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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 第一学期篇 かくして不良娘は運命に巻き込まれていく
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39. 隣国の王弟

 魔術競技会まで、あと一週間というところ。

 謹慎していた貴族たちが学院に戻って来て、学院は元の姿を取り戻しつつあった。しかし一つ違うのは、以前までは時間を使って下級生・下位貴族・平民たちをいびっていた貴族子女たちが、初夏の節の末ごろにある定期考査で名誉回復を図るため、死に物狂いで勉強をしていて、そのようなことをしている暇がないとか。

 上位クラスに不正で入っていた一群だ。成績の掲示がある次回の考査でいい成績を残せなければ、恥を晒すこととなる。

 親から厳しく言いつけられた子女たちは、授業が終わると早々に家からの迎えが来て、家庭教師につきっきりで学習を進めている最中だとか。


 どちらにせよ、魔術競技会に参加する貴族は減った。むやみに平民を脅して自分の成績を誇張する貴族の母数は減るだろう。――根絶されるとは、言い難いが。


 アルシェスタは、今日も訓練場で、二人の様子を見守りながら、軽く魔術の鍛錬を行なっていた。

 しかし、訓練を初めて三十分ほどした後、騎士団からの使いが来て、イルヴァンは騎士団本部に向かうこととなったのだ。


「ごめん、シェス、ジェフ。急な呼び出しみたいで」

「ああ、構わない。騎士団からのお呼びとあらば行くしかないだろう」

「うん。悪いけどジェフ、シェスのことを頼んでもいいかな」

「……分かった。責任を持って、家まで送るよ」


 イルヴァンの過保護は、あの事件以来まだまだ続いている。最近は家に送るまでは安心ができないようで、家まで送って、最近変なことがないかを確認されてから、帰っていく。

 襲撃事件は、確かに命の危機がある重大な事件だ。しかし、ここまで過保護になられると、それはそれで息が詰まる。

 曲がりなりにも隣国の王弟にまでそのような手間をかけさせるなんて、イルヴァンは一体何を考えているというのか。


 アルシェスタは困ったように微笑んで、ジェフリーを見上げた。


「――申し訳ありません、殿下。イルヴァンったら、殿下が隣国のやんごとなき王族であることを忘れていらっしゃるのかしら」

「いや、いいんだ。君にもイルにも、随分と助けられている。恩義くらい返すさ」

「しかし、王弟殿下にそこまでしていただくわけには」

「私がここで君への責務を放棄したら、私は親友を一人失うことになる。イルの信用を損ねたくはないよ」


 ジェフリーは赤茶色の髪を揺らしながら、穏やかに微笑む。彼は実にスマートに、アルシェスタに気を遣う必要はない、と述べるのである。


「立場上、学院で起きた事件については耳に入るのだが。君が殺されかけたと聞いた後、イルはしばらくピリピリしていたからな。私ですら、触れるのが怖かった」

「そんなに……」

「同級生ですら、下手に君の名を口にしようものならば、斬り殺されてしまうのではと思うほどの殺気だった……」


 あの時、イルヴァンからすれば、アルシェスタに近づく者全てを疑っていたのだろう。微かでもアルシェスタを気にする言動をすれば、片っ端から噛みつく猟犬のように。

 幼馴染が殺人未遂に合って気が立つ気持ちは分からなくもないが、アルシェスタにとってはそれほど珍しいことではなかった。幼馴染に秘密にして、危険なことをしている自覚はあるが――自分で選び取った生き方だ。イルヴァンに説得されたくらいで辞める気はない。

