26. サンチェスター侯爵家からの呼び出し
ビオを下町の医院に匿って以降、アルシェスタは学院を休み、ヴァレリー侯爵令嬢を潰すために暗躍し始めた。
病弱という謎の設定が付いてしまっているので、アルシェスタが学院を急に休んだところで怪しむ者は誰もいないだろう。世間がアルシェスタに「その偶像に限りなく違和感のない」設定を勝手にくっつけてくれたことで、動きやすくなったのは皮肉だった。
「だからさ、やばくね? 自分が好きな相手と結婚するために、実の兄に毒を盛ったんだってさ」
そんなアルスは今、下町にあるとあるバーで、顔見知りと飲んでいた。耳が早く、噂好きで、酒に弱く口が軽い、ヴァレリー侯爵家の派閥に入っているしがない男爵家の次男、三男と適当に。
こういった手合いは遊戯の遊び相手でしかなく、互いに素性を詮索せずに、適当にその日遊んで、その日飲んで、ぱっと解散するような間柄だ。アルスのことも、裕福な家出少年としか思っていない。
「マジ? やばすぎるじゃん。倫理観どこいった?」
「だよなー。俺結構あいつと仲良くてさ、すげぇ気分沈んでたから飲みに誘ったら、めそめそ泣きながら言ったんだよ。妹に毒殺されかけたって」
「正気の沙汰とは思えねぇよ。そりゃ凹むわ」
「しかも、父親は妹を溺愛してるから、その事件自体なかったことにされて、妹はお咎めもなかったらしい。今となっちゃ、証拠も全部父親に処分されてるから、今更訴えても誰も信じてくれないって泣き寝入りするしかないっぽい」
「いや毒親すぎ~。俺だったら即家出するわ」
「バーカ、高位貴族だぞ。そんな簡単に家出できるかよ」
酒が回った彼らは、恐らく表沙汰になったらまずいことになるような話も垂れ流す。少し危機感がないとは思うが、しかし小さな酒場での噂話にまで情報統制を敷く余裕は、今の侯爵家にはないだろう。
アルスは彼らの話を聞いて、納得が行った。彼女の倫理観が死滅している理由に、思い当たったからだ。
冷水をぐいっと煽ると、そっと立ち上がって、机の上に金貨を置いた。
「アルス、先帰る?」
「うん。ちょっと飲みすぎちゃった。明日も朝から商談あるし、そろそろ酒気を抜かないとね~」
「そっか。また遊戯倶楽部でな」
「うん。ああ、少し多めに置いとくから。釣りはいらない」
「マジかよ~。ほんと太っ腹だなぁ。ありがてぇ」
「金がない」が口癖の彼らは、こうして少し飲み代を負担するだけで恩義を感じて、アルスの行動に関して物言わなくなるし、疑問も抱かない。さりげなくヴァレリー侯爵家の話に誘導してみれば、べろべろに酔った彼らはいとも簡単にその噂話を口にした。
兄、ということはヴァレリー侯爵家嫡男のことだろう。当主、嫡子(次期当主)、夫人、子息息女、傍系の当主――と続いていく明確な序列がある貴族家だが、嫡男が蔑ろにされているとは、予想以上にヴァレリー侯爵家の内部は荒れているようだ。
単なる予測ではあるが、この一件によって、ヴァレリー侯爵令嬢は、自分が何をやっても父親が揉み消してくれると思い込んだのではないか。実の兄を殺そうとしたのに許されたのだ。家の外の、平民や家格が下の娘を殺しても、父親がどうとでもしてくれると思い込むには十分な出来事のように思えた。
溺愛されている彼女は、どんなことをやらかしても、どんなものを欲しがっても、全て彼女の思うとおりに周りが整えて来たのだろう。アグレッシブに想い人の婚約者を殺害して来ようという思考は、その傲慢さを滲みださせていたように思えた。
「どんな家の父親母親だろうと、うちのよりましだと思って生きて来たけど……これは、うちよりひどいかも」
父母が娘を甘やかし、ダメなことをダメと言わずに、無理なものを無理と教えずに、何でも叶えて来た結果、彼女は人の数倍傲慢に育ってしまった。アルスの場合は、ダメじゃないものもダメと言われて育ったし、無理なものを無理と訴えても聞く耳持たれなかったが、それでも全肯定されて、倫理観を失くすような人間に育たなかったことは僥倖と言わざるを得なかった。
子どもは育った環境によって、人格形成に影響を与えられる。
互いに家庭環境に問題を抱える自分と彼女でも、これほどの違いがあるのだ。
その足で下町にあるACEの拠点へ向かうと、資料を片付けていたエリーゼを見つける。エリーゼはアルスが帰ってきたことに気づくと、歩み寄って来て、一礼をした。
「お帰りなさいませ、社長」
「ただいま、エリーゼ。ごめんね、遅くなった」
「いえ。首尾は?」
「目的の情報は入手できたよ。イル兄からの連絡は?」
「賊の捕縛に成功したと」
流石、と小さく呟いた。イルヴァンは早速、ビオの身辺を固め、その家族を監視し、不当な手出しを企てていたヴァレリー侯爵家の使用人の捕縛に成功したそうだ。
賊を雇うわけではなく、自分の家の者で済ませたのが災いし、明らかに平民街で不審な動きをしている、高貴さを滲みださせている集団が見つかり、簡単に捕縛に至ったそうだ。
第二騎士団の牢に入れるとヴァレリー侯爵の耳に入る可能性があったため、今はトーマの手によって第一騎士団の独房に入っているらしい。
調書によれば、その使用人たちにも戸惑いがあったようだ。いかに相手が平民であろうとも、自分たちにわざわざ監視をさせる意味が分からないと。
侯爵家で使用人として働いている誇りを持つ者たちが、仕えている相手の娘に癇癪を起こされ、平民の監視という意味があるかもよく分からない行為を押し付けられ、しかも侯爵邸に戻ることも許されない。
