36. 兄からの依頼
食卓を囲み、豪勢なディナーが行なわれる。
実家にいた頃、いつも口にしていたものよりもさらに豪勢だ。恐らく、突然帰って来た家出娘になるべく実家への情を残させる為だろう。このまま、領地に入って海辺の方の領主業を始めたとして、アルシェスタが実家に帰ってこないだろうことは分かりきっていたからだ。
アルシェスタのテーブルマナーは、家族全体で見ても一段階上だ。それを見て、家族たちは皆、同じ想いを抱く。
――口を開かなければ、どこに出しても恥ずかしくない立派な貴族の娘だと。
「父上、具合は?」
「ああ。かなり良くなってきたよ。ここ数日、散歩もしていなかったから、ベッドから離れてちょうどいい運動になった」
「ご無理はなさらぬよう。ウルズ大公閣下も視察にいらっしゃることですし」
その言葉に、アルシェスタはぴく、と耳を揺らした。
――聞いてないなぁ。そんな感想だが、王家との接点が必要な時期なので、彼が自ら視察に来ることはおかしくはない。
ただ、言ってくれればいいのに、とアルシェスタは思う。実家との確執は具体的な言語化はしていないが、彼は察しているだろう。そのあたりを配慮した結果、アルシェスタには言わなくていいという判断だったようだ。
アルシェスタも、この一件がなかったら、夏期休暇中に帰ってくることなどなかったであろうし。
「ところで、シェスは今日はどうして食堂で食事を摂る気になったんだい? てっきり、いつも通り自室で摂るのかと思っていたが」
エドワーズが投下した燃料に、グレッグは微かに咽そうになって喉をごくりと鳴らし、リナーシェは思わずと言った様子で食器を止めた。当の本人は、心を揺らさずに、淡々と告げる。
「使用人の仕事を増やすだけの意味のない行為だったから」
「ああ。シェスの部屋は厨房から遠いからね。いつも料理が冷めてしまっていただろう」
「ん。作り立ての食事って美味しいんだね。王都のレストランで食べて、食事ってこんなに楽しいものだったんだって思ったよ」
「そうだったんだね。私はてっきり、家族の顔が見たくなかったんじゃないかと思ってたよ」
針に糸を通すような緊張感が走る。エドワーズが容赦なく問いかけていくそれに、グレッグもリナーシェも微かに顔色を青白くしていた。
しかしアルシェスタはけろりとした顔をすると、苦笑しながら告げる。
「王都にいたとき、某伯爵に接待で食事に付き合ったことがあってね? ちょっと頭のてっぺんが薄い中年の親父だったんだけど……食事中、ずーっと執拗に、僕の横顔ばっかり見てんの。わざわざ覗き込んで、にやにやした顔を見せつけるように。何を言うわけでもなく、ほんとに見てるだけなの。顔には出さなかったけど、心底気持ち悪かったよね」
食事中にする話ではない。しかしアルシェスタは、完璧な淑女の外見で、下町の少年のような下品さを漂わせながら、肩を竦めるばかりだった。突如として、娘のセクハラ体験を聞かされたグレッグは呆気にとられたように口を開けていた。
「でもさ、うちにとって大事な取引相手だから、我慢したよ。世の中なんてそんなもんでしょ。嫌いだからって全部から逃げてたらキリがないよ。嫌な人間の顔見ながらニコニコ食事するのなんて、もう余裕だし」
嫌な人間の顔を見ながら――その言葉に、グレッグは顔色を失くしてしまった。リナーシェは俯いて、カトラリーを持つ手が微かに震え始める。
娘からの強烈な拒絶の言葉を貰うのは数年ぶりだ。何せ、この数年はまともに言葉さえ交わして貰えなかった。
過労で倒れてしまったグレッグが、さらなる心労で倒れそうだ。グレインは冷や汗をかきながら、兄を見やる。空気読みゼロ点、人の感情が分からないと言われ、キャロラインにいつもノンデリカシーの男と呼ばれる秀才を。
「まぁ、そうか。なら、遠慮なく言うけども」
「なに?」
「シェス。今、王都で流行りの魔道具関連の研究は?」
そして、自分の欲望のままに語りだす――相変わらずだと、部屋内の空気は少しだけ湿度が増したまま、会話は進んでいく。
エドワーズに悪気はない。ただ、エドワーズも、アルシェスタの痛烈な反抗期に、両親は正面から立ちむかうべきだと思っている。なぜなら、自分も煮え湯を飲まされたからだ。
とはいえ、エドワーズは自分自身で鬱憤を晴らそうとしているわけではない。アルシェスタがエドワーズの分まで怒ってくれていると思っているので、ただ妹を両親の前でかわいがるだけだ。
ある意味で陰湿である。ただ、本人はなるべく研究以外のことにリソースを割きたくないと必死である。
