27. 父母への不信感
イルヴァンに連れられ、サンチェスター侯爵邸に入る。
サンチェスター侯爵家は古い時代からある名門であり、領地とは別に、王都に合計で三か所の屋敷を持っている。それぞれに隠居した前侯爵夫妻が入ったり、傍系の世帯が暮らしていたりと、王家の膝元でその身を守る使命を帯びる忠臣の一家は、何かと王都への滞在期間も長い。
社交シーズンの半年間を、夫妻が王都に出てきて過ごし、それ以外は侯爵は領地と王都を行ったり来たりし、夫人は領地を守る役目を果たしている。
サンチェスター侯爵領は温暖な気候を有する穀倉地帯で、王都とキングレー伯爵領に挟まれたのどかな土地だ。災害の被害も少なく、安定して王都の民へと食料を供給している。
今はイルヴァンの王立学院進学に合わせて、夫妻は信用のおける者に領地を託し、年中王都に滞在している。
地方に住んでいる貴族の、一般的な移住の光景である。
広いエントランスホールへと入ると、そこには温和そうな紳士と、緊張した表情で不安げに立つ婦人がいた。
「シェス。よく来てくれたね」
「おじさま。ご無沙汰しております」
「イルから話は聞いたよ。ひとまず、執務室へ行こうか」
エントランスホールから、当主の執務室へと移動する。応接間や貴賓室ではなく、執務室に通されるというのは、彼らがアルシェスタを身内だと認めている証拠だった。未だにおじさま、おばさまと呼ばなければ寂しそうな顔を向けて来るので、アルシェスタは最早諦めていた。
執務室のソファへと腰を下ろすと、アルシェスタはやや気だるげに髪を指先で払う。
「まずは、すまなかった、シェス。我が家とヴァレリー侯爵家のいざこざに巻き込んで」
「……いいえ。あの方、お話が通じなさそうですもの。自分が願えば周りが叶えてくれると信じて込んでいる、典型的な我儘娘です」
「まったくだ。侯爵には何度も打診を受け、そのたびにお断りして、もう二度とこの話を持ち出すなと何度も言ったんだ。今の情勢だと、ヴァレリー侯爵家と縁づくのは避けたいからね」
ヴァレリー侯爵家の派閥とは、今は何かと折り合いが悪い。特に、キングレー伯爵家とは。
キングレー伯爵家と友好的な関係を築いているサンチェスター侯爵家は、子の代も、孫の代に至るまで、家ぐるみで付き合いを続けたいと盃を交わし合った仲だ。サンチェスター侯爵家がヴァレリー侯爵家と縁づくと、キングレー伯爵家とのかかわりをもう少し遠慮しなくてはならない事態になりかねない。
自分の家の派閥や、国の現状に目を向けていれば、簡単に気づけることだ。しかし、娘かわいさにヴァレリー侯爵は何度も何度も婚約の打診を続けて来たのだという。
「はっきり言ってやったんだ。貴公はご自分の立ち位置をお分かりかと。私の息子に横恋慕をして、それで我が家を王家と対立させる気か、と。そう言えば、やっと目が覚めたように震えあがって、それ以降は打診が来なくなったというのに。まさか、シェスを害して来ようなどとは。これは、本格的に我が家とキングレー伯爵家に喧嘩を売って来たとしか思えんな」
「ええ。ですが、その可能性を肯定できるのですから、相手の弱みを一つ握れたということです。あちらにはサンチェスター侯爵家を引き入れ、王家やキングレー伯爵家に敵対する意志がある――そういう行ないをしたのですから、足を掬われても仕方がないのではありませんか?」
「……シェス。あの案件は、君が表立って動く必要はないんだよ? グレッグやリナーシェ、エドワーズに任せておけばいい」
父母も兄も社交が下手だ。社交シーズンも王都に出てこずに、領地にやって来た自国や他国の貴族をもてなすのに一年を費やしている。
何を隠そう、アルシェスタが王都に出てきて顔を出している茶会や夜会の招待こそが、父母の代理を務めているに他ならないのだから。兄なんて、領地に残ることになれば土下座をしてでもアルシェスタに社交を頼んでくるだろう。
そこまで考えて、アルシェスタは肩を竦めた。あった事実は、後から突き付けて揺さぶってやればいい。今は、目先のことを処理するのが先だ。
「それで、おじさま。今後の動きは?」
「ああ。まず、第一騎士団のトーマ殿を隊長として、今回の事件の対策チームが組まれた。私はそちらに協力をするつもりだ。捜査に便宜を取り計らい、ヴァレリー侯爵家を追いつめる」
「侯爵の権限があれば、証拠さえ揃えれば家宅捜索も可能でしょうね。良からぬものがたくさん出て来そうな予感がします」
「良からぬものとは?」
「嫡男を毒殺しようとした真実の断片、とか」
