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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 第一学期篇 かくして不良娘は運命に巻き込まれていく
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36. 理想と現実

 迷いに迷った末、アルスは彼を、クラブ「アルカンシェル」に連れ帰ることにした。

 彼が、アルスの正体に勘づいていることを確信していたからだ。それならば、十分に口止めができ、逃がすことのない環境で話し合いに応じるべきだと判断した。

 馬車の中で、じっとこちらを見つめてくる視線を感じて、アルスは帽子を深く被りなおして、そっと目を逸らした。曖昧なダークグリーンの瞳が、夜闇の蠢きに応じて揺れるような動きを見せた。

 暗い街道を駆けてクラブへと辿り着くと、ジェームズに馬車の駐車を頼んで、アルスはヴィンスを連れて、クラブへと入った。

 応接室のうちの一つを開放して、ヴィンスをそこに入れると、扉をしっかりと閉めてから、ゆっくりとヴィンスの正面に腰を下ろした。


「それで、話って何? 言っとくけど、僕には君と話すことなんて何もないよ」


 心揺らすことなく淡々と、必要なことのみを絞って伝える。ヴィンスはその言葉に、一度臆したが、しかし、意を決したように、はっきりと告げた。


「あなたは……キングレー嬢ですよね。同じ、クラスの……」

「……誰かと勘違いしてない? 僕が貴族のご令嬢? 勘弁してよ」


 一度とぼけるのは、確認のためだ。

 これ以上踏み込むなら()()()()という警告である。

 アルスにとって、学院を卒業するまで、この裏の顔を大っぴらにしないのは、自衛や人脈作りのために必要な行為だ。学院を卒業し、領地に戻った後でも、しっかりと交流をしてくれる人脈というのは、表の社交場では作れない。

 だからこそ、アルスにとって、学院内で秘密を知る人間はできる限り絞る必要があった。こうしてよく見知った人間にバレてしまった以上は、誤魔化せるとは思っていないのだが。


 ヴィンスは小さく首を横に振って、胸の前で手をぎゅっと握り締めて、悲鳴のように告げる。

 あまりにも愛らしく、無謀な嘶きだった。


「あなたは、キングレー嬢です。間違いありません」

「……。はぁ……」


 アルスは指先で帽子をひょいっと取ると、ソファの上へとぽいっと放り投げた。それにより、隠していた顔が露になる。

 女性的に見えるのは、姿や髪、表情が淑女のそれであったからだと、ヴィンスは気づく。髪を短く切り、体を平坦にして男性用のスーツを着込み、仕草や所作・言葉遣いが紳士のそれとなり、何よりも淑女として表情を抑えるような真似をしなくなったアルスが、貴族の女性らしく見えないのは当たり前だったのだ。


 くしゃ、と整えていた前髪を崩す仕草は淑女のそれではなかった。そして、作られた髪でなされる仕草でもなかった。

 憂鬱そうに睫毛で瞳を閉じ込めたアルスは、耳についていた認識阻害の魔道具を外した。

 再び開かれた瞳には、曖昧なダークグリーンの揺らめきではなく、藍玉(アクアマリン)が輝いていた。

 それはヴィンスが見慣れた、海の色を持つアルシェスタの色と同一だった。


「委員長……」

「……。それで、話って?」

「その、お姿は……それに、何故、あのような場所に……」


 戸惑った問いかけは、切実さを孕んでいた。

 目の前に横たわった現実が、信じられない。その疑念の色をありありと表していたのを見て、アルスは面倒だと思った。

 身内の恥を、わざわざ外に晒す必要はない。貴族にとって醜聞は足枷だ。なるべく揉み消して、削減していくことには利がある。

 わざわざ、事情を知らぬ者に語る道理はない。だとするならば、アルスの事情を話すにはこういう形となる。


「見て分かんない? 夜遊び」

「……夜、遊び」

「そう。毎日、優等生や淑女を頑張っている自分へのご褒美。僕があそこの常連であるということは、見ていれば分かったでしょう?」

「……それは。確かに、皆さんは委員長のことをエースって……」

「そうだよ。僕はポーカーテーブルではそれなりに名の知れた賭け狂い(ギャンブラー)なんだ」


 優等生、淑女の鑑、万人の味方。

 そのように評され、そうあろうと背筋を伸ばし続けていた一人の少女が、裏で遊んでいたという事実。

 輝きにあてられていた一人の少年が、その事実を受け入れられるものだろうか。


 ヴィンスは俯いてしまった。そうして、小さくぷるぷると体を震わせている。

 瞳を片方開いて、ちらりと彼を見やれば、アルスは思わず内心ため息を吐いた。

 勝手な希望、勝手な期待、勝手な絶望、勝手な羨望――。

 全て、アルスにとっては無価値なものだ。重荷と言ってもいいかもしれない。


(――。グラッセ卿は、真面目な生徒だ。素行不良に関しては、教師に報告したっておかしくない。特に、失望を抱いた相手なんて、どうでもいいだろうし)


