11. 光の乙女リリーナ
鏡越しに自分を見つめて、小さく頷いた。
夜闇のような暗い色の髪、曖昧なダークグリーンの瞳。
白いシャツの上からサスペンダーで、膝丈ズボンを吊るし、蝶ネクタイを付けている。
漆黒の外套を羽織り、黒いシルクハットを被った自分の姿は、いつもの業務用や夜遊び用の格好とはまた全然違ったもの。
「エリーゼ、どう?」
「お見事です、社長。いつもよりも幼く見えます」
「目を大きく見せるメイクにしてみたんだ。これなら、人見知りの女の子でも警戒心を薄めてくれるんじゃないかなーって」
学院に絶対にバレないように、男装を研究する中で磨かれてしまった変装のスキルを、まさかこのような形で活かすことになるとは思わなかった。アルシェスタは、鏡の向こうで微笑む少年紳士を見つめて、口元でゆっくりと笑った。
もともと、淑女でいることを嫌がるアルシェスタには並々ならぬ変身願望がある。自分とかけ離れた姿になることに、それほど抵抗はなかった。
「失礼いたします。お迎えに上がりました、スクルズ子爵」
「ああ。今行くよ。じゃあ、エリーゼ。あとよろしく」
「はい。行ってらっしゃいませ」
アルシェスタは迎えに来た大公の遣いに連れられ、馬車に乗り込むと、からからと夕暮れの田舎道を走り出す。
シルファス男爵家の屋敷は、王都の郊外にある小ぢんまりとした建物だ。貴族の家というよりは、資産家の屋敷という方がやや正しい。庭はそれほど広くはなく、しかし二階建ての立派な建物は、民家に比べればしっかりと豪奢である。
馬車を玄関に止めれば、使用人が3人で出迎え、頭を下げる。アルシェスタはゆっくりと馬車を下りて、ステッキをそっとついた。
使用人たちが頭を下げたまま、そっと玄関の扉を押し開けた。すると、そこには中年の男が一人と、アルシェスタと同年代の少女が一人、立っていた。
恐らく、男爵と息女だろう。アルシェスタは二人に向かい一礼をすると、そっと胸に手を当てて、柔らかく微笑んだ。
「初めまして、シルファス男爵。本日はお招きいただき、まことにありがとうございます。スクルズ子爵位を賜っております、アインハルトと申します」
「は、初めまして、スクルズ子爵。本日はこのような郊外にまでご足労頂き、まことにありがとうございます」
発声を抑えめにして、穏やかな声音で語り掛ける。
スクルズ子爵の代理を務めるにあたって、人物像の作成は、大公の提案である。
社交界に出ないための病弱設定。優しく、穏やかで庇護欲をそそるような静かな男性像。
「こちらが、娘のリリーナです。リリーナ、ご挨拶を」
「……は、初めまして、子爵様。シルファス男爵家長女、リリーナでございます」
不慣れな淑女の礼を見せてくれた彼女へと、穏やかな微笑みを返す。すると彼女は、毒気を抜かれたように、肩から力が抜けた気配がした。
金色の髪はつやつやとしていて美しく、桃色の瞳は、この国でもとても珍しいものだ。白いリボンで飾り立てられたシルエットが全体的に女性らしくて、腰は細く肌は白い。間違いなく、美少女の部類に入る人物である。
応接間へと通され、ソファに腰を下ろすと、シルクハットを脱いで、そっと隣へと置いた。
アルシェスタの背丈は、リリーナよりもやや低い。恐らくは男爵もリリーナも、これほど幼い当主がパトロンをするとは思っていなかったのだろう。戸惑いも大きいが、しかし警戒心は確実に和らいでいる、と感じる。
幼い容姿は、こういう時に便利だ。アルシェスタはすでに開き直っていた。
「此度、王家の方から打診を受け、リリーナ様が王立学院にご在学中の一年間、経済的支援をさせていただくことになりました。支援の対象は学業・生活・交際費等となります」
「本当に、ありがとうございます。我が子を、王立学院に通わせてやれるなんて、夢のようです」
「はい。王立学院はとても良い学校です。僕は、持病があり、通えていないのですが……友人から、手紙で教えていただいています」
「何と……ご病気をお持ちで?」
