表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 第一学期篇 かくして不良娘は運命に巻き込まれていく
20/178

09. 生徒会室にて

 花衣の節の剣術闘技会に向け、生徒会は本格的な準備を開始した。

 イルヴァンは今年ももちろん出るそうだ。何せ、イルヴァンにとっては希少な単位を余分に稼げる機会である。剣を握ってばかりで勉学が不得意なイルヴァンにとっては、ここで単位を得ておくことは、補習回避には必須事項だった。

 三年連続優勝ともなれば、箔が付く。イルヴァンは名誉にはそれほど興味がないが、出るからには優勝するというモチベーションは、入学時から変わらない。


「第一学年に逸材でもいない限り、サンチェスター卿を止められる人間などいないでしょうね」


 会議が終わり、雑談の時間になると、出場者名簿を見やりながら、グウェンがつぶやいた。

 ずらりと並んだその名前だが、一日目の行程で3/4が消えることになり、二日目で頂点が決する。


 都を繋ぐ街道には日常的に野生生物や魔物が出るため、移動にも命がけだ。ゆえに、王立学院に通う男子生徒は、大なり小なり剣術を嗜んでいる者が多い。

 国の要職で働くには、自衛のスキルが必須だからだ。グウェンやオーエンは魔術に特化しているが、ユーウェルやサロモンは剣術や斧術の心得があると聞く。国の中枢を埋める官僚候補でさえ、しっかりと自衛手段を持っているのだ。

 対して、貴族女性はそれを持たぬ人間も多い。ほとんどは魔術で自衛ができるものの、それを実戦環境で行える者はほとんどおらず、とっさの状況に対応できない者の方が遥かに多い。貴族女性は自立意識が低く、政略のために他家に嫁ぐことがほとんどであるため、それらの技能の習得は優先順位が低いという背景がある。

 アルシェスタのような貴族女性の方が、圧倒的に少数派なのである。


「サンチェスター卿は、藍銀(あいぎん)の英雄と呼ばれる騎士ですもの。一般人が敵う相手ではありませんわ」

「相手が明らかに格下でも一切手を抜かないのが騎士道精神に則っていて、しかし理不尽なところだな。さて、今年はどこまで行けるだろうか……」

「バーンズ卿は、毎年ベスト4まではいかれるのよね。生徒会代表として、頑張っていただきたいわ」


 闘技大会の日は、だいたい東の席が、イルヴァンのファンで埋め尽くされる。普段は遠巻きに見守るだけの令嬢たちがこぞって席に座り、黄色い声援を飛ばすのである。

 相手はそれだけで戦意がそがれることが多い。そしてアルシェスタにとっては、正直面白くない。


「そういえばサンチェスター卿の婚約者は、キングレー嬢だったな」


 話を振られて、アルシェスタは苛立ちを抑え込んでおっとりと微笑んだ。


「ええ。幼馴染なんです」

「知に優れおっとりとしているキングレー嬢と、誇り高き騎士であるサンチェスター卿、皆お似合いだと噂だぞ。サンチェスター卿に懸想する女子は多いと聞くが、婚約相手が君だと聞くと身を引く者も多いそうだ」

「まぁ……彼の隣に並べて評価していただけるのはとても嬉しく思いますが、正直に言えば、まだよく分からないのです。幼馴染と言っても、ほとんど兄妹のようなもので、結婚と言っても実感がなく」

「ああ、確かに。サンチェスター卿が君について話しているのを聞いていると、妹を溺愛する兄のそれに近かったな」


 サロモンが大らかに笑うのに、アルシェスタは合わせて微笑んだ。


(……知に優れおっとりとしている僕と、誇り高き騎士であるイルヴァン――実際には、生意気クソガキわがまま放題な僕と、恋愛偏差値ゼロわんこのイルヴァンのぼこぼこコンビなんだけどね)


