21. 襲撃と違和感
トーマから、殺人事件の情報提供を願われた次の日。
もうすっかりと、殺しだの抗争だのと言う言葉が、自分の日常のすぐ隣で蠢いているのに慣れてしまったのは、何とも言えない気分だ。
殺人なんて、起きない方が良い。しかし、国の影に当たる部分では、それなりによくある出来事になってしまっている。
繁栄には影がつきものだ。国の栄華を享受する一族である貴族として、影で起きている凄惨な犠牲から目を背けてはいけない。
蝶よ花よと育てられる貴族の令嬢には、一般的には一生見ることのない光景だとしても。
「はぁ……」
「ビオ様? お疲れですか?」
今、アルシェスタはビオとエリーラと共に、キングレー伯爵家の紋が入った馬車に揺られていた。
来節に行なわれる魔術競技会の補助をしてくれる、民間の魔道具を扱う商会にあいさつ回りに行ってきた帰りだった。足を使う作業に下級生が抜擢されること自体はそれほど違和感はない。
アルシェスタはタウンハウスへと連絡を取り、馬車を回して貰い、ビオを乗せて商会を回っていた、その帰り道だった。
「そうですね……やはり、大人を相手にすると緊張します。僕は、本来なら働きに出ている身の上で、こうして機会を頂いて学院に通っている身ですので」
「それにしては、見事な立ち回りだったかと存じますが」
「ご謙遜を。キングレー嬢がフォローをしてくれたから、比較的ましな立ち回りができただけです」
「そんなことはありません。ビオ様は立派に相手のことを慮り、円滑にコミュニケーションを取れていたかと存じます」
相も変わらず、ビオの自己評価は低い。梅雨の節にあった定期考査では、相も変わらず上位を取っていたのに、だ。
生徒会に招聘された彼への風当たりはそれなりに強い。リリーナに比べればまだましだが、主に高位貴族の令息たちからは面白く思われていないそうだ。
「キングレー嬢はお優しいですね。生徒会に選ばれたことは、光栄である一方で、やはり身の丈に合わないと感じることもあります」
「仕事をできている時点で、器には疑いようもありません。ですので、少しずつ物事を前向きに考えてみるとよろしいかと」
ビオは苦笑して、そのまま俯いた。彼の自己肯定感の低さは、どうやら一朝一夕で直るような生易しいものではないようだ。
くぁ、と小さく欠伸を噛み殺しそうになるのを、何とか堪える。今夜は社交場を回って、明日はサボりの予定だ。
だからこそ、今日の重労働にもある程度耐えられる。つくづく、生徒会に入って面倒事が増えたとアルシェスタは心の中で愚痴を漏らした。
エリーラはそんなアルシェスタに苦笑している。馬車は穏やかに揺れ、何事もない、帰り道。とある細い、大通りから一本逸れた小道を歩いていた、その時だった。
「――? 今、馬の嘶き、何だか変ではありませんでしたか?」
馬が少し苦しそうに嘶いたのを聞いてアルシェスタがつぶやくと、エリーラははっとして、エプロンドレスの内側に隠していた武器を手に取った。
ワンテンポ遅れて、御者の悲鳴が響き渡る。
「な、なんだお前ら! うわぁああっ!」
「お嬢様、ドアから離れてください」
エリーラの表情を見て、アルシェスタは頷くと、そっと身構え、魔力を練り始める。すると、ドアをガチャガチャとし始めた何者かに向けて、エリーラはドアを内側から蹴破り、階段から吹き飛ばして落とした。
「クソ! この女!」
(……賊の襲撃。大通りではないとはいえ、人目がある通りで? 随分と舐められたもんだね)
どうやら曲者が出たらしい。隣でビオがびくっと肩を揺らして、カタカタと震え始めたのを見て、アルシェスタは早口で告げる。
「ビオ様。対面の座席の下にお隠れくださいませ」
「え……キ、キングレー嬢は?」
「私は侍女を援護して、曲者を撃退します。さぁ、お早く。躊躇っていると死にますよ」
震えるビオを半ば無理やり座席の下に押し込むと、アルシェスタは扉の外を見つめる。そっと立ち上がると、小さくぶつぶつと言霊を紡ぎ始めた。
魔術に詠唱は必要ない。けれど、詠唱をすることによって、コントロールをしやすくなったり、効果が高まったりすることはある。馬車の中へと雪崩れ込んでくる男たちを、水で押し流して外へとやれば、エリーラが好機と言わんばかりに外に飛び出て、男たちの利き腕を暗器で抉り始める。
アルシェスタはそのまま御者台へと飛び出すと、腹を刃物で抉られた御者の傷口を氷の魔術で凍らせて一時的な止血を試みて、そのまま賊の男たちの足の表面を氷漬けにする。
魔術によって水が撒かれているこの場において、濡れた足を瞬時に凍結することができる氷属性の魔術は脅威だった。
「クソ! 動けねぇ! ぐあぁ!」
「何だよ、これ……話が違う!」
「エリーラ、逃がさないでください」
「はい、お嬢様」
ジェームズ程ではないが、エリーラも凄腕の護衛だ。この程度の賊の襲撃ならば、アルシェスタの魔術の援護を持って迎撃できる程度には。
逃げようとした賊の足を氷漬けにすれば、エリーラはその男から膝下の自由を奪い、逃げられなくする。
「お、おい。大変だ。誰か、騎士団を呼びに行け!」
「お貴族様が! お貴族様が賊に襲われているわ!」
