10. 好きともやもや
花衣の節、中旬――剣術闘技大会の時期となった。
訓練場は実技の授業ための施設で、小型の闘技場が併設されている。
東側の席は、イルヴァン親衛隊というらしい令嬢たちで埋まり、金に近い黄色のタオルや、大きな横断幕を広げてイルヴァンを応援している女生徒で埋め尽くされている。
イルヴァンの実家であるサンチェスター侯爵家の花の色、金の向日葵にちなんだ応援らしい。ヒマワリは太陽の方を向いて咲くと言われるから、大会の時間中、太陽の出ている方角に令嬢が集まる。
もしかしたら、こちらを向いてくれるかもしれない。そういった淡い期待を込めて。
アルシェスタは疲れたように息を吐き出すと、そっと席に腰を下ろして日傘を広げる。
傍に立ったエリーラは氷の魔術で作り出した保冷用の氷が入った水筒を持ち、屋根の影の中で涼んでいる。
(また増えてない? はぁ~あ、ほんとイルヴァンって人気だねぇ)
ちょうど対角にあるイルヴァン応援席を見渡して、アルシェスタは小さく息を吐いた。
わざわざあの中に行こうとも思わない。アルシェスタは、一番空いている区画を選び、最前から離れた高い席に腰かけ、闘技場を見下ろしていた。
客観的に見て、イルヴァンが人気なのは、アルシェスタにとって理解の範疇だった。
誠実でまっすぐ、面倒見も良く所作も美しい。欠点をあげるとすればちょっとだけ勉強が苦手で、自分でも認める程度におバカ、というところだが、そもそもそれを欠点としている女子がどれほどいるというのか。
勉学が苦手でも努力家で、真面目な彼の人柄を見ればおつりがくる。
それに加えて、女性への免疫がないのに騎士としての振る舞いは完璧なのだ。
余計に女子たちの衆目を集め、人気が上がるのは必然だった。
(まぁ、僕にとっての救いは、イルヴァンがあれだけの女性ファンを抱えても一切鼻の下を伸ばさないところかな……)
イルヴァンが女性に対してデレデレしているところは、共にいた十数年という長い時間を見ても一度もなかった。
アルシェスタの前ででも同様だが、そもそも妹扱いの自分を前にして、女性を扱うような真似をされるのは違和感がある。
イルヴァンが入場すると、東の座席から黄色い声が上がる。イルヴァンの名が呼ばれ、歓声が飛ぶ。
普段は名前呼びが許されない場でも、勢いと雰囲気で許される場だ。羽目を外して「イルヴァン様」と叫ぶ女生徒は多い。
(面白くないなぁ)
幼馴染が多くの人に認められることは嬉しいはずなのに。
その黄色い声を聞いていると、何となくもやもやとしてしまうアルシェスタなのだった。
闘技大会は、特にトラブルなく進行した。
木剣を、あるいは木槍や木斧を使った、怪我に限りなく配慮した催し。
御前試合で真剣を使って、王族に剣舞を披露しているイルヴァンからすれば、まさしく遊戯のようなレギュレーションだろう。
「――勝者! イルヴァン・サンチェスター!」
木剣が手から弾かれて床に転がった途端、審判役の教師が旗をあげて宣言する。
イルヴァンの勝利が宣言されると、また黄色い歓声が乱れ飛ぶ。イルヴァンは木剣を置くと、そのまま踵を返した。
ヒマワリは、太陽の方を向こうとはしなかった。イルヴァンは涼しい顔をして、そのまま控室へと引っ込んでいった。
明らかに不満そうな令嬢方。だが、残念ながら、イルヴァンにはファンサをするような甲斐性はない。
「やっぱりお強いですね、サンチェスター卿」
声を掛けられ、見上げると、そこにはヴィンスの姿があった。今日も艶のよく出たピンクブロンドの髪を揺らした、少女と見まごうようなかわいらしい少年を見て、アルシェスタは柔らかく微笑む。
「まぁ、委員長。ご機嫌麗しゅう」
「ご、ご機嫌麗しゅう、キングレー嬢。慣れませんね、あなたに委員長って呼ばれるの……」
「まぁ……ですが、今のクラスの委員長はグラッセ卿ですわ」