 心配性な幼馴染に心労を掛けないように、アルシェスタは裏で色々としていることを黙っているのだ。


「……私も、その話を初めて聞いたときは、信じられない想いだった。君が無事で何よりだ。優秀な護衛がいるんだな」

「はい。……貴族たる者、いついかなる時も、命を狙われる危険性を念頭に置かねばなりませんから」

「……いついかなる時も、か。この平和な国でも、君はそのような心持でいなければならなかったのか」

「光あるところに闇があるのは摂理です。……貴族の光の部分だけを見ていていいのは平民だけ」


 平民たちは、貴族たちは文武に優れ、豪華絢爛な暮らしをしているものだと思っている。

 けれど実際には、その裏では権力争いや泥沼の人間関係が広がり、少しでも足元を掬われれば栄華を失う。

 ほんの少し前まで、栄華を誇っていたヴァレリー侯爵家が、娘の稚拙な行いによって、足元を掬われたように。


「同感だ。この国の令嬢のほとんどは、それを分かっていないように思うが」

「まぁ。ごめんあそばせ、王弟殿下。我が国の貴族たちが、あなた様に随分とご無礼をしたようですね。国の伯爵家の娘の一人として、お詫び申し上げます」

「すまない。そのように聞こえたか……」

「……いいえ。きっと皆さまが聞かれたとしても、それほど思うところはないかと。私は、あなた様から横恋慕しているということにさせてほしい、と頼まれた立場ですので」


 ジェフリーが、この国との縁談を望んでいないのはほぼ確実だった。なにしろ、留学の貴重な一年間において、貴族女子との交流を望んでいないということなのだから。

 そうでなければ、わざわざ親友の幼馴染に横恋慕しているということにしてほしい、などという取引はもちかけられないだろう。


「すまないな。君には色々と、迷惑をかけて」

「ふふ。よろしいのです。私もイルヴァンも、この学院に入学した当時より、あなた様と同じような悩みを抱えておりましたから」

「この間のパーティーの時、信じられない光景が目の前に広がっていたな。仲睦まじい婚約者の男女にそれぞれ、異性が群がるという……あのような振る舞い、我が国の王族の前ですれば、まず親世代の物覚えが悪くなるが」

「たいへんお恥ずかしい限りです」


 曲がりなりにも、他国からの客人の前でそのような振る舞いを見せるのも、とても恥ずかしいことだ。

 国の貴族の子女たちの自意識はそこまで欠如していた。であるからこそ、ベルローズの是正は必要なことだったのだろう。

 ジェフリーと隣に座り、軽く魔術を慣らしながら、雑談をする。普段は真面目なジェフリーがこれほどやる気がないということは、本当に魔術が苦手なのだろう。


「なぁ、あれをやって見せて貰えないだろうか。君がいつも、私がイルと稽古をしているとき、後ろでよくやっているあれだ」

「ああ……もしかして、これですか」


 アルシェスタは氷の魔術を展開して、ダーツの矢を生成する。持つと少しひんやりとする矢は、しかし軽く魔力を指先に込めれば、普段握っているダーツの矢と遜色ない感触になる。

 それを見て、ジェフリーは目を輝かせる。「おお」と小さく歓喜の声を上げて、まじまじとアルシェスタの手元を見つめている。

 触ってみるかと問いかければ、ジェフリーは頷いた。アルシェスタは指先に魔力を集めることを勧めた後、生成した矢の一本を渡す。ジェフリーは、きらきらと輝く氷のダーツを前にして、まるで子どものように興奮している様子を見せた。

 アルシェスタは、彼の少し意外な一面を見た。


「アルシェスタ嬢は、確か娯楽の都のご令嬢だったな。ダーツも、得意なのか?」

「ええ。遊戯(ゲーム)は大好きです。こちらの貴族には偏見を持つ方が多いので、なかなか腕前を披露する機会はないのですが」


 アルシェスタは指先で軽く矢を握ると、遠くにある的に向かって軽く放り投げる。中央(ブル)に刺さり、きらりと氷の破片が零れ落ちる。ジェフリーがまた感心したような声を上げた。


「ダーツをやったことがないんだ。どうやるのか教えてくれないか」

「かしこまりました。では、まず構え方から」


 アルシェスタは、ジェフリーにダーツの投げ方を教えた。彼は筋が良く、集中力があったので、一度教えれば、かなりまっすぐに矢を飛ばせるようになった。初めてダーツに触れて、この距離から、的に当てられるだけでも十分な素質だ。


