01. 不良娘の下町遊び
長めの連載作品書きたくなったので、年単位で頑張ってみようかと思います。
よろしくお願いします。
満月が、悠然と大地を見下ろしている。夜の帳がすっかりと下り、民家には光が列を成すように灯っていた。
太陽が輝いていたころは賑わっていた街並みも、夜特有の静けさを湛えて、魔法のランタンを片手に、人々は帰るべき場所へと戻っていく。
それこそが、王都の一般的な夜の景色ともいえる。
けれど、夜になれば、昼は息を潜めていた者らが、往来を歩き始める。
ある者は真面目な働き者の仮面を被って。ある者は勤勉な学生の仮面を被って。ある者は、謎に包まれた私生活を匂わせて。
人は誰しも、表の顔と裏の顔を持っている。夜の闇は、そんな表の顔の仮面を簡単に引きはがしていく。
たとえば、ここにも一人。
人々の喧騒が聞こえる。街の隅にある、とある寂れた宿の地下、そこには広大な地下空間が広がっていた。
真紅のカーペットには金の花の装飾が刻まれ、天井からは無数のシャンデリアが吊り下げられている。華美な装飾は空間のあちこちに施され、煌びやかな雰囲気は、どこかの夜会の舞台のようだ。
しかしその空間には、ルーレットテーブルやスロットマシーン、ポーカーテーブルなどが所狭しと並べられている。中央にある大きなバー・カウンターではバーテンダーが陽気に鼻歌を奏でながら、シェイカーでカクテルを攪拌している。
思わず見渡せば、耳の端にジャッという金属音が響く。欲望の音だった。チップが差し出され、回収され、配布され――彼らは和やかに、時には緊張感を張り巡らせて、遊戯に興じる。
紳士淑女はいずれも高価なスーツやドレスに身を包み、社交や遊戯を楽しんでいる。
そんな王都の裏カジノの一角、ポーカーテーブルにて。一人の少女が、小さく欠伸を噛み殺した。
赤い髪は情熱的な炎の色で、肩の上あたりで丁寧に切りそろえられ、後ろで小さく結ばれている。瞳はダークグリーンのような曖昧な色を湛えながら、現実を興味なさそうに映しているかのようだ。魅入ってしまう色ではあるが、彼女が一度瞬きをすれば、ありふれた色だと錯覚する。
白いスーツは少し趣味の悪い紳士用のスーツだ。胡散臭い雰囲気を醸し出すには絶好の一品で、しかし生地がシャンデリアの光を受けてつやつやと輝きを放っていることから、相当に値の張るものであることは疑いようもなかった。
背丈も女性の一般的な身長程度で、しかし胸や尻も平坦に整えてあるからか、少年のようにも見える。実際に、彼女に興味のない周囲の人間が見れば、家出少年にも見えるほどの幼さを秘めていた。
「次、ラストにするよ。そろそろ帰んないと、明日起きらんないね……」
少女が口を開くと、テーブルに残っていた紳士淑女は頷いた。リングゲームを行なっているポーカーテーブルでは、好きな時に抜けることが可能だが、一種のマナーとして、こうして抜けるときには事前に言う、というのがスマートだとされる。この無礼講を掲げる社交場において、マナーは必ずしも守らなくてはならないものではないが、しかし人を相手にする遊戯である以上は、各々の気遣いによって居心地の良い空間が演出されているのも事実だった。
ただ、今日はその限りではなかったが。少女がテーブルから姿を消せば、自分たちも抜けようかと顔を見合わせるプレイヤーが今日は多かった。
ディーラーが参加者に参加の可否を確認し、全員が参加の意思を見せる。少女はちら、と右隣と、もう一つ右隣の御仁を見る。ドリンクを奢った婦人と、その夫は、和やかに笑顔を向け合いながら、次のゲームへと思いを馳せていた。夫の方の元へとディーラーボタンが回ってきたのを見て、少女は手元に積み上がっていたチップから、BBぶんのチップを手元に積み上げる。
参加費の準備ができたことを確認すると、ディーラーは慣れた手つきでカードを各プレイヤーへと配っていく。それぞれのプレイヤーへと二枚が配られると、ディーラーはプリフロップの開始を宣言する。少女の左隣から、カードを確認して、三者三葉の反応をしていた。そんな中で、少女はちらりと指先でカードの端を確認し、配られたカードの数字とマークを確認する。
