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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 第一学期篇 かくして不良娘は運命に巻き込まれていく
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18. 一筋の光

 ジェフリーとダンスを踊り終わったアルシェスタは、二人で和やかにイルヴァンの元へと戻ると、ジェフリーの手から丁寧にイルヴァンへと返された。

 そのやり取りを見て、察しのいい者は理解をした様子だった。


(……さて。奇妙なことに巻き込まれちゃったけど、やっと静かになったな。リリーナ嬢はっと……)


 アルシェスタはグラスを持ち上げながら、そちらの方へと目をやった。

 すると彼女は、淡いピンクのドレスを上手に着こなしながらも、すっかりと壁の華になっている。周りの人間は、リリーナを遠巻きにこそこそと話しているくらいで、誰一人としてリリーナに近づこうとする者もいない。


(……あーあ、まったく。僕は君を会場の飾りにするために、背筋の伸ばし方を教えたわけじゃないんだけどな)


 すっかりと俯いてしまっている綺麗な花は、茎が折れかけたように萎れていた。

 この身が男性の格好をしていたならば、壁の華になっている少女の手を引けるのに。それをもどかしく思いながらも、せめて近くに行って声を掛けるくらいは――と思った、その時だった。

 リリーナに近づく、令嬢の集団が見えてぎょっとする。ああ――ダンスに誘われない彼女を見て、詰りに行ったのだろう。アルシェスタはぐっと拳を握り締めて、判断を誤らないように頭を回す。


(……侯爵家のご令嬢の派閥だ。僕じゃ残念ながら歯が立たないな。個人で相手をするなら楽勝で言い負かせる自信はあるけど、派閥ごと敵に回すのは流石にちょっと分が悪い)


 アルシェスタはちらりとロイヤル・シートの方を見やる。ユーウェルに動く気配はない。

 恐らくだが、ベルローズの諫言があったからだろう。さしずめ、恋人を作るのは構わないが、公的な場でくらいは弁えろとでも言われたのかもしれない。

 となると、ユーウェルにリリーナのダンスの相手を頼むのは無理だ。となれば、心配ではあるがイルヴァンに頼むしかないだろうか。ともかく、何とか彼女が汚名を雪ぐ機会を演出できないか。


 そうこう考えているうちに、リリーナは令嬢たちに取り囲まれてしまった。ひとまず、イルヴァンに声を掛け、仲裁に入って少しでも時間を稼ぐか、と皮算用を始めた、その時だった。


「……あなたが動く必要はありません。元より、それは教師から押し付けられた労働の範疇を超えているでしょう」


 背後から静かで冷たい声が聞こえて、アルシェスタはそっと振り向いた。

 するとそこには、漆黒の礼装に身を包んでいるグウェンの姿がある。宵の秋桜という花の色に相応しい礼装には、金色の刺繍で、コスモスの花が描かれている。


「キングレー嬢、あなたは私に興味深いことを言いましたね。批判をするだけ、批判を受けるだけなら、誰にでもできると」

「……」

「ええ、何の反論もできませんでした。確かに、私が口にした彼女への批判は、教育を受けた貴族にならば誰でも出来る程度の、平凡なもの」

「……私は、クロスクロイツ卿に向けてその言葉を申し上げたわけではありませんが」


 アルシェスタが宥めるように言えば、グウェンは小さく首を横に振り、顔を上げた。

 彼の瞳には相も変わらずの冷徹さと、微かな諦観、そして怒りが浮かんでいる。けれど、口元は、名状しがたい悔恨のような何かが浮かんでいるような、そんな具合にきゅっと引き締められていた。


「あなたにとってはそうだったのでしょう。ですが、私にとっては、耳に痛い言葉でした。ですから、考えたのです。誰にでもできる批判をした私が、平凡ではなく無二になる為には、何が必要だったのか」


 グウェンは、アルシェスタの藍玉(アクアマリン)に自らの決意を映すように強く見つめながら、彼にしては珍しく乞うような言動を発したのだ。


「自分なりに考えた行動を、示して来ます。ですから、あなたはここでお待ちください」


 グウェンはそう告げると、背を向けて、そちらへ向かって歩いていった。

 ――リリーナが取り囲まれ出来上がった、会場に不似合いな物騒な輪へと。


◆◇◆


「――まったく、殿下も何を考えていらっしゃるのかしら。このような田舎者に目を奪われるだなんて」

「きっと、至高の宝石ばかりを見て育ってきた御方ですから、平凡な輝きが珍しかったのでしょうね」


 見慣れない高位貴族の令嬢たちに取り囲まれながら、リリーナはびくりと肩を揺らしていた。

 友人の大切な時間を使わせてまで、このパーティーのために準備をしてきたというのに、何一つとして報いられていない自分が嫌になる。リリーナはアガリ症だった。


(……怖い。シナリオ通りでも、向けられる言の葉は鋭利で――)


