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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 第一学期篇 かくして不良娘は運命に巻き込まれていく
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20. 日常の裏側で

 六度目となった仮面舞踏会(マスカレイド)の日。

 アルスは、アルコール入りの葡萄ジュースが注がれたグラスを片手に、白銀の仮面を身に着けて、手すりに背を預けて階下を見下ろしていた。


「いやぁ。まさか、仮面舞踏会(マスカレイド)で特定個人を探すなんて。あなたもなかなか無茶をなさいますね」


 眉を下げて苦笑するアルスの隣で麗しく微笑むのは、真紅の姫君だ。アルスにはローズと名乗った真紅の薔薇の君、ベルローズは、片っ端から壁の華に水をやっていたアルスを捉まえ、こうして階上へと引っ張ってきたのである。

 階下では色とりどりの花たちがダンスを楽しんでいる。気楽な場で純粋にダンスを楽しむ様は、娯楽として正しく回り始めていることを示していた。


「あなたに会いたくて来たようなものでしたから。仮面を付けていても、背格好や髪色が変わらないので、すぐに分かりました」

「ふふ、そうですか。しかし、お姫様の遊び相手としては私はあまりにも凡庸かと思いますが……私にどのような御用で?」


 ベルローズは、少しだけ疲れたような吐息を漏らした。

 リリーナの編入により、ユーウェル第二王子が彼女を庇護するような軽率な動きを見せた。

 その結果、ベルローズの派閥を中心として、社交界でしのぎを削る敵対派閥――というと、少し仰々しいかもしれないが――までをも揺らした。

 光の乙女の政治的価値は、階級の上へ行くほど理解が深く、下層に行くにつれて浅くなっていく。

 ベルローズをはじめとした、派閥の頂点に君臨する令嬢たちは、リリーナと接触していない。リリーナに厳しい言葉を向ける大半の令嬢は、派閥の中でも取るに足らない序列が下の令嬢が多いのだ。


 上の者であるほど、陰湿なあれこれで浪費をさせたりはしない。彼女たちは、手を下すと決めたその時は文字通り「一瞬」だろう。

 そういった状況にならない限り、穏便に済ませるためにベルローズや各派閥の長たちは手を回し続ける。彼女の最近の疲労の中心は、恐らくそれであろう。


「以前にあなたとお会いした時、わたくしは少しだけ愚痴を漏らしてしまったでしょう? 口で理不尽を訴えるだけはもうやめようと思って」

「おや。それはご立派ですね。現状を嘆くのでは、なかなか未来は変わりませんが……行動さえすれば、好転にしろ転落にしろ、何かしらは動くでしょうから」

「ええ。……わたくしの運命は、たった一人の少女に握られているの」

「……へぇ?」


 その少女は――文脈から言えば、恐らく光の乙女だろう。

 彼女の筆頭公爵家令嬢という立場、そして次期王子妃という未来を揺らす可能性を孕む危険分子――第二王子との恋情に浮かされる運命の乙女、リリーナ。

 ベルローズがなぜ、ここまでの危機感をリリーナに覚えているかは分からないが、彼女の声音には冗談の色は含まれない。


「その少女がどのような未来へ進むかによって、わたくしの未来は閉ざされてしまったり、絶望に落とされたりしてしまうのよ」

「にわかには信じられませんね。人ひとりの在り方を変えてしまうほどの力が、その少女にはあると?」

「そうね。今はまだ、どう転ぶか分からないけれど――わたくしは、彼女の一挙手一投足から目を離してはならないの。気が付けば、自分の積み上げてきたものが全て崩れ去っている、なんてことにならないようにね」


 アルスにとって、天上の人々が千里眼にも等しい先読みで、何を見通しているのかは全く理解ができない。

 しかし、アルスにも見えていない国の裏の部分などいくらでもあるのだろう。

 たとえば、ベルローズの力が削がれることによって、社交界での戦況がどの派閥にどう傾くか、など。国の中枢で大局を見据えている人間にしか見えぬこともある。つまりは、一般的には情報不足で推理が及ばぬ部分だ。


「でも、ここであなたと会って、あなたと話してから……来るかもわからない未来に一方的に絶望するのは止めようと思ったの。この四半期に、できる限りの根回しは済ませて――いよいよ動こうと思っているの」

