17. 真実と偽りの円舞曲
イルヴァンに手を引かれて、パーティー会場の中央に飛び出した。真紅のカーペットの上で、円舞曲に合わせてステップを踏む。
いつも通り、天性の運動神経の良さを無意識的に振り回すイルヴァンのリードは、やや初心者向けではない。
アルシェスタも運動神経が良く、日常的に武術の鍛錬をしているので、涼しい顔をしてついていけるが、果たしてあのいかにも蝶よ花よと育てられた侯爵令嬢が、イルヴァンのリードについてこられるのかどうか――。
「シェス、ごめん」
「何を謝ることが?」
「色々……令嬢方をあしらえないこととか、シェスに言い寄る男の露払いができないこととか」
「そんなこと……イルヴァンの手を借りずとも、あの程度捌けます。どんなにいい条件を提示されたって、私にとっては……領地に残る以上の好条件などないのですから」
イルヴァンと違い、アルシェスタは男性との交渉に慣れている。伊達に一年で商会を大きくした手腕を持っているわけではない。
「イルヴァンと同じです。イルヴァンと結婚できないなら、私は独身で領地に尽くします。それを親が許さぬと言うなら、仕方ありません。その時は、国外逃亡でもしますわ」
「こ、国外……」
「ふふ、最終手段です。女性の自立が一般的な国に行く……私は、殿方に寄り掛かるだけの人生などごめんなのです」
自分の足で立って歩くこと。
男性に寄りかかり、男性を立てて暮らしていくことを教え込んだ母への反逆。
その反骨心がある限り、アルシェスタの考えが変わることはないだろう。
「……シェスは強いな。やっぱり、俺はシェスのそういうところが好きだ」
「……イルヴァン」
「だとするなら、やっぱり……俺がシェスにするべきことは……うん。心が決まった」
イルヴァンはしばらく何事かを一人でぶつぶつと呟いていたが、しかし体はずっと動き続けていた。
難しいステップを踏み、踊り続ける二人に、会場の視線が一つ、また一つと集まってくる。
「俺は俺なりに、未来のためにできることをするよ。シェスが俺と一緒にいて嫌じゃないって言うなら……信じていて欲しい」
「……ふふっ。この地上で、一番信用できる人ですのに……イルヴァンのことが信じられなくなったら、きっと私は自死を選んでしまいます。イルヴァンが何を考えているのかは分かりませんが、分かりました。私も、そろそろ心を決めるべき時なのですね」
「シェス」
優しく、名を呼んでくれる声。幼い頃から、これだけを支えにして、苦難を乗り越えて来た。
アルシェスタは、イルヴァンのロイヤル・インディゴの瞳をまっすぐに見つめて、静かにその身を委ねた。
「ですが、待っているだけは性に合わないので、私は私で動かせていただきます。父と母に分からせます。あなたたちが人形だと思って育てて来た娘は、もはや領地の発展のためにも、手放すことなど出来ぬと」
「……それでこそシェスだ。お互いに頑張ろう」
「はい、イルヴァン」
イルヴァンだけは、アルシェスタが積極的に自立しようとするのを応援してくれる。
幼い頃から、その関係性だけは何があっても変わらないことが、今のアルシェスタの支えだった。
やがて円舞曲が途切れると、イルヴァンとアルシェスタは元のテーブルへと戻っていった。
次のダンスを申し込もうと待っていた令嬢たち、令息たちに向かい二人で一瞥をすれば、それだけで臆して去っていく者も大勢いた。
イルヴァンの手をぎゅっと握れば、握り返される。それぞれがやるべきことのために、一度手を離した。
イルヴァンの手から離れてテーブルに着けば、令息たちが次々に声を掛けてくる。ダンスへの誘いだ。
「キングレー嬢、お見事なダンスでした。あのように美しく踊られる貴方の手を、私に引かせていただけませんか。どうか、私と一曲――」
「……すぅ……はぁ……申し訳ございません。少し、休ませていただけませんか?」
「……あっ」
アルシェスタは「病弱」という設定だ。長いダンスをして帰って来た病弱の少女を、息つく暇もなくダンスに誘う令息は、一体何を目的にしてダンスをしたいというのか。
ふらつくように一度テーブルに手をそっとついて、胸のあたりに手を当てて、深呼吸をする。
(……なんて。体力なんて、まだまだ全然有り余ってるけどね。でも――病弱って言われてる令嬢を、自分のために無理やりダンスに誘おうとする男子を、周りはどう見ると思う?)
