08. 裏カジノで起きたとある事件の顛末
学院から帰ってきてすぐに、アルシェスタは鞄を投げだして制服を脱ぎ捨てた。被っていた鬘をぽいっと脱ぎ捨てれば、そこには赤く染まった短い髪がひらりと靡く。
今日は久しぶりの夜遊びの日だ。うきうきしながら、早速支度を整える。すると、部屋を訪れたエリーラからまた呆れたような息の音を聞いた。
「お嬢様……またこんなに脱ぎ散らかして」
「いいじゃん。最近忙しくて、夜遊び行く時間なかったんだから。散財はしないから、見逃してよ」
「お金の管理について、私からお嬢様に申し上げられることなど一つもありません」
誓って、夜遊びの際には家の金に手を付けたことはない。王都に着いてから立ち上げた事業で得た利益のうち、自分の生活費として使えるぶん――つまり自分の給料分を使って遊んでいるだけ。
仕事の中身としては、結果的に一番多いのは夜会のプロデュース業だろうか。凝った夜会を主催したいが、そのアイデアがうまくまとまらない貴族家や商会に対して、企画の立案から人材の手配までの一連の流れを請け負う業務のお陰で、じわじわと人脈が広がっている。
夜会は、やはり貴族の中では義務であると同時に優れた娯楽なのだ。恐らくは貴族たちはそれを認知していないし、今のままでは認めないだろうけれど。美味しいものを食べ、綺麗なもので着飾り、初対面の人や気心の知れた人と会話を楽しみ、ダンスを踊るパーティーが、娯楽でなくて何だというのか。
だからこそ、仮面舞踏会の反響がある。「義務」が伴わない夜会は、貴族たちにとって、娯楽の悪印象を払拭する第一矢となる、というのがアルスの考えである。
そんなこんなで、貴族を相手にした夜会のプロデュース業は予想以上の収益をあげている。
「ですが、お嬢様は今朝も二日酔いで帰っていらしたのに、今夜も出かけるのかと思うと少し心配で」
「まぁ、そうだよね。ごめんね、心配かけて。体は健康そのものだからさ」
そう伝えても、エリーラは呆れたように息を吐き出した。二日酔いによって学院を欠席する常習犯であるアルシェスタの言葉は、簡単には信用されないのだ。
エリーゼは秘書として、エリーラは侍女として、とても優秀だ。エリーゼはアルシェスタが学院に行っている日中、商会を預かり、エリーラはアルシェスタが留守にしている間、家を預かっている。
エリーラはアルシェスタの外出には一緒に出てくるが、アルスの外出には同伴しないため、彼女の目からは、夜に街に出たアルシェスタの身に何が起こっているのかが分からない。
エリーゼ・エリーラは共に5つ年上のしっかり者であるため、不良娘が遊びまわっているのが心配になるのだろう。
「でも、そろそろストレス発散しないと挫けそうなんだよ~。今年は学院で無難な位置に入ろうと思ってたのにさ。生徒会に召喚されたおかげで、やることが増える増える」
「お嬢様の成績と素行評価で、召喚されない方が不思議ですが」
「それでも、僕って出席日数が完全に不良娘だからね。避けられると思ったんだけどな~」
学業成績・素行評価を良くするのは、最初は父母に対する当てつけのつもりだった。
心配なんかしなくても、アルシェスタはこれくらいできる。どんな理由を付けて来たとしても、家出を邪魔することは許さない。
