向かう。
影魔術は汎用性がある。影に干渉するこの魔術は、追跡や感覚への軽い干渉など、闇魔術の派生とは思えないほどの融通が利くのである。
アルシェスタが最も便利に使っているのがこの属性の魔術と言ってもいい。ただ、闇属性の派生魔術なので、おいそれと大っぴらには使えないことだけが欠点だが――影に魔力を潜ませて干渉するこの魔術は、隠れて使うのにはもってこいだ。
そんなこっそりとした魔術を使わなければ干渉できない理由が、システィナの方にはあった。
アインズ公爵――魔術師局長は、キングレー伯爵家に対して、恐らくあまり良い想いをしていないということだ。
それは、今、領地で進んでいるとある王家からのプロジェクトが関係している。
魔術学院。それは、国内にあったようでなかった、国の公的な機関だ。国内外から至高の魔術師を教師として招き、国内外の12歳から22歳までの幅広い年齢層の子どもたちを、立派な魔術師として育てるプロジェクトである。
12歳から15歳までの中等部は、魔術の基礎や日常的に使える魔術の習得を目標に。15歳から18歳までの高等部では、国に仕える魔術師の輩出を目指して。そして18歳以上の大学院では、学術的レベルの研究を目指し、国の研究者を集めて、さらなる魔術・魔道具の開発を目指して、国の発展に寄与する研究施設としての期待もある。
これらは全て、宮廷魔術師で、アインズ公爵と対抗派閥となる者らが王家に奏上し、正式に国からの依頼として、港の整備が進んでいてかつ、交通が最も整っているキングレー伯爵領に学院を置くことに決めたのである。
公爵かつ魔術師局長として、国の魔術師の中でも最も権力を持つアインズ公爵にとって、自分以外の人間が、国の魔術の発展のためにと立ち上げられたプロジェクトの中心にかかわることを良しと思わない。
それ故に、今、アインズ公爵家の縁ある人物とかかわりを持ち、難癖をつけられるわけには行かないのである。
何せ、魔術学院は来年度より入学希望者が集い、中等部・高等部・大学院でそれぞれすでに定員分の名簿が埋まっているからだ。この計画は今更頓挫することなど許されない。
では、アインズ公爵家に弱みを見せればどうなるのか。それすなわち、領主の地位の簒奪である。
キングレー伯爵家に瑕疵があることを認めれば、現在のキングレー伯爵領の運営権が、魔術師の教育に造詣の深いアインズ公爵家に与えられる可能性もある。
流石に、そこまで大胆な策謀をするとは思えないが――若干の確執があるのは事実だ。無暗に煙を立てるつもりはなかった。
――だというのに。
「やぁ。こんなところで会えるなんて運命かな。美しい海の妖精さん」
この軽薄男は――アインズ公爵家の姫を娶るグラスティケイト侯爵家長男は、そのようなアルシェスタの想いなど無視して、気さくに声を掛けてくるのだ。
「ご機嫌麗しゅう。グラスティケイト卿。では、急いでいるので失礼いたします」
「ちょ、ままま。待ってって。えっ。キングレー嬢って前から思ってたけどオレのこと嫌い?」
「いいえ?」
「だったら、ちょっとだけでも話聞いて。リリーナのことなんだけど」
アルシェスタは凪いだ海のような平坦で静かな微笑を浮かべて、オーエンに無言の圧を掛ける。
しかし、リリーナのことだと言われれば、思わず足が止まってしまうのも事実だった。
オーエンは朗々と語る。どうやら、リリーナは思うように魔術を使いこなせなくて、かなり苦しんでいるとのことだ。光属性の魔術はかなり制御が難しいらしく、壁に当たって落ち込んでいるそうだ。
「魔術理論は完璧なんだ。組み上げた数式はあまりにも美しくて、まるで楽譜のように綺麗なんだ。でも、いざ発動させようと思うと、何故かうまくいかない。魔力が足りないのかと思えば、そうでもない」
「グラスティケイト卿ほどの御方がそのように仰るのならば、そうなのでしょうね。では、ほかにはどのような要因が?」
「昔読んだ論文に、こんな話があった。魔術は感情の大きさに影響されると」
感情。随分と曖昧な言葉だ。感情というのは、人間が生活の上で生み出す、あらゆる心の機微のことを指す。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ――そういった感情は、理論の上では考慮されないことがほとんどだ。
たとえば、物理学の数式に、リンゴが木から落ちるのを見て、思ったよりも早いと趣を感じるような感情は考慮されていない。
けれどオーエンの言うことには、魔術理論においては、完璧に敷き詰めたはずの数式が、感情によって影響を受けるケースがあるという。
「数式というよりは、魔力を込める過程の問題なのかな。いや、それだけじゃ説明がつかない現象もいくつもあるが」
「魔術師である卿がその事実を認めるのは、歯がゆいのではありませんか」
「仰る通り。でも、それで説明がつかないからこそ、魔術は既存の学問よりもさらに難しくて面白い。リリーナは、オレが声を掛けても、自分の悪いところを責めるばかりでね。何度も、焦る必要はないと声を掛けているんだけど、聞く耳持ってくれなくて」
リリーナには、どうにも自分で抱え込んでしまう癖がある。この世界には、自分一人でどうにもならないことなんて溢れかえっているのに、周りを頼ろうともなかなか思わない。
解決することで自分に利がある事象においては、そのためには他力本願も厭わないアルシェスタとは大違いである。
「そこで、君だ」
「私ですか?」
「君はさ、リリーナが一人ぼっちだったころから、ずっと一緒にいてあげてくれたんだろう? 彼女は君の話をよくするんだ。よほど嬉しかったんだろうね」
リリーナがアルシェスタに対して抱える感情が大きいことは分かっていた。彼女の尊敬や友愛が伝わる文面を、何度か目にしたことがあるからだ。決して本人の前では言えない秘密だが、アルシェスタ自身もリリーナを愛しく思っている。
「残念ながら、彼女だけのモノになれないオレでは、メンタルケアが不十分みたいなんだ。他力本願でかっこ悪いけど、この学院でそれができるのは君だけなんじゃないかって思ってね。彼女、今訓練場できっと一人で抱え込んでるから……ちょっとだけ、話聞いてあげてくれない?」
オーエンはそう告げると、ユーウェルを城まで送ってくると告げて、その場を立ち去って行った。これ見よがしなウインクを、一つ残して。
システィナの婚約者であるオーエンとあまり関わりたくはない。それでも、アルシェスタは訓練場へと足を向けた。
頑張る少女を、応援するために。




