07. 想いを込めて
花束を買い終えて、イルヴァンはそのままアルシェスタをデートへと連れ出した。
馬車で街の中をゆったりと周り、近況などを話していれば、時間はあっという間に過ぎていく。
今日は夜から商談が二件入っていたはずだ。夕方には、家に戻らなければならない。
少しばかり、この楽しい時間が終わるのは惜しいという気持ちが湧いて来たが、仕事もアルシェスタにとっては大切なものだ。
せっかくだから露店で何か珍しいものでも食べようという話になり、庶民の間で流行っている氷菓――通称、アイスクリームと呼ばれる甘い菓子を買って、ベンチに腰掛け、二人でスプーンを動かしていた。
「つべたっ……頭がキーンってする」
「ふふ、急いで食べ過ぎなんですよ、イルヴァンは」
「だって、早く食べないと溶けちゃうんだろ。勿体ないよ」
「アイスクリームは自分で自分を冷やすので、多少はもちますよ。ゆっくり、自分のペースで食べれば大丈夫ですから」
「シェス、詳しいな……」
アルシェスタは上機嫌にアイスを頬張っている。甘いものが大好きなアルシェスタにとって、庶民が生み出したこの素晴らしい氷菓子は、まさに文明の進化だった。
氷の魔術を利用して作られ、時間で溶けてなくなってしまう儚い菓子は、口の中でひんやりとした感触を楽しめる庶民の甘味として、つい最近になって台頭してきたものだ。こういった発想を生み出す庶民の生活様式に、アルシェスタは素直に感心していた。
今では自分の店でもデザートのメニューに取り入れている。つい最近、EL-Phoneを使って、兄に氷の魔術を長時間維持する魔道具を作れないかを打診したところだった。
「きゅ~……」
「ああ、イルヴァンったら、本当に溶けてしまいますよ」
「ご、ごめん……でも、頭がキーンってして」
「仕方ないですね。私が食べてあげます」
「た、頼む……」
そうして、イルヴァンが差し出したスプーンを、口を開けて待ち、ぱくっと食べる。
コーヒーを溶かしたような、少しほろ苦い甘みが口の中に広がり、アルシェスタは上機嫌にアイスクリームを咀嚼していた。
何となく周囲の視線がこちらを窺っていることを悟り、先ほど、イルヴァンが差し出したスプーンをそのまま口に咥えたのは少しはしたなかったかもしれない、とアルシェスタは反省する。
そんなやり取りをしていると、アルシェスタとイルヴァンの視線の先で、一台の馬車が停まる。
明らかに豪奢な馬車を見て、アルシェスタとイルヴァンが顔を見合わせていると、その中からは、一人の男が降りて来た。
赤茶色の、少しボリュームのあるふわふわとした髪を肩下へ伸ばして、ゆるく結んでいる。華奢な体躯を包む礼装は、簡易ではあるがその質・デザイン共に、高価な装束であることを想わせる。
そして何よりも、双眸にはダイヤモンドが埋め込まれているのではないか、というほどに不思議な色をしていた。透明に近い薄い青色の瞳は、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。宝石の瞳、と呼ばれるものだ。
その身のこなしに隙はなく、どこかミステリアスな艶やかさと、誠実そうな気質が同居した不思議な男は、イルヴァンへとゆっくりと歩み寄ってくる。
イルヴァンはその人物を見ると、すっと立ち上がる。アルシェスタも察して立ち上がり、頭を下げると、彼はそっと手を挙げてそれを制した。
「ああ、いい。イル、普段通りで」
「……わ、分かった。ジェフ、どうしたんだ? こんなところで」
そのやり取りで、アルシェスタは目の前の人物が、ラヴァード王国王弟、ジェフリー・フォン・ラヴァードであることを悟った。先日の歓迎パーティーでは、アルシェスタはリリーナの担当だったので、彼と挨拶をすることが叶わなかった。
母の身分は低いと聞いたが、王族というにふさわしい風貌と空気感を備えている。
イルヴァンからの情報を統合する限り、とても気さくでちょっと変わり者だそうだ。こうして、一侯爵家次男に過ぎないイルヴァンに、これほどの気安い対応を許しているあたり、イルヴァンの印象は間違っていないように思う。
しかし、ほんの一月で意気投合し、愛称呼びを互いにするほどに打ち解けたとイルヴァンから聞いていたものの、実際に気安い対応をしているのを見て、アルシェスタは目を瞬かせていた。
ジェフリーのダイヤモンドの瞳と、目が合う。あまりにも美しい煌めきに、眩みそうになった。
「すまない、恋人との逢瀬中だったか」
「幼馴染だよ。よく話してる」
「ああ、君が。初めまして、アルシェスタ・キングレー嬢」
「――ご挨拶は、簡略した方がよろしいですか?」
「配慮、感謝する。今の言葉で受け取った、以後気にせず接してくれるとありがたい」
彼は一目で高貴な人物だと分かるが、こんな街中で身分を公開すれば騒ぎになる。
ジェフリーは丁寧にアルシェスタへと挨拶を済ませると、イルヴァンの方へと改めて向きなおった。
「イル、すまない。少し聞きたいことがある」
「何だろう」
「この近くに、鳩の風見亭という宿があると聞いたんだが、知らないか?」
「鳩の風見亭……ああ、それなら、あそこの細い道に入って、広い通りに出たところで左に曲がればすぐにあるよ」
「そうか。助かる。ありがとう」
ジェフリーは丁寧に礼をすると、別れの挨拶もそこそこに、素早く馬車へと乗り込んでいった。馬車が発車して、イルヴァンが示した方へ向かって行くのを見送って、アルシェスタは口をそっと隠した。
(……鳩の風見亭。確か、ちょっとヤバめの賭博場の入り口になってるとこだな。何で、王弟殿下がそんなとこに?)