 妙に美化されている二人の関係を変な風に感じながら、アルシェスタは笑顔でその会話をいなしていた。

 やがて雑談が終わると、男性役員は皆、闘技大会の会場となる訓練場の方の業務を担当するため、連れ立って生徒会室を出た。

 残されたアルシェスタとベルローズは、机に向かい合って、書類仕事を片付ける。

 生徒の催しと言っても、貴族の生徒がかかわるのならば金が動く。それに加え、陳情書の処理も生徒会の仕事だ。週に一度、こうして顔を合わせて仕事を片付けるので、自然と一週間分の仕事を一日で処理することになる。

 それでも滞らないのは、生徒会の面々が優秀な証拠であるのだが。


「キングレー様。申し訳ありませんが、こちらの書類を職員室へ持って行っていただけませんか?」


 ベルローズの声に反応して顔を上げれば、彼女は青白い顔で、唇を微かに震わせていた。

 相当な疲労を覚えている、あるいは体調を崩しているように見えて、アルシェスタは頷くと、ベルローズから書類を受け取った。


「会長、お顔色が優れないようですが……」

「ええ、ごめんなさい。少し、王子妃教育の方で難問にあたっていて、連日それの処理に手間取ってしまっていて。寝不足なんです。少し休めば問題ありませんわ。お気になさらず」

「……そうですか。ご無理なさらず。残りは私だけでもできますから。お休みくださっても」

「ええ、お気遣いありがとう」


 アルシェスタは丁寧に頭を下げ、指示された書類を職員室に運び、担当者の確認を受けた。

 少し時間が空いた後、生徒会室へと戻ると、ベルローズは机の上に突っ伏していた。アルシェスタは慌てて歩み寄って、そっと覗き込む。


「すぅ……すぅ……」


 規則正しい寝息は、彼女が疲労感から眠りに落ちてしまったのだと示していた。

 体調が悪くて倒れたわけではなさそうで、ひとまず安心する。本当に眠かったのだろう。貴族令嬢である彼女が、机の上で無防備に気を失っているのを見て、睡魔にどうあがいても勝てなかったのだと悟る。

 とはいえ、このまま放置しておくと、男子たちが帰ってきたときに、ベルローズが恥をかいてしまうかもしれない。

 アルシェスタは立ち上がり、休憩室のドアを開ける。休憩室は、一階にあるサロンよりもさらに小規模な応接スペースのような間取りだが、ここは生徒会の面々が紅茶を飲んだり、アイデア出しのための気楽な会議の場として使われる。

 ここにあるふかふかの臙脂(えんじ)色のソファがとても気持ちいいので、ここならばベルローズも安心して眠れると思ったのだ。


 外で待機しているであろうベルローズの侍女に声を掛けるか少し迷ったが、ベルローズは侍女に頼りすぎないようにしているように見えた。公侯爵家の子女は侍従を伴うことも多いが、彼らは校舎や教室にはほとんど足を踏み入れず、廊下で待機しているのだ。


「はぁ……まぁ、いっか。失礼しますよ、と」


 アルシェスタは軽く揺らしても起きないのを確認してから、ベルローズをそっと抱き上げた。

 アルシェスタは小柄だが、日々の護身術の鍛錬のお陰で、女性一人抱えるくらいなら問題がなかった。とはいえ、男性だと流石に難しいだろうが。ヴィンスがギリギリ持ちあがりそうだと感じるくらいだろうか。

 自分よりも少々目線が高いベルローズだが、その体は運動など知らぬというほどに細く、少し気合を入れればあっさりと持ち上がった。

 そのまま彼女を横抱きにして休憩室へ入ると、ふかふかのソファの上へとそっと彼女を横たえた。クッションの傍に畳まれていた小さめの毛布を広げると、それを彼女の体へと被せる。


「王子妃教育、か。ローズ姫も大変なんだな」


 ぼそりと呟いて、アルシェスタは過去を回想する。

 まるで王子妃教育のようだと言われた、母とおばによる過度な教育。もしもあんな苦しみを、ずっと続けているのだとしたら、ベルローズの忍耐力はすさまじい、とアルシェスタは感じていた。