 さて、どう一手を打とうか。そう思って策を巡らせ始めると、急にがばっとヴィンスが顔を上げた。


「……か」

「……か?」

「かっっっっっっっこいい!」

「……ん?」


 ヴィンスはピンクブロンドを興奮したように振り、きらきらと顔を輝かせた。

 予想外の反応に、アルスはぴたりと動きを止めた。


 しかしヴィンスは拳を震わせて、興奮したように顔を赤くして、空色の透き通った瞳をきらきらと輝かせて、唐突に早口でまくし立てる。


「学院では非の打ちどころのない優等生でありながら、夜の街では負け知らずの伝説のギャンブラー!? そ、そんな、そんな物語の登場人物のような方を、目の前で見られるだなんて……!」

「……グ、グラッセ卿? どした? 壊れた?」

「す、すみません、つい興奮してしまって」


 胸の前でぎゅっと手を組む仕草は、大切な絵本を抱きしめるかのようだった。

 きつい決別の言葉でも貰うかと身構えていたアルスは、面食ったようにひくひくと唇の端を震わせていた。


「で、では、委員長は……キングレー嬢は、その、夜遊びのために姿を変えて、夜な夜なカジノに出入りしていらっしゃるんですか?」

「……うん。まぁ……そういう、こと」

「だ、大丈夫なんですか? キングレー嬢はお体があまり強くないのでは……」


 思わず、アルスの視線が宙を泳いだ。

 その様子を見て、ヴィンスは目を瞬かせると「ま、まさか」と小さく呟いた。


「……学院をよく休まれるのは、もしかするとサボりですか」

「…………」

「体調不良は……?」

「……二日酔い」


 素直に白状すれば、ヴィンスはがくりと肩を落とした。アルスはどっと疲れたように息を吐き出して腕をそっと組む。


「いや、だって僕、自分が病弱だとか言ったこと一度もないし。二日酔いを抱えたまま学院に行ったら体調が悪そうだって言い出したのは別の人だし」

「た、確かに……キングレー嬢が自分で体が弱いとか病弱だとか仰っているところは、言われてみれば聞いたことがないような……?」

「そう! だから勝手に失望すんの止めてね? 期待だとか、理想だとか……それって、抱える側のエゴじゃん。それが裏切られたからって相手が悪いって喚く奴がよくいるけど、勝手に押し付けておいて裏切られたからって失望しました! って厚かましくない? 何様って感じ」


 アルスにとって、理想の淑女であって欲しいという期待は、乗せられるだけ邪魔なものだ。

 淑女を演じるのは自分のためだ。誰のためでもない。領民たちを守り、自分自身が領地経営に務めるための策の一つだ。

 それを勝手に自分のためのものだと勘違いして、期待や理想を乗せられるだけ乗せられて、それが違うと分かれば被害者面をする。

 アルスの嫌いなタイプの人種だ。ヴィンスがそういうタイプでないことを、祈っていたのだが――。


「確かに、キングレー嬢の印象は、だいぶ独り歩きしているような気が……」

「良くも悪くも、平民に支持されたのが響いてるね。時々、女神様~とか言われるけど、はっきり言って誰? って感じ」


 思いのほか順応して、アルスの顔を受け入れ始めているヴィンスを見て、杞憂だったのだと安堵する。

 自分に被れる淑女の仮面の範囲での理想ならば勝手に言っていてくれて結構だが、それ以上の重圧を求められるなら、アルスは完全に無視を決め込む気でいる。


 しかしながら、とアルスは思う。予想と違うヴィンスの反応に、アルスは表面を取り繕うので精いっぱいだ。ある意味で、最も他人を色眼鏡で見ていたのはアルスだったのかもしれない、と思い始めていた。


