34. クラスメイトの家庭内事情
アルシェスタのクラスメイト、ヴィンス・グラッセは、生徒総会騒動から――より正しく言えば、創立記念パーティーの数日後から、休学していた。
創立記念パーティーの数日前、ヴィンスと最後にまともに言葉を交わしたとき、彼は足や上半身に怪我を負っている様子があった。
であるからこそ、何か厄介ごとに巻き込まれているのでは、とは思っていたのだが――。
(……親の散財のせいで、借金取りにでも乱暴をされたか? それとも……)
目の前で、スロットマシーンを回す男からは、何となく違和感を覚える。
髪色こそ、ヴィンスと同じ珍しいピンクブロンドだが、少し発色が不自然だ。もう少し近くでみなければ分からないが、鬘である可能性もある。
(イルヴァンに、グラッセ子爵のことを聞いてみるか。それと……少しだけ、調べてみるか)
厄介ごとは御免だ。しかし、ヴィンスは顔見知りのクラスメイト程度の仲ではない。
学院では自分を慕い、第一学年の頃、副委員長として傍で支えてくれた恩もある。
(だから、ほんの少し節介を焼いてもいいよね)
アルスはそんな言葉を、心の中でそっと呟いた。
◆◇◆
「グラッセ子爵? どうしたんだ、急に」
「ああ……うん。うちのクラスのグラッセ卿が休学しててさ。家でなんかあったのかなって思って」
次の日、学院へ向かう馬車の中で、アルシェスタはイルヴァンに、グラッセ子爵のことを尋ねてみた。
しばらく、イルヴァンは不思議そうに、そして何となく不満そうにしていたが――しかし、アルシェスタの顔を見て、小さく息を吐き出すと、腕をそっと組んで、思い出すように告げた。
「グラッセ子爵は、なんていうか……すごく、騎士って感じの人だよ。弱きを助け、強きをくじく。貴族の騎士って、ほんとピンキリでさ……身分ある人物の力になるときにしか、やる気を出さないなんて連中は山ほどいるんだ。平民が目の前でスリに合っても無視したりとか」
「うわ、出た出た。税金泥棒」
「身も蓋もないけど、まぁそんな感じなんだろうな。でもグラッセ子爵は、すごく誠実な人で……困った人がいたら、無条件に手を差し伸べるような人だよ」
ふむ、とアルシェスタは顎に手を当てる。
どう考えても、昨夜裏カジノで見た御仁と、人物像が重ならない。なぜか、と問いかけても、あまり答えは出ないのだが――。
「でも、たぶんグラッセ卿が家に籠ってるのって、あの件だよな……」
「あの件?」
「……情報が錯綜しすぎててよく分からないんだけど、実は数週間前から、グラッセ子爵が出勤してないんだ」
第二騎士団での勤務を、ここ数週間怠っている。
先ほどの人物像を聞く限り、理由もなくサボりをするような人物には思えなかった。
「……臭いな」
「あのさ、シェス? クラスメイトのことが気になるのは分かるけど……危険なことはしないでくれよ」
「分かってる分かってる」
「……分かってなさそう……」
イルヴァンの胃痛から目を逸らして、アルシェスタは頭を回し始めていた。
やっぱり、この一件には何か裏がある。そう思わずにはいられなかったのである。
◆◇◆
支配人室で調査結果の報告書を見やりながら、アルスは思案する。ヴィンスから聞いた言葉の節々から、家庭内事情を推察する。
まず、間違いなく、第二学年に上がったとき、ヴィンスの家庭環境は健全だったはずだ。
(父母から上位クラスに入ったことを喜ばれ、綺麗な腕時計を買って貰ったと聞いた)
その時は、父母の人物像までは分からなかった。しかし、イルヴァンから聞いた情報を統合すれば、少なくとも父は、誠実で好ましい人柄――確かにそう思えた。
経済状況の逼迫もなかった。ヴィンスはアルシェスタが娯楽の都の娘であることを慮り、実際に娯楽に触れて、よくその感想を伝えてくれた。
共通の話題として、話していてとても楽しかったのを覚えている。つまりは、娯楽に興じることができる程度には、グラッセ子爵家は経済状況が悪くなかったはずである。
ここまでが、アルシェスタがヴィンスと実際に言葉を交わして、推察できるグラッセ子爵家の家庭内事情だ。
そして、この報告結果こそが本命だ。アルスは机の上にどかっと足を乗せながら、報告書を惰性でめくり始めた。
「子爵は失踪、そして母は心を病み家に引きこもり、連日訪れる身に覚えのない借金取りの対応を、グラッセ卿がしている、か」
裏の社交場の友人の紹介で知り合った私立探偵だ。金さえ積めば仕事は確かで、口も堅い。
彼の調査結果報告書には、どうやら表の世界で騒がれているのとはまるで違う事情を訴えているようだ。
「ただ、グラッセ卿が優秀なのが幸いだったか……担保が入っていない借金に不信感を覚えて、法的な対処を取ろうと善処してる。なるほど……それで、一度実力行使されて、あの怪我なのかな」