「あなたの努力が実ることをお祈りしていますよ、姫君。僕のような夜を渡る遊び人には、星を見上げることくらいしかできませんが」

「十分よ。わたくしにとって、これを言語化して誓うことこそが、とても勇気のいることだったんだもの」


 目標を言語化し、必ず達成すると断言する。

 それだけで成功率が全然違うものだ、と感じたのは、ビジネスを本格的にやり始めてからだった。

 ベルローズの言葉には、強い決意が込められているのを感じられた。


「ねぇ、覚えてくださっているかしら。あなたが先日、別れ際に言ってくださったこと」

「……。さて、何でしたっけね」

「もう! 意地悪なんだから」

「冗談です。この華やかな会場を抜け、現世で相まみえることがあれば、あなたの願いを叶えるという話でしょう?」


 けらけらと笑えば、ベルローズは年相応に少しだけ頬を膨らませて怒りを示す。

 普段は庭園に咲く薔薇のように気高い少女の側面を見て、アルスは微笑ましくて口元を緩める。


「実はあの後、あなたのことを探してみたのですけれど、見つからなくて」

「……」

「わたくしが卒業するまでに、あなたの現世での名と姿を見つけることが、わたくしにとって、一つの楽しみになって参りましたの」

「おやおや。では、僕の正体を暴くその日を、楽しみにしておりますよ、ローズ姫」


 本当は、週に一度正面に腰かけ、記録を取り、書類仕事を手伝っている、学年が一つ下の、生徒会役員だなんて――。

 彼女に見つかることは永遠になさそうだな、とアルスは肩を竦めた。


◆◇◆


 仮面舞踏会(マスカレイド)が終わり、少しだけ酔ってしまってふらふらしている大公を回収し、クラブへと帰還した。酔いが少し抜けるまでVIPルームで休ませ、水を差し出す。大公にとって、一番安全な場所が、ここらしい。

 アルスは着替えを済ませて、ビジネス用のスーツに着替えると、ホールへと出た。クラブのオーナー兼支配人として、定期的にホールに出てトラブルに対処したり、客層を観察したりすることは大切なことだ。

 流石に仮面舞踏会(マスカレイド)の後に夜遊びをする体力を残っておらず、茶を濁す要領で、支配人の業務を始めたのだが――。


「支配人、よろしいですか」

「ん。何かあった? トラブル?」

「……入口の所に、第一騎士団の方がお見えです」


 アルスは目を小さく見開いた。

 第一騎士団は、王国騎士団の中でもエリート集団だ。国内外での凶悪犯罪を相手に、日夜国の平和を守るために奔走している。

 アルスの専属護衛騎士であるジェームズも、この第一騎士団の出だ。第二騎士団で十分な下積みを行ない、だいたい30前後の歳でようやく抜擢されることもあるそうだ。曰く「若い正義感に振り回されて、命を捨てないように」少し落ち着いた年頃の騎士が多いとのこと。


 従業員は不安そうな顔をしているが、このクラブは第一騎士団に取り締まられるようなことはしていない。

 彼らの用事は、恐らくアルスに対してだろう。アルスは以前から第一騎士団に情報を流す役目を、第一騎士団の偉い人からやんわりと頼まれて引き受けている。とはいっても、自分で調査をするわけではなく、大抵はクラブ内で見聞きしたことを流しているだけである。


「分かった。僕が対応するから、持ち場に戻っていいよ」

「はい。分かりました、お願いします」


 従業員は一礼をすると、持ち場へ戻っていった。アルスはネクタイを軽く締めなおすと、店の入り口の方へ向かっていった。

 店の入り口にある小さな待合室には、二人の男の姿がある。30半ばに見える長身の男と、30に満ちるかどうかという若い男だ。そのうち、長身の男とは、アルスは顔見知りだった。


「やぁ、こんばんは、トーマさん。お久しぶり」

「よ。嬢ちゃん。悪いな、こんな夜分に」


 手慣れた様子で挨拶を交わすこの男の名はトーマ・ブラックレイという。元子爵家の三男で、今は騎士爵を貰い、準貴族として第一騎士団の一課副長として、主に国内の殺人・傷害・誘拐事件の捜査を担当している。国には珍しい漆黒の鴉色の髪が特徴的な美丈夫だ。


「君、副長に何て口の利き方を――」

「テオドール。俺のかわいらしい友達なんだ。気にしなくていい」

「そっちは新人さん? トーマさんの部下?」


 いかにも配属されたばかりと言わんばかりの青臭さとまっすぐさを感じる若い男は、少しだけむっとした顔をした。いかに新人と言えど、明らかに10歳ほど年下の少年に侮られる筋合いはないと言わんばかりに。


「こいつはテオドール。青二才だが足も報告も早くてな。しばらく俺の下で揉むことになった」

「そうなんだね。どうもー。当クラブ支配人にして、ACE(エース)社長、アルスだよ。よろしくね」


 ACE――Act、Cachinnate、Entertainmentという古代語を並べた、アルスの立ち上げた商会の名だ。

 特に意識はしていなかったのだが、アルスにとって「エース」という単語は何かと縁があるのかもしれない。

 テオドールは訝しげだ。アルスは自分の見た目が幼く、胡散臭い自覚はあるので、特に珍しい反応ではなかった。


「丁寧に対応したいんだけど、今VIPルームでやんごとない方が休憩なさっててね。あまり心労を掛けたくないから、できる限り手短に頼むよ」

「おっと。そいつぁ間が悪かったな。すまねぇ。だがこっちも、ちょいと厄介ごとでね」

「――とりあえず、支配人室に通すよ。こっち」


 アルスは少し考えた後で、第一騎士団の二人をバックヤードへ連れ、支配人室へと通した。

 支配人室は、応接間くらいの間取りで執務机とアルスが趣味でデータをとっている統計資料等がぎっしりと詰め込まれた書架がある程度の、そこまで豪奢でもない部屋だ。

 広いスペースに置かれたふかふかのソファに二人を座らせ、少し冷めてしまったコーヒーを軽く温めなおして二人の前へとそっと置くと、アルスはその正面に腰かけて、伊達眼鏡をそっと取った。