母に受けた虐待まがいの教育のお陰で、学業成績も素行評価も良好なのは、アルシェスタにとっては不本意ではあったのだが。
「大丈夫だよ、今日はカジノ行くだけだから。クラブに行くよりはアルコール入んないし」
「本当に、程々にしてくださいませ」
「分かってる分かってる。またお土産を買って帰ってくるよ。いつも家を預かってくれてありがとう、エリーラ」
エリーラの手を取ってそっと指先に口づけ、アルシェスタは椅子に掛けられていたジャケットを指先で引っ掛けて持ち上げると、それをばっと背中側へと広げて羽織り、襟を整える。
すると、背後でエリーラがぷるぷると体を震わせていた。アルシェスタがそちらを見やると、彼女は顔を真っ赤にして、目をぎゅっと瞑りながら大きな声を出した。
「もうっ! お嬢様、そういうことを簡単になさらないでくださいまし! 勘違いされたらどうするのですか!」
「あっ。ごめんごめん、気を付けようとは思ってるんだけど、これくらい大仰にやった方が外だと怪しまれないからつい……」
「お姉様が日に日にお嬢様にご婦人方からお誘いが増えていると頭を悩ませておりますのに……まったく、あなたという人は……」
「あは。まぁ、大丈夫だよ。あの手のご婦人方は、甥っ子かわいがるくらいの気持ちだから」
そんな話をしていると、着替えを済ませたジェームズが迎えにやって来た。エリーラに家のことを頼み、ジェームズを連れて、アルスは夜の街へと下りて行った。
◆◇◆
ポーカーテーブルの傍に立って、ディーラーが配った二枚のトランプの隅を、指先でぱちりと弾いて中身を確認する。ディーラーボタンにそっと触れながら、前の二人のうち、一人が中央にカードを戻し、一人がコールを宣言したのを見て、アルスはチップを引っ掴んでレイズを宣言し、周囲の出方を見る。
「エースは自信がありそうだね。降りるよ」
「む……コール」
残りの二人と、一周目でコールを宣言した男がそれぞれ行動を宣言して、フロップ。開かれた三枚のカードに、ヒットはなし。ちらりと隣の男を見れば、アルスは目を瞬かせた。
(おーおー、顔に出ちゃって。さてはQがヒットしたかな)
男はここぞとばかりにベットを選択。アルスはそれに対して、すっと口元を緩めてレイズを宣言。すると、隣の男が身じろいだ。
(揺さぶりが結構利くタイプか。それが分かっただけでもこの出費には価値がある)
たぶんヒットしたのはQだけで、しかもペアポケットではなさそうだ。結局男は悩んだのち、コールを宣言し、ターン。開いたカードは9。アルスの手札にヒットはなしだった。レイズで揺らされていたが、ワンペアができてるのはほぼ間違いなさそう。チェックを宣言すれば、向こうもチェックを宣言。やっぱりそういうことで間違いがなさそう。
リバーでオープンしたのはクラブのA。向こうのカードがAでなければ、ほぼ勝ちだ。フラッシュの目もストレートの目もないボードだ。アルスはベットを宣言して、チップをぐいっと前に出した。すると、隣にいる男は顔を青くした。
エースと呼ばれるアルスが、リバーでオープンしたAを見て、大金をベット。
(怖いよね~これに乗るのは。さぁ、どうする?)
