37. 向き合う
翌日から、早速アルシェスタは街に出ることにした。髪を幻影魔術で元の色に見せかけ、侍女たちが選んできた流行りのワンピースを身にまとう。
父母への反抗以来、アルシェスタの居場所はもっぱら、書庫か街の商会拠点だった。アルシェスタの顔の広さは、領地内でも健在である。
領内は交通が行き届いており、領外からやってくる人間は路上を馬車で走らせているが、領民たちは列車を使って移動している。であるので、特に馬車は必要ないのだが――。
「シェス」
いざ出かけようというとき、エドワーズがアルシェスタの部屋を訪問した。出不精な兄が珍しく余所行きの格好をしていたことにアルシェスタは目を瞬かせて見上げる。
「私も街に用があるので同行しよう。そして私の発明を一つ紹介したい」
「発明?」
「車庫にある。こちらだ」
エドワーズに連れられて向かったのは、馬車が入れられている車庫だ。その一角、暗がりの方へと歩いていったエドワーズは、その闇の中にあった何かに手を触れる。
その瞬間、何かが明るく発光する。アルシェスタは驚いて、一歩足を引いた。
それは、何とも不思議な装置だった。馬車の車輪に似た形状のものが四つ、鉄でできた本体を支えている。本体にはソファがむき出しで備え付けられていて、そのソファの正面には、船の舵に似た装置が伸びている。
その部位を守るようにして、サイドに簡易なドアが取り付けられ、フロントには鉄製のカバーと発光しているライトがあり、恐らくその内側にはエドワーズ仕込みの機械が大量に積み込まれているのだろう。
恐らく、乗り物型の魔道具であることは理解ができた。
「エド兄、なにこれ」
「二人乗り用の乗り物だ。うちの研究員が開発した」
「これ、道路走るの?」
「ああ。ちなみに、馬よりは遅いが馬車より速いよ」
「マジ?」
アルシェスタは感嘆の溜め息を吐きながら、くるくるとその乗り物の周りを見やる。エドワーズはその様子をくつくつと笑って眺めながら、ドアを開けた。
「まぁ、説明よりも動かす方がシェスは好みだろう。ほら、隣に乗りなさい」
「うん!」
アルシェスタはエドワーズに促される通りにドアから段差を超えて搭乗し、ドアを閉める。エドワーズが指先で魔術を発動させると、虹色の光が機械の溝を走っていく。その瞬間、蒸気が後ろの排出口から噴き出す。
「これも魔導蒸気?」
「そう。さぁ、行くよ」
エドワーズが舵のような機械を握り締め、足元のスイッチを押し込むと、その乗り物はゆっくりと前に進み始める。初速は遅いが、徐々に加速していくと、それは確かに、路上列車と同じくらいの速度で走る。
「うわ、すごいすごい! 風が気持ちいい……」
「そうだろう? キングレー伯爵領の穏やかな風を感じられるように、オープンにしたそうだ」
「ということは、設計段階では安全重視だった?」
「ご名答。安全の設計は本格運用の段階でさらに試験するが、アイデアはある。欠点は、自領内くらいでしか使えないことかな」
「と、言いますと?」
「我が領地では、路上列車と馬車が走る道を分けているだろう? だが、ほかの場所ではそうではない」
「ああ、絶対危ないね。馬車よりもスピードも威力もありそうだ。これを後ろからぶつけるだけで粉々になっちゃいそうなほどに」
昇降機を使って、乗り物を降下させ、街へ向かう。路上列車が走るくぼみの上を、幅の広い車輪が転がっていく。魔導機関車、路上列車に続いて、また新たな乗り物を生み出してしまった、キングレー伯爵領の魔道具士たちは本当に精鋭ぞろいだ。このほとんどが、エドワーズの手腕に惚れ込んで、自分からこの地に骨を埋めるつもりでやって来たのだというのだから、研究者に関するエドワーズの人望には驚くばかりだ。
「この乗り物の名前は?」
「未定だ。便宜上、馬を使わない馬車を想定して設計されたものなので車と呼んでいる」
「シンプルでいいね。この車は、将来的には領内で本格運用予定なの?」
「ああ。この領都はある程度交通が整っているが、そうではない街も多いだろう? 海辺も然り」
「そうだね。ああ、なるほど。交通が整うまで、なるべく便利で早くて安全な移動手段を講じたかったってこと」
「というのが、この実用段階まで進んでしまった車を領内で運用するために研究員たちが絞り出した理由付けだ」
けらけらとエドワーズは笑う。見たところ、魔導機関車や路上列車の研究の過程で生まれたジャンクパーツを用いている部分がほとんどのように見える。唯一、車輪だけはかなり特徴的で珍しい形をしている。
そんな話をしている間にも、エドワーズは器用に操舵部位を回して車を走らせている。しばらく、アルシェスタは兄の操縦の邪魔にならない程度に適度な会話を挟みながら、目的の商会を回る。
領地の商会の面々は、領地の姫であるアルシェスタのことを小さなころからかわいがってくれた。とはいっても、父母への反抗までお披露目の機会くらいでしか姿を見せたことがなかった幼少期は、本当に箱入りの、秘された姫だとか言われていたようだ。