たまたまか、それとも。そう思っていると、アルシェスタはイルヴァンから声を掛けられる。
「シェス、いいか」
「はい。どうされましたか?」
「……実はさ、お祖母様に言われてるんだ。一度、シェスを連れて来いって」
「前侯爵夫人に……」
サンチェスター前侯爵夫人には、イルヴァンから話を聞く限り、かなり気に掛けて貰っているような様子があった。
もしも自分のことで煩わせているのならば、顔を出しておいた方がいい。それは事実だった。
「今から花束を届けに行くから……良かったら、一緒に行かないか」
「……分かりました。ご一緒します」
「ありがとう。じゃあ、別邸に向かおう」
サンチェスター前侯爵夫人は、未だに社交界でその存在を忘れることが許されない女傑だ。
彼女の存在は、イルヴァンとアルシェスタの親世代には強く根付いていて、社交界から離れて数十年経った今でも、その威光は健在だ。
アルシェスタのような、淑女らしくない人間は嫌われそうだが――それでも、筋を通すに越したことはない。
サンチェスター侯爵家の別邸は、王都郊外の閑静な住宅地の中にあった。
鉄柵の紋の向こう側には、しっかりとした手広い庭と、立派な二階建ての屋敷が見えた。
訪問を告げる鐘を鳴らせば、使用人が迎えに出てくる。馬車を駐車スペースへと置いて、イルヴァンにエスコートされるまま、アルシェスタは別邸の中へと足を踏み入れた。
客間へと通され、ソファに腰かけて待っていると、やがて一人の老婆が姿を現した。
色素を失った髪は、しかし白くなっても彼女の潜在的な美しさを引き立て、高齢にもかかわらず背筋がしっかりと伸びている老女は、部屋の中を見渡す。
イルヴァンとアルシェスタがそっと立ち上がり、二人で頭を下げる。
「お祖母様、ご無沙汰しております」
「よく来ましたね、イルヴァン。今日は、客を連れているのですか。その娘は、あなたの婚約者ね?」
イルヴァンが頷き、アルシェスタへと挨拶を促す。アルシェスタは、しっかりと礼節に則ったお辞儀を披露して、淡々と告げる。
「エルデシアンの金の向日葵、サンチェスター前侯爵夫人にご挨拶申し上げます。キングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
「ようこそ、アルシェスタさん。お待ちしていたわ。いつになったらイルヴァンがあなたを連れて来るのか、また純朴な孫が空回りをしているのではないかと心配していたから」
イルヴァンが頭上で「うっ」と小さく呻いたのを聞いて、アルシェスタはそっと頭を上げた。
サンチェスター前侯爵夫人に促され、アルシェスタとイルヴァンはソファに腰を下ろす。侍女が用意した紅茶の香りがそっと鼻腔をくすぐった。
「義娘が迷惑をかけたようね。義母として、謝罪申し上げます」
「……恐縮です」
「それで、イルヴァン、今日はどうしたのかしら」
イルヴァンは返事をすると、侍従に持たせていた純白の花束を受け取って、それをサンチェスター夫人へと手渡した。
彼女は目を瞬かせてその花束を受け取り、少しだけ瞳を揺らしていた。
「お祖母様に、ローズ・ベルベットの花束を贈らせていただきたく」
「まぁ……なんて綺麗なユリの花束。イルヴァン、わたくしが白い花を好きなのを知っていたの?」
「いいえ……俺にそんな気の利いた真似が、できるとお思いですか」
「思わないわね。だとしたら、もしかして、選んでくれたのはアルシェスタさん?」
イルヴァンはアルシェスタへと目をやって、そうして肯定した。
自分の手柄にするつもりはなかったのだが、助言をしたのは事実だ。アルシェスタはそっと頭を下げる。
「どうしてわたくしに、白い花束を選んでくださったの?」
「先王陛下の婚姻式の際には、純白のバラの庭園に皆さまをお招きしたと記録にあったので。先王陛下の婚姻式に参列なさっていた貴族の皆様の想い出には、白い花が存在するのではないかと、そう思いまして。イルヴァンから、サンチェスター夫人は王太后殿下と親しかったとお聞きしたので」
「よくお勉強なさっているのね。感心するわ。わたくしのことを慮って、イルヴァンと共に花を選んでくれたのね」
