01. 新学期と召喚命令
桃色のサクラがそよ風に乗って、ひらひらと舞う頃。
王立学院では、新入生の入学式、そして進級した生徒の学級の再編が行なわれた。
第一学年では、得意分野・成績・進路に関係なく混沌とした編成となっていたが、第二学年では、成績順のクラスとなる。
Aクラス、Bクラスが成績上位クラスとなり、Cクラス、Dクラスが中位クラス、Eクラス、Fクラスが下位クラスとなる。
A/C/Eは文官として王宮に上がる、あるいは他家に嫁入りをする、他家の使用人として仕える生徒が中心となるクラスだ。B/D/Fは領地経営や外交、商人として事業の立ち上げなどを行なう予定である生徒のためのクラスだ。
つまり、成績・進路で丁寧に分けられたクラスには、同じような将来を夢見る生徒が多い。
アルシェスタはBクラスだ。第一学年の最後の面談では教師に首を傾げられたが、しかしアルシェスタはAクラスに行く気はなかった。
これは両親への意思表示でもあった。イルヴァンのところへ嫁ぐつもりなら、Aクラスが適正だ。しかし、アルシェスタはそれを選ばなかった。
「シェスはBクラス、か」
「……不満ですか?」
「俺がシェスに不満なんて言うと思う? でも、シェス的には、この一年以内に俺との婚約を解消するつもりなんだなって、そう思って」
イルヴァンの言葉に、アルシェスタは少しだけ目を泳がせる。
アルシェスタにとって、イルヴァンは結婚相手としては不足のない相手だ。しかしそれでも、譲れないものがある。
「私は、イルヴァンとの結婚が嫌なわけではありません」
「分かってるよ。分かってるけど……もうちょっとやり方ってないのかなって。俺だって、俺の顔と肩書きしか見てない令嬢と結婚するより、やっぱりシェスが傍にいてくれるのが一番安心するから。だから、もうちょっとお互いの両親と話し合って、妥協できるところを探してみたいなって、そう思って」
「……私には、無理です」
「シェス」
家族の話になれば、イルヴァンもアルシェスタに無理強いはできない。
アルシェスタが昏い気持ちを抱いているのは自身の両親のみならず、イルヴァンの母親に対しても、同様である。
イルヴァンの母は、アルシェスタの母が自身の教育方針に満足して行くのを諫めるわけでもなく、それを増長させた張本人だ。
成人をして、自分で物事を考えられるようになって、イルヴァンは自らの母が、仲がいいとはいえよその家庭にここまでの介入をしていることは、明らかに異常だったと感じられるようになった。
子どもの世界は狭い。漠然と変だな、と思うことはあっても、それが異常かどうかは視野を広げてみなければ分からない。
「ちょっと、俺の方でも親父と母さんと話してみるよ。俺だけじゃ丸め込まれるかもしれないから、お祖母様に頼んでみようと思ってる」
「お祖母様に?」
イルヴァンの言う「お祖母様」とは、サンチェスター前侯爵夫人のことだ。非常に厳しい方で、今代の王妃教育にも一枚噛み、未だにマナー講師を育てるための教育機関に招致されることもあるという。
「一回、聞いたことがあるんだ。お祖母様に。母さんがシェスにこんなことをやってるんだけど、貴族の女の子ってこんな教育が普通なの? って」
「……」
「その時、お祖母様は難しい顔をしていたけれど、お前は心配しなくていいから、その娘の傍にいてやりなさいって言われた。そのあと、母さんと何かを話したのかもしれないけど、俺は把握してない。親父も母さんもお祖母様には頭が上がらないみたいだから、色々聞いてみるよ。婚約解消云々はそのあとでもいいだろ?」
イルヴァンはそっと、アルシェスタの頭を撫でる。そして、時計を見てぎょっとすると、慌ててアルシェスタの方を振り向いた。
「ごめん、シェス。俺もう行かなきゃ。先生に頼まれてることがあったんだ」
「……はい。行ってらっしゃい、イルヴァン」