「はい……こうして少し出歩く分には、まったく問題ないのですが、通学となると少々負担が大きく。家庭教師に勉強を教えていただいています」
そう告げて柔らかく微笑むと、男爵は恐縮です、と呟いて、リリーナの方をちらりと見た。リリーナの瞳には同情が浮かんでいるように思えた。
「僕の体については、ご心配には及びません。僕にとっても、彼女が将来宮廷魔術師に就くようなことがあれば、大変な栄誉です。ですので、お嬢様の方から、僕へと支援の対価と言ったものは一切要求しませんので、ご安心ください」
「……本当に、皆さまには何と申し上げればよいか。この身の未熟さを恥じるばかりです」
「とんでもございません。さて、シルファス嬢……リリーナ嬢と、お呼びしても?」
「は、はい」
「リリーナ嬢。初めての支援の品を持って参りました。明日の式典で、着るためのドレスです。お納めください」
付き従っていた侍従が、大きな桐の箱を、相手の使用人へと渡す。それをそっとカーペットの上へと下ろすと、リリーナの視線はそちらへと釘付けとなった。
「どうぞ、開けてみてください。男爵家から頂いた、あなたのサイズ表に合わせて作成したドレスです。今回はデザインの注文を聞く時間がなかったのですが、今後はなるべくあなたの希望に沿うものを用意させていただきます」
「あ、ありがとうございます。失礼します……」
リリーナは、恐る恐ると言った様子で、桐の箱の蓋に手をかけ、それをゆっくりと持ち上げた。
蓋が上がると、中には丁寧に折りたたまれた、白と桃を基調にしたかわいらしいドレスが入っていた。腰にリボンの飾りがあしらわれており、フリルで飾られた首元に、ピンク色のガーネットがきらりと輝く。
ドレスはアルシェスタが選んだものではないが、今後は頼られたら相談に乗ってあげて欲しいと頼まれていた。
「素敵……」
リリーナは頬を赤くして、うっとりとするようにドレスへと見入っていた。
男爵なんて泣きそうだ。宝石が付いた一級デザイナーのドレスなど、一男爵家がなかなか手を出せるものではない。
そういったドレスはオートクチュールの一点物で、大量生産品と比べると桁が一つほど上がる。
「そちらの小箱の中には、装飾品類がドレスに合わせて作られています。そちらをぜひ、ご使用ください」
「ほ、本当に、ありがとうございます。いいんですか、こんなに素敵なものをいただいてしまって……」
「ええ。もちろん、あなたのために作ったものですから」
「わ、私、こんなに綺麗で、素敵なドレス……」
リリーナは余程嬉しかったのか、目に涙を溜めて、ドレスをじっと見つめていた。
かわいらしいドレスは、貴族の女子にとっての憧れ。しかし、彼女と同じような境遇であったエリーゼとエリーラは、こういった夜会用のドレスを着る機会などなかったと言われ、アルシェスタは驚いたものだった。
当たり前に自分の家で与えられていたものは、決して当たり前ではない。
こんなにも美しい貴族の女性であっても、ドレスで着飾る機会がなかったのだ。経済的に裕福でない、という理由のために。
「ドレスは、侍女に着せて貰ってください。この家に侍女は?」
「一人、おりますが……夜会用のドレスにはあまり詳しくないそうです」
「そうでしたか。では、僕の方でリリーナ嬢の身支度や容姿維持のために通いで勤めてくれる侍女を一名、手配しましょう。彼女には定期的に僕の方へ報告を入れさせるつもりですので、何かお困りのことや、お力になれそうなことがあれば、彼女に伝えていただければと思います」
「何から何まで、本当にありがとうございます……」
「お気になさらず。光の乙女というのは、国にとってとても大切な人物です。僕のような者が、そんな人をお守りできるのは、たいへん光栄なことです」
この短い間のやり取りで、シルファス男爵家の警戒心は完全に解けたように思えた。
危なっかしいと言えばそうだが、こちらにとっては好都合だ。なるべく信用を貰っておいて、何かよからぬことを企む輩が傍にいたとき、素早く大公に連絡が行くようにしておきたい。