するりと口を吐いた言葉に、サンチェスター侯爵は目を見開き、イルヴァンは「何だって?」と小さく呟いた。
間者と接触したところ、侯爵邸内ではしばらく噂になっていたようだ。情報統制を敷いたとしても、同じ屋根の下で毒殺未遂が起きたとなれば、人の口に戸は建てられない。普段から馬車馬のように働かされている使用人たちの恨みつらみは、侯爵邸内で起きたゴシップという形でいとも簡単に伝播する。
外に漏らせば、自分の身がどうなるか分からない噂話も、侯爵邸内であれば話したい放題だ。
間者からは、あっさりと事実のようだと認められた。ヴァレリー侯爵家の嫡男は、妹に毒を盛られたのだ。
「おじさまは、彼女からの婚約を断るとき、嫡子でない者同士の婚約ならば、今の婚約よりもメリットがない。そういう断り方をしたのではありませんか?」
「……ああ。した、したが……まさか」
「そのまさかです。彼女はイルヴァンの婚約者の座を手に入れるために、嫡男を毒殺し、嫡子の権利を得ようとしたようです。それも、実行した娘にお咎めはなしだそうです」
「それが本当だとしたら、侯爵は娘のかわいさに目が眩んで、貴族の序列すら守れぬ愚か者に成り下がったということになる。ますます捨て置けんな」
アルシェスタは手帳を取り出して、カリカリとペンを走らせる。そしてそのページを破って、畳み、侯爵の前へと差し出した。侯爵は、その紙を受け取る。
「これは?」
「私がヴァレリー侯爵家に潜り込ませている間者との接触方法を記したものです」
「もうすでに間者を忍ばせていたのかい?」
「創立記念パーティーの時に、やたらと私を恨みがましい目で見て来たので。気を付けるべきお家でもあったので、手を打たせていただいておりました。まさか、こんなにすぐに利用することになるとは思いませんでしたが」
侯爵はそのメモをしばらく見つめた後、懐へと仕舞った。彼女は一流のエージェントだ。トーマや侯爵の指示を受ければ、よりその手を侯爵邸内に広げてくれるだろう。
アルシェスタの知りたかったことについては、彼女から情報が得られたので、後は騎士や侯爵に協力してくれればいい。
正面に置かれた紅茶のカップを持ち上げて、涼しい顔で紅茶を煽っていた。その様子を見て、夫人は震え、顔を青白くしながら、縋るように侯爵を見上げた。
「あ、あなた。こんな危険なことに、イルやシェスちゃんを関わらせるのは良くないわ」
「それはそうだが……イル、お前はどう思ってるんだ?」
「俺はこういうときのために、騎士団に立場を築き上げて来たんです。シェスが危険な目に遭ったなら、じっとしてなんていられません。父上、私は騎士団内部でこの件に関わる者を選定しようと考えています。ヴァレリー侯爵に賄賂などを試みられても、不当な手を入れない者を選びたい。ご協力いただけませんか」
「なるほど。分かった。私も表立って騎士団内部に介入すれば越権行為だと訴えられる。だが、イルへの助言程度ならば、子から親への相談で済むだろう」
「ありがとうございます、父上。母上、申し訳ありませんが、私はもうすでに成人し、騎士団で立場と責任を持つ者です。私は責任を持って、この件に関わると決めております」
「そ……それなら、シェスちゃんだけでも。命を狙われたのよ? しばらく護衛で身を固めて、お家にいた方がいいわ。タウンハウスの警備が心配なら、この屋敷にいても――」
静かな部屋の中に、ため息の音が落ちる。
侯爵夫人は、びくりと肩を揺らして、そこで言葉を止めた。恐る恐るという様子で、彼女はアルシェスタへと視線を向けた。
この屋敷へ来てからというものの、アルシェスタは貴族の娘としての態度を崩さなかった。粛々と言葉を紡ぎ、表情を隠して、背をぴっちりと伸ばしているのは、かつて侯爵夫人が親友と共にアルシェスタへと求めた、理想の淑女の姿そのもの。
いつからか、その姿が、まるで自分を蔑んでいるかのようなものに感じられるようになってしまった。
「――侯爵閣下にご質問がございます」
「何だい、シェス」
「侯爵閣下は、この件に関しまして、私の功績を認めてくださらないのでしょうか」
サンチェスター侯爵は、顎に手を当てて、目を伏せて思案する。
襲撃の後の行動から、迅速な犯人の特定、騎士団への告発と、相手に手を打たせない根回し。
相手の侯爵家にすでに間者を入れていた用意周到さと、相手の弱みを得る情報収集能力。
貴族家の当主ならばこれくらいできて当然ではあるが、跡取りでもない17歳の少女が行なったという事実に、侯爵は思わず息を呑んだ。