ヴィンスの家族構成は、父母と子息が一人、つまりヴィンスだけだ。祖父母はとっくに田舎に隠居しているらしい。
失踪した子爵、現れた借金取り、そして裏カジノで「グラッセ子爵」を名乗り、散財している、子爵とはかけ離れた印象の人物。
これらが指し示す事実は――そこまで考えたところで、支配人室のドアがノックされたので、アルスはそっと足を降ろした。
「どうぞ」
「失礼します。支配人、第一騎士団の方々がお見えです」
「うん。どうぞ、通して」
トーマとテオドールの訪問があり、彼らを支配人室へと通すと、ソファへと腰かけさせる。
コーヒーを淹れて二人の目の前へと置いて、アルスは上座へと腰かけた。彼らは少し疲れているようにして、軽く肩を動かしている。
「嬢ちゃん。聞きたいことがあるんだが」
「……うん。どうしたの?」
「いや、な。裏カジノにいる人間って、時々騎士団の懲罰房に上がってくるんだが……あれは、何をすれば送られるんだ?」
変な質問にそっと首を傾げながらも、アルスはコーヒーのカップを傾け、苦い液体を飲み込んでから、口を開いた。
「ご法度行為は色々あるけど、一番分かりやすいのは傷害かな。暴力沙汰を起こしたら、支配人の権限で、すぐに騎士団に引き渡されてそのまま処罰されるって聞くよ」
「なるほど……ほかには?」
「イカサマやってることが証明された場合もそう。大体脅迫とセットだからね。貴族でも例外なくしょっ引かれてる。この辺は、一回やらかすと二度と裏カジノに入れなくなるよ。あとは……少し前に、盗品を持ち込んできた闇業者がいたんだけど、盗品をチップに変換して遊ぶような行為も、もう二度と外の空気を吸えなくなるねぇ」
なるほど、とトーマとテオドールは頷いた。何がなるほどなのかは分からないが、一体なんだというのか。
そう思っていると、トーマはゆるりと頭を下げる。
「嬢ちゃん、頼む。もう一度、俺らを裏カジノに連れて行ってくれねぇか」
「なるほどね……深くは聞かないけど、お望みの相手は見つかったのかな。まぁ、そういうことならいいよ。今度の潜入はいつ?」
「早ければ今夜」
「オッケー。最近ちょっと時間に余裕を持ってるから、付き合えるよ。良かったね」
アルス個人としても、気になることはある。今日もあの人物が来ているかは分からないが、しかしもしもいたのならば、もう少し注意深く観察してみよう。そう思ったのだ。
アルスは男装を済ませて、近くの宿で着替えてくるとクラブを出たトーマとテオドールと合流し、裏カジノへと向かう。
古びた宿屋街の中、さらにおんぼろな宿の扉を開けると、目の前に、ピンクブロンドがさらりと流れた。
「――お願いします。どうか、どうか……」
「ダメだ。うちは完全会員制でね。どこから聞きつけたかは知らないが、会員証がなければ通せないんだ」
そこには、ヴィンスの姿があった。少し質素な礼装姿は、貴族の子息のものとは思えず、しかしギリギリ裏カジノのドレスコードを満たしている。
どこかやせ細ったように見える枯れ木のような腕と、こけた頬。肌色は少し白く、体調が悪そうだ。
けれど、忙しなく動き回ったのか、目の下には痛々しい隈が覗いている。
そんなヴィンスが、受付の男と言い争っている。アルスはあっけに取られていたが、すぐに帽子を深くかぶりなおした。
(まずいな……流石に、グラッセ卿相手だと感づかれるかも)
アルスは男装をしてがらりと雰囲気を変えているものの、容姿は簡単なメイク以外はいじっていないのだ。
ほぼ毎日顔を合わせていたヴィンスを相手にすれば、流石に誤魔化しきれないかもしれない。週に一度会う程度の相手ならば、気づかれないかと思うのだが。
(けど、グラッセ卿が裏カジノに用事――間違いなく、例のグラッセ子爵を名乗る相手に用事があるってこと)
失踪した父の噂を聞いたのか、それとも子爵の名を使って借金をしまくっている相手を突き止めて来たのか。目的は分からないが、残念ながら、このままでは門前払いだ。
裏カジノに踏み入るならば、それなりの代償を支払わねばならない。
――普通の人間なら。
(まぁ、リスクはあるけど……それより、僕の関心を満たしてくれる相手だ。ノるか反るか、価値はある……うん、決めた)
アルスは帽子を深くかぶって、顔をあまり見せないようにしながら、受付で騒いでいる二人の元へと近づいた。
「何を騒いでるの?」
「あ、ああ、アルスさん! こんばんは。今日もお連れさんは……多いですね」
「うん。今日もとりあえず、三人分よろしく。そっちの彼は……」
「ああ、裏カジノに入りたいって言うんですが、会員証をお持ちでないので、お通しできません」
ヴィンスの視線は、アルシェスタよりも頭一つ分高い。シークレットブーツで盛っていても、なおヴィンスの方が微かに高いのだ。