そう思ってにこにこ眺めていると、男は小さく息を吐き出して、手元にあったカードを中央へ戻した。降り――なるほど。いい判断だ。アルスはにこりと微笑んで、伏せたカードにそっと触れた。
(まぁ、A持ってないんだけどね)
口元にポーカーフェイスを浮かべたままで頭の中で口笛を吹くと、アルスはポットを全部貰い、カードをディーラーへと返す。バレたら無役だったアルスは大損だが、隣の男はアルスと同じテーブルに着くときに、大仰なまでにアルスに楽しそうに挨拶をしてくれた。
つまり、アルスがこのカジノで何と呼ばれてるか知っているということだ。ならば、その印象も含めて、アルスの手札だった。
(ああ、楽しいなぁ、こうやって人と語り合うのは)
そう思いながら彼らとポーカーを楽しんでいると、ふと隣のテーブルで騒ぎが起きているのに気が付いた。
ざわざわと音が立っている方に、ちらりと目を向ける。手札が弱すぎてフォールドした回であったので、少し様子を見てくるとディーラーに告げて、隣のテーブルへと近づいた。
すると、そのテーブルの上に置かれていたそれを見つけて、アルスは目を丸くした。
「すみません、持ち合わせがないもんで――これで参加させて貰えませんか」
「こ、これは……宝石? こんなに見事で、大きなもの?」
そこに置かれていたのは、美しい宝石がハマったブローチだった。パッと見ただけでも数千万ユースはくだらないくらいの高級品――だが、それ以上に、その宝石について、アルスは知識があった。
赤みがかかったダイヤモンド。隣国の、特別な鉱山でしか取れないとても希少な宝石だ。それも、あんなサイズとなると、その持ち主は――そう思って、その宝石を取り出した男を見てみても、高貴さの欠片もない、ただのひょろっとした痩身の男だ。ということは、あれは――。
(盗品かな。流石に、これを見逃したら明日から支配人に顔向けできないよ)
アルスはちらりとディーラーを見やって、ゲームを抜けることを告げると、そのまま隣のテーブルへと歩いていった。そうして、その宝石の輝きに魅せられて、男にチップを与え、ゲームを始めようとしていた面々の前へと堂々と歩み寄ると、丁寧に礼をした。
「ストップ。少しいいかな。皆に一つ、話をしたくってさ」
「おや、エース。こんばんは。いったいどうしたんだい?」
この遊び場には貴族も時々来るが、多くは平民の富裕層だ。だからこそ、きっと知られていないことでもあるのだろう。だとするなら、彼らが犯罪者になる前に、はっきりと言ってしまわねばならない。
「隣国――ラヴァード王国の王族ってさ、求婚するときにとても素敵な習慣があるんだよ」
「おや、エースはラヴァード王国についてもご存知なのか。いやはや、いつも通り感心しますなぁ」
「面白いものには何でも興味があるんだ。それでね、ラヴァード王国の王族は、求婚するときに、相手に宝石を贈るんだけど――何でもいいから勝負の内容を決めて、それに相手を勝たせて求婚することになってるんだって。ギャンブラーとしては、ロマンティックな求婚じゃない?」
そう告げれば、マダムたちは顔を赤らめてうっとりとするし、ジェントルマンたちは興味深そうに聞いている。その一方で、その宝石を差し出した男は、居所が悪いかのように顔を青白くして、きょろきょろと周囲を見つめていた。アルスは、畳みかけるように事実を述べていく。
「その宝石っていうのがね、宝石の王様、ダイヤモンド――それもただのダイヤじゃない。ラヴァード王国の王家が所有する鉱山でのみ採れる、至高の宝石なんだ。ちょっと赤が混じってて、ラヴァード・ダイヤモンドって言うんだけど。つまりね、何が言いたいかって言うと――そのくらいの大きさのラヴァード・ダイヤモンドは、隣国でも、王族の求婚の時か、国王・王妃の即位式の時くらいにしか使われないんだよ」
そう告げるや否や、ひょろっとした男は慌てて宝石を引っ掴むと、入り口に向けて駆けて行こうとする。アルスは素早く手を挙げて、叫んだ。
「黒服! そいつ、盗品持ち込みの闇業者だ! 捕まえて!」
その声に反応して、壁際にいた男たちが素早く連携を取って進路を阻み、男をいとも簡単に取り押さえた。そうして、盗品は取り上げられて、店の奥にある牢屋へと連れていかれる。