不満や不信が芽生えるのも当然と言えた。もしも侍女を召使のように使っているのならば、それは使用人の不信感を増長させる結果にしかならないだろう。
「じゃあ、交渉して、すぐに工作の準備を整えないとね」
「はい。……それと、こちらはサンチェスター卿から、お手紙です」
「手紙?」
アルスはエリーゼから一通の手紙を受け取り、机の上に置かれていたペーパーナイフを手に取って、封筒を開封する。中に入っていた手紙を取り出して広げ、中身を検めると、アルスは目を瞬かせて、小さく息を吐いた。
「どうなさいましたか?」
「ヴァレリー侯爵家の検挙のために、サンチェスター侯爵に協力を仰ぐと」
「まぁ、道理ですね」
「それで、サンチェスター侯爵夫妻が僕のことを心配しているから、一度家に連れて来いと」
エリーゼは納得したように頷いた。サンチェスター侯爵夫妻――つまり、イルヴァンの父母は、当たり前のようにイルヴァンの相談を受け、婚約に横入りしてきた侯爵家の娘が、イルヴァンの婚約者の殺害を企てたことに腹を立てたそうだ。
イルヴァンの話を聞く限り、何度もイルヴァンとの婚約の打診を受け、それを断り続けている。そんな家の娘が実力行使に出たことによって、サンチェスター侯爵家は泥を塗られそうになっている。
当主の動きとしては極めて自然だ。ただ、アルシェスタはサンチェスター侯爵と夫人には因縁がある。
ヴァレリー侯爵家を検挙するにあたって、同じ家格であり、婚約に横やりを入れられた被害者であるサンチェスター侯爵家が出張るのは筋が通っているし、キングレー伯爵家が直接対抗するよりも勝機があるだろう。
であるから、イルヴァンの動きは決して間違ってはいないのだが、父母に頼るという発想になったことがないアルシェスタにとっては、少し面倒だと感じてしまうことは仕方のないことだった。
「とりあえず、第一騎士団の詰め所に行くよ」
「今から、ですか?」
「時間は無駄にしてられない。工作が遅れたら気取られるかもしれない。交渉が済めばすぐに動けるように用意はしてきたけど、少しの遅れが致命傷になることもあるでしょ」
「……そうですか。分かりました。エリーラには、サンチェスター侯爵家に伺うと返事をしておくように言っておきます」
「……。お願い」
重い腰をあげて、アルシェスタはサンチェスター侯爵家との対談へ向かう。その前に、第一騎士団の詰め所へと向かった。
◆◇◆
次の日の夕方。アルシェスタはタウンハウスへと戻ると、着替えを済ませて、サンチェスター侯爵家へ向かう準備を整えた。今日も騎士団の制服を身に纏って走り回っているイルヴァンは、時間ちょうどにタウンハウスへと迎えに訪れた。
黒を基調とした軍服は、第三騎士団の証だ。私服や平民服、ビジネススーツで仕事をすることが多い第一騎士団や、白を基調とした服に、鎧を身に着けている第二騎士団と違い、第三騎士団は黒を基調とした軍服スタイルで、魔術繊維を使って編まれた制服は、見た目のわりに強度が高く、軽い。
騎士団の制服の中でも、最も華やかとも言われている。そして、最も高価だ。魔物への対抗のために、耐久と機動力を同時に実現するために編み出された制服である。実際の討伐任務の時には、鎧を着こむこともあるが、式典や騎士の身分を証明する必要がある場では、これを身に纏っている。
「シェス。お待たせ、待ったか?」
「ううん。今、僕も帰ってきたところだから」
「そっか……何か変わったことはなかったか?」
「あれ以来、特に襲われるようなことはなかったよ。特に監視されている様子もない」
イルヴァンに手を引かれて、アルシェスタは金の向日葵の紋が刻まれた馬車へと乗り込む。基本的に、いつもイルヴァンがタウンハウスに遊びに来ている形になっているので、アルシェスタもサンチェスター侯爵邸に行くのは久しぶりだ。季節の節目に、タウンハウスで一人で過ごしているアルシェスタを気遣って、サンチェスター侯爵が身内のパーティーに招いてくるくらいである。
「急に呼び出してごめんな。でも、俺たちだけの問題じゃないって思ったから、親父と母さんには話しておくべきだと思って」
「まぁ、それはそうだよね」
「シェスは、キングレー伯爵と夫人には……」
「……。僕から何か言うつもりはないよ。でも、第一騎士団に届け出た事件だから、騎士団を通して実家の方に連絡が行ってるんじゃないかな」
家同士で婚約を結んだのだから、片割れが誰かの悪意に晒されたのならば、それはサンチェスター侯爵家・キングレー伯爵家に関わる事件だ。だから、普通は解決のために父母に相談をする必要があるのだろう。
けれどアルシェスタにとっては、それは普通ではなかった。あの両親が、自分を助けてくれるビジョンがまるで見えないからだ。だから、連絡なども騎士団に任せるつもりだった。
「……まぁ、俺の両親に相談した以上は、二人から経由して伝えられるだろうけど、それは勘弁な」
「分かってるよ。僕だって、侯爵家の検挙のためにサンチェスター侯の力を借りなければいけないことはちゃんと理解してる」
「そっか。シェスにとっては不本意かもしれないけど、とりあえず、親父と母さんに顔を見せてあげて欲しい」
イルヴァンの言葉に、アルシェスタは小さく頷き返す。少し互いの経過報告をすれば、サンチェスター侯爵邸にはすぐに辿り着いた。




