06. ローズ・ベルベットの花束
新入生歓迎パーティーが終わり、新緑の節から花衣の節へと移り変わる頃、アルシェスタはイルヴァンから誘いを受けた。
「シェス。ローズ・ベルベットの花束を選ぶの、付き合ってくれないか」
ローズ・ベルベットの花束。それは、200年前に実在した女性実業家、ローズ・ベルベットにちなんだ現代の慣例の一つだ。
偉大なる実業家にして革命家のローズ・ベルベットは、花衣の節が訪れると、母に花束を贈る習慣があり、それが当時の社交界を通じて貴族へ、そして時が流れるのに応じて平民の文化へ浸透していった。その結果、現代では母や祖母に花束を贈る習慣が生まれたのだ。
「……あのさ、イル兄。僕、侯爵夫人には――」
「いや、分かってる。母さんの方は、俺が自分で選ぶよ。手伝って欲しいのは、お祖母様の方で」
「前侯爵夫人の?」
イルヴァンが最近、前侯爵夫人の住む、王都郊外の別邸へ足を運んでいることは知っていた。
アルシェスタとの婚約について、もう少しアルシェスタの夢に寄り添った形にできないかと、イルヴァンは両家の間にある契約に手を加える方法を探している。
「……あのさ、イル兄。そんなに頑張んなくていいよ? 僕はその、イル兄って本当にお兄ちゃんみたいなものだから……婚約って言うのも、よくよく考えれば変な話だし」
「俺だってシェスは妹だけど、でも……」
「でも?」
「俺、騎士として身を立ててシェスを守っていくのが当たり前だと思って育ってきたから、なんか今更離れるっていうのも実感なくてさ。だったら、両家で妥協できるラインを見つけた方がいいって思ってるんだ。シェスだって変なところに嫁がされて、働けなくなるのは嫌だろ?」
「それは嫌だけど……」
「とにかく、俺が動いてるのは俺の納得のためだから。シェスが気にする必要はないんだよ」
イルヴァンはあくまでも自分のためと言い張り、婚約の契約内容を変えるための行動に違和感はないようだ。
アルシェスタはそっと息を吐き出して、ぐっと胸の前で手を握り締めた。
(やっぱり、僕もちゃんと動かなきゃダメだ。親父に、僕が領地に必要な人材だって分からせる。そのためには――)
必要なのは、功績。
一年以内に、比類のない娯楽への貢献を示し、アルシェスタが領主として適している人物だと証明する。
独りよがりに娘の幸せを願って、だなんて寝言を言わせないためにも、まずは自分が身を立てられるようにならなければならない。
「最近あんまり一緒に出掛けてなかったし……どうだ?」
「……うん。分かった。一緒に行くよ」
「そっか! じゃあ、次の休日、迎えに来るよ」
イルヴァンはぱっと顔を輝かせると、ひらひらと手を振って去っていった。
生徒会に、学業、経営業、社交。アルシェスタの日々は目まぐるしく回っていく。その中でも、変わらずに自分を重んじてくれる優しい兄の存在に、心が安らいでいたのは事実だった。
次の休みの日、身支度を済ませて家で待っていると、イルヴァンは迎えにやって来た。
シンプルな白のワンピース姿のアルシェスタの手を引いて、馬車に乗せると、穏やかに街の花屋に向けて馬車は進んでいく。
「シェス、生徒会はどうだ? 三年生の役員は皆癖があると思うけど、仲良くやれてる?」
「そうだね。陰険眼鏡先輩にはたまにイラッとすることもあるけど、マギアス嬢やバーンズ卿にはそれなりに良くして貰ってるよ」
「陰険眼鏡先輩……」
「大丈夫だよ。クロスクロイツ卿とも表面上は仲良くやってるから」
「クロスクロイツ卿も、シェスに影でそんな風に呼ばれてるって知ったら吃驚するだろうなぁ」
グウェン・クロスクロイツは真面目な人間だが、どこか皮肉屋で嫌味が絶えない男だ。人間不信気味なのか、ひねくれ者の彼は、仕事だけはするがあまり打ち解けているという感じはなかった。
「はぁ~あ、なんで僕が生徒会に呼ばれたんだろう」
「マギアス嬢の思考を読むなら……平民の支持率を上げたいんじゃないかな。確か、シェスと一緒に役員に選ばれたのって平民の子だろ?」
「うん、そうだけど」
「平民からのシェスの評判ってすこぶるいいんだよ。貴族の令嬢の間じゃおっとりしすぎだとか猫かぶりだとか言われがちだけど、平民からすれば気取らずに優しく接してくれるシェスは、声を掛けやすい貴族の令嬢だから」
