14. 友人と呼び名
「最近、随分とあの娘に構っているようですね」
生徒会室での業務が終わり、アルシェスタはグウェンに声を掛けられる。
アルシェスタがリリーナに淑女のマナーを教えていることは、どこからか漏れてじわりと学院内に広がった。
アルシェスタも同級生にやんわりと尋ねられたことがある。なぜ、と言いたげな貴族の子女に向かい、アルシェスタは告げた。学びは公平だと。王家の膝元に開かれたこの学院で、未来ある子から学びの場を奪うのは何人たりとも許されることではないと。
「ええ、教師からもくれぐれもとお願いされましたので」
「それは本来教師の仕事ではありませんか? あなたが時間を割く価値が、あの娘にあるとでも?」
教師の仕事、というところには全面的に同意だ。しかし、下位貴族や平民の出の多い教師たちにとって、高位貴族の子女に目くじらを立てられるということは、職を追われるということでもある。
結果、アルシェスタのように、ある程度立場に融通が利き、高位貴族の圧力にもある程度抵抗できる生徒に鉢が回ってくる。
歪な貴族社会を象徴するかのような場所の一つ、それが学院だ。
「私は私の好ましいと感じる御仁に、手を差し伸べるまでです」
「ほう。あの娘に、あなたのような優秀な人間にとって、好ましい点があるとでも? 理解できませんね」
「そうでしょうか。少なくとも、批判をすることと、批判を受けることは誰にでも出来ることです。ですが、その批判を受け入れ、改善するために努力をすることは、果たして誰にでもできることでしょうか」
グウェンが小さく体を揺らしたのを見上げて、アルシェスタは薄く微笑みを浮かべる。
リリーナは、自分ができない現状を嘆いていただけではなかった。彼女は前を向き、それを改善するために、自ら行動を起こした。
自分に冷たい高位貴族たち。教師たちもうまく手が出せない状況でも、何かを変えようともがいた結果、アルシェスタとの縁を手繰り寄せた。
自分はそれに応じているだけだ。アルシェスタには、後ろめたいことなど何一つとしてなかった。
「……しかし、創立記念パーティーまで時間がない。付け焼刃のマナーで、高位貴族に受け入れられるとは思いませんが」
「まぁ。付け焼刃であっても、刃を握らねば、戦うことすらできないのですよ。それとも、クロスクロイツ卿は、彼女が戦うこともできずに負けることをお望みですか?」
「…………」
問いかければ、グウェンは押し黙り、微かに視線を地面へ向けた。
光の乙女の力は、国にとって必要なものであるということを、彼もまた理解はしている様子だった。
アルシェスタはとんとん、と書類を纏めて端を揃えると、それを机の上に置いて、ゆっくりと立ち上がった。
「それでは、クロスクロイツ卿。本日もお疲れ様でございました。お先に失礼いたします。ごきげんよう」
「……お疲れさまでした」
アルシェスタが優雅に立ち去っていく後姿を見て、グウェンは静かに眼鏡のずれを直した。
事実を確かめるようにつぶやいた言葉が、空っぽの生徒会室に空しく響き渡る。
「――批判をするだけなら誰にでもできる、か」
◆◇◆
アルシェスタはリリーナの手を取り、腰に手を回しながら、声を掛けてリズムをとる。
「ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。そこでターンです」
「わっ。きゃっ!」
「落ち着いてください。最初は、私のリードに身を委ねて」
「は、はい!」
「もう一度」
今日の演目はダンスレッスンだ。新入生歓迎パーティーと違い、創立記念パーティーはしっかりとしたドレスコードのあるパーティーだ。それゆえ、余程裕福な商家の子女でもない限り、平民の生徒は参加しない。参加も自由で、正装を用立てる余裕のない下級貴族の子女等も、参加率としてはそれほど高くはない。
