35. 勝者こそ絶対
アルスはごくごく自然に、偽グラッセ子爵がいるポーカーテーブルへと着いた。
エース、と小さく声を掛けてくる知り合いにひらひらと手を振って、アルスはテーブルの上に、大量のチップをそっと置いた。
偽グラッセ子爵の目が釘付けになる。
(エサは十分。あとは少しずつ情報を集めて、じわじわと追い込んでいけば……)
相手は、貴族の名を借りて、見境なしに借金をしまくっているとんでもない人間だ。
周囲の客と比べて、明らかに大量のチップを置いたアルスへ注目してくるのは間違いがなかった。
ディーラーが配った手札を確認して、アルスはポーカー・フェイスを保つ。偽グラッセ子爵は、明らかにアルスの動きに注視して、チップを引き出してこようとする。
(ガバすぎ、顔に出すぎ、軽率に賭けすぎ。すぐに、身ぐるみ全部剥いでやるよ)
心の中で物騒なことを思い浮かべつつ、アルスは男が嘘の匂いを蔓延させながら積んできた攻撃的なベットに対して、チェックした手をそっと返して、偽グラッセ子爵が積んできた四倍のチップを積み上げる。
チェックレイズ。それは、アルスが容赦なく相手を叩き潰すときにだけ使う手だ。
自分の手の内を見せずに、調子づいた相手のベットを利用して、掛け金を大量に吊り上げる行為。
アルスがチェックレイズをするときというのは、触れてはならぬ時だ。
エースのことをよく知っている客たちは、このピンクブロンドの男が、アルスの何かしらの逆鱗に触れている男なのだと理解すると、無理に勝負には乗らずに手札を捨てて、成り行きを見守った。
偽グラッセ子爵は、テーブルの中央に積んだチップに目が眩んで、自分のチップを六割ほど使って、コールを宣言した。
「ストレート」
しかし、アルスの手は、偽グラッセ子爵のツーペアよりも遥かに強い。
偽グラッセ子爵が忌々し気に睨んでくるのを、顎をしゃくりあげて挑発すれば、彼は次の勝負で、オールインを宣言してきた。
彼にとってのオールインも、アルスにとってははした金。それに何よりも、ラッキーナンバーはすでに手中にあった。
アルスは当たり前のように、迷う暇もなくコールで答える。ほかの客たちは水を差すような真似もなく、二人の勝負を見守った。
A7とJ9の勝負。テーブルの上には、鮮やかにAが返った。ぱちぱち、と拍手が巻き起こる。オールイン勝負に勝った、アルスへの賛辞だった。
偽グラッセ子爵の手元にあったチップが、全てアルスの手元へと移動する。すると、偽グラッセ子爵は、腕を振るわせながら、声を荒げた。
「イカサマだ!」
叫び声は、フロアに静かにこだました。しん、と客たちが静まり返り、続いてワンテンポ置いて、ひそひそと話し声が聞こえる。
イカサマだ、と叫ばれれば、多かれ少なかれ、まさかという疑惑の声が、広がっていく。
ただし、相手がアルスともなれば、客たちはもうすでに、手慣れた様子で話す。
「エースに向かってイカサマだなんて……」
「前にそれを叫んだ奴は、何一つとして証明できずに、懲罰房に連れて行かれたよな……」
誹謗中傷、根拠のない名誉棄損は、十分に精神的傷害行為に入り、このカジノでは重く見られる違反行為だ。
相手へのリスペクト、気遣いで、ともに遊ぶ人間と、気持ちの良いゲームをできるように。
それが、このカジノの理念だからだ。暴言行為も、立派な厳重注意行為に当たる。それが、禁止行為であるイカサマの言いがかりならばなおさらだ。
「ふぅん……僕がイカサマ、ね。証拠は?」
「こ、こんなにうまくカードが返るなど、何かしているに違いない! 調べれば出てくるだろう!」
「だから、何を調べるっての? イカサマの方法は? 協力者は? 何時何分何秒? 何枚目のカードが返ったとき?」
「……っ!」
この裏カジノでのイカサマ対策はかなり万全だ。ディーラーがイカサマに加担させられないように、ディーラーたちは動物を模した白銀の高価な仮面を被って、カードを配っている。個人情報の保護対策は、運営側で万全にされている。