彼の位置からでは、角度的にアルスの顔までは見えないはずだ。アルスはそちらを向いて、問いかける。
「君は……裏カジノに、何をしに来たの?」
「……えっと……人を、探しに来たんです」
「人を? このカジノにいるって?」
「……はい。そう聞いたのですが、信じられなくて。だから、自分の目で確かめようかと」
やはり、彼の用事は、件のグラッセ子爵を名乗る人物であるようだ。
そうとなれば、彼を連れて入るべきだろう。アルスは小さく頷いて、受付の男へと伝える。
「彼を入れてあげて。責任は僕が持つよ」
「よ、よろしいので?」
「うん。なんか本当に困ってるっぽいし。入れるだけならいいでしょ」
「わ、分かりました。アルスさんがそうおっしゃるのなら……」
こういう時に、信用はあると便利だ。アルスは、もう一つ受け取ったピンバッヂを、ヴィンスへと軽く指で弾いて寄越した。
「それが、裏カジノでの身分証明になる。同伴だと遊戯はプレイできないけど、裏カジノへの出入りはできるから」
「あ……ありがとうございます! ありがとうございますっ!」
ヴィンスはそれを襟へと丁寧に付けた。お礼を言おうと顔を上げたときには、すでにアルスは背を向けていた。
そのまま、先んじてカジノへと降りていくアルス一行の背を、ヴィンスは慌てて追いかけた。
ドアを開ければ、そこにはまばゆい、欲望だらけの世界が広がっていた。ヴィンスの瞳が、小さく揺れる。
(さて――お目当ての人物は、と。おや、いたいた。今日も随分と元気に散財していらっしゃる)
アルスは、相手を見た。少なくとも、ギャンブルの才能があるとは思えなかった。
先日のスロットマシーン独占の一件も、そもそも77777が全額放出だと知っていれば、スタッフのチップ搬入を待つだろうに、彼はそのまま、空のスロットマシーンを回し続けて、チップをマシンに食わせ続けたのだ。
近くで立っていたスタッフが困惑しながら声を掛けていたが、彼はスロットをやめなかった。結局、その日は自分で使ったチップ以上の儲けは出ずに、彼はそのまま少し減ったチップを抱えて、忌々しそうにカジノから帰っていったのだ。
「――あれは……誰、だ。父ではない……」
ヴィンスが震える声で絞り出した声が、微かに耳に届く。それを聞いたトーマとテオドールが顔を見合わせて頷き合うと、ヴィンスへと語りかけた。
「坊ちゃん、もしかして……グラッセ子爵のご子息かい?」
「……はい……そうですが、あなたたちは?」
「あまり大きな声じゃ言えねぇが、第一騎士団のもんだ。俺たちゃ、秘密裏にお前さんの親父さんの足取りを追っててな」
「……!」
アルスはその会話を耳に挟みながら、合点がいったように小さく頷いた。どうやら、トーマとテオドールの目的も、あの御仁であったらしい。
どうやらグラッセ子爵の失踪は、殺人や誘拐などを取り扱う第一騎士団一課がかかわるほどの大事件の一端であるようだ。
これ以上踏み入ると、どう考えても、厄介ごとに巻き込まれる気はする。しかし、ここまで付き合ってしまったのだ。もう少しくらい節介を焼いてもばちは当たらないだろう。
「あの男は、どうやらグラッセ子爵を名乗って、この裏カジノで散財し、借金を作りまくってるらしい。俺たちゃ、あの男が、親父さんの失踪に関わってるんじゃねぇかと疑ってるのさ」
「……そんな……父は、父は無事なのでしょうか」
「……今は、何も言えねぇ。だが、一つだけ確かなのは、あの男はひっ捕まえて問いただすべき相手だってことだ」
失踪したグラッセ子爵と、その後でその名前を使って、借金を作っている男。
かかわりがあるのだろう。その結論に至るのに、それほど時間は必要なかった。
「だが、この裏カジノの外に出ると、やけに屈強な護衛がわんさかついてやがってな。なかなか外じゃ捕まえられんのよ。あの男が一人になるのは、この裏カジノの中でのみなんだ」
「……では、このカジノで逮捕するしかないということですか」
「ところがそれも、うまくいかんのよ。ここは建前上非合法施設だからな。騎士団が大見得切って検挙は出来ねぇ」
「そんな……」
トーマの言葉を聞いて、アルスはピンとくる。だからこそ、トーマは自分にあんな質問をしたのだと。
だとすれば、ここで相手に隙を晒させることができるのは、アルスだけだ。
ここは欲望が渦巻く裏カジノ。人を剥き出しにさせるためには、遊戯で追い詰めるしかない。
多くのものを失ったとき、相手は本性をさらけ出す。そこで手が出るような人間ならば、待っているのは豚箱行き。
「トーマさん、後頼んだ」
「ちょ……じょ、アルス?」
アルスは鼻歌交じりに、ポーカーテーブルへと近づいた。目の前の男に、勝負を仕掛けるために。




