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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第零部 前日譚 不良娘はいかにして過ごすか
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04. 幼馴染兼婚約者

 イルヴァン・サンチェスターは、エルデシアンの金の向日葵(ヒマワリ)とも呼ばれる、サンチェスター侯爵家の次男だ。

 絹のような細い銀糸の髪は、月の光を受けたとき、最も美しく輝くと言われる。すらりと高い長身は引き締まっていて、腰元には日常的な帯剣を許されて吊り下げられた、柄に美しい意匠が施された長剣がある。青い瞳は藍が混ざった濃い色で、国では高貴な色とされている。


 この国――エルデシアン王国は、太陽と月が見守る雄大な自然を有する大地だ。

 全国民のうちの僅かな臣民が貴族にあたり、広大な大地を誇る国は36の領地に分けられている。実際の裁量権を担う領主が同領地内で複数いる場合に、領地を小分けにした場合はさらに増えるが、国の公的な資料に記載された分には36となっている。その場合の〇〇領とは、俗称扱いとなる。

 アルシェスタの生家であるキングレー伯爵家が持つ領地は、海を有する少々自然が険しい僻地である。それよりも王都側、内陸側に位置する隣の領地がサンチェスター侯爵領である。

 法服貴族が多い本国において、領地持ちの貴族というのはさらに格が上がる。サンチェスター侯爵家は古くから王の忠臣として認められた由緒正しい家で、それ故に王家から認められた家にだけ与えられる花の色の称号を持つ。


 新興貴族であるアルシェスタの家に、花の称号はない。そんなキングレー伯爵家とサンチェスター侯爵家だが、隣領というだけで仲が良いわけではなく、親同士が王立学院の同級生で、親友同士だったという経緯がある。

 サンチェスター侯爵嫡男、キングレー伯爵嫡男、そしてのちのサンチェスター夫人となるエヴァラント侯爵令嬢、そしてのちのキングレー伯爵夫人となるアズラント侯爵令嬢は、学舎内でたびたび四人で談笑している姿が散見されるほどに親しかった。

 相互に家を継ぎ、領主となった後も交流は続いていた。子同士は自然と幼馴染となり、サンチェスター侯爵家の長男はキングレー伯爵家の長男・次男と歳が近く仲が良い。そしてそこから2年ほど離れた年に生まれたサンチェスター侯爵家次男と、キングレー伯爵家長女も自然と幼馴染になる。


 そんな親同士・隣領同士から始まった幼馴染の関係が、16・17となった歳になっても続いているのは、親同士・子同士共に仲が良いということなのだろう。


「シェス、おはよう。昨日はよく眠れた?」


 ロイヤル・インディゴの瞳を優しく細めたイルヴァンは、何の違和感もなくアルシェスタの愛称を紡ぐ。アルシェスタは彼を優しく見上げて微笑んだ。


「うん。イル兄も昨日、大丈夫だった? 騎士団の人に呼ばれて行ったんでしょう?」

「ああ。王都の近郊の森で、ダイヤウルフの群れが観測されて、街道で商人を襲っていたらしくて。緊急ではあったけど討伐に出てたんだ」

「魔物か。怪我は?」

「してないよ。大丈夫」


 イルヴァンは第三騎士団に所属し、17歳で副長にまで上り詰めた天才児だった。生まれの身分もあるにはあるだろうが、イルヴァンは無謀ともいえる勇気によってまだ幼い少年の頃から騎士団にて功績を上げ続け、今の地位にある。今でも王都の近郊で強い魔物が出ると指揮官として最前線に呼ばれ、自ら剣を持って魔物と日々戦っている。

 重犯罪・国際犯罪の捜査・解決を担う第一騎士団。軽犯罪や民間トラブル、各重要都市の衛兵業を担う第二騎士団。魔物の討伐を最優先任務とし、時に凶悪犯罪者捕縛のため第一騎士団に助力する戦闘のスペシャリスト集団、第三騎士団。

