34. 珍変人兄夫妻
父の私室を後にして、廊下を歩き始めたアルシェスタに、侍女たちが駆け寄ってくる。
「お嬢様、お召し替えを――」
「ドレスはイヤ。重いし動きにくいし。家に滞在してる間に他家の人間に会う予定もないし、楽な格好で過ごさせてよ。街にも出るつもりだし」
「で……でしたらっ! あの、最近領都にできたブティックのワンピースがとってもかわいいんです!」
ずずずいっと身を乗り出してくる侍女たち。アルシェスタは両手で彼女らを押しとどめながら、半分身を引いた。
自分の世話を焼いてくれる侍女たちに暴力などを振るったことは一度もないのだが、虫の居所が悪いときには冷たい反応を返したりしていたアルシェスタは、彼女らに対して少々ばつが悪い。
彼女らからすれば、ずっと兄たちのお下がりのお古を着ていたアルシェスタが、ドレスではないものの女性ものを身に纏っていることに感動したらしく、どうしてもスカートを履かせたいらしい。
まぁ、彼女らの気の済むようにするか、とアルシェスタは小さく頷く。すると侍女たちは顔を輝かせて、頷き合って散らばっていった。
「私、急ぎ予算を取ってきますわ! お嬢様は全然交際費も服飾費も使われないから、お金は余っていたはずです!」
「馬車を回しておきます! 直ちにブティックに向かうセンスの良い人選を!」
そんな会話をしながら立ち去っていた侍女たちに苦笑していると、アルシェスタは廊下の先で軽く手を振る人物を見つけて、そちらへ歩み寄る。
青い髪を腰近くまで伸ばして一つに束ね、度のきつい丸眼鏡を掛けている、猫背の男だ。彼自身、所作は問題ない程度に整っているのだが、なんせ机に向かっている時間が長いため、ふと気を抜くとすぐに猫背になってしまう。温和に細められた薄青の瞳は、どうしようもなく胡散臭く見えてしまう。
「エド兄。久しぶり」
「やぁ、シェス。とはいっても、結構な頻度でEL-Phoneで連絡を取っていたから、あまり久しぶりという感じはしないね」
「それはそうかも。本当にすごいね、あの魔道具。たぶんだけど、下手に噂を流すとエド兄のとこに問い合わせが殺到すると思ったから、本当に信用のおけるパトロンにしか話さなくて正解だったよ」
「それでも、どこからか嗅ぎつけてくる者は絶えなかったけれどね。でもシェスがあてがってくれた支援者のお陰で、基礎研究は仕上がった。いい論文が書けたよ」
エドワーズの基礎研究は、金があれば完成するというところまで来ていた。アルシェスタが王都で支援者を募り、信用のおけるものとパイプをつなぐことで、いよいよ普及に向けての研究を始めるところまで目途が立ってきたのだ。
王家にも報告済みだそうだ。大公から定期的に質問が来ていたので、早いうちに話してはいたのだろう。
何よりも、彼の妻は王家との縁が深い人だ。これまで以上に、王家とかかわりを持つのは容易になった。
「キャロル義姉様はお元気?」
「ああ。そうなんだ、シェス。キャロルはシェスが帰ってきたと聞いて、父親との会話に飽きたら連れて来てくれと私を使い走った。シェスに会いたいんだって」
「そっか。キャロル義姉様はベッドの上か」
「ああ。もう予定日まで一節もないからね。ほんの少しの散歩以外は、だいたいいつもそうだよ」
アルシェスタはエドワーズに連れられ、彼の妻の私室へと足を運ぶ。扉をノックして、部屋に足を踏み入れれば、ベッドの上には、穏やかなそうな妊婦が座っていた。
波打つハニーブロンドの髪は、艶やかで甘く、いい匂いがする。透き通るような空の色をした瞳は長い睫毛に縁どられている。アルシェスタよりも六つ年上の美麗な女性は、大きなおなかをそっと撫でていた。
エドワーズの配偶者――キャロライン・キングレーは、元オーリンゲン公爵家の娘で、現王妃の姪にあたる。
「キャロル。シェスを連れて来たよ」
「ああっ! シェス!」
「ご無沙汰しております、キャロル義姉様」
「こっちに来て頂戴」
キャロラインは幼い少女のような無邪気な笑顔を浮かべて、アルシェスタをベッドサイドへと呼ぶ。ドアを閉めてベッド傍の椅子に腰かけると、キャロラインの手が伸びてきて、アルシェスタの頬が白い手で覆われる。
「エドワーズ、たいへん」
「何だい、キャロル」
「わたくし、シェスを吸えないわ。せっかく帰って来てくれたのに。こんな屈辱ってある?」
「人の妹を吸わないでおくれ」
人を吸う、とは。キャロラインは時折、独特の表現を使う。ちなみに、キャロラインの言う「吸う」とは、アルシェスタを後ろから抱きしめ、うなじに顔を埋めて深呼吸をする行為を指す。