案の定、襲撃を目にした庶民たちは慌てて第二騎士団の駐屯所へと駆けこみに行った。
往来で強盗殺人をするならば、大事なのはスピード感だ。すぐに押し入って乗っている貴族を皆殺しにできなければ意味がない。
アルシェスタがそっと飛び降りたのを見て、ひとりの男が斬りかかってきたが、アルシェスタは足元に転がっていたナイフを蹴り上げて取ると、男の一撃をひらり躱して、肩口を切り裂いた。
強烈な絶叫をあげて、男はその場に蹲った。返り血で、白い制服がびしゃりと汚れる。アルシェスタははぁ、と息を吐き出すと、ナイフをぽいっと捨てた。
やがて、第二騎士団の者が集まる頃には賊は全滅していて、血を流して道に横たわっている。道は水と氷の魔術のせいでびしょぬれだった。
支部長と思しき第二騎士団を率いる男は、眼前に広がる光景を見て、絶句していた。アルシェスタはそれを見て小さく息を吐き出すと、近くで顔を青ざめさせてみていた庶民の男を掴まえて、金貨を一枚握らせる。
「申し訳ないのですが、そちらの御者の方を、医師に見せてくださいませんか」
「は、はい! わ、分かりました!」
かなり際どいが、止血のお陰で何とか助かって欲しい。そう思いながら男に御者を託し、通りの脇にあった医院へと担ぎ込むのを見ていると、支部長は我に帰って、慌てて賊の捕縛指示を出した。
石畳の道に無造作に捨てられた鋭利な大量の武器と、濡れた地面に散らばる鮮血から、明らかな事件性を見出した庶民たちは、遠巻きにざわざわと騒ぎ立てる。
「ご無事ですか、ご令嬢」
「ええ。何とか、大丈夫です。このような一般庶民の皆様がいらっしゃる場で狼藉を働いた者どもには、厳しい懲罰を願います」
「無論です。ご無事で何より。この男らは殺人未遂の現行犯で、第一騎士団の本部に連行します」
第二騎士団はそれぞれ手慣れた様子で、道の上に転がった賊たちを捕縛し、引っ立てて連れていく。目の前の男は敬礼をした。
「第二騎士団、第二十三区支部長、トロワであります。到着が遅れ、まことに面目ないです」
「何の前触れもなく、皆さまの目のあるところでの強盗殺人――救援が遅れても致し方ありません。許します」
「慈悲深きお心に感謝いたします。ご令嬢におかれましては、このような蛮行の被害に遭ったばかりでたいへん心苦しいのですが、事情聴取にご協力いただけないでしょうか……」
アルシェスタは、そっと振り返る。エリーラは、無数の傷を受けて、馬車に体を預けてぐったりとしている。この人数を、アルシェスタとビオを守りながら立ち回ったのだ。この程度の傷で済んだだけ、まだ運が良かったかもしれない。
「ええ、もちろん構いませんが――先に、従者に医師を手配していただけますか。彼女が庇ってくれなければ、今頃私を含めて同乗者は皆殺しにされていたでしょう」
「かしこまりました。ただちに騎士団病院を手配しますので、そちらで治療を受けていただきます」
「では、私は同乗者に事情を説明してまいりますので、少々お待ちください」
アルシェスタは丁寧に頭を下げると、馬車に戻り、椅子の下で丸まって震えていたビオに声を掛ける。
「ビオ様。終わりましたわ。私もエリーラも無事です。賊は第二騎士団の皆様に捕縛されました」
「……あ……っ! キ、キングレー嬢、血が……」
「血? ……ああ、大丈夫です。これは私の血ではありません。私には怪我一つありません」
ビオは何とか椅子の下から這い出ると、アルシェスタの白い制服にべっとりと着いていた血を見て、顔を青ざめさせた。アルシェスタは後方支援に徹していたため、実際に怪我をしていない。ビオをそっと宥めれば、彼はずっと顔を青ざめさせてぶるぶると震えていた。
「申し訳ありませんが、事情聴取を受けなければならないので、第一騎士団の本部までご同行いただけますか? 恐らくは、キングレーの紋を見てやって来た強盗ですので、あなたは無関係かと思いますが……一応は当事者ですので」
ビオは沈黙した。それを肯定と受け取り、アルシェスタは小さく頷くと、第二騎士団の用意した馬車に乗り換えて、第一騎士団の本部へと向かった。
本部へ向かう途中、ビオはずっと気が気ではなさそうだった。アルシェスタはそっと彼の顔を覗き込んで、労わる言葉を投げかける。
「怖い目に遭わせてしまいましたね。申し訳ございません」
「……いえ。キングレー嬢は、恐ろしくはないのですか」
「恐ろしいかどうかで言われれば、もちろん恐ろしいです。ですが、これでも国でも有数の大富豪の娘ですから。その威光に目が眩んで、蛮行に走る輩は絶えないのです」
「……これが初めてでは、ないんですか」
「そうですね。まぁ、色々と……」
あまり深い事情を伝えて怖がらせても申し訳ないので、曖昧に伝えれば、ビオはまたぶるりと肩を揺らした。
犯罪とは縁がない人間の反応として、あまりにも正常な拒絶を示すビオに、アルシェスタは安堵を覚えていた。彼ら平民に、このような恐ろしい事件に慣れてほしくはなかったからだ。
襲われた張本人と、巻き込まれた人間。励ます人間と、怖がる人間。
事実がちぐはぐと組み合わさった事象に、ビオが複雑な想いを抱いていたことに、アルシェスタは気づかなかった。




