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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第零部 前日譚 不良娘はいかにして過ごすか
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03. 不良娘の表の顔

 湯浴みを終えて、髪を乾かし、薄い肌着に着替えると、部屋に置いたマットの上で、ぐいぐいと体を伸ばしながら、小さく欠伸をした。

 アルスが目を瞬かせて、眠気を抑えられずに柔軟をしていると、ドアがノックされ、その奥からは二人の女性が現れた。


 一人はビジネススーツを着こなした利発そうな眼鏡の女性。もう一人は侍女服を着こなした、片目を前髪で隠している大人しそうな女性。

 二人は雰囲気は真逆だが、容貌はよく似ていた。なぜなら、二人は双子だからだ。

 同じ金色の髪、同じ翡翠色の瞳を持つ双子の女性は、柔軟のために足を開いて指先に手を引っ掛け、体を伸ばしているアルスに向かい一礼する。


「失礼します。お嬢様、お疲れ様でございます」

「エリーゼ、エリーラ。今日も一日ご苦労様」


 エリーゼ、エリーラ姉妹は国のとある小さな男爵家の出で、今は家の籍から抜け、平民として身を立てている。そんな二人が今仕えている人物こそ、アルス――否、アルシェスタ・キングレーだった。

 貴族の令嬢とは思えないほどに足をしっかりと開いて柔軟をこなすアルシェスタの様子を、もう見慣れてしまったからか誰も指摘をしない。


「明日のスケジュールについて確認に参りました」

「ん」

「明日は夜の7時より、モスラメオ商会のビルディ様との会食が入っております。その後、夜の8時より当人とその役員様との商談、夜の9時からクラブ・アルカンシェルにてクラヴァンス侯爵の接待――それから」

「それから?」


 エリーゼが秘書として、すらすらと予定を読み上げていく。しかし一度言葉に詰まったところで、アルシェスタは小さく首を傾げた。エリーゼは少し迷った後で、はっきりと告げる。


「――ベルザンディ伯爵より、少し会う時間を取りたいと」

「……おやおや」


 アルシェスタは小さく肩を竦めた。エリーゼの戸惑いも最もであった。

 ベルザンディ伯爵は、アルシェスタがこの王都にて色々な商いを始めた当初より目を掛けられ、何かと支援を受ける相手ではあるのだが、その御仁の背景が大問題なのである。

 ベルザンディ伯爵という名前は確かに王国内には存在するのだが、しかし優秀な貴族の諜報部門をもってしても、そのベルザンディ伯爵の正体に辿り着くのは極めて難しいとされるほどに、謎に包まれた御仁だ。

 しかし、彼から支援を受け、目を掛けられているアルシェスタは、その正体をもちろん知っているのである。


「西国との交渉は、上手くいったのかな」

「そのようでございますね」

「まったく、そのままゆっくり旅行でもして来ればよかったのに。社交シーズンも近くて、きっと忙しくなるだろうから」


 ベルザンディ伯爵の、表での身分はウルズ大公。

 現国王の正妃に、男子が二人生まれたことによって臣下へと下り、今は外交の補助や、王国の治安維持を担っている王弟その人である。


「なぜ王弟殿下がこれほどまでに気に掛けてくださるのでしょうか。何か私たちに関わることでメリットが?」

「いや……あの王弟(オヤジ)のことだから、たぶんそんな大した理由じゃないよ。キングレー伯爵家は政治に興味がなく、金儲けにしか興味がない。もっと言ってしまえば、領地をどでかい娯楽の都にすること以外に興味がない」

「キングレー伯爵家は完全に中立でございますから、王家も安心して関われるということでしょうか」

「そう。仲良くしておいてメリットしかない家だから、できれば王家が抱え込んでおきたい家ではあるんだ。こんなに金持ってて、政治や権力に興味ない国内の貴族家なんてうちくらいだからね。そんな僕が、金を湯水のように使ってバカを企んでるのを特等席で見たいんだよ、あの人は」