 リリーナがよく知っているシナリオが始まって、一節も経つ頃には、夢見心地も舞い上がった気分も、全てどこかへ吹き飛んでいた。

 疎ましく思われ、クラスメイトに話しかけても無視をされたり避けられたりするつらさ。

 ついていけない高度な授業、ままならないマナー、うまく使えない魔術の力。

 行間を読むという行為を完全に失念していたリリーナは、何もしなくてもシナリオ通りに進んでいくと思っていた物語がどこか歪にねじれ始めたあたりで、ここがリリーナの物語の世界などではないことを理解した。


 何も努力せず、何も身に着けておらず、何もなしえていないリリーナが、誰かから認められることはなかった。ヒーロー役の四人とはそれぞれ接触したが、原作ヒロイン(天真爛漫)のリリーナとして振舞うことは難しく、どうしても恥ずかしさと引っ込み思案が先行して、曖昧な返事をしたり、誘いを断り切れなかったりして、関係が拗れ始めているように思えた。

 今のままではいけないのに、そう思って、勇気を出して一歩踏み出した先で、原作で大好きだった友人と、縁を繋ぐことができたのに。


 リリーナにとって、どんなルートに進んでも、絶対にリリーナを裏切らない、大切な友人――。

 アルシェスタは、原作通りの優しさで、原作にないイベントに付き合ってくれた。マナーもダンスも、全て時間をかけて教えてくれたのに。


「――くだらないわ。こんな方が国の救世主なんて、世も末よね」

「あら。今って、そもそも救世主が必要なほどに緊迫した世の中でないのだから、皆騒ぎ過ぎなのよ。光の魔術が使えたって、誰でもない小娘なんか、誰も相手にしないわ」

「殿下だって、王家の義務でいやいや付き合っていらっしゃるのね。おかわいそうだわ。マギアス様と比べれば、何一つとして、十年かかったとしても、優れたところなんて生まれない小娘なんかに時間を使わされているだなんて」


 ゲームの画面越しにならば、他人事のように流せていた暴言たちが、耳に入り、心を刺すたびに胸を切り裂くような痛みが走る。

 どきどきが止まらなくて、息苦しくなる。リリーナは蹲りたいのを必死にこらえて、瞳に溜まった涙を流さないようにするので必死だった。


『見返したいんでしょう? でしたら、戦わねば』


 アルシェスタの声が、頭の中で響く。その言葉は正しい。リリーナもそう考えたからこそ、アルシェスタに助けを求めた。

 でも、ヒロイン(リリーナ)のように、リリーナは強くはなかった。どこにでもいるただの女だということに気づいたとき、目の前で、未来への扉がゆっくりと閉じていくのが見えた気がした。


(……やっぱり、私は主人公にはなれないんだ)


 一度でいいから、特別な人になってみたかった。

 そんな特別な人に憧れて、誰かの傍にいた人間だった。主人公のような人の傍で、ずっと光を浴びて、影の中にいた人生を送ったような朧げな記憶が、蓋の淵からじわじわと溢れてくるような、不思議な感覚を覚えた。

 周りは敵だらけ。アルシェスタは、恐らく助けには来られない。彼女には彼女の社交がある。

 四面楚歌、というのだったか。リリーナがそんなことを考えながら、涙が一筋、頬を伝った、その時だった。


「――失礼」


 静寂を切り裂くように、冷たく、淡々とした、しかし力強い一言がその場に響く。


「そこを通していただけますか」


 静かな憤怒を内包した声で促されれば、先ほどまで止まらぬ口でリリーナを詰り続けていた令嬢たちが、二つに割れて道を作る。

 その奥から現れたのは、リリーナに一番強く、苦言を呈していた人物。


 ヒーローの一人。宰相の息子、グウェン・クロスクロイツ。

 彼は眼鏡を指で押し上げ、令嬢たちに臆することなく、リリーナの前まで歩み寄ると、口を開いた。


「――あなたを批判したことに後悔はない。だが、私は誇り高きクロスクロイツ公爵家の者。あなたが私の批判を受け入れ、その改善に邁進したなら、私はそれを評価するため、自らも前に出ましょう」


