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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 夏休み篇 長期休暇は己と向き合う時間
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38. 15分の対話

 マシューから話を聞いたグレッグは、直ちに準備を整えた。とはいっても静養中の身だ。時間は有り余っていた。

 夕食後、アルシェスタを連れて私室へと移動すると、椅子に腰かけて、娘と向き合う。


 いつも、アルシェスタの瞳はグレッグから逸らされる。顔も見たくないのだ。

 最後に、娘から棘のない言葉をかけられたのはいつだったか、それすらも思い出せなくなりつつある。

 それでも、と頭を捻って思い出してみると、アルシェスタと普通に話ができるのは、いつも仕事が絡むときだけだった。


 父娘の絆を繋いでいるのは、領地や娯楽を広める事業を通した仕事というその一点のみ。これをアルシェスタから取り上げたとき、グレッグはアルシェスタとの繋がりを失くしてしまう。それほどまでに、親子の関係は希薄になってしまった。

 アルシェスタが少し治安の悪い下町の方で仕事をし、足しげく通っているという話を聞いたときも、迂闊に止められなかったのはそれが理由だ。


 アルシェスタは小さく呼吸を挟むと、すっと表情を失くした。そして、自然と藍玉の瞳が、グレッグを捉える。

 ぞくっとするほどの真剣な瞳だ。17年間、グレッグは娘にこんな瞳を向けられたことはなかった。

 侮蔑、嫌悪――そのような感情はなく、それはただ、他人と向き合うための、商人の、貴族の仮面。


 沈黙が場を支配した後、アルシェスタは淡々と語り始めた。


「僕は、サンチェスター侯爵家との婚約を解消したい」

「……」

「だから改めて、キングレー伯爵家とサンチェスター侯爵家の婚約を解消し、僕を領主の補佐に任命するための条件を決めてほしい」


 幼いころ、何をするにもイルヴァンの後ろを付いて回り、将来は結婚するんだと聞かなかった娘。

 けれどそれは、アルシェスタが特別イルヴァンに焦れる程の恋情を抱いているわけではないと、今なら分かる。後ろを付いて回っていたのは、助けてくれたのがイルヴァンしかいなかったから。結婚したかったのは、一刻も早くこの家から出たかったから。

 しかしアルシェスタは王都に出て、自分の世界を限りなく広げた。そこで彼女が見つけた「夢」は、今はイルヴァンとの未来よりも遥かに大きく膨れ上がっている。

 アルシェスタと会話ができなかったから、それを知ったのはアルシェスタとイルヴァンの婚約を調えた後だった。そのとき、アルシェスタが何故こんなにも癇癪を起こしたのか――そのときに聞いていれば、独りきりで王都に出ていくことも、そこで犯罪に巻き込まれることも、こんな風に心配が度を越してグレッグが体調を崩すこともなかったかもしれない。

 全て、話してくれようとした娘の言葉を聞かなかったせいだ。だからもう、グレッグは、娘の言葉を一つも否定することなく、心に刻むと決めている。


 それがたとえ、自分を苛む言葉でも、蔑む言葉でも。


「王都で、色んな功績を挙げた。学年首席を何度も取った。商会を育て、方々との繋がりを得た。社交を頑張り、表裏で様々な要人と顔を繋いだ。外交官の接待をしたり、領地のために、これでもかというほど働いた。国の要人を守り、国王陛下から表彰を賜った」


 恐らくは、学生時代の自分とリナーシェの功績を合わせても、アルシェスタの一年半には及ばない。アルシェスタは父母の苦手な社交という分野を一手に引き受けてくれていた。そのお陰で、王都からひっきりなしに届いていた、王都で開催される夜会や茶会の招待は随分と減った。


「でも、何をやれば領主補佐になれるか分からないから、ちゃんと明確に条件を教えて欲しい。それでもダメだって言うなら、僕はもう出奔するから」

「……シェス」

「ねぇ、これだけの力があって、僕はどうして領地から追い出されなきゃいけないの? なんで親父は、僕を領地から追い出そうとしたの?」

「追い出そうなどと……だが、そうか。シェスにとっては、そういうことだったんだろうな」


 領地で働くことを望んで、努力を重ねていた娘を、余所へと嫁に行かせようとした、親の行為。

 見ようによっては、領地から追い出そうとしていると捉えられても仕方のないことだ。なにも、否定することなどできなかった。

 グレッグは一分ほど、沈黙をして思案をした。沈黙が気まずくて、あまりにも思い悩んでいると、せっかく向き合ってくれたアルシェスタの目が逸らされそうだった。グレッグは考えを纏めながら、ぽつぽつと話す。


「――条件は、一つだけだ」

「……なに」

「シェスが、貴族で居続けること」


 アルシェスタの眉が、かすかにひそめられる。貴族を好かない娘に対して、突き付ける条件でないのは分かっている。だが、さすがにアルシェスタは()()()()()

 これは、キングレー伯爵としての正常な判断だと胸を張って、グレッグはアルシェスタの不満げな溜め息を拾って、話を続ける。

 いくつかの貴族家を挙げれば、アルシェスタはぴくりと体を揺らした。それは、いわゆる社交界で力を持ち、ある程度の資産や時間を持つ、アルシェスタのパトロンたち、あるいは商談相手だ。


