05. それを人は不穏という
グウェンと共に生徒たちのテーブルを周り、パーティーの様子を見つめていたアルシェスタは、ついに彼女の元へと辿り着いた。
リリーナ・シルファスはグラスを片手に、楽しそうに談笑している。やや控えめではあるが、平民の女子生徒たちと打ち解けたようだ。彼女にとって、貴族よりも平民の方が打ち解けやすいのだろう。
声を掛ければ、平民の女生徒たちからはきゃっという小さな声が上がる。グウェンもやっと緊張が解けて来たのか、眉間の皺は徐々になくなっていた。
「ご入学おめでとうございます。生徒会を代表してあいさつに参りました」
「ありがとうございます、先輩方」
きゃっきゃと騒ぐ女子たちを尻目に、アルシェスタはリリーナの様子を仰ぎ見る。すると、リリーナの瞳は、グウェンに釘付けになっていた。
グウェンはその視線に気づいたのか、顔を上げてリリーナを見やる。
「ああ、あなたが光属性に目覚めたという、シルファス男爵令嬢でしょうか」
「は、はい。そう、です」
「なるほど――あなたが」
グウェンはまた、眉間に皺が寄ってしまう。
リリーナが貴族社会に受け入れられるまでは、まだ時間がかかるだろう。ぽっと出の男爵令嬢が、国で特別な待遇を受けることを、面白く思う高位貴族はいない。
中には、国のためにそれを受け入れ、飲み込む人格者もたくさんいる。そういった人間が、シルファス男爵家に無用な圧力がかからぬように手を回している国の重鎮たちなのだろう。
「さ、宰相閣下の――ご子息様、ですよね。リリーナ・シルファスと、申します」
「なるほど。貴族社会に疎いというのは本当なのですね。まともに挨拶も出来ぬとは」
「――。も、申し訳、ございません」
アルシェスタは表面上は心配そうに眉を寄せてちらりとグウェンを見やるが、腹の底では大きな息を吐き出して、睨みつけたいのを必死にこらえる。
(この陰険眼鏡め……まぁ、できない知らないで済まないのが貴族社会だけど、もうちょっと言い方を考えろよ)
アルシェスタは先ほどの一件もあり、グウェンのことを心の中で陰険眼鏡と呼ぶことに決めた。
公爵家である彼にとって、リリーナが目の上のたんこぶであることは理解できる。一男爵家に幅を利かせられては、公爵家としては面子が立たないのだろう。シルファス男爵はそのような人柄ではなかったという印象だが、富と権力を思うがままにできる権利を有した人間は、簡単に人となりを変えてしまう。
リリーナは少しだけ俯いて、手を震わせている。それを見て、平民の生徒たちは困ったように顔を見合わせていた。
するとそこへ近づいて来る足音が聞こえた。
「グウェンよ。男爵家の娘を掴まえて言うべきことではなさそうだな」
威厳のある声は、先ほど階上から降り注いでいた至高のもの。振り返れば、そこには礼装姿のユーウェルが立っていた。
グウェンは慌てて頭を下げる。しかし、ユーウェルはそれを手で制した。
「そも、下位貴族の礼節がなっていないならばまずは寄り親に注意を促すべきだ。違うか?」
「……相違ございません」
「お前ほどの切れ者ならすぐに分かることだ。少しばかり業務が忙しく、疲労に飲まれたか」
「――いえ。殿下にご心配いただくようなものは、決して」
「そうか。ならばよい。今宵は無礼講と宣言したのは私だ。私の顔に免じて、ここは彼女を許せ」
王子に言われては、流石のグウェンも言い返せなかったようだ。彼はユーウェルにもう一度頭を下げると、リリーナを見つめて、少しムキになったように告げる。
「此度は言い過ぎました。しかし、私はあなたを認めない」
「……!」
「申し訳ありませんが、キングレー嬢。頭を冷やしてきますので、この場を任せてもよろしいですか」
「……はい」
グウェンはそれを言い残すと、そのままテラスの方へと向かって行ってしまった。
陰険眼鏡め、と視線を背中にやった後で向きなおれば、リリーナとユーウェルが見つめ合っていた。
(――ん?)
