24. 幼馴染の憤怒
影の目を通して様子を見れば、案の定、思った通りだった。
令嬢たちが向かった先はヴァレリー侯爵令嬢の元だった。そして、その彼女は取り巻きを連れて、とある男子生徒を包囲している。
ベルローズに、革命の矢の一本として抜擢された、生徒会の同級生を。
近づいていけば、イルヴァンがぴくりと体を揺らして、足を止めた。アルシェスタにはまだ何も聞こえないが、五感が優れたイルヴァンは、会話内容を聞き取ったのかもしれない。
「シェス」
「……物騒な厄介ごとですか?」
「知ってたのか?」
「いいえ。推測だけです。でも、考えていたことはありました。生徒会しか知り得ない情報を使った賊の強襲――相手が一体、どこから情報を得たのか」
飛び出していきそうになったイルヴァンを、ぐいっと腕を引いて押しとどめる。
どうして、と言いたげなイルヴァンに、小さく首を横に振った。
「まずは状況の把握が先です。いきなり飛び込んで、事態が好転するかも分かりません」
「……分かった」
何とか宥めてから、ゆっくりとそちらへと近づいていく。
令嬢たちは、ビオを取り囲み、青い顔をしているビオを見下ろして、扇子を手で叩いたりなどして、脅している様子だった。
イルヴァンと二人で壁の傍にしゃがみ込み、会話を盗聴する。
「――ご自分の立場を分かっていらっしゃるのかしら。それとも、家族の命など惜しくないの?」
「……もう、もうおやめください、ヴァレリー侯爵令嬢様。あのような恐ろしいことを、してはなりません」
「どうして? あの方に相応しいのはこのわたくしなのよ。幼馴染というだけであの方の周りをうろちょろするあの娘は邪魔なのよ。だから、少し身の程を弁えさせようとしただけではないの」
「殺人未遂が、牽制だと? そのような理屈が罷り通るはずはありません!」
「わたくしは侯爵家の人間なのよ。格下の家の娘が一人、いなくなったところで、簡単に揉み消せるわ」
アルシェスタは、その会話を聞いて、首筋に冷や汗を感じていた。
(うわぁ……吐き気を催すほどの邪悪。なんでこんなに勘違いできるんだろう。余程甘やかされて育ったのか。自分よりも立場が上の人間なんて、この国には腐るほどいるのに。そして落ち着いてくれ、ステイ、イルヴァン、ステイ)
冷や汗の原因は、世間知らずの箱入り娘の世迷言ではなく、隣の幼馴染の、抑えきれんばかりの殺気だった。
イルヴァンは温厚な男で、怒ることは滅多にない。一つあるとすれば、自分本位な犯罪者の言い分を聞いているときくらいだろうか。
――まさに今、目の前で起きていることは、イルヴァンの温厚な心の殻を、いとも簡単に踏み抜いてしまったわけだ。
アルシェスタは飛び出していきそうになるイルヴァンの腕に何とかしがみついて、イルヴァンがすぐにでも飛び出して令嬢に苛烈な怒りをぶつけてしまいそうなのを、何とか止めていた。
「いいから、とっとと次の情報を寄越しなさい。お前のような平民が、私に気に掛けて貰えるだけで光栄だと思うのね。私の役に立ってくれたなら、将来うちで雇うくらいのことはしてあげてもよろしくってよ。光栄でしょう? ただの平民風情が、侯爵家で働けるだなんて」
「……そのようなことは望んでおりません。お願いですから、もうキングレー嬢に無体を働くのはおやめください」
「あら。お前も誑し込まれた口なのね。おかわいそうに。あんな外面だけの娘に騙されて、平民の生徒の皆様はいつも気の毒だと思っていたの。いい、この国では身分が絶対なの。貴族は平民よりも高い身分を誇りに思い、決して余人と同じ視線を持ってはならぬと教育されるのよ」
耳が痛い。なぜなら、アルシェスタはそのあたりの貴族教育を一切聞いていなかったからだ。
まったく共感ができなかったので、不要だと切り捨てたと言ってもいい。このあたりが、アルシェスタが貴族とそりが合わない一端を担っているのかもしれないからだ。
「だからあの娘も、本当はお前たちのことを見下しているの。騙されてはダメよ?」
「そのようなことは……決して。決して……」
「信じたくないわよね。けれど、貴族の娘なんてそんなものよ。分かったら、とっととあの毒婦を排除する手伝いをなさい。平民は貴族に傅くの。それがこの国の摂理なのだから、あんな娘が大きい顔をしていたら、貴族にとって迷惑なのよ」
身分を大切にすることは、決して間違ったことではない。
この国に強い身分制度を敷いているのは、国のために必要な人材を確保するためだ。彼らが古くから国に仕え、築き上げてきた地位、信用、功績――そういったものが、各家には残されている。
アルシェスタとて、自分の態度が貴族らしくないことは理解している。しかし、アルシェスタは自分の在り方を曲げる気はない。
たとえ貴族らしくないと言われても、自分らしい在り方を捨てる気はないのだ。
そもそも、伯爵家の娘に成績の上を取られ、影響力を認めている時点で、彼女らの敗北は決まっている。
彼女らが並べ立てているそれっぽい理屈は、何一つとして筋の通っていない、ただの我儘娘の癇癪なのだ。
(――見下している? 僕が、平民の皆を? いや、違うね。僕が本当に見下しているのは――)
アルシェスタの手にぐっと力が入った瞬間、耐え切れないと言わんばかりに、イルヴァンはアルシェスタを振り払い、勇み足で令嬢たちの元へと歩いていこうとした。アルシェスタはそっと息を吐き出して、ざわつく心のうちの憤怒の感情を必死に抑えながら、その後を追いかけ、また腕にしがみついた。