「贈り物は、自分のためではなく、相手のために贈る物ですから」
なるべく、相手の手元や想い出に幸せな気持ちが残るものを。それは、アルシェスタの信条だ。
物だけではなく、その贈り物をするときの景色も。それらが想い出となるのならば、手元に残らないものでも十分な価値がある、とアルシェスタは考えている。
「アルシェスタさん。あなたのことは、イルヴァンから聞いているわ。だからこの先は、肩の力を抜いて、いつも通りにして答えてくれて構わないわ」
その言葉を聞いて、アルシェスタはカップに伸びかけていた指が止まる。
ちらりとイルヴァンを見やれば、彼は頷きを以て答えを返した。アルシェスタはふぅ、と息を吐き出すと、サンチェスター夫人に向き合い、ワントーン低い声で返事をした。
「はい」
「あなたとわたくしは初対面ね。なのに、どうしてそこまで孫のために親身になって、わたくしへのプレゼントを考えてくれたのかしら」
「ん……まぁ、だって、せっかくかかわるなら、幸せな気持ちになって欲しいから、でしょうか」
「幸せな気持ちに?」
淑女らしくない、少し間延びした相槌を挟みつつ答えれば、サンチェスター夫人は動じずに首を傾げる。
アルシェスタの根底にあるのは、きっと誰かに喜んで欲しい、という気持ちだ。
「ローズ・ベルベットの花束っていうのは、孫や子から贈られる、母や祖母に感謝や親愛を伝えるための贈り物ですよね。だったら、その人が一番喜ぶものって何かなって考えるのって、普通じゃないですか?」
「普通のこと?」
「僕は、楽しい気持ちや幸せな気持ちを抱くことは、人生を彩るうえでとても大切なことだと思ってるんです。僕は家庭環境があまり良くなかったわけですが、イルヴァンからそれらの気持ちを貰ったお陰で、今は家出をして、自分の夢を探すことができています」
自分が、人から与えられる無償のそれらによって、救われた経験がある。
それだけの理由があれば、アルシェスタにとって、他人の幸福を願うことは自然なことだった。
「僕がそれをされて嬉しかったから、他人に返してる。ただそれだけです。僕がちょっとした悪知恵を働かせた結果、サンチェスター夫人が喜んでくれたら、何だかお得な気分になるじゃないですか。それだけです、ほんとに」
サンチェスター夫人は、目を丸くして、しばらくアルシェスタの方を見つめていた。
イルヴァンは、他人の幸福を当然のように願う幼馴染を、優しく見守っている。口では色々とひねくれたことを言うが、アルシェスタの本質的な部分に関しては、イルヴァンはよく理解しているように思えた。
「……よく分かったわ、あなたのこと。花束、ありがとう。孫とその婚約者がくれた今日という日の想い出をお墓まで持っていくわね」
「まぁ、僕はただイルヴァンに相談されただけなので。お礼ならお祖母ちゃん想いの孫に言ってあげてください」
「お祖母様、シェスのこれは照れなので」
「ちょ、イル兄」
イルヴァンと小突き合っていると、サンチェスター夫人はくすりと微笑む。
受け取った花束を、後ろに控えていた侍女に託し、部屋に飾るように言いつけると、そっと立ち上がって、アルシェスタへと手を伸ばした。
しわくちゃの手で、優しくアルシェスタの手を取ると、藍玉の瞳をしっかりと見据えて、夫人は告げた。
「もう過去は戻らないけれど、あなたの未来に幸福が訪れることを祈っています」
「……ありがとうございます、サンチェスター夫人」
「もしも過去があなたを縛り付けようとしたら、この老婆で良ければ頼って頂戴ね。息子と義娘を叱るくらいの力はあるわ」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、私は私の力でできるところまで、挑戦してみたいと思っております」
アルシェスタは淑女の笑みを浮かべて、夫人へと言葉を返した。
大人の力によって失われた過去。抗いたいなら、自分で声を上げるしかない。
いつまでもイルヴァンやその周りの人たちに頼りっぱなしではいけない。その想いを強めた邂逅だった。