何やら、不穏な気配を感じる。
何というか、目の前で恋に落ちる音を聞いたような――そんな不思議な感じだ。
「大事ないか、リリーナ」
「い、いえ……お気遣いいただき、ありがとうございます、殿下。しかし先ほどの一件は、ひとえに礼節の整わない私のせいで」
「そなたは貴族社会から離れて暮らしていたと聞く。唐突にこのような暮らしに放り込まれて戸惑っているのだろう。少しずつ覚えて行けばよい」
「殿下……」
それはまるで、ロマンス小説の一節のようだ。
砂糖を吐きそうな甘い空気を見て、平民の女生徒たちは盛り上がっている。
王家の人間であるユーウェルが、光の乙女を気に掛けるところまではいい。様子を聞く限りだと予想通りだった。
しかし、リリーナの手紙に「恋を楽しみたい」と書かれていたことを思い出すと、何となく胸騒ぎへとつながった。
(相手が王子っていうのはちょっと話変わってくるんだけど……)
婚約者持ちの高位貴族と恋に落ちて恋人になるくらいまでは、実際に貴族社会ではよくあることだ。婚約者にはよく思われないのは前提として、婚姻時に関係を清算するのならなかったことにされることも多い。
しかし、王族は流石にまずい。アルシェスタは、背筋に汗が伝うのを感じながら、二人の様子を見守っていた。
「先のような理不尽を言われたら私に言え。ここは学びの場、本物の社交界に出るまでに身に着けておけばいい。失敗を繰り返し、それを修正することこそ学びの本懐、そうであろう?」
「は、はい。申し訳ございません」
「謝る必要はないと言っている。グウェンの奴め、全く手厳しいものだな」
アルシェスタもどちらかと言えばユーウェルの意見に賛成ではあるので、口を出せないのだが。
王立学院のカリキュラムにはマナー講座も入っている。貴族の子女がマナーの出来が悪く恥をかくのは事実だが、そもそも下位貴族の教育水準だと、高位貴族を満足させられるだけのマナーを身に着けていることなど稀だ。
それらを学ぶ場として、学院というものが存在するのだから、突然高位貴族が下位貴族に挨拶を求めて、できないからと詰るのは弱い者いじめに近い。
流石に、伯爵位以上の子女ができなければ顔を顰められるが、男爵家や子爵家に対して甘い顔をする貴族が多いのは確かだ。敬いが伝われば、痛烈な言葉を浴びせられることはない。もちろん、気に入らずに罵る者もいるがそれ自体は個性の領域だ。
「なぁ、キングレー嬢もそう思うだろう?」
突然話を振られて、アルシェスタは思考の海から浮上する。
アルシェスタの姿であまりリリーナに関わるべきではないと考えながらも、ここで挙動不審になるのはよろしくない。アルシェスタはそっと礼を取って、同調する。
「はい。王子殿下の名において無礼講が宣言されている場ですので、お気になさる必要はないかと」
「あ――ありがとうございます。あの、キングレー伯爵令嬢様……ですよね。は、初めまして。リリーナ・シルファスと申します」
「まぁ。ご丁寧にありがとうございます。キングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
初々しい挨拶も、愛らしいとは思うが――アルシェスタは気が気ではなかった。
不穏だ――不安だ。もしもリリーナとユーウェルが恋に落ちるようなことがあれば、この国にちょっとした騒動が起きるかもしれない。そう思うくらいには、ユーウェルはまっすぐな人だからだ。
「ほらな。そなたの行ないに眉を顰める者はそういない」
「で、ですが、私が不快にさせてしまったのは事実ですから……」
「そなたは健気だな」
目の前でいちゃいちゃしないでくれませんかねぇ、とアルシェスタは心の中で叫ぶ。無論、口になど出せはしない。
「学ぶ意欲があることは素晴らしいことかと存じます。その意識があれば、きっとすぐに順応できますわ」
「あ、ありがとうございます」
「キングレー嬢の言うとおりだ。そちらの生徒らも、励めよ」
「きゃっ! ありがとうございます~」
平民の女生徒たちがきゃぁきゃぁと騒ぎ出したのを、聞きつけたのだろうか。
こちらへと歩み寄ってくる足音が聞こえて、それと同時に微かな圧を感じて振り返れば、そこには難しい顔をしているベルローズの姿があった。
「殿下。階下に降りていらっしゃったと思えば、随分と長い間、同じテーブルにいらっしゃるようですが」
「ベルローズよ。良いではないか。今日は無礼講なのだから、私がどこで社交をしようと自由であろう?」
「お立場をお考え下さい。至高の王家たるあなたが、特定の個人・あるいは家に肩入れをしていると思われては、不利益が生じます。ましてや、そちらのご令嬢は男爵家のご令嬢でしょう?」
片や王子、片や王子が気になっている光の乙女、片や王子の真紅の婚約者。
ごごご、と音を立てて燃え上がるオーラのようなものが可視化できたとき、アルシェスタは思わず息を殺して空気に紛れた。
(ま、巻き込まれたくない……修羅場ってやつか)
ベルローズには、次期王子妃として、王子と不要な接触をする人間に警告をする義務がある。
