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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第零部 前日譚 不良娘はいかにして過ごすか
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02. 裏の社会の隣人

 アルスが裏カジノを出ると、すっかりと空には星が瞬いていた。

 暗い闇は夜が更けていることを示している。寂れた宿の前で、アルスはそっと息を吐き出すと、ひらりと懐から出した薄い金属板を取り出した。

 黒に塗られた漆黒の金属板は、手のひらに収まる程度の大きさしかない。金製の枠で縁取られた美しいその板は「会員カード」と呼ばれる、裏カジノへの出入りの許可証である。

 星のきらめきを受けてキラッと金属枠が反射する。裏を返せば、そこには魔術文字(ルーン)で27000と刻まれている。それを眺めてひらひら振りながら、アルスは機嫌が良さそうに、軽い調子で告げる。


「貯金チップ数27000突破~。ぱちぱちぱち~」

「いやぁ、流石ですねお嬢様。今日の最後の一戦も、お見事でした!」

「こら、ジェームズ。お外でそんな呼び方しない。誰が聞いてるかわかんないんだから」

「あっ! す、すみません、アルスさん」


 精悍な若者、という印象はなく、どこかものぐさな雰囲気を持つ、30前後といった騎士はジェームズという名で呼ばれた。無精ひげを適度に整えた男は引き締まった体を、ドレスコードから外れない程度の召し物で隠している護衛騎士は、アルスの夜遊びを止めるどころか唆してついてくるというこれまた問題児である。

 アルスは懐へと会員証を戻すと、馬車が回ってくる間、ジェームズと共に時間を潰していた。裏カジノで遊んでいる間、馬車を担当している従者には、小遣いを握らせて遊んできて良いと伝えてある。帰りはジェームズが馬車を引くので、酔いつぶれようと構いはしない。御者台から落ちないようにしてくれれば、それでよかった。


 馬車がやってくると、顔を真っ赤にした男がひらりと御者台から手を振った。アルスは片手を挙げて答えると、そのまま馬車へと乗り込んだ。ジェームズが御者台の脇に逸れた従者の隣へと座り、手綱を握ると、穏やかに馬車が蹄の音と車輪の音を軽快に奏でて、石造りの道を駆けていく。

 アルスは外を見て、しばらく剣呑な目つきをしていたが、やがてはぁっと息を吐き出すと、馬車の座席を上へと持ち上げる。隠し収納スペースと化したその空間に手を突っ込み、それをまさぐる。やがて馬車が停まると同時に、引っ掴んだそれを持ち上げて、座席を元に戻した。


「アルスさん」

「分かってる。随分と軽率な輩がいるらしいね」

「どうしましょう」

「大通りに出るまでに片付けるしかないね。大通りに連れ出すと、色々と面倒なことになる」


 街はずれの通りならいざ知れず、大通りにまで出てしまえば、被害者が拡大するかもしれない。外から、ジェームズが抜剣する金属音の擦れを聞いたアルスは、握り締めたナイフの柄をそっと握った。

 柄の部分に、華美な装飾がついているナイフは業物だ。見た目の豪奢さからは想像できないほどに実戦向けな一本である。鞘からナイフを抜きながら、アルスはジェームズへと話しかける。


「ジェームズ、好きにやっていいよ。僕の身は、僕で守るから」

「御意」


 ジェームズが御者台から飛び降りるのを見て、アルスは馬車の緊急開閉用の扉を開け、酔っぱらった従者を馬車の中へと転がした。そのまま御者台へと出ると、暗闇の中で、ジェームズがふりぬいた剣先から、鮮血が舞う。

 目視出来た限り、賊は7人ほど。ジェームズなら一人で相手ができる程度だ。アルスが御者台で周囲をじっと見つめていると、背後から一人の賊が忍び寄り、不意打ちを試みる。しかし、アルスが気づいていないわけもなく、アルスはひょいっと一振りを避けると、そのまま返す手でナイフで賊の手首を掻っ切った。

 鮮血がぶしゃっと噴き上がるのを見ながら、アルスは足に強化魔術を使って、そのままよろめいた賊を蹴り飛ばした。ナイフを手元で弄び、敵の目を引いていると、アルスに気を取られた賊が、ジェームズに後ろから切り払われる。


 7人いた賊は、ジェームズの手によって簡単に壊滅させられた。アルスはひゅう、と口笛を吹く。


「やるねぇ。流石、第一騎士団の出身だね」

「いやいや、そんな昔の話を掘り返さんでくださいよ」


 王国騎士団の第一騎士団は、重犯罪専門の捜査チーム――すなわち、エリート揃いの部門である。そんな場所にいた人材が、一護衛騎士に収まっていることなど前代未聞とも言えるだろうか。

 アルスは口笛を吹きながら、そのまま指先で懐から投擲用の小さなナイフを抜くと、それを指先で放り投げる。そろそろと立ち去ろうとしていた人間の目の前へと突き刺さると、男は青い顔で足を止めた。


「やぁ、バイエット子爵。今夜は月が明るいね」


 恰幅の良い大男――バイエット子爵は、つい先ほど、裏カジノでまさにアルスに金を巻き上げられたところだった。そんな彼が、賊に紛れてこそこそとしている光景を見れば、この一件の黒幕が誰であったかなど、一目瞭然であった。

 バイエット子爵は青い顔でがたがたと震えており、周囲の賊を見渡している。


「ご、ごきげん麗しゅう、アルス殿」

「さて、単刀直入に聞くが何の真似かな? もしも負け分を取り戻すために場外乱闘をお望みならばやめておいた方がいい。そういう紳士のスポーツマン・シップに則れない人間は、この裏の社交場からはすぐに消えてしまうよ」