 グウェンは小さく促した。リリーナははっとすると、小さく深呼吸をする。

 アルシェスタに聞いた花の名。それと、淑女の丁寧で綺麗な礼。それらを組み合わせて、貴族流の挨拶を、彼へと捧げる。


「エルデシアンの宵の秋桜、クロスクロイツ卿にご挨拶申し上げます。シルファス男爵家長女、リリーナ・シルファスにございます」

「――……。名乗られたならば、全ての条件は満たされた。示して見せなさい。国のため、その稀有な力を持って前に進むと言うならば、この場で私を納得させてみなさい」


 グウェンは紳士の礼を取り、そうしてそっと手を差し出した。

 令嬢たちがどよめきを生む。序列の高いクロスクロイツ公爵家の嫡男が、男爵家の娘を、ダンスに誘ったという事実。グウェンは婚約者以外をダンスに誘わないことで有名だった。その婚約者とのダンスも義務的であったことから、ダンスを踊ること自体に興味を感じていない、とされていたのに。


「――私と一曲、踊っていただけますか。レディ」


 差し出された手を見て、リリーナはぐっと息を飲む。

 ――あれほどまでに失望させたのに、グウェンのシナリオが進もうとしていることに驚きはらい、そして――それは、シナリオから逸れてでも、リリーナが認められるために努力したことを、肯定してくれた一言でもあった。

 敵だらけの中、ただ一人。自分を見極めようとやって来てくれた、目の前の意地悪な男の手を、リリーナはしっかりと取った。


「……はい。喜んで」


 令嬢たちの輪を割って、グウェンはリリーナを連れて、ホールの真ん中へと躍り出た。穏やかな三拍子に合わせて、リリーナはしっかりとグウェンを見つめて、ステップを踏んだ。

 互いに、少しばかりしかめっ面。グウェンは仏頂面であるし、リリーナは必死過ぎて笑顔を作れない。

 けれど、グウェンの教科書通りのリードは、初心者であるリリーナには優しかった。アルシェスタにリードして貰った通りにしっかりとステップを踏めば、周囲と比べてもそん色ないほどに、優雅で美しいワルツとなった。


「……なるほど。確かに、付け焼刃にしてはよく身につけたものです」

「あ……ありがとうございます。アルシェスタ様に貴重な時間を使わせてまで教えていただいたので、この場で失敗なんて絶対にしません」

「まだまだ、高位貴族の令嬢のそれには及びませんが、確かに私はあなたのことを侮っていたようです。それは認めましょう」


 素直ではない賛辞は、しかし先ほどまで心無い言葉をぶつけられ続けていたリリーナの心に、静かに波紋のように広がっていった。

 リリーナはその時、シナリオ通りに物語が進むよりも遥かに、自分の努力が認められたことの方が嬉しいことを感じ取っていた。


 気が付けば、会場中がこちらを見ていることに気づく。針のような視線を受けて心を揺らしそうになるも、しっかりと深呼吸をすれば、グウェンは声を掛けて丁寧にリードをする。細やかな気遣いは、普段の刺々しい彼からは想像ができないほど、相手に歩み寄った態度のように思えた。


「あら、ごめんあそばせ……っ!?」


 わざとリリーナにぶつかって来ようとした令嬢の気配を察知し、リリーナの手に力が籠ると、グウェンは鮮やかにスマートに、リリーナを自らの方へ引き寄せ、ダンスに違和感がないように少しのアレンジを加えて、すぐに元のステップへと戻してくれた。

 リリーナへぶつかろうと寄って来た令嬢は、しりもちをついてくすくすと笑われている。


「……ありがとうございます、クロスクロイツ卿」

「私とて公爵家の者です。この程度、造作もありません」


 やがて、一曲を踊り終えると、誰かが息を飲む音が幾重にも重なった。グウェンは手を引くと、元の場所――ではなく、アルシェスタ達がいるテーブルへと、リリーナを引っ張って来た。

 リリーナはその時になって、アルシェスタが心配そうにこちらを見つめているのに気付いて、焦って体に力が入る。テーブルへと辿り着くと、グウェンはエスコートをやめて、眼鏡を押し上げた。


「……まぁ、及第点ですね」

「……恐縮です」

「認めたわけではないので、勘違いなさらないように。ただ、努力は評価に値します。努力を怠ったことを批判した一連の発言は撤回します」


 素直ではないグウェンの物言いに、アルシェスタとイルヴァンが顔を見合わせて苦笑している。

 グウェンは少しわざとらしく咳ばらいをすると、背筋をきっちりと伸ばしたまま、背を向けた。


「――役は演じました。これからも精進するように。それでは、私はこれで失礼します」


 グウェンはその言葉を最後に、人の波に飲まれて、別のテーブルへと姿を消してしまった。

 リリーナは少し気が抜けて、思わずその場に座り込みそうになったのを、アルシェスタにそっと支えられる。

 顔を上げれば、アルシェスタの穏やかな笑顔がそこにあった。


「私、ちゃんとできていましたか……」


 問いかければ、アルシェスタは頷きで返してくれた。

 リリーナは何とか、創立記念パーティーを乗り切ったことを実感して、涙の痕をそっと拭った。

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