しかしそれ故に、夜会の様式は正式な社交界のものに則っており、ダンスの時間は長くとられている。
ダンスが上手く披露できれば、リリーナが貴族の女子としての振る舞いを身に着ける努力をしている、最も分かりやすいアピールになりえる。
遊び場に出入りして、紳士のパートをいつも踊っている経験が、まさか女子にダンスを教えるのに役に立つとは思わなかったアルシェスタは、使えるものは何でも使うという意気で、この日に臨んだ。
目の前で歯を食いしばりながら必死にダンスの技術を自分のものにしようと一心不乱に足を動かすリリーナを見つめながら、アルシェスタは幼い日々のことを思い出していた。
母の教育は、度を越していた。ダンスを覚え始めたのは8歳の頃。高いヒールの靴を履いて、数時間にわたる苛烈な訓練の後、足はがくがくで立ち上がれなかった。
靴擦れが痛くて泣いていたら、訓練をすると呼ばれて、思わず靴を脱いで逃げ出したことがあった。
けれどすぐに護衛の騎士に捕まえられて、母にひどく叱責された。アルシェスタの踵から血がだらだら出ていることに気づくと、母はさっと顔を青くした。
あれを虐待と言わないのなら何と言うのだろうか。父母にその自覚がないのが実に厄介だった。
足を酷使して血を流す娘を見ても、教育を見直さないあたり、自分は父母に愛されてはいなかったのだろうと、アルシェスタは諦観を覚えていた。
「――きゃっ」
「危ない。……少し覚束なくなりましたね。休憩に致しましょう」
「……っ。はい……」
意欲はあるのだが、リズム感がない。それが、リリーナのダンスに対する所感だった。
とはいえ、これくらいならば反復練習で修正できる範囲内だ。怪我に気を付けながら、繰り返し練習すれば、創立記念パーティーまでには何とか形になるだろう。あとは、リードが上手な殿方を掴まえれば、それなりにしっかりとしているように見えるはず――というのが、アルシェスタの目算だ。
(とはいえ、ちょっと面子がなぁ)
リリーナの相手をしてくれそうな男子を思い浮かべれば、一番先に思いつくのはユーウェルだが――正直に言えば、ユーウェルのダンスは多少粗削りだ。洗練された王族然としたダンスというよりは、少し傲慢で、既存の型を我流に大幅アレンジしたようなリードが印象的だった。彼のリードについていこうと思うと、もう少し密度の高い練習が必要かもしれない。
最悪、イルヴァンにリードを頼むという手もあるのだが――彼も彼で、身体能力が高いので比較的自由にさせるとすぐに調子に乗ってしまうところがある。初心者の相手には向かないタイプだ。
自分が男装して忍び込める夜会なら、そういう工作もできるが、残念ながら創立記念パーティーは学院生限定の完全身内招待制だ。
そうなってくると、やっぱりリリーナを育てるという選択肢以外取れないのだが。
「いち、に、さん、ターン……軸足を変えて、平行にステップ……」
リリーナはぶつぶつと呟きながら、手元のメモ帳に必死に何かを書き込んでいる。意欲は高いが、リリーナは飽くまでも普通の女の子という感じだ。恐らくは、男爵に大切に育てられたのだろう。
アルシェスタは、母と同じ轍は踏まないと決めていた。立ち上がり、ゆっくりとリリーナに歩み寄ると、中腰で話しかける。
「シルファス様、大丈夫ですか? 足は痛くないですか?」
「は、はい! 大丈夫です……すみません、覚えが悪くて」
「ふふ、学びの速度には個人差がありますもの。それは致し方ないことですわ」
リリーナが少し座席をずらして座ってくれたので、アルシェスタは一礼をして、その隣へと腰かけた。
横から見えた彼女のメモ帳には、ぎっしりと文字が詰め込まれている。彼女の勤勉さが、そこによく表れていた。
リリーナは少し俯きがちに前髪を垂らし、小さく息を吐き出すと、ぽつぽつと漏らした。
「……クロスクロイツ様に言われたとき、私、自分の甘えを実感したんです。自惚れていたと言ってもいいかもしれません」