「今の時期だと、やっぱり冷風機関連の注目度が高いよね。どこかの誰かさんが、すごいのを発明しちゃったお陰で、キングレー伯爵領での避暑が捗るってさ。なんで彼の博士は免許を持っていないんだと、皆そう言ってる」
「おやおや。誰だい、そのはた迷惑な奴は。でもそうか、やはり冷風機か」
「誰だって暑さから逃れられるものなら逃れたいから。あとは引き続き、機械系だと冷蔵箱、そうじゃないのだと健康効果系とかかなぁ」
「ああ、そのあたりは定番だね。あまり流行は変わっていないか」
エドワーズはふむ、と顎を撫でながら呟いた。アルシェスタはエドワーズの意図を察する。
来週末から始まる学会の情報収集だろう。研究者とコネクションを持つにあたっては、なるべく情報を集めておくに越したことはない。流行すら知らないのであれば、たとえ実力があっても、それ以上の関係に広げるのは至難の業だし、特に興味のない人間の相手をしなければならなかったとしても、流行の話題さえ押さえておけば乗り切れる。
「エド兄は来週末の学会に出るんだよね」
「ああ。そうそう、シェスには言っておかなければならないことがいくつかある。まず、私はこれから半年間、王都に住むことになった。いい加減に魔道具士免許を取りなさいと言われてね」
「ああ、そうなんだ。やっと取るんだね」
「ついては、学会参加後、一度領地に戻ってキャロルの出産を見届けた後、私はシェスの住んでいるタウンハウスに引っ越そうと思う。異論は?」
「ない。だってあの家僕の私物じゃないし、僕に拒否権はないでしょ。次期当主様の仰せのままに」
両親が安堵の息を吐き出したのを、アルシェスタは眉を動かして捉える。ああ、とアルシェスタは察する。
犯罪に巻き込まれた末っ子を、これ以上一人きりで王都には置いておけないという判断なのだろう。エドワーズは確かに出不精ではあるが、知識量はアルシェスタ以上だ。頼れる味方が一人、身近にいるだけでも、犯罪に家族への相談なく立ち向かうという無謀なことはしないだろうという、両親の希望的観測。
エドワーズならばアルシェスタも文句を言わないという判断だったのだろう。両親の思い通りにするのは癪だが、残念ながらアルシェスタの主張に正当性はない。
「ではその件はそういうことで。あと一点、学会後に懇親会があって、私は偉い人に招かれて参加しなくてはならない。だがキャロルは出産前だし、私には手を引くべきパートナーがいない。そこでシェスだ」
「僕?」
「私のパートナーとして懇親会に参加してくれ。そしてダンスのリードを頼む」
「……エド兄は女性パートでも踊るつもりなの?」
「いや。私は男性パートしか踊れない」
「それで、女性パートを踊りつつリードしろと?」
「残念ながら私にはダンスの心得がほとんどない。だが、一応格好はつけなければならないことは理解している」
いつもはキャロラインがリードをしているのだ、と言外に告げられて、アルシェスタは口の端を引きつらせる。兄の運動音痴は知っていたが、まさかここまでだったとは。
とはいえ、社交界は見栄の世界。エドワーズが醜態を晒せば、キングレー伯爵家にしわ寄せがくる。
配偶者が参加できないなら、兄妹という流れは自然だ。
予定が入っていなかったかと思い浮かべるが、特に思い当たるものはない。あったとしても、調整はできそうだ。
「分かった。でも、できるだけ習得してあげないと、キャロル義姉様がかわいそうだよ」
「努力はしているんだ。だが、残念ながら私にはリズム感というものが生まれつき備わっていない」
「はぁ、もう。仕方ないなぁ」
アルシェスタはやれやれと肩を竦める。この申し出に拒否権はない。次期当主の妹として、兄の申し出には筋が通っている。
社交が苦手な兄なので、そこを助けてほしいという意図もあるだろう。王都に行ってから顔も広くなった。兄を手伝うことも十分にできそうだと判断する。
「私からの連絡は以上だ。質問は?」
「後で懇親会の日時とドレスコードだけ連絡ちょうだい」
「分かった。ところでシェスはいつまで領地にいるんだい?」
「3日。せっかく帰って来たから領都の商会を回るつもり」
「そうか。なら、シェスが帰るのについて行けばちょうど良さそうだね」
「了解。エリーラに部屋の準備とか頼んどく」
ごくごく自然に、兄妹としての会話をする二人。けれど、グレッグとリナーシェは、その会話に割って入ることはなかった。
その様子を見て、エドワーズは呆れたように息を吐き出し、静かな晩餐会は終了した。