 第四騎士団以降の騎士団は国防を担う、いわゆる「軍」である。貴族の男子のうち、相続権のある嫡子以外の男子は、身を立てる手段としてこの騎士団への所属を選ぶことが多い。

 とはいえ、身分を笠に着て、前線に出ないにもかかわらず各騎士団――特に、防衛を担う兵力である第四以降の騎士団の上層部の席でふんぞり返っている者が多い。

 ゆえに、騎士団内部でもエリートは第一・第二・第三に集中していると言われており、第四以降の要職に据えられている頭でっかちは「お飾り」と揶揄されていることも多い。


「最近、魔物の出現をよく聞くけど大量発生(スタンピード)の兆しでもあるの?」

「いや。うちの調査部門の話では、原因は大量発生(スタンピード)じゃなくて、生態系の変化らしい」

「生態系?」

「近く、巨大な魔物が出現する可能性があるってこと。それまで住処としていた秘境の奥から、追い立てられて人間が住む土地までやってくる魔物が増えてる……みたいな」


 イルヴァンと会話をしながら、自然な動作で手を差し出され、その手に自分の手を重ねて、アルシェスタは歩き出した。

 サンチェスター侯爵家の家紋が入った馬車へと乗り込めば、アルシェスタは奥側の窓際席へと腰を下ろし、その隣へとイルヴァンが座る。立派な馬鎧を付けた黒毛の馬たちが、ぶるるっと嘶きながらゆっくりと車輪を回し始め、心地よい揺れが馬車の中を支配する。


「第三騎士団も忙しくなりそうだね」

「だな。でも第三騎士団の連中ってば、俺を学院から呼び戻すのが申し訳ないとか言うんだ。確かに学院に通っている間は学業に集中しろって言われてるのは事実だけど、俺は副長なのに」

「まぁ、イル兄ってば小さいころから働き過ぎだもんね。大人たちが心配になる気持ちも分かる」

「俺はそんなに大したことしてないんだけどな。自分の手で助けられる人を助けてるだけだし」


 それが立派なんだって、とアルシェスタは声に出さずに口元だけでつぶやいた。

 魔物との戦闘は、常に命の危機が伴う。臆病さを武器に、険しい自然の中で生き抜いている野生動物とは違い、魔物は破滅願望でも抱いているかのように、自身にも周囲にも死を振りまく。死に物狂いで襲い掛かってくる魔物たちを退けるためには、人間は高い練度を持つ戦士で小隊を組み、対処にあたる必要がある。

 高位貴族の出でありながら、前に出て平民の隊員を守り、犠牲を減らす努力を怠らずに討伐を成し遂げるイルヴァンを評価する声は大きい。

 アルシェスタも例に漏れず、そんな幼馴染の兄同然の男に対して、尊敬と憧憬を抱いていた。


 アルシェスタとイルヴァンの関係は、幼馴染というより、婚約者というより、何よりも兄妹に近い。

 幼い頃からイルヴァンはアルシェスタの手を引き、アルシェスタをあらゆるものから守り、誰よりもずっとアルシェスタの傍にいた。彼女の在り方をひどく歪めてしまった家庭環境においても彼女の味方で在り続けたイルヴァンは、彼女の信頼を誰よりも得ていた。

 幼いアルシェスタは、何かあると家族よりもイルヴァンを頼った。それほどまでに、二人の間に結ばれた絆は強固であった。


 放っておけば剣を握り独身を貫き通そうとするイルヴァンと、貴族嫌いを拗らせたアルシェスタを、婚約させようとした両家の動きは自然だった。

 イルヴァン自身、恵まれた容姿があるにも関わらず女性がほとんどいない環境である第三騎士団に身を置き続け、女性に対する免疫がほとんど出来上がらないまま成人を迎えた。妹同然にかわいがり、溺愛しているアルシェスタ以外の女性に対して、イルヴァンは騎士としての振る舞い以外の何もかもが分からなかった。

