33. 次男は父を諭す
残念ながら、アルシェスタと父親との会話はそう長くは続かなかった。アルシェスタから話を振ることは一切ないし、伯爵は気を遣い過ぎてうまく言葉が出てこない。そんな調子だった。
結局、アルシェスタは黙り込んでしまった父親を見て一つ息を落とすと立ち上がり、じゃあもう僕行くね、と簡単に告げて出て行ってしまった。
「父上」
「情けないものだな。シェスとの和解を望んでいるのに、それを常日頃から一方的に伝えているのに、どうしても本人を目の前にすると、ますます嫌われてしまうかもしれないと思い、言葉がうまくまとまらない」
グレインは気づかわしげに声を掛ける。グレッグ・キングレー伯爵は社交も不得意で、訪れる賓客をもてなすにもいつも気を揉んでいる。基礎は全て身についているのだが、応用が苦手なタイプなのだ。状況に合わせて適切な選択をするのが難しく、常識、テンプレート、通例、慣例といった言葉に頼りがちなのである。
ゆえにグレッグはそれらに則り、長子のエドワーズに「領主」の、次男のグレインに「補佐官」の、末っ子のアルシェスタに「他家への繋ぎ」の役割を与えようとした。本人たちの意志とは関係なく。
その結果、一癖も二癖もあるキングレー伯爵家の子どもたちは全て、親の意にそぐわない道へ曲がって行ってしまったという経緯があり、特にアルシェスタが反抗期を迎えた後辺りから、急に老け込んでしまったかのようだ。
「父上は、私の反抗期を覚えていらっしゃいますか」
「……覚えてはいるが、エドとシェスに比べればお前は穏やかだったから」
「そうかもしれませんね。でも、私も出奔くらいは考えてましたよ」
グレインに「補佐官」――つまり「文官」の地位と役割を与えようとしていた父の手を払いのけ、騎士という道を選び取ったグレインは、困ったように細い糸のような目をさらに細めた。
剣を取ることを許して貰えないのならば、出奔して王国の騎士団に仕官しようと思っていたほどだ。
「いくら剣を取り戦う職に就きたいと希っても、父上は話を聞いてくださいませんでしたね」
「それは……危ないから……グレインは昔から怖いもの知らずなところがあっただろう。剣を持たせて騎士になどしたら、いつかひどい怪我をするのではと……」
「そうですね。私は子どもながらに剣の腕には自信があったので、実の父親にそれを認めて貰えないというのはとても悲しかった覚えがあります」
「……」
認めていなかったわけではない。ただ、危ないと思ったから――ただその一点のみで、グレインの道を狭めてしまった。結果的に、グレインは王都で催される剣術大会で成績を残し、それを手土産にして武官としての道を認めて貰うために床に膝を付いて頭を下げた。
そのとき、グレッグは自分の思い込みだけでダメだと言い続けた自分の頭の固さに気が付いて、グレインの願いを聞き入れた。
「分かっているつもりでも、分かっていないものはこの世にいくらでもあります。私は確かに好奇心旺盛と言われ、危なっかしいところもあったかもしれませんが……寄宿舎学校に通っている間に狩人に師事し、狩りの経験を通してかなり慎重な性格になったことを、父上はご存じなかったのでしょう?」
「ああ……」
「私が剣を振っているところをちゃんと見たことがない、戦術を考案しているところを見たことがない、隊を率いているところを知らない、そんな父上が、私の何を分かっていたというのです?」
「……」
子どもは知らないうちに成長していく。親の目が届かない場所で。親の見えている光の部分の、裏側の影の中で。
グレッグは、その成長を見ずに、先入観だけで子どもたちのことを決めようとした。それを、三人の子どもたちからそれぞれ咎められている。
「父上や母上が心配してくださるのは、とてもありがたいと思います。しかし、心配よりも先に、まずは相談をさせてほしいと思うのは我儘だったでしょうか。父上が忙しいことは、もちろん知っておりますが」
「いや……私は本当に、子どもたちとの向き合い方が下手だったよ。自分の忙しさを理由に、子どもたちの話を聞こうともしなかったのに、勝手に将来を決めようとした。その結果、長男は偏屈になってしまったし、次男はペンではなく剣を取ったし、末っ子には話ができないほどに嫌われてしまった。これならせめて、全て子どもたちに任せた方が良かったかもしれん」
「まぁ、そうなっていたら、恐らく兄上は領主の地位を放棄して魔道具博士としてラボに籠る生活をしていましたし、私は騎士として家に帰らずに忙しない生活をしておりましたし、シェスは兄の放り投げた地位を受け止めてくれたかもしれませんが――上に二人も兄がいて、妹が爵位を継ぐというのもそれはそれで社交界ではあまり好意的にみられなかったかもしれませんね」
グレッグは苦しげに唸る。この家、長男も次男も、まるで爵位を継ぐ気がないのが、そもそも普通の貴族家庭と異なるところだ。一番領主に向いているのがアルシェスタだというのだから、相当に変わっている一家なのは言うまでもない。
「結果的に、兄上はオーリンゲン公爵領の姫を娶ることで領主の責務から逃れられなくなりましたが、今だって許されるならシェスに全て放り投げて引きこもりたいと思っていると思います。政略結婚なので、私か兄上が彼女を娶らなければならなかったという背景から、シェスが領主になることなどありえなかったのでしょうけれど」
公爵家の愛娘を嫁に迎えるのに、その人物が後継者にならないことなどありえないだろう。彼女は気にしないだろうが、公爵家の面子が立たない。
結果的に、グレッグが幼いころからエドワーズに仕込んでいた領主教育は役立つものとなっていたし、エドワーズは領主となることを受け入れた。その背景には、嫁いできた姫が自分と同類だったという気楽さもあっただろう。
領主という椅子を渡せないのだから、アルシェスタがより幸せに、裕福に暮らせるようにと、いちばんアルシェスタが大好きな幼馴染の元へと嫁がせようとした親心も、決して間違ってはいないはずだ。
ただ、アルシェスタが望んだのはグレインが蹴った「補佐官」の椅子だった。
そして、アルシェスタへの対応が中途半端なのも良くなかった。この婚約が「貴族家として」のものだったなら、アルシェスタもなんだかんだで受け入れようと努力しただろう。けれど、これはよりにもよって父親が「子どものため」のものとして扱ったのが悪かった。
余計なお世話だ! とアルシェスタが憤るのは自然なことだったように思う。
「でも、シェスはすごく前向きですよ。兄の補佐官として、平民同然の身分になっても、領民のみんなのためにこの街を盛り上げるんだって」
「ああ……そうだな。王都での業績もすごくいい。王家の方にも目を掛けていただいている。シェスのアイデアは、国を元気にできるのだと、実感している」
「今なら父上も、シェスの幸せというのは何なのか、ちゃんと考えられるのではありませんか?」
「シェスの、幸せ……」
イルヴァンと結婚させることが、幸せだと疑わなかった。
だが、イルヴァンと結婚させたら、アルシェスタはこの領地に留まれなくなる。それは、アルシェスタのやりたいことを、夢の一つを潰すことになる。
サンチェスター侯爵家と婚姻によって繋がりを作ることは、必須ではない。そんなものがなくとも、隣領で親友同士のサンチェスター侯爵家との絆は揺るがない。
アルシェスタの夢を一つ、潰してでも強いることではない――。
グレッグは目を伏せて、サンチェスター侯爵の言葉を反芻する。
『イルは、現状の婚約解消について、それなりに前向きだ』
当事者たちは、お互いのことを分かっているのだ。
分かっている気になっている親たちよりも、ずっと。