しかし王子はそれを気に入らないのか、少しだけ眉を顰めてベルローズへと対峙する。
「光の乙女は国をあげて尊重すべき人物だ。彼女はただの男爵家のご令嬢とは違う」
「そう思わない貴族家はいくらでもいるのです。殿下がかかわることで、彼女にさらなる不利益が齎される可能性もあるのですよ」
「権力に目が眩んだ貴族どもの戯言だろう。優先順位を間違えるな」
「ですから、その優先順位を守るためにも、無用な軋轢は避けるべきだと申し上げています」
国の賓客にも等しい光の乙女を尊重するユーウェルと、元ある貴族のバランスを重んじるベルローズは、平行線の話し合いを続けている。
アルシェスタはその光景を見て、二人の相性があまり良くないことを悟る。ベルローズの杞憂がただの杞憂でなかったことを、何となく察したのである。
王子と筆頭公爵家の令嬢に挟まれたリリーナはおろおろとしている。助けてあげたいが、この場においてアルシェスタは無力だった。
「ユーウェル殿下、あまりふらふらどこかに行かないでくださいよ」
そこへ声を掛けて来たのは、魔術師局のエース・オーエンだ。彼はどこかふらふらとこちらへと歩み寄ってくると、やれやれと言った様子で肩を竦めた。
「ちょっとドリンクをとってきて欲しいって言われたから取りに行ってきたのに、帰ったらいないし、どこにいらっしゃったのかと思えば。ご令嬢方を口説くのなら、オレもご一緒させてくださいよ」
「オーエンか、悪いな」
「はいはい。でも、お話したいご令嬢がいるなら、階上に招いてください。殿下が階下に下ると騒ぎになるんです。ほら、あそこ見て。殿下との会話を狙っているご令嬢方が目を光らせてますよっと」
オーエンがとある一方を示せば、ドレスで飾り立てた高位貴族のご令嬢方が集まり、こちらを観察しているのが見える。
それを見やれば、ユーウェルはやや疲れた顔をして、首を横に振った。
「分かった。階上に戻る」
「はいはいっと。じゃあ、ベルローズ嬢、殿下のことお願いできます? オレはちょっと後処理をしとくんで」
爽やかな風のように割って入り、場を纏めてしまった軽薄な男は、ぱちんとウインクを女生徒へと向ける。分かりやすい色男であるオーエンがそんなことをすれば、平民の女生徒たちは黄色い声を上げ、それが周囲のテーブルへと伝播していく。
ベルローズはこれ幸いと思ったのか、ユーウェルを引きずって階上へ戻っていく。一瞬で場の空気を軟化させた色男は、肩を竦めて口を開く。
「お騒がせして申し訳ありません、お嬢さん方。パーティーを楽しんでね」
「は、はい!」
「シルファス嬢も、殿下に絡まれてびっくりしたでしょうけど、悪気はないので許して差し上げてくださいね」
あまりにも違和感のない、軽々とした立ち居振る舞いは、彼らが気の置けない仲であることを示していた。ユーウェルとオーエン、そしてベルローズが幼馴染であることは、恐らく有名なことなのだろう。
リリーナはおどおどとしながら、頷きを返した。するとオーエンはまぶしい笑顔で頷き返し、続いてアルシェスタの方へと目を向けた。
「キングレー嬢も、グウェンの奴に丸投げされて困ってたんじゃない? ほら、一緒に階上に戻りましょうか」
「……ありがとうございます、グラスティケイト卿」
彼は社交に慣れているのだろう。さくさくとその場を収めてしまうと、アルシェスタを連れてその場をスマートに去っていった。
階上へと至れば、彼はへらりと笑って、そうして告げる。
「二年生の役員の面倒を見るのは三年生の役目なのに、押し付けられて大変だったね」
「いいえ。お気遣いいただき、ありがとうございます。――エルデシアンの黒き竜胆《リンドウ》、グラスティケイト卿に改めてご挨拶と、お礼申し上げます」
「ああ、ありがとう。でも、そんなに堅苦しくしなくていいよ。海の妖精のような清廉な人。お会いできて光栄です、キングレー嬢」
オーエンはそっとアルシェスタの手を取ると、跪いて手の甲に口づけを落とす。男性から女性に向ける正式な礼の一つではあるが、ほとんどの男は親しくない女性に対して、この手の挨拶を避ける傾向にある。
しかし、このプレイボーイは簡単にそれをやってのけると、またウインクをした。それを見て、アルシェスタはそっと静謐な海のような笑みを浮かべた。
(ああ、たぶん僕が女性を口説いてるのって、外から見たらこんな感じなんだな――)
それを自覚すると、途端に残念な気持ちになる。程々にしておこう、と自戒の念が湧いた。
それが止められるかどうかはさておき。
それにしても、先ほどのリリーナとユーウェル、そしてベルローズの様子に、微かな不安をぬぐい切れなかった。
この学院生活は一年ほど、心が休まる暇がなさそうだ――そう思っていた。
そんなアルシェスタとオーエンの様子を、階下から見つめるイルヴァンは、無意識に少しだけ手に力が籠るのを、抑えられなかった様子だった。そのまま、イルヴァンはしばらく、二人の様子を静かに見つめていた。