そして、イカサマの判定員は、実は客側にも存在する。その客人たちは、イカサマを絶対にしないという裏カジノからの信用を得て、数々の特権を享受できるようになっている。その客人こそが、ブラックカードを持っているのだ。
「まさかとは思うけど、二回連続で勝った程度でイカサマだって突っかかって来たの? 何それ、ウケる。ただの子どもの我儘じゃん」
「何だと……ッ!」
「僕が勝てませーん! だからあいつずるしてまーす! って大人に言ってんの。あんたがしてんのってそういう行為なワケ。大体、ちょっと格上の相手に当たったくらいでズルしてるイカサマしてるって喚いて恥ずかしくないわけ? この裏カジノにおいて、イカサマってどんなにヤバイ行為か分かって言ってんだよね? 入場の時にちゃんと説明受けたよね?」
アルスはテーブルから離れて、偽グラッセ子爵の傍へと歩み寄った。自分よりも頭二つ分ほど上背がある男を見上げて、アルスは侮ったように顎でくい、と嘲り、微笑んだ。
「本カジノにおいて、イカサマをされたお客様は、今後一切の当店への出入りを禁じ、懲罰房へと入れた後、然るべき場所へ引き渡させていただきます。もしもイカサマをしている人間を見つけた場合、慌てず騒がず、近くの係員にお伝えください。間違っても、本人への指摘は避けてください。なぜなら――」
アルスは丁寧につらつらと説明をした後で、びし、と偽グラッセ子爵へと人差し指を向けて、不敵な笑みを浮かべ、堂々と突き付けた。
「イカサマをしていることがバレた人間が、その証拠を隠そうと動いては面倒だからです。ですので、どうぞイカサマを見かけた場合は店側へ相談し、ご自分での言及は避けてください。ただし――言いがかりでのイカサマ行為摘発の場合、被害者側の名誉を守るため、然るべき処置をさせていただきます」
もちろん、店側の条文をそのまま読み上げているわけではない。ただ、アルスが噛み砕いた文章は、十分にこのカジノにおけるイカサマの卑劣さと、他人を安易にイカサマだと断じる行為の愚かさを伝えていた。
「丁寧に説明して貰ったのに、忘れてたわけ? で、僕を何の根拠もなしにイカサマだと摘発したわけだ。ほら、証拠、出してよ。ほら」
「……ぐ……」
「ま、出てくるわけないんだけどね。だって、僕は勝利の女神さまを信じてるだけだもの。あは、それにしても、この僕をイカサマ呼ばわりか……ちょっとおイタが過ぎたね。大丈夫だよ、このチップは、あるべき場所に返しておくからさ」
「な……貴様、何を知って……ッ」
語るに落ちるとはこのことか。アルスはにんまりと笑うと、そうそう、と告げて、指先を、ゆっくりと髪へと移動させた。
「そのピンクブロンド、似合ってないよ。発色が不自然過ぎる。作り物の髪を作るなら、もっと気を遣わないと」
そう告げれば、男は途端に血相を変えて、アルスへと掴みかかって来た。その拍子に、ひらりと帽子が床へと落ちる。
しかし、その直後、壁際に控えていたはずの黒服たちが群がってくると、偽グラッセ子爵を抑え込んで、床へと叩きつけた。その拍子に、ずるりとピンクブロンドの鬘が取れた。その奥からは、ありふれた茶色の髪が覗く。
「黒服。そいつ、貴族籍詐称罪をしてる。グラッセ子爵は、珍しいピンクブロンドの髪を持つ騎士なんだ。つい最近、その男がグラッセ子爵の名を名乗って、周囲の客に迷惑行為を働いているのを目撃しているよ」
「監視映像を確認します。ご協力感謝いたします」
「クソッ! 離せ! 離せッ!」
偽グラッセ子爵は、そのまま黒服たちによって懲罰房へと連れて行かれた。駆け寄ってきたトーマとテオドールに、軽く促す。
「支配人には口を利いといてあげたから。あとはそっちの領分」
「ああ、ありがとな。この恩はいつか返す」
トーマとテオドールは一礼を済ませると、黒服たちと共に懲罰房へと向かった。アルスはゆっくりと息を吐き出して、肩の力を抜いた。
その直後。背後から、か細い声が聞こえて、アルスは漠然と女性かな、と思った。