 アルシェスタの王弟への評価は、ただ一つ。自分と同類の遊戯(ゲーム)中毒(ジャンキー)であるということだった。

 実際に、王都でやってみたい新たな娯楽の話しか彼とはしない。政治や貴族、王家といった話はほとんど彼との会話の中で出てこない。

 王弟の企みは、どうやらアルシェスタがどんなバカな興行を盛大にやるかを最も近くで見物し、それに投資をして自分もお祭り騒ぎをしたいだけだ。

 ベルザンディ伯爵というのは、恐らく気に入った人間に投資するための王弟の隠れ蓑(裏アカウント)だ。


「領地の開発の方は順調?」

「はい。施工完了まで目算だとあと半年だそうです」

「よしよし、いい調子で進んでいそうで満足だ。王都に来て色んな社交界に顔を出して分かったけど、貴族たちは絶対に気に入るよ」


 頭の中で思い描く領地の姿を見て、アルシェスタは口元を緩める。少し上機嫌になったアルシェスタを見て、エリーゼはちらりとエリーラを見やる。その視線を受けたエリーラは粛々と懐から何枚かの招待状を取り出して、アルシェスタへと差し出した。


「お嬢様に、お茶会のお便りが何件か来ておりますが」


 そう告げると、アルシェスタは顔を引きつらせた。先ほどまでビジネスや娯楽の話をしているときはずっと上機嫌だったのだが、貴族の茶会や夜会の招待状の話をすればすぐにこれだ。

 それでも、茶会や夜会への参加は、貴族の女子として参加の義務がある催しごとだ。男爵家出身のエリーゼやエリーラは、そのあたりに対して容赦がなかった。


「……行かなきゃ、ダメ?」

「断れる分はすでに除いてありますので」

「だってだって、お茶会なんてあれ、ただの派閥への勧誘だよ。訪問販売みたいな悪質さがあるよ? 同じ派閥のご令嬢で寄ってたかって僕を虐めて!」

「仕方ありません。キングレー伯爵家は中立で、金や王家の信用を持っている希少な家ですから」


 貴族社会には派閥というものがあり、このエルデシアン王国は王制ではあるが、政治には貴族の関与が避けられない。

 そんな貴族たちはいくつかの派閥に分かれ、派閥争いを繰り広げている。古くから国に存在する貴族たちはすでに不動の地位を築き上げており、派閥の移動も余程のことがなければ行なわれない。

 しかしキングレー伯爵家は、現当主で8代目というまだ新興の方の貴族であり、しかも伯爵位まではあっという間に出世をしたにもかかわらず、どの代でも派閥に着いたことがないという変わり種だ。

 その状況が変わり始めたのが近代である。今の先々代が領地の開発を、国の助成金を使って一気に推し進めたのをきっかけにして頭角を現し、大富豪となったのを機に、色々な人間がキングレー伯爵家を派閥争いに巻き込み始めようとした。


「でも、今だって領地でバカみたいに金を儲けて金を回して金を使ってるのが許されてるのって、僕らが国庫をずぶずぶに潤してる中立の家だからだよ。どっかに所属したりなんてしたら、これ以上領地を大きくできないじゃん!」


 王家に目を付けられでもしたならば、開発計画のいくつかは頓挫する。

 せっかく無駄に魔道具を使ってギラギラに飾り付けようとしていたのに、それらもすべて水の泡。

 しかも、王家から任された大切な施設の建設も進んでいる。そんな状態で、キングレー伯爵家がどこかの派閥に入ることは許されない。

 金に目が眩んだ貴族どもは、それを忘れて必死にキングレーを口説くのだ。国王に叛意があるとでも言いたげに。


「そうなったら僕の夢だってパァだ! 絶対にどこかの派閥に入るなんてありえないんだから、お茶会になんて誘ってくるなよー!」

「お嬢様、落ち着いてくださいまし」

「もう、ほんっとに貴族社会って嫌い! 嫌い! 大嫌い!」


 珍しく癇癪を起こした主を、エリーゼとエリーラは疲れた顔で見合わせて小さく息を吐き出した。

 アルシェスタ・キングレーは実業家として天賦の才を秘めていた。物心ついたころから、アルシェスタの発想はこの国にないものだった。倫理観、死生観、貴族の女子としての思想もずれており、生み出したアイデアが無数の金の種を生んだ。

 アルシェスタにその不思議な発想の出所を聞けば「頭の中に靄がかかったような智慧があり、それらをアイデアとして実体化している」と言う。アルシェスタの才を知る者は、全てそれが「彼女の強い想像力・空想力を起因とするものだ」として結論付けた。

 実際に、レンタル業や新たな娯楽の提供、コンセプトを決めたクラブの複数経営などによって、アルシェスタの手元にはもうすでに一般の貴族の女子が持てるはずもない莫大な資産が築き上げられている。