「猫かぶりねぇ……間違いじゃないけど、お前が言うな案件だよね。まぁでも、平民の生徒からの印象はそうらしいね。同級生にも言われたよ」
貴族の娘なんて、ほぼ100%猫かぶりだ。親しい人以外に、本当の姿なんて見せない。
アルシェスタの素の姿など、親しい人以外には見せられるわけがない。
「会長はなんで平民の支持率上げたいんだろ。王子妃だからって点数稼ぎしてもなぁって感じだし」
「分からないけど、マギアス嬢は庶民的なものにもある程度好意を持ってるらしいから」
「ほんとに? あの筆頭公爵家のご令嬢が?」
「家のサロンでは、しょっちゅう庶民文化の検証や紹介をしてるって聞くよ。俺は参加したことないけど」
アルシェスタの脳裏に、仮面舞踏会で見た、彼女の意外と普通な少女の側面が浮かぶ。
意外と庶民的な公爵令嬢に若干の親近感が湧いていると、馬車は花屋へと到着した。
イルヴァンは自然にアルシェスタをエスコートし、馬車からゆっくりと下ろす。
貴族ご用達の花屋に辿り着くと、ふわっと甘い香りが漂った。エントランスから中へと入ると、受付で記帳を済ませ、個室へと通される。
専用の接客員にカタログを見せられて、アルシェスタとイルヴァンはそれを眺めた。
「母さんには毎年赤のカーネーションを贈っているんだ。お祖母様も昔ながらの貴族思想を持つ人だから、慣例通りのものが喜ばれるかもしれないけど……」
「定番は、カーネーションやバラ、ガーベラなどでしょうか。ユリの花束も綺麗ですけれど」
「ユリか……綺麗だな。真っ白で上品な花束だ」
ローズ・ベルベットの花束は、赤系の色を中心に、華やかで鮮やかな花が多い。
そんな中で、落ち着いた寒色系の花束や、上品な白色の花束は、異彩を放っているが美しい。
「イルヴァンのお祖母様の世代で流行っていたものを取り入れた方が喜ばれるかもしれませんね」
「俺のお祖母様の世代で? たとえば?」
「先王陛下の婚姻式では、王太后殿下の大好きだった純白のバラがたくさん植えられた純白の庭園で、披露宴を行われたそうです。公侯爵家であるサンチェスター前侯爵夫人も恐らく、その当時の婚姻式にはご参列なさっているはず。白い花束は、その幸せな風景を思い起こさせて、懐かしい気持ちにされるかもしれません」
「ああ。王太后殿下は、お祖母様のご友人だったって聞いたことがあるよ。父さんを育てていた時、よくお城の庭でお茶会をしていたって」
「でしたら、このユリの花束は、お祖母様にも気に入っていただけるかもしれませんね」
イルヴァンはしばらくその花束の絵を食い入るように見つめて、大きく頷いた。
店員に赤いカーネーションの花束と、純白のユリの花束を一つずつ注文すれば、店員はへこへこと頭を下げ、すぐに作ってくるのでこちらでお寛ぎください、と言い残して、部屋を出て行こうとした。
イルヴァンは「少し待ってくれ」と告げて立ち上がると、店員に何かを耳打ちした。アルシェスタが首を傾げて見つめていると、店員は部屋から出て、イルヴァンはアルシェスタの隣へと戻って来た。
「ありがとう、シェス。やっぱりシェスに頼んで良かったよ。先王陛下の結婚式の話なんて、俺からは絶対に出ない発想だった」
「ふふ。花は、宴の場を彩る大切なものですから。歴代の王家の結婚式なんかは、先人たちの祝福の気持ちが詰まっていて、とても参考になります」
「ほんと、よく知ってるよ。すごいや」
イルヴァンの言葉に、アルシェスタは口元に手を当ててくすくすと笑う。それを見て、イルヴァンは心がざわつくのを抑えながら、そっとアルシェスタの反対の手を、自分の大きな手で覆った。
アルシェスタは目を瞬かせる。イルヴァンはやや視線を泳がせながら、口を開いた。
「……グラスティケイト卿とは、仲がいいのか?」
「え?」
「いや、この間のパーティーの時、仲よさそうだったから」
アルシェスタはかくりと首を傾げる。
オーエン・グラスティケイトには歯が浮くようなセリフを与えられ、紳士の最上級の礼を取られたのは確かだが、あの時のアルシェスタの心は限りなく静かだった。
アルシェスタはあの感情に「同族嫌悪」という結論を抱いた。
「いいえ」
「そうなのか?」
「いいえ?」