「これだけの人脈を調えている者が、平民として経済に関与していたら、どうなると思う?」

「……後ろ盾があったとしても、本人に力がなければ、目障りだと判断した貴族に取り込まれることを許してしまう」

「その通りだ。伯爵家の出であっても、平民同然の身分まで下ってしまえば、家で庇いきれないことは往々にしてあるものだ。残念だが、平民と違い貴族は未だに女子の自立意識が低く、それが常識だと浸透している。未婚の、爵位を持たない貴族の娘は、社交界で地位がない。学院に所属している今なら、婚約者がいる今なら、感じないかもしれないが」


 アルシェスタは、小さく頷いた。グレッグは、アルシェスタが正確にその状況を理解できたと判断し、話を続ける。


「領地を出た頃のシェスなら、それでも大丈夫だったかもしれない。だが、王都でシェスは、私たちには想像もできないくらいに活躍している。たった一年半だ。それなのに、私はシェスを貴族でなくすのは危険だと判断できる」

「……そういう理由なら、貴族への残留を納得できる」

「ああ。イルとの婚約を解消すると、学院を卒業した瞬間、シェスには付け入る隙が生まれる。私や、シェスの後ろ盾についてくれる人でも庇いきれないような人間に手を出されて、シェスでも制御できないような事態に陥ると、領地に累が及ぶ可能性がある。それは、領主として看過できない」

「……うん」


 アルシェスタは素直に頷いた。社交に出るという経験を通じて、自分の地位や後ろ盾の頑強さというのは嫌というほどに身に染みているからだ。ベルザンディ伯爵という巨大なパトロンが後ろについているため、アルシェスタの地位は限りなく安定している。逆に言えば、彼に見捨てられれば、アルシェスタは少し頭が回る程度の小娘に成り下がる。

 そして、自分が意地を張って貴族に残らないと駄々をこねた結果、領地や民たちに傷をつけるのは本意ではなかった。


「私はシェスの力を認めている。その社交能力は、我が領地に欠けているものだ。多くの貴族や王族をもてなす必要がある我が家にとって、必要な力だ。だからこそ、領地のことを想って、私は基準をこうしたいと思う。キングレー家傘下に入ってくれる家を見つけ、嫁入りをして爵位持ちの夫を得ること。あるいは、シェス自体が爵位を賜ること」


 グレッグは、厳しい条件を突きつける。しかし、説明を受けた今なら、それが理不尽でもなんでもなく、この先アルシェスタが領地を盛り立て、守っていくにあたって必要な条件だと分かる。

 爵位持ちの貴族の夫人になること。あるいは、アルシェスタ本人が爵位を持ち、貴族としての確かな地位を築き上げること。

 理想は後者だが、国から爵位を貰うには、かなりの功績が必要となる。

 そのためには、王太子妃のドレスデザイナーを見つけたときのように、確かな功績がいくつも必要だ。王家から、この国の貴族として必要な人間だと認めて貰うということ。

 しかし、その目標が具体化したことによって、アルシェスタの方針は決まったようだ。


「それ以外のところは、シェスに任せるよ」

「任せるって?」

「傘下に抱き込む方法も、爵位を得る手段も。シェスが納得できる形で、成果を示してみなさい。そうしたら、その時は――キングレー伯爵の名において、アルシェスタ・キングレーに海辺の開拓地の命名権と裁量権を、正式に預けると約束する」


 言質。

 貴族の言葉の重みは、他とは比べ物にならない。であるからこそ、貴族は婉曲的な表現を好む。自分に不利があったとき、どうとでも言い逃れができるように。

 しかし今、グレッグははっきりと宣言した。その言葉はもう、二度と覆せない。

 アルシェスタは頷き、立ち上がった。


「学院卒業まで、あと一年半――それまでに何とかする。必ず」

「……分かった。シェス、一つだけ、頼みがある」

「なに」

「タウンハウスに、何人かこの家の使用人を置かせて欲しい。エドワーズもそちらに移るというのもあるが、この家の皆もシェスが犯罪に巻き込まれたと知って、ショックを受けていたから。シェスの仕事も、社交も、学業も邪魔はさせない。ただ、面倒なことに巻き込まれたら、相談できる相手を置いておきたい」


 アルシェスタは少しだけ考えた後、小さく頷いて、そのまま部屋を出て行った。グレッグとの会話を通じて、自分自身の身にどれほどの価値があるのかを理解したようだ。

 アルシェスタはもう、ただの箱入りのお姫様ではない。多くの人間に望まれ、狙われる一人の貴族の女性なのだ。

 多くの人間に必要とされる意味を、客観的に理解したアルシェスタは、もう家からの監視や護衛を置くことを拒まなかった。


 アルシェスタが立ち去った後、グレッグは大きく息を吐き出す。マシューに手伝われ、椅子からベッドへと移動すると、ちらりと時計を見やった。

 ――たった15分。仕事をしていれば、瞬きをする間に通り過ぎてしまいそうな僅かな時間だが、人生でこれほど緊張し、中身の熟した時間はなかったかもしれない。


「旦那様……」

「たった15分だ。だが、私にとっては、あまりにも大きな15分だった……」


 マシューを始めとし、使用人たちは涙ぐんでいる。未だ距離は遠いが、それでも確かに前に進んだのだと、そう思い込むには十分な15分だったのだ。

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