息子の婚約者は優秀だった。少なくとも、学業成績の評価表の紙面では。
貴族には、時には非情な決断をしたり、卑怯な方法を持って相手よりも優位に立ち回る必要がある。
素直過ぎる息子にはそれができず、お人好しな性根はいつかとんでもない人間に騙されないかと、侯爵は親心に心配を重ね続けた。
その点、幼いころに色々とあったアルシェスタはイルヴァン以外に人間不信気味で、相手を疑って判断するのに長けていた。アルシェスタが傍にいれば、素直なイルヴァンが悪意を持つ人間に利用されることはないだろう。侯爵はそう考えていた。
しかし、今。妻の諫言などどこ吹く風で聞いている少女は、領地を出る前とはまるで違う。
いわば、自分の家の、信用のおける部下のような、そんな頼もしさがあったのは事実だ。アルシェスタの進言がなければ、騎士団はこれほど早くは動けなかっただろう。
「……いや。シェスはよくやってくれているよ。イルの手が届かないところを動いてくれている。イルにとっては頼もしいことだろう」
「ええ。認めていただき、うれしゅうございます。ですので、どうかご承知おきください。過剰な心配は、私を信頼していないという証であると」
「信頼していない、証か」
「私は成人した身です。もはや父母に何かをされねば何も出来ぬ子どもではございません。私は私の判断で、成すべきことを成すことができるのです。つきましては、侯爵家の庇護は私には不要です」
心配という感情は、相手を想うからこそ生まれるものだが、しかしそれが行き過ぎると、それは相手を信頼していないということでもある。自分が庇護しなければ何もできない相手だと、侮ることにも等しい。
侯爵夫人の「心配」とやらは、自力で何もできない娘にとっては頼もしいだろう。しかし、自分で動くことを望むアルシェスタにとっては、ただただ息苦しいものだ。
「私が何の憂いもなく侯爵閣下に情報を流したこと、そして間者の情報をお渡ししたのは、私の信頼を示すためと思っておりましたが、侯爵閣下は私のことを信頼してくださらないのでしょうか」
「そうだね。王都に来てから頼もしくなったね、シェス。いつまでも小さな女の子じゃないんだ。それをひしひしと感じたよ」
「でしたら、どうか私をこのまま、イルヴァンの隣で戦わせてくださいませ。私はキングレー伯爵家の娘として、サンチェスター侯爵家とのご縁を断とうと手を出してきたヴァレリー侯爵家を許しはしません」
「……分かった。あまり危険なことはしてほしくないが、そこは弁えてくれるんだろう?」
「イルヴァンの嫌がることはしません」
庇護されるだけの存在に成り下がる気はない。アルシェスタの放った強い意志を捻じ曲げることは不可能と断じたのか、侯爵は理解の意を示した。イルヴァンは心配そうに見つめては来るが、しかしアルシェスタがかかわった方が効率がいいと判断したのだろう。それ以上には何も言わなかった。
未だ納得が行かない様子で「でも」と言い縋る夫人を横目に、アルシェスタはそっと立ち上がる。
「申し訳ございません、おじさま。この後も人と会う予定がありますの」
「ああ、すまない。急に呼び出したからね。必要なことは話したし、シェスの顔が見られて良かった。じゃあ、気を付けるんだよ。何かあったらすぐに相談しなさい」
「はい。では、失礼いたします」
アルシェスタはお手本のような淑女の礼を披露すると、イルヴァンの手を借りて、歩き出した。
執務室を出る直前、サンチェスター侯爵は、最後にと声を掛ける。
「シェスはこの一件に関して、父親や母親に相談をする気はないのかな」
アルシェスタは足を止めて、肯定する。どうして、と侯爵が問いかけると、アルシェスタは諦観を浮かべて、淡々と言い切った。
「私にとって父母とは、このような事態の時に助けてくれる存在ではないので」
強烈な拒絶の意図が入り混じった言葉を残して、アルシェスタは立ち去って行った。侯爵夫人は顔を真っ青にして、胸のあたりで手を重ねて体を震わせている。侯爵は、アルシェスタの様子を見て、ぼそりと呟いた。
「グレッグ……リナーシェ……君たちとシェスとの溝があまりにも深すぎる。王都に来て、さらに親離れが進んだようだし……きちんと話し合わなければ、シェスは今にも……」
アルシェスタが頼もしい貴族家の女子となった代償に、彼女の家族への不信感は埋まらないものになってきている。
サンチェスター侯爵は、この短い問答の間にも、アルシェスタの抱える父母への不信感は、かなり複雑化していると感じ取った。