 アルシェスタはそれに耐えきれずに拒絶し、逃げた質だからだ。それは、伯爵家の娘だから許される我儘だった。きっと、筆頭公爵家の令嬢であるベルローズにとっては、逃げることすら許されない日々だったのだろう。


 自分には難しかった教育を、彼女はどういったモチベーションで乗り越え、どう在ろうとしたのか。

 アルシェスタの興味は単純にそれに向いていたが、それを問いただすのも何となく憚られた。


 少しだけ無邪気な寝顔を眺めた後、アルシェスタはそっとその場を立ち去って、ドアをゆっくりと閉めた。

 念のため、外で待機しているベルローズの侍女に、休憩室で仮眠を摂っていることを伝えれば、二人いた侍女のうちの一人が、仮眠室側へと移動した。護衛を兼ねている彼女らにとって、主がどこにいるかを把握することは必要なことだったのだろう。礼を言われた。


 それから、小一時間ほど、任された業務をこなしていると、休憩室の扉が開いた。少しふらふらとした足取りで出て来たベルローズを見て、アルシェスタはそっと立ち上がった。


「会長、お気分はいかがですか?」

「ええ……ごめんなさい、眠ってしまっていたみたいね。キングレー様が運んでくださったの?」


 その問いかけに、アルシェスタは小さく首を横に振った。

 普通の令嬢は、自分よりも背丈のある令嬢を簡単に隣の部屋へ運べないだろう。アルシェスタの工作には余念がなかった。


「覚えておいでか分かりませんが、睡魔に負けそうだった会長に肩を貸させていただき、自力でソファに横たわっていらっしゃいましたよ」

「そう……だったかしら。ごめんなさい、眠りに落ちた前後が曖昧で」

「はい。ですので、私の方から仮眠を勧めさせていただきました。少しでも頭がすっきりすればと」

「本当にごめんなさい。それと、ありがとう。随分と楽になったわ」


 アルシェスタはお茶を淹れると告げて給湯室へ入り、眠気覚ましにすっきりとするハーブティーを淹れた。

 淹れたハーブティーの香りを、ベルローズはしばし楽しんでいた。


「ああ……とてもすっきりするわ。いい香り」

「ローズマリーのハーブティーを淹れさせていただきました。眠気が吹っ飛んで頭がすっきりするのでお勧めです。少し、味に癖はありますが」

「わたくし、ハーブティーはあまり飲んだことがないの。せっかくですから、いただくわね」


 ベルローズは完璧な淑女の動作で、紅茶のカップを持ち上げ、口を付けた。

 ――しかし、慣れない味だったのか、少しだけ表情を隠しきれずにゆがめた。


「んん……確かに、癖があるわね……」

「お口に合いませんでしたか?」

「そんなことはありませんわ! ただ、珍しい味だったから驚いただけで……ああ、口の中に広がる香りでさらに頭がすっきりしてきて……この幸福感、たまりませんわね」


 何となくいつも完璧な淑女として振舞っている彼女が、年相応にはしゃいでいるように見えて、アルシェスタは穏やかに微笑んだ。

 そんなアルシェスタの様子を見てか、ベルローズは少しだけ顔を赤くして、もじもじと縮こまる。

 それを見て、アルシェスタはやはり仮面舞踏会(マスカレイド)の時に出会ったベルローズこそ、彼女の素なのだと確信した。


「まぁ、わたくしったらはしたない。ごめんなさいね。新しいものに出会えた興奮が隠し切れず」

「いいえ。気に入られたのでしたら、お茶の葉をご紹介しますが」

「まぁ、本当? 是非とも教えていただきたいわ。これを飲めば、作業が捗りそうね」


 実際に、このハーブティーの茶葉は、アルシェスタが締め切りの強行軍を行なうときのお供でもある。

 強い覚醒作用と、脳を叩き起こす快感を引き起こす、少し強めのハーブの香りが、慣れると癖になってしまう。

 これを伴にして徹夜を乗り越えたのも一度や二度ではない。

 アルシェスタが給湯室からパッケージを持ってきて紹介すれば、ベルローズは瞳を輝かせて聞いていた。