「あ、あの」
リリーナが、顔を真っ赤にしながら、瞳を潤ませて、アルシェスタを見た。アルシェスタは柔らかく微笑んで「どうしましたか」と促した。
「えっと……アインハルト様、えっと、あ、スクルズ子爵様」
「……どちらでも構いませんよ。呼びやすいように呼んでくだされば」
「あ、ありがとうございます。アインハルト様……あの、学院のこと、お手紙に書いてお送りしてもいいですか?」
「僕に、ですか?」
「はい……学院に通えないと仰っていたので。わ、私の経験したことだけでも、共有できればと、思って」
「……。ありがとうございます。あなたは、優しい人ですね」
彼女は、またかぁっと顔を赤くして、もじもじとし始めてしまった。確かに、手紙を書いて貰えれば、大公にも学院の状況が伝わりやすいかもしれない。アルシェスタは、柔らかな微笑みの裏で、打算じみたことを考えていた。
「もちろん、ご無理なさらない範囲でご報告くださるなら、ありがたく頂戴いたします。そちらの手紙も、明日からくる侍女に預けていただければ」
「わ、分かりました。たくさん、お手紙を書きますね」
「はい。……リリーナ嬢。貴族社会は、とても厳しい世界です。中には、あなたに心無い言葉を向けて来る者も、足を引っ張らんとする輩もいるでしょう。僕のようなパトロンにできることは、あなたがそんな世界の中で、経済的理由を起因とした暴言を受けないようにすることだけ」
「アインハルト様……」
「光の乙女となったからと、純真な少女をこの世界へと巻き込むことを、お許しください」
そう告げてそっと頭を下げれば、リリーナはふるふると首を横に振って、そうして桃色の瞳を揺らして、しっかりと前を見つめて告げた。
「私、頑張ります。アインハルト様が下さったドレスに恥じないように」
「……良かったです。もしも何か、困ったことや相談したいことがあれば、僕で良ければ相談に乗るので、ご連絡ください」
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです」
どうやら、掴みはばっちりであったようだ。アルシェスタはほっと一息を吐くと、そっと立ち上がった。
「では、支援の仕方は事前に作成した書面の通りに」
「かしこまりました。本当に、ありがとうございます」
「はい。では、明日は式典に向かう前に、あなたの侍女を連れてもう一度こちらに訪れさせていただきます」
そう告げて、アルシェスタは別れの挨拶を済ませ、馬車へと乗り込んだ。手を振るリリーナの姿が窓の外から消えると、アルシェスタははぁっと大きく息を吐き出した。
「お見事でした、アルス様」
「大丈夫だった? 君たちの計画通りの人物像、あんな感じで良かった?」
「完璧でした。光の乙女の信用を得られたのは、こちらとしても大変ありがたいことです」
大公の元からやって来た従者がそんなことを言う横で、アルスはそっと胸元の蝶ネクタイを緩めた。
「純粋そうな子だなぁ。貴族社会に入って、馬鹿正直に傷つかなきゃいいけど」
「そうですね。彼女がこれから飛び込もうとしているのは、男爵令嬢の身では叶わなかった最上位の貴族社会です。きっと苦しいことも多いでしょう」
「だから、僕に打診があったってわけだね」
「大公閣下は、貴族社会を誰よりも嫌い、貴族社会をよく知るアルス様ならば、きっと彼女の力になって差し上げられると」
「あは。まぁ、そうかもね。嫌いだから、汚いとこに目が行きやすいってのが僕だから」
シルクハットを脱ぎ、そっと手で抱きしめる。カーテンの傍で頬杖をつき、月を静かに見上げた。
「まぁでも、純粋な女の子が猛獣の檻で生きていくために、少しだけ寄りかかれるような偶像を、たった一年演じるくらいなら……やってみせましょーか」
そんな呟きが、夜の闇へと溶け落ちていった。