領地の商会とは、王都にいる今でも定期的に連絡を取り合っていたり、取引の口を仲介していたりするので、あまり久しぶりという感覚がない。
広い領都で付き合いのある商会を回っていたら、時間などあっという間に経つ。その間、エドワーズは魔道具の筐体部分や魔道具とは関係のない機械部位を制作する工房に立ち寄るくらいで、後はほとんどアルシェスタの御守をしていた。
その結果、エドワーズはもうすでに満身創痍だ。アルシェスタのアクティブさについてこられなかったエドワーズは、途中からずっと行く先々の商会で介抱されていた。
「やーい引きこもり」
「うるさいなぁ。私はシェスみたいに若くないんだ。手心を加えておくれよ」
「まだ22歳でしょ。それで若くないって言ったら、皆キレるよ。特に30前後の人たちが」
対して、王都で一日に何件もの商会を回るアルシェスタはけろっとしている。むしろ、馬車よりも身体の負担が少ないこの車という装置のお陰で、いつもよりも遥かに疲労感が少ないくらいだ。
今は休憩のために、街にあるお洒落なカフェで糖分を補給している。控えめなチョコケーキとブラックコーヒーを置くエドワーズと、その正面で高く積み上げられたパフェを頬張るアルシェスタの顔色は対照的だ。
「シェスは相変わらずよく働くね。私には理解できないよ。私は許されるなら一日中引きこもって魔道具のことがしたい」
「エド兄にとっての魔道具研究が、僕にとっての仕事なんだよ。何もしてなかったら不安になっちゃう」
「そういうものかね」
「そういうものだよ」
人によって、仕事の捉え方も趣味の捉え方も、好きなものをやる時間も苦手なものに割く時間も違う。
アルシェスタからすれば、エドワーズの好きなそれだって、領主の仕事としては重要なものだ。アルシェスタのやっている社交と何も変わらない。
パフェの生クリームを貪っていると、ふいにエドワーズが声音を低くして尋ねる。
「それで、シェスはいつまで拗ねてるつもりなんだい?」
「拗ねてるって?」
「親に腹を立てる理由は理解できる。でも、シェスが望むのは出奔じゃなくて、領地内での登用なんだろう?」
「……」
「親に意地でも口を利かないような状態で成し遂げられることではないと思うがね」
エドワーズは肩を竦める。アルシェスタは、スプーンを掴む手に微かに力を入れた。
「人の話を聞かない人間と、なにを話せと?」
「それでも、話さなければ何も解決しないだろう。私には、シェスのそれは逃げに見えるね」
「む……」
「シェスはもう子どもじゃないんだろう? あれが嫌だ、これが嫌だと喚くだけではなにも解決しない。それでも相手が話を聞かなければ、間に人を入れればいい。相手はもう、子どもなんだからという言い訳は使えないのだから」
ぷう、と頬を膨らませるアルシェスタ。それを見て、けたけたと笑うエドワーズ。
家を出たとき、成人直後で、まだほとんど子どもの扱いだったアルシェエスタ。けれど今は、王都での商会運営、社交界参加等の経験を通して、一回り大きく成長した。
家において、自分の意地で使用人の仕事を増やしていたことに自分で気づけたのも、その成長のお陰だろう。
親を無視して困らせて、それでしか自分の拒否の意志を伝えられない子どもの我儘はもうやめろと、エドワーズは諭しているのである。
「正直に言えば、うちにシェスに舌戦で勝てる者はいないのだから、もっと徹底的に言い負かしてやればいい。その言い訳にシェスのことを想ってなどというのなら、感情論を持ち込むなと叱ってやればいい。こっちは真剣な話をしているんだ」
「……それはそうだけど」
「ひとまず、せっかく帰って来たんだ。父上と、イルとの婚約の件や領主の補佐をする条件については、基準を明確にするように話し合うべきだと、私は思う」
「……」
今まで、父に意地でも領主の仕事を任せさせられるようにがむしゃらに商会経営や社交に力を注いできた。けれどその基準は、何も決まっていない。
定量的な基準がなければ、努力の方向性を間違える可能性がある。それで時間を無駄にしていられるほど、アルシェスタは暇ではない。
「気に入らない……」
「なにがだい?」
「エド兄に兄面されるのが」
「ひどいよシェス。兄は悲しい。しくしく」
はぁ、と大きく息を吐き出した。その後は、当たり障りのないことを話して、回復したエドワーズに運転を頼み、自邸へと帰った。
自邸へと着くと、アルシェスタは執事のマシューに伝える。
「マシュー。親父に話あるから、後で時間作って」
「……え?」
「無理? もう話せないくらいくたばりそうなの?」
「い、いえ! すぐに、お伝えして参ります!」
執事はひどく慌てた様子でばたばたと早足で歩き去った。使用人たちは一様に解せない表情である。中には「お嬢様が、旦那様にお話を……?」「明日は槍が降るのか……」と、そんな声まで漏れ聞こえてくる。アルシェスタは指を鳴らして髪の色を元に戻すと、そのまま疲れた顔で自室の方へと歩いていった。その後ろ姿を、エドワーズは微笑みながら見送っていた。