「ああ。じゃあ、また後で」
イルヴァンは慌ただしくその場を立ち去って行った。イルヴァンに向けられた指先をぎゅっと握り締めて、アルシェスタは小さく息を吐いた。
(……優しいなぁ、イル兄は)
こんなに面倒な幼馴染のことなど、気にしなくても良いのに。
アルシェスタは軽く口元を押さえて、そうしてその場に蹲った。
(そんな優しいイル兄に頼りっぱなしの僕が、一番嫌いだ)
家族から逃げているのも、婚約から目を背けているのもアルシェスタだ。問題を先延ばしにし、嫌だと駄々をこねているだけ。
(……何とかしなきゃ。家族のことも、婚約のことも)
そう決めて、ゆっくりと立ち上がろうとしたとき、頭上から「うわっ」という小さな声が聞こえた。
アルシェスタがそちらを見上げると、そこには美しいピンクブロンドの髪を肩近くまで伸ばし、眼鏡をかけた利発そうな男が立っていた。小柄なアルシェスタと頭一つ分ほどしか変わらない小柄な男子生徒とは見知った顔であった。
「委員長、大丈夫ですか?」
「……はい。すみません、少し立ち眩みが」
「だ、大丈夫ですか? 保健室に行きますか?」
「いいえ、大丈夫です。少ししゃがんでいたら、楽になりましたから」
委員長――それは、第一学年の時、同じクラスだった生徒が、アルシェスタを呼ぶ名前だった。
クラスのまとめ役という業務を、教師から頂戴したアルシェスタは、行事ごとにクラスを執り仕切り、そういった功績もあって教師からは「優等生」という評価を受けていたのだ。
目の前の愛らしい少年は、子爵家令息、ヴィンス・グラッセ。アルシェスタの補佐として「副委員長」の役職を授かっていた真面目な生徒である。
「グラッセ卿は、どうしてこちらに?」
「あ、ええと……僕も委員長と同じBクラスになったんですけど、廊下から窓を見たら、委員長が蹲ってるのを見て、心配になってしまって」
「まぁ、そうでしたか。ご心配をお掛けしました」
「いえ……大事ないのならば良かったです」
ヴィンスは軽く肩で息をしながらへにゃりと笑う。
ヴィンスが顔色を変えて校舎を飛び出してきたのには理由がある。それは、アルシェスタが「病弱」とされていることからだった。
この噂を聞いた当初、アルシェスタは首を傾げたのだが、理由はすぐに分かった。
体調不良は二日酔い、そして学院を休むことが多いのは、経営先の問題への対応や商談のため、それと二日酔いが酷い時の対応のせいだろう。
この国は15歳を成人と定め、その年を境に一人前と認められ、平民のほとんどは自立して仕事を始める。酒を飲むのが解禁されるのも15歳からではあるのだが、15歳から通える高等教育機関――王立学院もその一つ――に通う子どもたちは、卒業まで酒を飲まないのが慣例だ。咎められることはないのだが、禁欲ができないだらしない子どもと蔑まれることになる
不良娘のアルシェスタには関係のないことだが。
しょっちゅう二日酔いで気持ち悪くなっているアルシェスタは、無理をおして学院に出てきてもすぐに体調が悪そうに蹲ってしまうため、そういった認識が広がったものと思われる。
(健気だねぇ、グラッセ卿は)
委員長の業務は、特に補佐も必要なかったのでほとんど一人で行なっていたが、アルシェスタが不在の時にそれを請け負ってくれていたのがヴィンスであった。
(まぁ、流石にこんだけ休んでたら、もう僕が委員長の役職を押し付けられることはないだろうけど――)
委員長に必要な素養は、教師が執り仕切りを任せても問題ないと感じられること――つまり、優等生であること。
それと、身分が高過ぎず低すぎない人物。身分が高いうえに、教師の後ろ盾を受けて学院内の業務を取り仕切る委員長の役職を貰うと、それを独裁的に行使する人間がままいる。
ゆえに、委員長という立場は子爵位の上位から侯爵位の下位の身分を持つ子女が請け負うことが多い。