家族の誰よりもスキンシップが激しい嫁、それがキャロラインである。
オーリンゲン公爵領は隣国との境に位置し、十数代前の偉大なる戦神とも呼ばれた王弟が臣下となって興った家とされている。当時、北東の国との関係は芳しくなく、その国境を守るため、辺境伯位を授かり臣下に下った戦神は、北東の国とのにらみ合いを制した。
結果、現代では友好条約が結ばれ、積極的に貿易をするというほどではないものの、互いの不可侵を約束したお陰で、北東の国との関係は良好だ。
その功績を認められ、オーリンゲン家は恒久的な公爵位を得ていて、定期的に戦神と呼ばれる優秀な家系の血を王家に混ぜるべく、数代ごとに王妃を輩出しているのが現代のオーリンゲン公爵家である。
公爵家でありながら王都から遠く離れたところを守護しているため、王都で目にかかる機会はさほどないが、その序列は紅の女王、智慧の王に次いで三位である。
また、定期的に王女が降嫁している家でもある。それくらい、王国にとっては重要な家なのである。
「キャロル義姉様、体調はいかがです?」
「すこぶる健康よ。早く領地を駆け回れるようになりたいというくらい。シェスの顔を見たらもっと健康になったわ」
「あは。それは何より」
「そうそう。シェスに報告があるの。魔術学院の設立費用の件だけれどね」
子を身籠った身で、彼女は朗らかに微笑む。ここで唐突に仕事の話になるのが、実に彼女らしかった。
「学院の建設にかかわる費用を全部こちらで持つ代わりに、もっと金がかかるところはあちらに出させる交渉に成功したの。結果的には儲けになると思うわ」
「ほんと!? やっぱキャロル義姉様は頼りになるな~」
「ええ。財務卿が随分と調子に乗っていたみたいだから、こてんぱんにしてやったわ~。オーッホッホッホ!」
キングレー伯爵領で、何度も重ねられた会談。当初、魔術学院が設立される予定地には、別の建物を建てる予定だった。
学院である点は同じだが、大雑把に異文化を学ぶため、工学科や商業科等、複数の学科を設置し、国内外から幅広く学生を受け入れる学院を建てる予定だったのだ。その予定で予算を見積もった段階で、それを耳に挟んだ国からの打診があった。
エドワーズが食いつくと踏んで、相手から仕掛けて来たのだ。魔術・魔道具に関わるアカデミー――エドワーズとしては、今個人で持っている魔道具研究所がさらに拡張され、研究施設が国の認可の元建てられるなら、さらに研究の幅を増やせるのである。
結局のところ、元あった複数学科の学院はいったん計画がなくなり、国からの依頼を優先することになった。結果的に、魔道具が日常に馴染んでいるこの領では、優れた魔術師を招く大義名分を手に入れられることは利益になる。
しかし、向こうの財政担当は、学院の建設にかかわる費用を出して欲しいと言ってきた。もうすでに予算の見積もりも立っていて、微修正で済む範囲だった。それをそのまま、国に提出しようとしたら、そんな言葉が返ってきたのである。
国の施設を建てさせようとしているのだ。その費用を、いち領主から出させようとはどういう了見か。
どうやら、アルシェスタの知る以上に、キングレー伯爵領に理不尽に絡んでくる金銭関係のトラブルは多いらしい。
代わりに向こうが提示してきたのは、学院長の座だ。運営をする大義をやるから、金を出せ。
もちろん、国の役員を学院長に置くとなると、それはそれでまた別のトラブルが頻発しそうなので、それ自体は旨味のある話だ。
しかしそれは、王立学院クラスの施設を建てる費用を、いち領主に出させるという理不尽に見合わない。
当初、父はまだ王家とのかかわりに慣れておらず、穏便に事を済ませるためにその条件を飲もうとした。
そこへと殴りこんだのが、キャロラインである。
「随分とふざけた条件だったんだもの。中央はキングレー伯爵領を国の財布としか見ていないのね」
「どうやって話をまとめたの?」
「王都までの魔導機関車の交通路整備と、駅の建築、魔導機関車の開発費用。これらは国庫から元々出ることが決まっていたわけだけれど」
「ふんふん」
「客船の建造費用と港の整備費用、学院までの交通路整備は全部向こうに持たせたわ。今まで漁港だったんだもの。相当な数の客船を作ることになったけれど、全部向こう持ち。だって我が領地は、漁港だけでもすでに十分な収益を持っていたのだもの」