 疑問が解消したところで、アルスはにこりと微笑んで、ヴィンスを見やる。


「……それで? グラッセ卿は、僕の秘密を知ってどうしたかったんだろうか」

「え? どう、とは」

「だって。警告を無視して僕との対話を求めたということは、アルスと知り合いになりたかったってことじゃないの?」

「……アルス」


 ヴィンスはぽつりと、アルスの名を復唱した。

 どこかの本で、芸術という意味を示す古代語だと読んだことがある。自分の名前の愛称としても使えそうな響きで、アルスは気に入っている。

 けれどアルシェスタにとって「女の子らしくない」という理由で、母に捨てられた名前だった。


「僕の名前はアルス。ACE代表にして、裏の社交場でそれなりの顔の広さと信用を持ってる。そんな僕の弱みを握ったんだから――何か、金儲けの話でもされるのかと」

「ち、違います……た、ただ僕は、委員長が何で裏カジノにいたのかを知りたかっただけなので……」

「そう。じゃあ、黙っててくれる? これあげるから」


 アルスがごそごそと鞄の中から取り出したのは、底の広い革袋だ。

 見た目からは感じられないとんでもない重さがあるその袋を、アルスは掛け声とともに机の上に置いた。


「よいしょ、と」


 じゃりん。がちゃがちゃ。

 革袋の中でせめぎ合うのは欲望の音だった。聞く人が聞けば、今のが硬貨がこすれる音だとすぐに分かる。

 ヴィンスも目を丸くした後に、恐る恐ると言った様子で、革袋の口を小さく開けて、中を確認する。

 そこには輝かんばかりの金貨の山がある。この国の通貨は、低い方から順に、銅貨、銀貨、金貨があり――金貨が1000枚分ともなると、そこで初めて紙幣という通貨の単位になる。

 人間が日常生活で使う金は、ほとんどが硬貨である。銅貨が1枚1ユース、銀貨が100ユース、そして金貨が1万ユース。

 1000万ユースからが紙幣となるが、そんな大量の金が動くのは貴族社会や、民間の商会でも大きな方の事業のみ。

 ざっと見積もっただけでも、その袋の中に入っている金貨は200枚を超えている。体感質量が20キログラム程度だ。


「こ――ここここここここここんなお金、受け取れませんが!?」

「ダメだよ。裏の社交場においては、非礼をした、あるいは口止めのためにはちゃんとけじめをつけるって決まりがあるんだから。裏の人間はね、口だけの約束なんて信用しないんだよ。だから、僕も君がちゃんとお金を受け取った上じゃないと、黙ってますなんて言葉は信用できない」

「で、ですが流石にこれは……こんな大金を、同級生から受け取るわけには……」


 ヴィンスは顔を青くしてがくがくと震えている。

 同級生から口止め料として積まれても、受け取りを躊躇う金額だ。金を積まれずとも、秘密を話す気がない人間にとっては、十分な重荷である。


「これは契約だよ?」

「契約……とは」

「これだけの金を掛けた契約なんだから、違えたら()()()()()よ? っていう」


 にこりと微笑む表情には、温かさの一切がない。ヴィンスはその時、アルスの顔に、裏の社交場の華としての風格を見たのである。


「僕のこと()()してくれるなら、受け取ってくれるよね?」

「…………」

「受け取ってくれないなら、こっちも色々考えなきゃいけない。たとえば――」

「……た、たとえば?」

「学院卒業までグラッセ卿は()()()()になるとかね」


 びくっと肩を揺らして、ヴィンスはふるふると首を横に振った。

 これが裏の社会の隣人たるアルスの、裏の社交場で力を持つ人間の、弱みを握るということである。


 行方不明、という文言を噛み砕いて、ヴィンスは少し浮かない顔をする。父のことを思い出しているのだろう。

 アルスはそれを見ると、小さく息を吐き出して、帽子を指先でひょいっと持ち上げて被りなおす。


「……お父さんのことは、騎士団の調査結果待ちかな」

「……はい」

「だったらグラッセ卿。猶更、手段を選んじゃダメだよ。君の目の前に積まれた大金の山、それを見事に使って、自分の家に押しつけられている醜聞を払って、父親の帰るべき場所を守るべきだ。そうだろう?」

「……。わ、かりました。頂戴、致します。あなたのことも、他言しません」


 しぶしぶといった様子で、ヴィンスは金貨の山を受け取った。ずしりと手に乗せられた重みが、そのままこの革袋の価値の重さだった。

 アルスは胸の内ポケットから名刺を一枚取り出すと、それをヴィンスへとひょいっと寄越す。ヴィンスは名刺に描かれた名前、商会名、拠点位置をまじまじと見つめて、顔を上げた。

 するとそこには、副委員長として業務をこなす中で、何度も助けを求め、導きを貰った、心強い委員長の顔があった。――あの時とは、少しばかり微笑の質は違うが。


「下町のちょっとしたとこに面倒事を頼むときは、その名刺を見せてみるといいよ。たぶん――面白いように力になってくれるから」


 ヴィンス・グラッセは尊敬するクラスメイトの正体を知ったその日、人脈を操る魔法の紙と、両手いっぱいに抱きしめられる金貨の山を手に、少し呆けながら、自宅へと帰ったのだという。

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