 アルシェスタもまた、貴族の娘として他家に嫁ぐことを断固として拒否した。そのために幼い頃から領地の発展に寄与できるということを、領地にあるいくつかの観光施設の経営によって知らしめ、独身のまま平民に下りるつもりであった。


「ねぇ、イル兄」

「うん? なんだ、シェス」

「やっぱり、婚約解消をする気はない?」


 アルシェスタの問いかけに、イルヴァンは言葉に詰まった。

 イルヴァンの感情は、かわいくて堪らない妹に対するもの。アルシェスタの感情は、憧れの兄に対するもの。二人の間に男女の愛はなかった。少なくとも、この十数年の間には一度もそういう話になったことはなかった。


「シェスは、俺と結婚するのは嫌?」

「嫌じゃないけど……っていうか、イル兄以外の貴族なんてお断りだし。でも、僕がイル兄に嫁いだら、イル兄はサンチェスター侯爵から子爵位を譲り受けて分家を立ち上げることになるでしょ。そうなると、領地の経営に手が出せなくなる」


 この婚約は、キングレー伯爵とその夫人が、貴族をやめると癇癪を起こす愛娘を貴族社会に引き留めるためのものだった。

 サンチェスター侯爵と夫人としても、年頃の女子に全く興味を示さず、妹をかわいがり溺愛するイルヴァンに婚約者をあてがうのを少し躊躇っていた。

 けれど相続権のない次男と、同じく相続権のない末っ子の長女との婚姻にあたって、侯爵家側から貴族の席を提供する必要があった。新興貴族の伯爵家には、空いている席がなかったのである。

 アルシェスタはこの婚約によって婚姻が成立すればサンチェスター侯爵家の籍に入ることとなり、キングレー伯爵領の裁量権を手放すこととなる。


 婚約を知って暴れ、イルヴァンだと知って大人しくなり、領地の経営ができなくなると知って癇癪を起こすアルシェスタを宥めるのはとても大変なことだった。


「僕はね、イル兄。親父のことも母さんのこともあんまり好きじゃないけど、キングレー伯爵領のことは大好きなんだ」

「それはよく知ってるよ。小さいころから、いつも俺の手を握って、楽しそうに街に出かけて……将来は、自分もこの領地をもっと大きくするんだってずっと話してたもんな」

「うん。金をかけまくったバカみたいに煌びやかな街。エルデシアン王国一の歓楽街、娯楽の都――それがキングレー伯爵領・領都。欲望と繁栄の街ヌーヴェルリュンヌ。先々代が金を国から叩き出して作った都を、宮殿の屋上から仰ぎ見たとき、僕は感動したんだ」


 ヌーヴェルリュンヌは、切り立った崖を挟んで最悪の立地に作られた、最高の街だった。

 開発に向かない山岳地帯だが、先々代は東方の国と縁深く、険しい高所での作業を得意とする労働力を十分に確保できた。当時、その山岳地帯の通行が国の大きな課題となっており、そこに斬り込んで来たのが先々代。国からの金を使って切り立った崖に巨大な石橋を築き上げ、交通を便利にしただけではなく、その石橋を中心にして、三つ子の都市を作り上げた。

 巨大なソル・ソレイユ劇場を中央に据えた移民たちの色が濃く出ている朝の街、マータン。

 中央に国一番の大カジノ・グランドスラムを有する、欲望であふれた昼の街、アプレ・ミーディ。

 働き手や領民たちが健やかな月の光を浴びるための夜の街、ミュ・ニュイ。


 普通ならば人が棲まない高い渓谷の狭間に作られた煌びやかな街は、それまで人が見たことのない景色を提供し、多くの人間に愛された。


「娯楽を得るために、王都という現実から離れた場所にしたい」

「シェスのひい爺さんの言葉だっけ」

「うん。行商人として国に流れ着き、しばらくは爵位を持て余していた法衣貴族でしかなかったキングレー家を、ひい爺さんは一世一代の博打を打つチャンスだと思った。普通ならば成し遂げられなかったあの険しい地形を、国一番の歓楽街に作り替えた」