「自惚れていた……ですか?」
「私には特別な才能がある。国に望まれて学院に行くから、少しくらい失敗しても大丈夫……そういう、驕りが」
光の魔術の才能を見出され、急遽国から貴族社会の中心へ招かれた、男爵家の令嬢の孤独。
当人たちが、それをどこまで考慮出来ていたか分からない。見える部分で動いていたのは王家だけだった。
「でも、現実は夢のようには甘くなくて、怠っていた私に訪れたのは、何の言い訳もできない現実で。だから、このままでは本当に、良くないことが起きそうで」
「……光の属性の魔術は、希少なものですから。あなたが自分の足で立てなければ、邪な考えを持つ者が、勝手に副え木のように振舞い、あなたの未来を根こそぎ奪っていくかもしれません――」
「……っ! そう、ですよね。私、本当に甘えていました。だから、これからは決して怠らないようにしようと思ったんです」
「それで、私に……」
まだ精神的に未成熟な少女が、特別な力と立場を得て、舞い上がる。よくある話だ。
けれどリリーナはそれを反省し、自らを高める方向で努力することを選んだ。アルシェスタは、そのリリーナの想いを応援したいと、純粋に思っていた。
「でも、キングレー様がこんなに男性のパートがお上手と思わなくて、びっくりしています」
次の言葉で、アルシェスタは思わず言葉に詰まった。
言い訳を探して視線をさ迷わせていると、その間にもリリーナは興奮したようにまくしたてる。
「キングレー様は本当にすごいです。皆から憧れられる淑女で、成績も学年トップで、物知りだし淑やかで優しくて……そんな人が、私のために時間を割いてくださっているのが、何だか夢のようで」
「……大袈裟です。私なんて、どこにでもいるただの貴族女子です。何も特別なことなどない、言われたことを忠実に守ることしかできない――」
アルシェスタが令嬢の皮を被っているとき、紡ぐ言葉はすべて、母への痛烈な皮肉と化していた。
けれどそれを振り払うように、リリーナがばっと立ち上がり、大きな声で告げる。
「そんなことありません。アルシェスタ様が貴族女子の大多数だったら、きっと平民の子たちはのびのびと学院で過ごしていると思います」
「……」
「そうじゃないから……アルシェスタ様が特別な人だから。それに救われてる人たちだってたくさんいます。貴族にも平民にも等しく、頑張る人を応援してくれるあなただからこそ、私は、平民のみんなは、アルシェスタ様を信じられるんです」
興奮したように捲し立てるリリーナを瞬きして見上げる。するとリリーナは、顔を赤くして、しおしおと縮こまって力が抜けたように腰を下ろした。
「す、すみません。私……あの、生意気なことを。しかも、お名前で呼んだりなんかして……マナー違反ですね! せっかく教えていただいているのに、感情的になるとすぐに忘れちゃって……」
あわあわと慌てる目の前の少女が愛しくて、アルシェスタはくすりと微笑むと、そっと手を取って、指先へとキスを落とした。
リリーナはそれを見て硬直して、顔を真っ赤にして、呆けたようにぐったりとする。
愛らしい。目の前の愛らしい少女が、自分の意思で生きていける手助けをしてあげたい。
アルシェスタの中に、義務と同情以外の感情が芽生えた瞬間だった。
「友人であるならば、名前呼びも問題ありませんわ」
「……え?」
「私と友人になってくださいますか? リリーナ様?」
アルシェスタの柔らかい響きの問いかけに、リリーナは花のように顔を綻ばせて、こくりと頷いた。
「はい! アルシェスタ様! アルシェスタ様……アルシェスタ様……えへへ」
リリーナは愛しそうに、アルシェスタの名前を何度も呼んだ。その様子を、アルシェスタは隣で微笑みながら見ていた。
――パトロンを代行していることを思い出して、少し気まずくなるのは、レッスンが終わって一時間後のことだった。