(あんたみたいに、生まれ持ったものに胡坐をかいて、自分自身では何もできないハリボテの貴族の方だよ)
やはり、この娘を野放しにはしておけない。アルシェスタの決意が固まったのは、その瞬間だった。
アルシェスタはイルヴァンに抱き着いて、耳元でそっと囁いた。
「イル兄、ちょっと待って。今出て行ったってしらばっくれられるだけだ。本気であのどうしようもないご令嬢を裁きたいなら、泳がせて証拠を固めた方がいい」
「けどさ……!」
「犯人が分かって良かったじゃない。ねぇ、イル兄。腐っても相手は侯爵家の令嬢なんだ。裁くために必要なのは何だと思う?」
「……えっと……」
「確固たる証拠と、根回しだよ。せっかく騎士団に連れてっても、親の権力で無罪放免になんてされちゃたまったもんじゃないでしょ。だから、後ろ盾をがちがちに固めてから検挙しないとね」
騎士団内で、賄賂を受け取って無罪放免をするような人間が担当にならないように根回しをする。
侯爵家の言い分に対応できるような後ろ盾を強化し、侯爵に話を付けて貰う協力者を選定する。
それらを丁寧に説明すれば、イルヴァンは幾分か落ち着いたように、肩を降ろした。
(さて――もしも彼が今日の会議の内容を漏らしたとしても、日の目を浴びる前に処理すればセーフかな。流石に、これを見逃したことがバレると僕もタダじゃおかなそうだけど……)
今日のベルローズからの情報共有の中には、洒落にならないほどの機密も含まれていた。これが漏洩すると、騎士団に捕まるレベルの諜報行為なのだが。
しかし、ビオの大きな声が聞こえてきて、アルシェスタはぴくりと体を揺らした。
「できません! これ以上は……」
「お前、本当に身の程を知らないのね。いいわ、だったらこっちにも考えがあるから」
何をする気だ、とアルシェスタがそちらを注視していると、ヴァレリー侯爵令嬢の侍従がビオを拘束し、そして彼女は懐から一本の瓶を取り出した。
それを強引にビオに飲ませる。一体何を飲ませたのだ、と注意深く観察していると、ビオが頭を押さえて苦しみはじめ、ふらふらと頭を円を描くように回し始めて、はたと見えた瞳が、微かに黄金色に輝いた。それを見て、アルシェスタははっと目を見開いた。
「――ッ! あいつら、なんてことを……イル兄」
「シェス?」
「お願いがある。隙を見て、彼女らからビオ様の身柄を引きはがしておいて欲しい。僕はすぐに知り合いの医師に手を回す」
「ごめん、何が何だか……」
「事情は後で説明する。とにかく、時間勝負なんだ。30分後に、裏門に彼を連れてきて」
アルシェスタはそれだけを告げると、そのまま急いで校舎裏を駆け抜け、学院の外へと連絡を繋ぐ。幸いにして、治療に知識のある知り合いが一人思い当たる。下町の片隅で受診者もあまりいない医院で働いているのだが、腕は確かな医師だ。
恐らく表の医院に彼を連れて行けば、色々と面倒なことになる気がする。こちらの根回しが全て済むまでは、隠れ家で保護した方がいい。
そう考えたアルスは、急いで手を回した。
30分後、イルヴァンは頼んだとおりにビオの身柄を確保して、裏門へとやって来た。回していた馬車にビオを乗せると、ビオは胡乱な目を彷徨わせながら、先ほどからまるで呻くように何事かを呟いていた。
こんな様子を見れば、イルヴァンも何かとんでもないことが起きているのを悟ったようで、馬車が走り出すと、アルシェスタを見つめて、焦ったように呟いた。
「シェス、彼は何をされたんだ?」
「自白剤だよ。禁制薬品だ」
「な……っ!」
自白剤――本人の意志を極めて希薄にし、質問したことに何でも答えるように差し向ける、国で禁止されている薬品だ。
本人の意志を無視して真実を語らせるほか、脳に致命的なまでの後遺症を残す可能性があるこの薬品は、王家の承認を得て騎士団が凶悪犯罪者に使うことしか許されておらず、民間での服用・使用は固く禁じられており、所持しているだけで刑罰の対象となる。
「治療は間に合うのか?」
「ギリギリかもね……でも、知る限り一番腕が良くて、ほとぼりが冷めるまで匿ってくれそうな医師を手配した。あとは祈るしかないね」
「そんな……彼がいったい何をしたって言うんだ」
ビオが家族を人質に取られて脅され、生徒会の行動を彼女に漏らしたために、先日の襲撃事件が起きた。けれどイルヴァンの中では、彼も完全に被害者となってしまった。
アルシェスタは、目の前で苦しそうに喘ぐ彼の姿を見て、胸の中が痛んだ。
「……僕が泳がせるなんて悠長なことをしたから、彼はこんな目に……」
「シェス、違う。間違ってない、シェスの感情は……だって、シェスは襲われた側なんだから、あらゆるものを利用してでも、ちゃんと犯人を追いつめるための道筋を立ててたんだろ?」
「イル兄……」
「頭に血が上ってた俺が言うことじゃないけど、自白剤なんてものが出てくるくらいなんだ。シェスの言う通り、完全にこっちで証拠を固めてから検挙しないと、また別のところに犠牲が出そうだ。結果的にこんなことになっちゃったけど、まだビオさんの症状が完全に出たわけじゃない。彼をちゃんと医院に送り届けてから、今後のことは考えよう」
「……うん」
イルヴァンに肩を抱かれて、アルシェスタは体の震えを徐々に落ち着かせていった。やがて辿り着いた下町の医師にビオを預け、集中治療室へと連れて行かれたのを見送って、アルシェスタとイルヴァンは待合室で、祈るように無事を祈った。