この予算の件については国王はまだかかわっていないだろう。草案の段階で、キャロラインが鼻で笑って突き返したに違いない。
運と実力で成り上がった大臣は、長い王宮務めで随分と増長していたらしい。公爵家の出である自分にさえ、嘲りを隠そうともしないほど。
つまりはどちらが捕食者で、どちらが被捕食者なのかを理解させたということ。調子に乗ってると家ごと潰すぞという、この国における高貴な人間にしか許されない戯言。
向こうの財政担当は相当に泡食っただろう。だがそのような理不尽を突き付けた手前、全てをキングレー領で出せとは言い出せなかったに違いあるまい。国王に報告が行けば首を切られるくらいで済まないのだから。
「結果として、そのあたりの金は全部国から出させて、運営権も勝ち取ったわ。それができないならうちに魔術学院を建てるのは諦めなさい、うちはうちで別の学院を建てるからって」
「そこまで派手にやっちゃって大丈夫?」
「シェス。金とは暴力よ。その金を、今国で一番持っているのはうち。それなのに捕食者気取りで見下してきた人間に灸を据えるのは、強者の務めだと思わなくて?」
「まぁ、それはそうだよね。足元見られたら搾取されるだけだもの。国の施設を建てるのに、費用出せって話の方が明らかにおかしいんだから、それはちゃんと理解させないとね」
「ええ。無意味な増長は国を傾ける原因ともなるわ。あんな者に大きな顔をさせて、忠臣の信頼を損ねたらどうするの。叔母様にも報告差し上げたわ。こういう者は増長させるといずれ国庫を着服するから、早めに釘を刺しておいてくださいまし、と」
結果的に、財務大臣は捕食者に狙われて、自分の要求をあっさりと突き返されたことでやっと少しは現実を認識できたようだ。新興の伯爵家を見下していたこと。けれどその伯爵家に、現王妃の姪が降嫁していること。
将来、国の重要な貴族家となるキングレー伯爵家に甘えた提案をしたことを、王宮に帰ってから各方面に詰られればいい。
キャロラインはくつくつと笑う。義姉はつくづく、仕事人間だ。
「私はその手の交渉事が苦手だからねぇ。彼女がいてくれて助かるよ」
「ほんと、エドワーズって商人の息子とは思えないくらい社交も交渉もダメダメよね」
「私は学術と研究以外の技能を全て少年時代に置いて来たから」
「そうよ。この男はそれ以外本当にダメダメなんだから。グレインもいい子だとは思うけれど、あの子は武芸特化だから。うちにはやっぱりシェスが必要なのよ」
キャロラインは指先で、アルシェスタの髪を弄ぶ。
キングレー伯爵家の子どもたちは、全員が見事に得意分野が分かれている。エドワーズは学問を、グレインは武芸を、アルシェスタは社交を得意とする。両親はこれをわざわざ曲げ、エドワーズに経営と社交を、グレインに文芸を、アルシェスタに他家とのつなぎをさせようというのだから、何度考えてもよく分からない、とアルシェスタは思う。
「いかに幼馴染と言えど、シェスをほかの男にくれてやるのも何となく気に食わないし」
「こらこら、キャロル」
「だって! わたくしだって、もっと早くにシェスと出会いたかったわ! わたくし、ずっと妹が欲しかったの。兄様は皆意地悪だったんだもの。女の私に領地経営なんてできるわけないっていつも揶揄ってきて!」
「キャロル義姉様……」
「だからわたくし、見返すのよ。キングレー伯爵領をこの国で一番輝いている領地にして、兄様が泣いて縋ってくるのを見下ろして高笑いしてやるんだから!」
理解者である義姉は、アルシェスタの目から見てもかなり優秀な領主だ。今はまだ、エドワーズと分業をして領地を治めているが、いずれはエドワーズを研究に専念させたい、そのためには父親を黙らせるだけの材料が必要だ、と二人で言い合っている。
この二人は取り繕いようもない「政略結婚」だ。二人の間に男女の情はなく、夜の営みも義務的に済ませただけ。だが、二人は「研究に専念したい」「領地経営がしたい」という利害が一致して、互いを信頼し合っている夫婦だ。
キャロラインはアルシェスタの能力を認めてくれている。彼女が領主の権利を掌握すれば、アルシェスタは重用して貰えるだろう。父親に正しく評価されなくとも。
であるからこそ、アルシェスタは、キャロラインの機嫌を取ることを怠らなかった。
「……一番輝くって言って、物理的に輝かせるのは止めておくれよ。魔道具が足りないんだから……」
領地の話で盛り上がる二人の間で、エドワーズがそんな言葉をぽろりと漏らした。