翌朝、大公から任された人材を連れて、もう一度シルファス男爵家へ。大公の息がかかった侍女は、伯爵家の出である、どこかエリーゼに似た雰囲気を持つすらりとした長身の女性だ。
「初めまして、リリーナ様。本日より、リリーナ様のお世話を担当させていただきます、ユーフェミアと申します」
「は、初めまして。よろしくお願いします」
使用人に丁寧に頭を下げるリリーナを見て、ユーフェミアと名乗った侍女は少しだけ呆れたような瞳を向ける。
「ユーフェミア。彼女はまだ、侍女に対しての振る舞いや慣例に詳しくないので、教えてあげてください」
「……かしこまりました。お任せください」
「では、リリーナ嬢のお着替えを手伝ってあげてください。よろしくお願いします。僕は男爵と、隣の部屋にいますので」
アルシェスタは男爵と共に、隣の部屋へと移る。改めて、式典の手順の確認を男爵と行なっていると、ユーフェミアが着替えが終わった旨を伝えに来たので、男爵と共に隣の部屋へと移動する。
扉を開ければ、そこには、白と桃を基調にした、春らしいかわいらしいドレスを身に纏い、ピンクの宝石が付いたティアラのような装飾品を身に着け、首元に花を模した首飾りを付けた、愛らしい少女の姿があった。
「ああ、リリーナ! なんて愛らしい……良く似合っている」
「お父様、変じゃありませんか? わ、私、こんなに素敵な服、着たことなくて……」
「変なことがあるか。流石は我が娘、今のお前は、立派な貴族令嬢だ」
「……っ。お父様!」
リリーナは感極まったように、胸の前で手を握り締めて、瞳を潤ませる。
そしてそのまま、アルシェスタの方へと目を向けた。アルシェスタは優しく微笑んで、ゆっくりとリリーナへと歩み寄った。
「とっても綺麗ですよ、リリーナ嬢。春の妖精が、天から降りて来たみたいだ」
「……っ」
「やっぱりあなたには、花の色のような鮮やかな色がよく似合いますね。思わず、見惚れてしまいました」
「~~~っ!」
そこまで言って、アルシェスタは口を思わず閉じる。
悪い癖だった。美しい女性を見ると、つい口が止まらなくなる。こうやって紳士として女性を口説くのにも随分と慣れてしまって、あまりにも直接的で勘違いされるからと、程々にしろとよく周りから言われていたのを思い出したのだ。
「さて。どうか、胸を張って――行ってらっしゃい」
「い、行ってきます! 私、ドレスに恥じないように、しっかりとやってきますから!」
言葉を掛けて、アルシェスタは一足先に退散した。式典の成功を祈りながら、自宅にて変装やメイクを解いていた。
――その夜。夢のような光景を見た、リリーナ・シルファスは、枕に顔を埋めながら、逸る鼓動を押さえつけていた。
豪華絢爛な大ホールに、煌びやかな貴族たちが着飾り、グラスを片手に談笑している。
本の中でしか見たことがなかった光景が、まさに目の前に広がっていた。
そんな中で、光の乙女として紹介を受け、国でその力の保護を宣言される。
――シナリオ通りだ、とリリーナは思い、興奮が抑えられなかった。これから、自分の物語が始まっていくのだと思うと、わくわくが止まらないのである。
「それにしても、スクルズ子爵……ゲームだと、名前しか出てこないのに、あんなにかわいい男の子だったなんて……何で、立ち絵すらなかったんだろう……」
リリーナは、自分よりもやや幼く、物腰柔らかで穏やかなパトロンの顔を思い出して、顔を赤くする。
「攻略対象にいたら、絶対攻略するのに……勿体ない……」
ドレスを着たリリーナを見て、まっすぐに褒めてくれた愛らしい少年。「天使か?」と問いかけを投げなかった自分を褒めたい。
「好みど真ん中すぎる……黒髪美少年……腹黒だったらさらにいいけど、天使でも全然オッケー……あしながおじさんだと思ってたら、あしなが美少年だった……」
ごろごろと悶絶するリリーナの全身から「好き」のオーラがあふれ出していた。
「はぁ……アインハルト様、しゅき……」
その夜、リリーナは今までにないくらいに、ぐっすりと眠りについたそうだ。