生徒同士の問題を、なるべく生徒同士で解決させるための一つの手段である。
しかし、確かに委員長の役職を回避できたのだが、それ以上のことが起きるとは、アルシェスタは思っていなかったのだ。
クラスへ入り、ホームルームが始まると、早速委員長の任命があった。当初、教師はアルシェスタに委員長をしてほしそうだったが、出席日数を盾に、何とか断ることができた。
できれば、この1年は学院行事に煩わされることなく、事業の方に力を入れたい。その念から、何としても譲れないものがあった。
しかし、委員長への任命を諦めた教師の次の一言で、アルシェスタの表情は凍り付くこととなった。
「まぁ、それはそうか。キングレー嬢には生徒会からの召喚命令もあるからな。体調を悪くして休みがちなのに、生徒会の業務と委員長業を押し付けたら、職員会議でつるし上げられるかもしれないしな……」
「……え?」
「ああ、まだ聞いてなかったのか。そのうち来ると思うけど――お、ほら、噂をすれば」
教師が向いた方へと向きなおれば、そこには穏やかそうな巨漢が立っている。素朴なブラウンの髪を短く切り揃え、陽だまりに照らされる森のような優しげな翠の瞳を細めている紳士は、そっと礼をとる。
「アルシェスタ・キングレー嬢ですね。私は生徒会の会計を担うことになりました、サロモン・バーンズと申します」
「……エルデシアンの若きラナンキュラス、バーンズ卿にご挨拶申し上げます」
目の前に現れたバーンズ卿は、アルシェスタのキングレー伯爵領と対を成す、領地持ちの伯爵家だ。
南方の海を牛耳るのがキングレー伯爵領ならば、北方の山岳を管理するのがバーンズ伯爵領である。そんなバーンズ伯爵家も、キングレー伯爵家よりも遥かに歴史が古いものの、同様に商人として身を立て、爵位を賜った。
現在のバーンズ家の当主は敏腕で、通称「大商人」と呼ばれる。北方の国との交易を活発化し、国に色とりどりのアルコールを輸入し、社交界を華やかに彩った功績を認められている。
アルシェスタにとっても、国内で注目している商人の一人だ。そんな息子である彼も、優れた商才を持つ商人の卵だと聞く。
「ありがとう、キングレー嬢。今期、君を生徒会の書記に任命したいと考えている。無論、一度生徒会でオリエンテーションを受けてから返事を貰えればいいのだが、ひとまずはそのための召喚状を持ってきた。受け取って欲しい」
「……頂戴いたします」
王立エルデシアン学院、生徒会。
歴史は古く、およそ500人が通う巨大な学院の実質トップとなる学院生による組織だ。
生徒会に入れるのは成績優秀、素行良好、そして人を束ねる身分・後ろ盾を持つ者のみ。つまりは、基本的には成績優秀な高位貴族の子女が役職を固めることとなる。
深雪の節に生徒会選挙が行われ、当時一年生、あるいは二年生の中から、新しい生徒会長を任命する。
今年の生徒会選挙で選ばれたのは、第二王子の婚約者で、未来の王子妃。エルデシアンの真紅の薔薇、ベルローズ・マギアス公爵令嬢である。
(生徒会とか冗談じゃないけど……冗談じゃないけど……じ、人脈……)
把握している限りで、3年生の役員は筆頭公爵家の令嬢、宰相の息子、大商人の息子が在籍する。それぞれ生徒会長、副会長、会計である。
表の社交界を嫌うアルシェスタにとって、この3名との縁は得難いもの。
商売人としてのアルシェスタの天秤が、限りなく水平に保たれていく。片や面倒くささと経営への使命感。片や、将来性と貴重な人脈。
(ハイリスクハイリターンが過ぎる……)
とはいえ、断る理由を探すのも難しい。
結局、サロモンは召喚状を手渡し、諸連絡を済ませると、一礼をしてその場を立ち去って行った。
アルシェスタは手の中に納まった、白に金縁の美しい封筒を見つめながら、それを鞄へと仕舞い込んで、担任教師の背を追って、クラスへと戻っていった。