 アルシェスタ・キングレーは紛れもなく天才だった。ただ、貴族の女子としては致命的に色々なものが抜け落ちていた。


「……お嬢様。夜遊びの時間が減るのはお嬢様にとって遺憾だと思いますが、筋は通さなければ。そうでしょう?」

「うぅ……」

「一度目通りが住んでいる方からの招待状に関しては、丁寧にお断り申し上げておきますから。お嬢様、どうかキングレー伯爵家のために」

「……分かってるよ。行けばいいんでしょう、行けば」


 アルシェスタは、貴族の令嬢として社交をするのが嫌いだった。彼女は貴族社会そのものに嫌悪感を抱いている。

 身分制によって、能力のない者がふんぞり返っている現実を、弱肉強食の世界を好むアルシェスタは認められない。

 何よりも、ご令嬢方の悪意を嘘で塗り固めた言葉の一つ一つの真意を探って神経を尖らせなければならない拷問のような場所に、一人で放り込まれるのが嫌だった。


 それでも、アルシェスタも実家を嫌っているとはいえ、キングレー伯爵家が嫌いなわけではない。キングレー伯爵領に住む領民たちと、あの煌びやかで欲望に満ち溢れた街を愛している。

 それ故に、王都の社交場において、キングレー伯爵家の名に泥を塗るような立ち回りはしないと決めている。

 癇癪は起こすし、当日は文句まみれだが、社交は百点満点で帰ってくる。

 エリーゼとエリーラは、そんな主の気質をよく知っていた。


「では、お嬢様。店の方は、私にお任せください。6時になったらお迎えに上がります」

「はぁい。あ、そうそう、エリーゼ。これをいつものとこに寄付しといて」


 アルシェスタは手元にあった金貨が詰まった袋をエリーゼに手渡した。この国の通貨で、100万ユースぶんの価値がある。


「かしこまりました。手配しておきます」

「よろしく。じゃあ、お休み、エリーゼ。いい夢を」

「はい。じゃあ、エリーラ。お嬢様のことをお願いします」

「はい、お姉様」


 エリーゼは眼鏡のフレームを軽く押し上げると、そのまま踵を返して部屋を退室した。姉の背を見送った後、まだ少し頬を膨らませて不機嫌そうなアルシェスタを見て、エリーラは困ったように微笑んだ。


「お嬢様。そろそろお休みになりませんと、明日の学院に遅刻なさいますよ」

「はぁい。エリーラもお休み。いい夢を」

「はい。お休みなさいませ、お嬢様」


 エリーラは頭を下げて、そのまま退室した。アルシェスタは柔軟をやめると、寝間着に着替えて水を飲みこみ、そのまま眠りへと落ちていった。


 朝。微かな日の光がカーテンの隙間から差し込む。太陽が顔を出し、人はその庇護のもと働きに出る。

 アルシェスタはぱちっと目を覚ますと、そのままゆっくりと起きて、ぐいっと体を伸ばした。そのままそっと立ち上がると、寝起きとは思えないほどにきびきびとした動きで準備を進める。

 ドレッサーの前でメイクを施すと、(ウィッグ)用のネットを広げて、毛量の多い赤色の髪を纏めてその中へと仕舞い込んでいく。ドレッサーの脇に避けられていた首上だけのマネキンに被せられていた淡い青色の(ウィッグ)を手元に持ってくると、慣れた手つきで髪を編み、後ろでリボンの髪飾りでハーフアップにする。

 髪を結い終えると鬘を被り、丁寧に鏡を見ながら髪をもう一度整える。化粧と髪のセットを終えて立ち上がると、コルセットをきつく腰に巻いた。

 クローゼットを開くと、三つ吊られた同じ学院の制服のうち、一つを手に取って着替える。ワンピースタイプの着替えが楽な服は、貴族の召し物とは思えないほどに機能的だった。白を基調とした清楚なワンピースには青の差し色が鮮やかに目立ち、リボン型のネクタイと、胸ポケットに入った学院の紋章が目に入る。

 膝上にふわりと広がるスカートを丁寧に伸ばすと、白いソックスを履いて、もう一度立ち上がり、ドレッサーの前へ向かう。


 すると鏡の向こうには、まるで別人の少女の姿があった。

 淡い青色の髪は、空の色のように美しい。キングレー伯爵家は外国からやって来た商人を起源とする家であるので、青い髪は国内でも少し珍しい。瞳は海を映し出した藍玉(マリンブルー)で、こちらもまた珍しい色だった。