どこか圧のあるアルシェスタの笑顔に、イルヴァンは息を飲みこんだ。アルシェスタは小さく息を吐き出して、おっとりと微笑む。
「イルヴァンのことは兄だと思っていますが、今は婚約者ですもの。イルヴァンの顔に泥を塗るような行為はしません」
「わ、分かった。グラスティケイト卿は女性に人気だから、シェスも卿みたいな人に興味があるのかなと」
「まったく?」
「まったく……」
「だって社交辞令だらけですもの、あの方。貴族としては正しいですが」
あのテンションの恋人は少し嫌だな、とアルシェスタは思う。
すると、イルヴァンが目に見えて安堵の息を吐いたので、ちらりとそちらを見る。兄としては、軽い男に妹が興味を抱いているのではと気が気ではなかったのかもしれない。
そんな話をしていると、店員が何名かに分かれて部屋を訪れ、それぞれ丁寧にラッピングした花束を、机の上に丁寧に並べた。
真っ赤なカーネーションを束ねた、かわいらしいマザー・カーネーション・ブーケ。そして、真っ白なユリを束ねた、シルク・リリィ・ブーケ。
そしてその隣に、青と紫を基調としたスイート・ラベンダー・ブーケが並べられて、アルシェスタは目を瞬かせる。
「お待たせいたしました、サンチェスター侯爵令息様。ご注文の品は、以上三点で間違いないでしょうか」
「ああ。ありがとう。丁寧な仕事に感謝する」
「勿体ないお言葉でございます」
イルヴァンは店員に丁寧に礼を取った後、スイート・ラベンダー・ブーケを手に取ると、それをアルシェスタへと差し出した。アルシェスタがそれを受け取ると、さらに従者に合図をして、一つの両手で持てる程度の細長い箱を従者から受け取ると、それをアルシェスタに差し出した。
「シェス。お誕生日おめでとう」
「……あ」
「もしかして、自分の誕生日、忘れてた? シェスって昔からそういうところあるよな」
アルシェスタは、目を瞬かせる。確かに、今日は自分の誕生日だった。
春に生まれたアルシェスタは、今年で17歳になる。手の中で揺れる自分と同じ系統の色に視線を落として、驚きに瞳を揺らした。
「ありがとうございます、イルヴァン。すっかり忘れていました」
「そんなことだろうと思ったよ。今日、誘ったときも何も言わなかったし」
「プレゼント、開けてもいいですか?」
「ああ、もちろん」
エリーラへと花束を預けて、イルヴァンから貰った箱をゆっくりと開けると、そこには藍玉の填まった髪飾りが入っていた。藍玉と真珠が交互に填まった髪飾りは純銀製で、アルシェスタの長い髪を留めるバレッタの形をしている。
モチーフになっている鳥の羽の形は、イルヴァンが幼少期から好んでいる装飾品のデザインだ。
一目で見て、イルヴァンから贈られたものだと分かる美しい髪飾りを、アルシェスタはしばらく見つめて、微笑みかけた。
「……とても綺麗。ありがとうございます、イルヴァン」
「ああ。喜んでくれてよかった。シェスの綺麗な海の色の髪に、よく似合うと思ったんだ」
その言葉を聞いて、アルシェスタは内心でぎくっと感情を揺らす。
今、自分の元の毛色を再現しているのは作り物の鬘だ。本来あったはずの海色の髪は、今は染料で赤く染まってしまっている。
目立つ髪色を隠すため、そして親への反骨心から染められた髪を褒められて、アルシェスタは肩身が狭くなる。
せめて、鬘と地毛の関係を逆転させるべきだろうか。アルシェスタは一年を掛けてその計画の皮算用を始めることにした。
(それにしたってさぁ……イル兄、スイート・ラベンダー・ブーケって……)
花束には、意味がある。
たとえば、マザー・カーネーション・ブーケには「大いなる母への感謝を捧ぐ」という意味があり、シルク・リリィ・ブーケには「純なるあなたに尊敬の念を抱いています」という意味がある。
そして、スイート・ラベンダー・ブーケには――「恋人を自分だけのものにしたい」という意味、それが転じて――「一生一緒にいてください」という意味がある。
恋の情熱を伝えるうえで、クリムゾン・ローズ・ブーケに並ぶ最上位の花束である。
(マジでこの天然ボケ男……こんなこと素でやらかしてたらそりゃ勘違いされるよ)
あまりにも天然で人をたらす兄に、アルシェスタは呆れの息を吐き出して、紅潮する頬を必死に隠していた。