騒ぎを聞きつけてやってきた店長――あるいは、この裏カジノの支配人と呼ばれている男は、訳知り顔のアルスへと駆け寄って来て、事情を尋ねて来た。
「アルス、何があったのです?」
「ああ。どうやら、隣国の王族からラヴァード・ダイヤモンドのブローチを盗んだ奴が、このカジノの人間を犯罪者にしようとしていたから確保して貰ったんだ」
「ラヴァード・ダイヤモンドを? 何と不敬な……ありがとう、アルス。君がいてくれてよかった」
支配人の男は、どこか胡散臭さがある黒髪の男で、長い髪を後ろで一つにみつあみをしている。アルスも彼の名前を知らないが、このカジノにいる人は皆、彼のことを支配人と呼ぶ。
「質屋に入れれば、すぐに盗品だとバレるほどの希少品。それを金に換えようと思ったら、こういうところに来るしかないんだよね。そうすれば、売却ほど高値にはならないけれど、訳を知らない裕福な平民が、罪を被ってくれるから。ほんと、考えることが姑息なんだよな」
「この国に今、滞在なされているラヴァード王国の王族といえば……」
「王弟殿下が王立学院に通われてるかな。もしかしたら、これは彼の求婚用の宝石なのかも」
いつかの日に、イルヴァンと街に出た時に、闇賭博の入り口である宿の情報を求めていたジェフリーの姿が思い浮かぶ。もしかしたら、従者か何かに宝石を盗まれ、探している最中だったのかもしれない。
「まぁ、本国よりも先に王弟殿下にお伺いを立てたほうがいいんじゃないかな。もしかしたら、本国に知られると都合が悪いかもしれないし」
「私としても、このカジノの事であまり波風を立てたくない。王弟殿下にこっそりと事情を説明して、宝石をお渡しできるように手を回しておこう」
「ん、お願い。下手したら国際問題だからね。なるべく、穏便に済ませたい」
支配人は頷くと、優雅な足取りでその場を後にしていった。アルスはその後ろ姿を見送って、フロアで起きている騒ぎを収めにかかった。
運よく、ラヴァード・ダイヤモンドの本物を見たことがあったおかげで、早々に事態の収拾ができた。アルスのパトロンの一人である、未亡人の初老の女性が、そういった諸外国の宝石の蒐集を趣味としている御仁で、ラヴァード・ダイヤモンドもそのコレクションの一つだった。
(またマダム・プレシアに美味しいワインでも持参しよう)
いつもアルスにもの好きなほどに貢いでくれる、麗しいマダムに想いを馳せながら、アルスは不安を隠せなさそうな婦人たちに歩み寄った。
後から聞いた話によれば、男は牢に掴まってもなお、あの宝石が持ち込まれたことを明らかにすれば、このカジノもただでは済まないぞと脅しにかかってきたそうだ。王族からの窃盗という犯罪を犯しておきながら、この王都の裏事情について知らないとは、何とも罪深い。アルスの所感はそのようなものだった。
このカジノは確かに裏カジノと呼ばれているが、国の抱えている施設なのは確かだ。賭博が行なわれているのが、私財の範囲でのことならば、国はわざわざ罰したりなどしない。キングレーの領地に合法カジノがあるように、それ自体が法律で禁止されているわけではない。
ただ、平民の人権や領地を質にいれる賭け狂いが存在するとまずいだけである。ならば、国でそういう施設を秘密裏に抱えてしまえば、そこで賭博というものにのめり込むイカれた奴らと、そういう場でボロを出して貴族の尊厳をドブに捨てる輩をまとめて効率よく監視できるというわけだ。
途中で怖くて調べるのを辞めたが、この裏カジノの運営に関わってる一番すごい人物の名前は、恐らく大公で間違いない。口が裂けても言えはしないのだが。
つまり、あの盗人の男は、まんまと国が設置したネズミ罠にかかっただけというわけだ。脅しなど最初から意味がない。
このカジノの運営の上層部には、アルスの存在も把握されているだろうし、素性もとっくに調べられているだろう。それでも何も言ってこないということは、つまりアルスがここで楽しく遊んでいるぶんには何の問題もないということだ。アルスがフロアにいるだけで、事件のいくつかは片付くので、恐らく泳がされている。
(いや~、お国も大変だねぇ)
そう思いながら、アルスは学院の裏庭で一人、コインを指先で弾いて遊んでいた。