 全体的に色素が青に寄った容姿は、静謐さと見ていて落ち着くような沈静作用がある。彼女が口を開かなければ、だが。

 きわめて珍しい容姿の特徴を持つ大富豪の娘、アルシェスタ・キングレーのあるべき姿がそこには映し出されていた。


 ちょうどそこまで終わったところで、部屋のドアがノックされる。呼びにやって来たのはエリーラだった。


「お嬢様、本日もご自分でご準備なされたのですね」

「まぁね。これくらい人の手を借りずにやれなきゃ、市井では暮らせないでしょう?」

「……さようですか。お食事の準備ができております」

「うん。今行く」


 アルシェスタはそっと立ち上がり、スカートの裾を翻して、エリーラの後に続いて部屋を出た。

 キングレー伯爵家のタウンハウスは、王都の郊外の閑静な住宅地の傍にある、それなりに広い敷地に建てられた最新の建築様式の建物だ。領地の煌びやかさから考えれば慎ましい印象はあるが、周囲の建物を見渡せば、桁が一つか二つほど増えそうであることは明白だった。

 そんなタウンハウスでは、維持のためのハウスキーパーが3人。生活を補助する侍女はエリーラが一人、普段は外で寝泊まりをして下町を駆け回っている秘書はエリーゼのみ、そして家を守っている護衛騎士のジェームズの一人と数名の守衛という、人数をギリギリまで削った暮らしをしている。

 アルシェスタの家族はいない。キングレー伯爵家の人間は、余程のことがなければ領地から出ないのだ。


 より正確に言えば、王立学院への進学に際して、母が同伴しようと息巻いていたがアルシェスタが断った、が正しい。


 ほかほかのスープとパンを食べながら、アルシェスタは小さく欠伸を噛み殺した。伯爵令嬢の姿をとっているときでも、彼女の本質は変わらない。少し気を抜くと不本意な表情や行動をしてしまうこともある。

 エリーラが小さく咳ばらいをすると、アルシェスタは面倒くさそうに小さく息を吐いて、エリーラに声を掛けた。


「エリーラ。チューニングする」

「はい。いつものですね。では――アルシェスタ様、おはようございます」


 エリーラが小さく頭を下げ、アルシェスタに向けて、少しわざとらしく、明瞭に挨拶の言葉を述べた。それに対して、アルシェスタは一度食器を置いて、喉に手を当て「あー、あー」と小さく声を発した後で、おっとりとした淑女の笑みを浮かべて、小さく首を傾げた。


「おはようございます、エリーラ」


 その口から出た声は、いつもの声よりも少し上ずっていて、少しだけハイトーンだった。鈴を転がしたような愛らしい透き通った声は、昨日裏カジノで存分に大人を煽っていた悪ガキのアルトボイスとは程遠い。

 エリーラが頷き返せば、アルシェスタは肩を竦めて、そのまま食事へと戻った。


「今朝はイルヴァン様がお早めにお迎えにいらっしゃる日ですね」

「そうだね。イル(にい)ってば、いちいち迎えに来なくていいのに」

「伯爵夫妻から、くれぐれもお嬢様を頼むと念を押されていらっしゃるようですから」

「親父も母さんも大げさなんだよね。まぁ、イル兄も仕方ないか。こんな不良娘の婚約者を押し付けられたんだから」


 食後の紅茶を飲みながらそんな会話を交わしていると、訪問者を告げるベルが鳴り響き、エリーラが対応へと向かった。その間に紅茶を片付けて学院に持っていく革の鞄を整理していると、エリーラが戻ってくる。


「お嬢様。イルヴァン様がお迎えにいらっしゃいました」

「はーい」


 アルシェスタが鞄を抱えて、エリーラが道を開ければ、迷うことなくエントランスホールへと向かっていく。大股だった足取りは徐々に淑女らしい歩幅へと改善されてゆき、エントランスホールへと辿り着くと、その中央で、ぼんやりと大きな花の絵画を見つめている一人の男の姿があった。


「イル兄、おはよ」


 声を掛ければ、彼はゆっくりと振り向いて、そうして満面の笑みを浮かべた。

 毎日、毎朝アルシェスタを迎えに来る、一学年上の先輩にして幼馴染、そして婚約者である侯爵家次男、イルヴァン・サンチェスターは、アルシェスタへと優雅に歩み寄った。

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