 生涯をかけて、あの巨大な領都を作り上げた先々代は、国における娯楽の発展に寄与した。娯楽の大切さを広める大仕事を自分の跡継ぎに任せた偉大なる先々代は、山の上に立った粗末な小屋から、欲望と繁栄の街を見下ろして「美しい」と呟いて亡くなったそうだ。

 その功績を讃えてキングレー伯爵家は伯爵位にされ、この険しい辺鄙な土地を領地として与えられ、今では国内の観光・興行収入一位として、国の財源に大いに貢献している。街道の整備などに精を出し、他国から訪れやすい基盤を作って以来、余暇を過ごすために国内外問わず様々な貴族・平民がこの地を訪れ、日々の疲れを癒して帰っていく。

 やがて父であるキングレー伯爵の代にて、ついに社交の起点として非常に重要な土地だと結論付けられるまでになった。現在、キングレー伯爵領の注目度はかなり大きい。


「国の貴族たち皆が、キングレー伯爵領の重要性をやっと理解した。僕らの代なんだ。娯楽を、この国にどれほど浸透させられるかの鍵を握っているのは」

「だから、シェスは領地をもっと盛り上げたいのか。俺と結婚して、貴族の夫人になるわけじゃなくて」

「うん。イル兄と結婚するのが嫌なんじゃなくて、僕は夢を追いたいって思ってるんだ。ひい爺さんが夢見た、国を娯楽で満たし、人が幸福に生きる一つの道として皆に知らしめること。そのために、僕は生涯を賭けて、貴族に根付いた娯楽への悪い感情を取り払いたいと思ってる」


 とはいえ――簡単なことではない。少なくとも、ぬるま湯に浸かった生活のまま、成し遂げられるとも思わない。

 イルヴァンの伴侶に収まり、何の不自由もなく暮らしていて、叶えられることではないと。

 けれどこの文言をすでに今日までに複数回訴えているが、イルヴァンは未だに首を縦に振ったことはない。

 貴族の男子として、由緒ある古い家で育てられてきたイルヴァンにとって、貴族の女性の手を離すことができないのだ。自分が伴侶に迎えれば、アルシェスタは今後何の不自由もなく暮らしていける。

 けれど手を離してしまえば、彼女が自分の目の届かないところで、どんな目に遭うか分からない。国の法整備はだいぶ進んだが、薄暗い部分ではまだまだ無法が罷り通る。国における娯楽の立ち位置はその闇の部分と密接にあるというのは事実だ。


 妹を慈しむイルヴァンの心が、その最後の一押しを阻害していた。


「……やっぱり、まだ無理?」

「そうだな……もうちょっと考えさせてほしい。俺もちゃんと考えるから」

「そう。はぁ~あ。いっそのことイル兄に好きな人でもできればな~」

「なっ。ちょ、ちょっとシェス。何言ってんだよ」

「だって。イル兄に想い人の一人でも出来たら、その人のためにイル兄が僕を手放してくれないかなって思うんだもん」


 イルヴァンは顔を赤くしながらあたふたと手ぶり身振りで落ち着かないように体を揺らしている。その様子を見て、アルシェスタはけたけたと笑った。


「僕はイル兄の一番にはなれない。でも、それでいいんだ。君の一番になれなくても、二番でも三番でも……それでいい。イル兄には幸せになって欲しいから。僕みたいな貴族の令嬢もどきじゃなくて、イル兄のことを心の底から支えてくれる素敵な人に」

「シェス……」

「僕としても、鈍ちんな兄に春が来るのが楽しみなんだ。好きな人ができたら、絶対に教えてよね。約束だよ?」


 アルシェスタとイルヴァンの関係は兄妹であって、それ以上でも以下でもない。

 幼馴染であり妹である自分には、きっといつか敵わないイルヴァンの運命の人が現れるだろう。そんな文言を吐いて、アルシェスタはいつも胸の内にある、鈍い初恋の痛みを抑え込んでいるのだ。

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