「あ、あの……これ」
「ん……ああ、ありがと……」
帽子を拾ってくれた人物を見て、アルスは少しだけ言葉を詰まらせた。そこに立っていたのは、ヴィンスだったからだ。彼とは、顔がしっかりと見える距離感で、向かい合っている状態だ。
彼の目が小さく見開かれたのを見て、アルスはそっと帽子を受け取ると、素早く被りなおして、背を向けた。
(しまった……気づかれたかな)
まぁ、今の一瞬くらいなら――そう思いながらポケットに手を突っ込めば、周囲から騒ぎを聞きつけてアルスに歩み寄って来た紳士淑女たちが、アルスを気遣ってくれた。
「アルス、大丈夫だったかい。全く、常識知らずな御仁だったね」
「このカジノのことを知っている人ならば、エースがイカサマをしているなんてありえないと分かっています。まったくもって馬鹿馬鹿しいですわ」
「お気遣いありがとうございます。残念ながら、勝利の女神に愛されている身として、あの手の言いがかりは慣れておりますので」
「あのような陳腐でセンスのない言葉を使わなければ、エースの実力を認めることも出来ぬ御仁を心底軽蔑いたしますわ!」
「まぁまぁ」
アルスの本質を知っていれば、イカサマなどという言葉は出てこないだろう。金をばら撒いて、ただ遊戯を楽しみたいだけのクソガキなのだから。
やがて、しばらく彼らの相手をすれば、それぞれが自分のテーブルへと戻っていった。捌き切った後で、小さく息を吐き出すと、その人物の気配が、まだ背後にあったことに気づいて、アルスはそっと振り返った。
ヴィンスは、何かを考えこむようにして、ずっと俯いていた。アルスはこれ以上関わるのも怖い気はしていたが、彼とは無縁だったはずの場所で、彼を一人ぼっちにしてやるのも何だかかわいそうな気がした。
「――探し人には会えたのかな」
問いかければ、ヴィンスは顔を上げて、小さく声を上げた。瞳を揺らしてアルスを見つめると、ゆっくりと頷いた。
「……はい。父ではなかったことと、父を名乗って悪質な借金を作り上げていたのがあの人物だということは」
「……それは、お気の毒に。まぁ、たぶん……あの人たちは第一騎士団の中でも、自分の正義を持っている人たちだから、任せておいて大丈夫だと思うよ」
「はい。ありがとうございます」
これで、事態が好転すればよいのだが。アルスはそう思いながら、口元で小さく笑って、帽子越しに彼を見上げた。
「外まで送って行こうか。もう、このカジノに用事はないでしょう。君のような、若い貴族の子息が、あまりこういうところに身分も隠さずに出入りするものじゃないよ。誰かに見つかって、噂話される前に、とっとと退散した方がいいんじゃない?」
これは本音だった。彼のピンクブロンドは非常によく目立つ。知識がある者が見れば、彼が一目でグラッセ子爵家の人間だと分かるだろう。
彼の祖母である異国のオペラ歌手が、この見事なピンクブロンドを持っていたのだ。異国には大きな身分の違いはなく、平民でありながら、彼女はしっかりとした倫理観と教養の持ち主であったため、貴族文化への順応も早かった。
社交界では、その美貌をよく遠巻きに羨ましがられていたと、誰か――恐らく母――が話していた。ヴィンスは、男性でありながら祖母の珍しい髪色と、美貌を受け継いでいる。
この裏カジノは紳士淑女の集まりとはいえ、時折先ほどの男のような無作法ものも混じることがある。彼をこの遊び場で見つけたと吹聴する人間も、いないとは言い切れない。
貴族ならば、リスクのケアはすべきだ。そう思って促したのだが――彼は、真摯な瞳を向けて、あるいは小動物のような庇護欲を誘う視線を向けて、はっきりと告げたのだ。
「……お話を、させていただけませんか」
そのごくごく真剣な瞳を見て、アルスは内心、ため息を吐いた。
(あ、これバレたわ……んー、どうしよう……)
悩みが尽きないまま、アルスは少し考えた後、ヴィンスを連れて、裏カジノを脱出したのだった。