「嬢ちゃんは相変わらず勉強熱心だな。俺ぁ、あんな数字の山を見たら頭が痛くなっちまうわな」

「結局、過去のデータって大事だからね。数字は嘘を吐かないし。ここ30年ほどの娯楽経済の右肩上がりは、分析していてすごく面白いよ。平民の就職率とかにも寄与してるし」

「へぇ。遊びが流行ると皆仕事をするのかい」

「お金が欲しくなったら、仕事をするんだよ。平民からすれば、貴族みたいな贅沢よりも、自分の手が届く場所に楽しいものがあった方が、お金を使って楽しみやすいでしょ」


 高級なものが食べたい、といった贅沢なら、その時に少し高級なレストランに行けば事足りる。それを継続して毎日食べたい、と思うのは、平民の中ではそれほど多くない、というデータがある。

 贅沢の仕方が分からない、の方が正しいかもしれない。


「――あの。さっきから気になってたんですけど。嬢ちゃんって……」

「ああ。嬢ちゃんはこんな見てくれだが、立派な貴族令嬢だよ。他人の素性をぺらぺらと話す趣味はねぇが、一応口の利き方には気を付けた方がいいぞ。お前よりもだいぶ身分が上の御方だ」


 するとその瞬間、テオドールの背がすっと伸びた。肩が上がり、緊張感が見える。アルスはひらりと肩を竦めて、足をそっと組んだ。


「まぁ、僕はそういう煩わしいのが嫌で、こんなとこでこういう格好をして金稼ぎしてるんだけどね」

「嬢ちゃんならそう言うわな。んでも、俺が嬢ちゃんくらいの歳の時は、ずーっと剣握って野山走り回ってる悪ガキだったよ。立派なもんだ」

「そういうヨイショはいいから。それで、今日はどんな御用かな」


 用件を促せば、トーマは神妙な顔をして、そっと膝の上に拳を置き、瞳を細めて明瞭に告げる。


「この道から四本、大通りから遠ざかった道で、不審死体が上がった」

「……四本。ああ、あの辺はマフィアが牛耳ってる、特に治安が悪い地域だね。まぁ、死体は珍しくないだろう地域だけど……」

「そうだな。俺らに回ってくる案件ってことは、結構重要だとお上が感じてるってこった。なんせ、そんな地域でやられてんのにも関わらず、金品の類は持ち去られてなかったからな」


 マフィアが牛耳る下町へ、無警戒で踏み込んだが最後。訳も分からないうちに強盗に遭い、殺されて金品を巻き上げられる、などということはよくあることだ。この辺に住んでいる人間なら誰もが知っているし、あのあたりには施設がないので、一般人も足を踏み入れることはない。

 あそこへ行く人間は、訳アリばかりだ。たとえば、俗世で居場所がなくなった人間、とか。


「じゃあ、マフィアの仕業じゃなさそうだね。奴らが金品を見逃すわけはないし、何より死体を自分たちの縄張りに残すような真似はしない」

「その通りだ。誰かがマフィアの奴らが殺しをやったと見せかけてぇんじゃねぇかと。そういう話だな」

「ふーん……不審死体ってのは?」


 トーマは懐からキセルを取り出して火をつけ、ふぅ、と紫煙を吐き出した。少し考える間があった後、できる限りアルスに配慮したように告げる。


「そいつは、金品じゃなくて身元を奪われてる死体だったのさ」

(――身元。たとえば、焼死体だったりとか、顔を潰されていたりとか、そういう話かな)

「ひとまず、この周囲での目撃情報を集めててな。たとえば、そのマフィアの縄張りに誰かが連れて行かれたとか、そういう」


 恐らくそれだけではないだろうが、アルスが踏み込むべきところではないのは確かだ。


「このクラブの人間に聞き込みをすることを許可してほしかったんだが、今日は止めた方が良さそうだってんならまた日を改めるよ」

「そうだね。ひとまず、僕の方でも一応声を掛けておいて、聞き込みがスムーズにいくようにしておくよ。明日から三日ほどかければ、うちで働いている全員から話が聞けると思う」

「助かるよ。いつもありがとな、嬢ちゃん。また謝礼はいつも通りに」


 裏の社会の隣人であるアルスの元には、時折こういった少し不穏なものも持ち込まれる。

 それらとうまく、踏み込み過ぎず、突っぱね過ぎずで付き合っていくのが、今のアルスの立場を作り上げていた。

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