さぁ、その手を退け。アルシェスタはそんな態度をおくびにも出さないようにして、ふわりと微笑んだ。
ひそひそ、と周囲から、その様子を見た者らが噂話をする。
「病弱のキングレー嬢を気遣わずにダンスに誘うなど、正気か?」
「自分のことしか考えていらっしゃらないのね。先ほどのサンチェスター卿との息の合ったダンスを見て、誘おうとする勇気は素晴らしいと思いますけれど」
「事業が失敗したからと、必死だな。どうせ持参金目当てなんだろ」
そんな悪評が立ち始めたのを聞いて、その男は顔を青ざめさせて非礼を詫びると、そそくさとその場から立ち去って行った。
その隣では、イルヴァンにしつこくダンスを迫る令嬢に対して、対応をしていた。イルヴァンは静かに首を振って、そっと髪を後ろへと直すと、静かに令嬢を見つめて告げた。
「……申し訳ないが、婚約者の前でファースト・ダンスをお誘いいただくのは今後やめていただきたい。私は騎士道にかけて、婚約者には誠実な男でありたい。申し訳ないが、ダンスはお断りさせていただきます」
「……っ。そ、そんなことをおっしゃらないでください! わたくしは、サンチェスター卿のことが……」
「言ったはずだ。婚約者の前で、そのような言動をとる相手に、私ができることは何もない」
アルシェスタはその様子を横目でちらりと見やりながら、毅然とした態度で令嬢たちを諫めるイルヴァンにエールを送っていた。あんなに真顔で対応しているが、恐らくは内心は震える子犬状態だろうから、と。
首筋に脂汗が吹いている。今すぐにでも拭いてあげたい、とアルシェスタは懐にあるハンカチにそっと手を触れる。
もう何を言っても無駄だと思ったのか、彼女はがくりと肩を落として、その場から離れていった。
――アルシェスタに、強烈な恨みの視線を寄越してから。
「……よく頑張りました」
アルシェスタは、令息・令嬢たちが退散した後で、ハンカチでイルヴァンの首筋の汗を拭きながら、そっと微笑んで告げた。イルヴァンは苦笑しながら、アルシェスタの腕を優しく握った。
「ありがとう、シェス。やっぱり俺は、シェスみたいに器用には振舞えないよ」
「十分、イルヴァンらしくて良かったと思いますよ」
「ああ、その通りだ。頑張ったな、イル」
隣のテーブルへ引きずられて行っていたジェフリーが戻って来て、少し疲れた顔をして微妙な微笑を浮かべた。
彼も彼で、自分の家の婿にと望む女性らの相手にほとほと疲れ果てたようだった。
「ジェフも……大変そうだな」
「ああ……なぁ、イル。少し、いいか」
「ん?」
ジェフリーはイルヴァンに歩み寄ると、そっと何かを耳打ちした。
ジェフリーがそっと体を離すと、イルヴァンは驚いた様子でジェフリーと、そしてアルシェスタの様子を交互に見ていた。
いったいどうしたんだろう、と思っていると、イルヴァンは少し考えこんだ後で、はは、と苦笑した。
「……それは俺からは何とも。ジェフから言ってくれ。シェスがいいよって言うなら、俺に言えることは何もないよ」
「……そうか。キングレー嬢」
「はい?」
ジェフリーはそっとアルシェスタの前へと歩み寄ると、そっと右手を差し出して、告げる。
「息が整って、余裕ができたらでいい。私と踊っていただけないだろうか」
アルシェスタは、ぴしりと固まる。
先ほどから見ている限り、ジェフリーはまだファースト・ダンスを踊っていない。であるからこそ、先ほどからこぞって令嬢たちがジェフリーを追い回しているのだろう。
そんな彼のファースト・ダンスをアルシェスタが貰う、ということは――。
(……さては王弟殿下は、この国で婿入り先を探す気がないのかな)
とはいえ、ジェフリーは伝聞からも聡明な男である様子が伝わってくる。
ということは、この提案はいわば交渉だろう。彼を交渉の場に引っ張り出すためには、ダンスを受けなければならない、ということだ。
イルヴァンにちらりと目配せをすれば、肩を竦められる。イルヴァンにはどうやら交渉済み――というか、相談済みなのだろう。イルヴァンが特に危機感を抱いていないということは、悪い交渉ではなさそうだ。