 ベルローズはやがて、満足したようにメモをしまって、そうして少しだけ顔を赤くして、咳ばらいをこほん、と落とす。


「……ごめんなさい。随分と気が抜けてしまったようだわ」

「ふふ、マギアス様は意外とかわいらしいお方なんですね」

「か、かわ……かわいらしい、ですか……わたくしが?」

「はい。とっても。気高い高嶺の花のような方かと思っておりましたが、一輪花のような愛らしさも素敵です」


 ベルローズは口をぱくぱくと開閉した。その表情を見て、アルシェスタはあれ、と思った。


(……今、女の子口説いた? そろそろ気を付けないとぼろ出そう……気を付けよう……)


 そんなことをのんきに考えていると、ベルローズは少しだけ顔を赤くして、そうして絞り出すように告げた。


「……キングレー様は、思ったよりも意地悪な方、でしょうか」

「まぁ。ふふ、本心ですわ」

「も、もう。おだてたって何も出ないのですよ? ……ですがわたくし、あなたと仲良くなりたいと思っていたのです」

「仲良く、ですか?」


 アルシェスタはきょとんとして、目を瞬かせる。

 筆頭公爵家は、いわば雲の上の人だ。こうして、生徒会に選抜されて初めて、日常的な会話を許された高貴な人である。

 会話と言っても事務的なもので、私的な会話は控えるというのが通常で、公爵令嬢であるベルローズに気軽に声を掛けるわけにもいかなかった。


「ええ。あなたが生徒会に推薦できるほど優秀だったのを見て、きっと運命だったのだと感じたわ」

(……運命。この人は、やけに運命という言葉を重要視するな)

「……ふふ。生徒会はどうしても男子に偏りがちですから、女子が一人でもいてくださって嬉しいの。これから一年、学院の秩序を守っていく同士として、できることならお互いに無暗に気を遣う間柄にはなりたくないなって思っていたの」


 彼女の言い分は分かる。

 同性間には、異性間では伝わらない独特の空気感や雰囲気がある。それらに心地よさを感じているからこそ、信頼できることもあるだろう。


(ただ、問題は――)


 アルシェスタの個人としての考え方や空気感はどちらかと言えば男性の思想に寄っている、というところだろうか。

 それでも、アルシェスタ自身は男性ではない。ただ、個人の思想が女性貴族と折り合いが悪いのだ。

 それを隠す術のことを、人は処世術というのだろう――。


「ねぇ、よろしければアルシェスタ様とお呼びしてもよろしくて?」

「……マギアス様の仰せのままに」

「ありがとう。アルシェスタ様も、よろしければわたくしのことは名前で呼んでくださると嬉しいわ。わたくし、あの美しい花が自分の名前に入っているのをとても気に入っているの」


 ローズ――バラ、という花の異称だ。マギアス公爵家では、特徴的なローズの瞳を持つ子が産まれると、この花をもじった名前を付けるという慣習があると聞く。

 ではあるが、次期王子妃、そして筆頭公爵家の令嬢たるベルローズに向かって、気軽に口を利けないのも事実だ。


「マギアス公爵家は、我々下々の貴族家からすれば天上の方々。畏れ多いと存じます」

「……そう。残念だわ」

「はい。ですので、しばしこのままで。いずれ私が御身に秘められた赤きバラの名を呼ぶに相応しい人間になれたなら、その時はいずれ」


 とてもではないが、今の功績のままでマギアス公爵家にすり寄るわけにはいかない。

 それが、アルシェスタの意志だった。ベルローズは困ったように微笑んでいたが、無理強いをするとアルシェスタの負担になると分かっていたからか、それ以上には何も言わなかった。


 外を見れば、雨が微かに降り出していた。窓を叩く雨粒を遠目に眺めながら、二人で穏やかな時を過ごした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