「お上手ですね。練習すれば、すぐに中央(ブル)に当たりそう」

「いや、なかなか難しいな……アルシェスタ嬢のようにまっすぐに飛ばない。君はさっき、モーションも大してなかったし、座ったままだったのに見事に当てていた」

「ふふ。ダーツに限らず、投擲(とうてき)が得意なんです。かなり正確に当てられると思います」

「あれを見せて欲しい。中央に、次々に矢が刺さっていくものを」

「かしこまりました」


 アルシェスタは再び氷でダーツの矢を生成すると、それを立て続けに投げた。元々刺さっていた中央(ブル)に、続いて三本が立て続けに刺さっていく。氷同士なので、ぶつかると微かに削れ、きらきらと氷の粒が大気を漂う。

 ジェフリーはそれを見て、思わずといった調子で、手を叩いている。何となく、彼が娯楽を自然に受け入れてくれるのが嬉しくて、アルシェスタは小さく微笑んだ。


「ジェフリー殿下は、遊戯(ゲーム)がお好きですか?」

「ああ。大好きなんだ。立場上、あまり大見得切って出歩いて、遊技場を回れないが」


 どこぞの大公に聞かせて差し上げたい、控えめな言葉だとアルシェスタは内心ため息を吐いた。

 ジェフリーの瞳は、輝くダイヤモンドの瞳だ。見ればすぐに高貴な人間だと、しかもこの色を持つのだから隣国の王弟だと分かる立場で、確かに気軽に遊びには出かけられないだろう。


「私は母の身分が低く、出身もあまり好ましく思われず、王宮内での立場が良くない。先の王妃殿下――つまり、今の王太后殿下からは、特によく思われていなくてな」


 隣国の状況については、軽くだが耳に入っている。下町には、噂を好む雀が多いからだ。

 王太后がジェフリーを疎んでいるのは、母の出自だけではない。自分の高貴な血からは、宝石の瞳を持つ王族が一人も生まれなかったにもかかわらず、ジェフリーがたまたま宝石の瞳を持っていたからこそ、彼を憎み、冷遇しているというのはそれなりに有名な話だ。

 現国王ももちろん宝石の瞳ではなく、国内の貴族の中に生まれた、希少な宝石の瞳を持つ令嬢を妃に迎え、王家に宝石の瞳の色濃い血を取り戻したいと願っているようだ。


「ただ、異母兄上は……母の意向とは正反対で、私のことを慮ってくれた。王宮内に味方がいない私にとって、異母兄上だけは、ただ一人……味方だったと言ってもいいかもしれない。あるいは、家族と」

「家族……」

「立場上、表立って私と仲良くはできなかったようだが、母や使用人の目を盗んでは、私を私室に入れて、よくチェスの相手をしてくれたんだ。少年時代は苦しいことも多かったが、異母兄上のお陰で、私は孤独を感じずに済んだんだ」


 アルシェスタは、無意識的に、自分の家庭と重ねた。

 明確に疎まれていた分、恐らくはジェフリーの方が苦しい環境にあったはずではある。しかし、母に望まぬものを押し付けられるという点では、少なくとも一致しているのかもしれない。


「私にとって、遊戯(ゲーム)はとても大切なものなんだ。駒を掴んで、異母兄上と相対している間は、自分の生まれも、身分も、苦しい現実も、全てを忘れて夢中になれた。異母兄上を負かすと、彼は少し機嫌を悪くしたが、次の機会までには学び、また私から勝ちをもぎ取った。そうやって切磋琢磨した時間が、私にとってはかけがえのない宝物だった」

「……遊戯(ゲーム)とは、公平なものですからね。同じテーブルを囲み、同じルールの下で遊べば、そこには貴賤も出自も関係なく、ただ一人の人として、娯楽に興じることができる」

「その通りだ。であるからこそ、私にとって、イルだけではなく、君と知り合えたことは、僥倖なことだったな。いつか、キングレー伯爵領に赴き、心行くまで娯楽に興じてみたいものだ」


 ほかの者には内緒だぞ、と少しだけ悪戯っぽく笑うジェフリーに、アルシェスタはおっとりと微笑み返した。

 その後も、魔術で遊びながら雑談をしていれば、すぐに下校の時間となり、アルシェスタはジェフリーによって、邸宅まで送られることとなった。

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