 アルスがナイフを指の間に挟みながらひらひらと手を振れば、バイエット子爵は面白いように喉の底から息を吸い出すような音を発した。

 これで最後にする、と宣言したテーブルで、大敗を喫した裏カジノの新入り(ルーキー)。彼は表の世界では子爵位という貴族の身分を預かっており、それ故に自分が優れていると信じていた。それは、裏の社交場でも同じだと思っていた。

 しかし蓋を開けてみれば、どこぞの家出少年に有り金を巻き上げられる始末。獲られたものは、力づくで取り戻せばいい――バイエット子爵の思考は、限りなく表の貴族の傲慢さに満ちていた。

 アルスが軽く手を振って、ナイフを一本投擲する。さくっと刺さったのは、バイエット子爵の耳の傍だった。微かに掠った刃が、柔らかな耳たぶを微かに傷つけ、血が垂れる。バイエット子爵は反応できず、びくっと体を揺らすだけだった。


「や、やめてくれ! 悪かった、悪かったから」

「おや。もう降参(リザイン)かい?」

「く、くそ、ガキごときに……」

「んー? なんか言った?」


 バイエット子爵が口を開く前に、バイエット子爵が開いた右手の、人差し指と中指の合間にナイフが突き刺さる。子爵の口からは「ぴえっ」という情けない悲鳴が微かに漏れ出た。


「さて、どうけじめを付けて貰おうか。裏の社交場での喧嘩は、表の社交場みたく生ぬるくはないよ。ニコニコ笑って、顔色を窺って、話を読んで空気を読んで、そっと自分に都合の良い情報を話題の中に潜ませる――そんな簡単なものじゃない。社会的に死ぬか、肉体的に死ぬか、金を払って口を閉じさせるか」


 アルスは一本のナイフを握り締めながら、不気味な微笑を口元に浮かべて問いかける。


「子爵はどれがいい?」


 ――王都において、裏社会は貴族社会と密接であって不干渉だ。

 貴族社会は不正と汚職の温床で、それらを不当な手段で消す方法を持つのが、裏社会に住む者たちである。

 言ってしまえば、裏社会にはありとあらゆるところに、貴族との縁が転がっている。

 無知なぽっと出の子爵が、表の身分を使えばどうにでもなるというものではなかった。


「裏の社交場の情報は、表の社交場よりも遥かに早くてね」


 裏の社交場は、貴族の醜聞(スキャンダル)の宝庫だ。貴族の隠している薄暗い事情を知るには、表の社交場で気を遣いながら聞くよりも、裏の社交場で隣の席の人間に酒を奢る方が遥かに効率が良い。


「僕は裏の社交場で、相当量の"信用"がある。そんな僕が、負け分を取り戻すために賊を雇って襲わせるような人間だと吹聴すれば――」


 アルスはにこりと残酷に微笑んで、はっきりと告げた。


「良くて裏の社交場からの締め出し、悪くて――」


 死、とアルスの形の良い唇が描いた気がして、子爵は震えあがった。その場に膝をついて、懇願するようにアルスを見上げ、脂汗だらけの顔を向けた。


「す、すまなかった! ほんの出来心だったんだ!」

「嘘はいけないな。僕が宿を出たときには、すでに僕らを見ている視線があった。ということは、子爵は初めての裏カジノデビューで、負けた分を暴力によって取り戻すつもりで人を雇ってあったってことだよね」

「――う、そ、それは」

「裏社会の隣人を舐めない方がいい。あそこにいる人間たちは、常に仄暗い裏社会の隣で生きている人たちなんだから」


 アルスはナイフの切っ先を子爵に向けながら、口元を歪めて告げた。

 アルスは護身術程度しか心得がないが、しかし自分の身を自分で守れる人間でなければ、裏の社交場ではうまく立ち回れない。時に暴力に訴えなければままならないこともあるのが裏の世界だ。

 であるからこそ、たとえアルスは貴族の娘であったとしても、他者への暴力にも、他者からの暴力にも慣れていた。


「――いくら、払えばいい?」


 裏社会にコネがない人間が、失態を取り戻すには、信用を金で買うしかない。

 バイエット子爵の問いかけに、アルスは満足げに頷いて、ナイフをしまうと、そっと両手を広げた。


「迷惑料で100万ユース。どう?」

「……分かった、払う。だから、裏の社交場には――」

「うん。もちろん、筋を通してくれるなら、僕だって鬼じゃない」


 バイエット子爵は袋を一つ取り出して、ジェームズへと預けた。ジェームズは中を開いて「確かに」と告げると、そのままアルスへと手渡した。


「今日のことはこれで許してあげる。ただし、もしも裏切ったら――」

「……ヒッ」

「今度は五体満足じゃ帰さないから」


 一連のやり取りで、どちらが上となるのかをはっきりとさせた。

 アルスはバイエット子爵を見逃す代わりに、口止め料として大金を預かり、今後同じことをやるようなら、バイエット子爵の弱みを社交場に広めると恐喝したのである。

 教唆・恐喝が当たり前の裏の社会、その隣人であるアルスにも、ある程度の覚悟が備わっていた。


 裏の社会は、舐められたら最後、死ぬまで搾取される。


 裏の社会の傍で、愉しく遊んでいるアルスにとって、裏社会の人間の片鱗を見せて自衛を試みることは、きわめて重要なことであった。

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