「そ、そうなんですが……でも、流石に上位クラスに分けられると高位貴族の方が多くて、気後れしてしまって……」
隣に座ってもいいか、と尋ねられたので、アルシェスタは頷いた。席はほとんどが埋まってしまい、空いているのはいずれも優雅に観戦している高位貴族の周りだけだからだ。
アルシェスタも日傘を広げて観戦しているので、平民や下位貴族の人間は寄ってこない。
「イルヴァンは実戦経験が段違いですから。12歳の頃から騎士の宿舎に通い、14歳になる頃には王都近辺の任務に同行するようになりました。16の頃には十分な武勲を立て、今は猛者ぞろいの第三騎士団の副長という立場……普通に考えれば、いかに王立学院の生徒と言えど、一合打ち合えれば上出来かと」
「まさしく。本当に美しいです、彼の剣は」
「グラッセ卿は、出られなかったのですか?」
「まさか。この非力さでは、剣を握れてもすぐに弾かれてしまいます。僕は魔術の方がまだ形になっているので、初夏の節の魔術競技会の方が本命です」
ヴィンスの成績表を見れば、確かに魔術実技の成績が優秀だったと思い出す。
アルシェスタも「優等生」という評価を維持できる程度には魔術実技の成績を維持しているが、あまりやりすぎて国の方からスカウトを受けたりなどしないように、適当に手を抜いている。
特に、闇属性の適性があることが知られると、十中八九魔術局から声がかかる。断るのが面倒なので、アルシェスタの適性は、水氷風の三属性ということにしている。
「委員長は、あまり実技はお得意ではないのですよね。お体もあまり強くありませんし」
「ええ、そうですね。机上では優等生、などという評価を受けておりますが、やはり日常的に命が脅かされる危険と隣り合わせとなると、剣を握れる方がいささか価値が高いのでは、と思ってしまいます」
「そんなことはありません。知識を身に着ける努力は、誰にでも出来ることではありません」
アルシェスタは舞台を見下ろして、憂鬱そうにため息を吐いた。
護身の心得があることは隠してある。どこにいるか分からない敵に、手の内を見せる必要はない。
以前に一度、イルヴァンと共にいるときに、面倒な酔っ払いに絡まれたことがある。その時、自衛の動きを見せると、イルヴァンは酔っ払いを適当にあしらった後で、ひどく心配そうな顔をしていた。
イルヴァンは、アルシェスタが武術の心得を持っていて、しかもそれを日常的に訓練していることに気づいている。流石は騎士団の副長と言ったところだが、彼の場合はそこからさらに心配性という気性が発揮される。
「あまり危ないことをするなよ」と釘を刺されてからというもの、イルヴァンの前では素直に守られる人間であろうと思うようになった。
「――あ。キングレー嬢、サンチェスター卿が、こちらに向かって手を振っていますよ。キングレー嬢にではありませんか?」
「え?」
思考の海から、理性を引っ張り上げる。
闘技場を見下ろせば、そこにはこちらに満面の笑みを浮かべて手を振る、イルヴァンの姿がある。
そのあまりにも無邪気な所作に、アルシェスタは口元をほころばせて、手をそっと振り返した。
親衛隊に背を向け、後ろの方に座っているアルシェスタを見つけ、手を振ってくれたことで、溜飲が少しずつ下がってくる。
「本当に仲がよろしいのですね。羨ましいや」
「……ええ。唯一無二、家族のように大切な、幼馴染ですもの」
アルシェスタはその言葉をゆっくりと紡いだ。呪文のような響きを持っていたことに、アルシェスタは気づかない。
(ごめんね、イル兄。僕って、結構重めの兄好きかもしれない。……もしもイル兄に好きな人が出来たらちゃんと身を引くから、今だけは、イル兄にきゃあきゃあ声を上げるご令嬢に舌を出させてね)
そんなちっぽけな矜持をこっそりと振りかざし、アルシェスタはイルヴァンの勝利のアピールを独り占めしたのだった。