そう結論付けたアルシェスタは、その手をそっと取った。
「はい。喜んで」
そっと深呼吸をして、一度、二度と余分な呼吸を挟んでから、アルシェスタはジェフリーに連れられてダンスホールの中央へ。すると、令嬢たちから悲鳴が上がる。
なぜ、イルヴァンの婚約者のアルシェスタが――そんな声が、ざわざわと鳴動し広がっていく。
「――すまないな。不本意な注目を集めてしまって」
「……いえ。ですがこの様子だと、王弟殿下はこの国で縁を作ることを望んでいらっしゃらないのですね」
「イルから聞いていた通り、あなたは少々察しが良すぎるな。……キングレー嬢。無礼を承知で、私の願いを聞き入れていただけないか」
「内容によりますが……イルヴァンに確認済みということは、私とイルヴァンにとってもありがたい提案である可能性もある、ということでしょうか」
そんな会話を至近距離で交わしながら、ジェフリーと密談を行なう。イルヴァンよりも幾分か優しいリードに身を委ねながら、彼の言の葉を聞き逃さぬようにしっかりと集中し、周りの喧騒を意識の外へと消し去る。
「単刀直入に言う。私は君に横恋慕している、ということにさせてほしい」
「……横恋慕」
「そう。私は友の幼馴染に一目ぼれし、報われぬ恋をしているということだ。あなたに好意を抱いているということにさせていただければそれで良い。ついては、互いに名で呼ぶことを許してもらえるならそれらしくなる」
唐突な提案に、アルシェスタは必死に頭を回した。
――なるほど。ジェフリーが事情を話せるほどに深い仲はイルヴァンしかいない。イルヴァンに申し開きをしたうえで、好意を抱いているフリをするならば、アルシェスタに横恋慕をしているという設定にしても、イルヴァンとアルシェスタに迷惑をかけることもない。
「私とあなたのメリットの具体的呈示を」
「ああ。私は、ほかの令嬢に気がないことを具体的に示せる。あなたにとってのメリットは、よしんばイルとの婚約がどうにかなったとしても、王族との縁を繋ぐ可能性を匂わせておけば、命知らず以外は令息が寄り付かなくなる」
「……確かに、今の国内の情勢的に、隣国との関係を悪くして利を得る人間はほとんどおりませんね」
「ああ。だからこれは、いわばイルと三人での同盟だ。互いに浮ついた考えを持つ輩が近寄らぬようにと、目を光らせ合う」
――悪くはない、とアルシェスタは思った。
無論、デメリットもたくさんある。たとえば、アルシェスタには敵が増えるだろう。横恋慕とはいっても、その矛先をアルシェスタに向けて来る輩はいくらでもいるだろう。
女の敵は女、とはよく言ったものだ。ただ、今の国内に、キングレー伯爵家を進んで敵に回したがる人間はほとんどいないはずだ。隣国と、国一番の財源とを天秤にかけて、どちらかを取ればどちらかとの関係が悪化する。そんな選択を迫られて、正しく判断ができる人間がいるかどうか。
何よりも、イルヴァンやアルシェスタと同様のことに煩わされている御仁だった。
まだ学生であるこの身だと、互いに手を取り合って一年を乗り切った方がよいかもしれない。
イルヴァンが何も言わずにアルシェスタに任せたということは、イルヴァンはこの作戦に前向きなのだろう。
「……相談してみたら、大公閣下も君なら安心だと」
そして、最後に逃げ道を塞がれた。大公の差し金ならば、アルシェスタに背を向ける理由はなかった。
口元に淑女の笑みを浮かべながら、ジェフリーを見上げて、囁いた。
「……承りました。ジェフリー殿下」
「! ……ありがとう、アルシェスタ嬢。無論、君たちの邪魔をするつもりはないし、迷惑もかけないようにできるだけ手を回すつもりだ」
「かしこまりました。お気遣い、ありがとうございます」
こうして、三人による奇妙な同盟は結ばれた。この先に起こる波乱の予感はすれど、ジェフリーと深く縁を結べたことは、アルシェスタにとっては悪いことではなかったのかもしれない。