名残惜しそうにカードを中央へと捨てる左隣の男を皮切りに、次々とカードを中央に捨てていくプレイヤーたちを見て、声を上げたのは、夫婦のさらに右隣にいた、恰幅の良い大男だった。
「おやおや、皆さん降りですか。せっかく我らがエースの最終戦だというのに、惜しいことをする。私は付き合いましょう。レイズ」
大男はにたにたとした、手が良いことを隠そうともしない態度で、少女の手元に積み上げられた場の最大金額の三倍ほどの高さまで、チップを積み上げる。それを見て、夫婦二人も中央へとカードを捨て、大男は挑発するように顎をしゃくる。
バッド・マナーを見せびらかす大男は、先ほどから同テーブルのプレイヤーを無暗に煽ったり、テーブルを軽く叩いて脅かすような動きを見せたりと、迷惑行為を働いている。顔を顰められながらもそれが許されているのは、大男の身分が高いから――などではなく、ただ単に新入りだからである。
少女は少しだけ呆れたように小さく息を吐き出すと、大男と同じだけチップを積み上げた。
「コール」
少年のようなアルトボイスで宣言された声は平坦で、一切の感情の揺れを感じることができなかった。結局、今回のゲームの参加者は少女と大男の二人となり、ディーラーは頷きを返してそれぞれのチップを回収し、テーブルの中央へと積み上げると、場に3枚のカードを表返し、順番に置く。
ハートの8、クラブのJ、スペードのKが表になり、並ぶと、ディーラーはベットラウンドの開始を促した。コミュニティ・カードが加わると、自分の手の強さがより明瞭になる。
大男はにやつきを隠せなかった。手元のカードが、ハートのJとクラブのKだったからだ。この時点でKのツーペアが完成し、さらにフルハウスの目まで見える、幸先の良い手だった。
一方の少女は、やはり平坦にとんとん、と指先で二度、机を叩いて興味なさげに告げた。
「チェック」
賭け金の追加をしない少女を見て、大男はまたにやりと口元を緩めた。あの様子では、少女の手札はあまり良くなさそうだ、という目算を立てたのだ。
ただ、まだ楽しみが残っている。大男も倣って「チェック」と宣言する。もう少しコミュニティ・カードが増えて少女の手に役が見えてくると、きっと大きなベットにも乗ってくるだろう。そういう読みを心の奥で瞬時に思い浮かべて、敢えて掛け金を増やさない選択をとったのである。
ディーラーは二人の答えに頷くと、もう一枚、コミュニティ・カードを追加する。すると、開いたカードはダイヤの10だった。
場に緊張感が走る。コミュニティ・カードが8からKまでで固まっており、ストレートが非常に出やすい盤面となったのである。Qや9を持っていれば、もうあと一手でストレートとなる。逆にスートが四種類全部出てしまったので、フルハウスより弱く、ストレートよりも強いフラッシュの目はなくなり、大男が警戒すべきはストレートとなった。
大男はちらりと少女の様子を伺うが、やはり少女に反応はない。どこか諦観したようにコミュニティ・カードを凝視しているのを見て、大男は一度試してみることにした。
少女はとんとん、と机を指先で叩き「チェック」と宣言する。大男はすかさず手元からチップを引っ掴み、賭け金の3倍ほどのチップを積み上げた。
「ベット! 流石にこの先を見たければ、少し出していただきましょう」
もしもQや9を持っていても、ストレートまであと一手と言うなら、ただでカードをめくらせてやることはない。もしもこのチップを引き出せれば、大男の儲けは膨れ上がる。
ストレートは、現実的に出る役の中でもかなり強い方の役だ。できることならば狙いたい、だがそれならタダでカードをめくらせるのは癪だ。
大男は、少女がQか9を持っているならば乗ってくると踏んでいた。この平坦な様子で興味なさげにカードを見る少女が、実はとんでもない勝負師だということを、大男は噂で聞いて知っていたからだ。
エース。それこそが、彼女のこの裏カジノにおける呼び名だった。
名はアルスと名乗っているのだが、しかし彼女が大きな賭けを成功させるときには必ずと言っていいほど、Aのカードが絡むこと。そして、本人の名前のスペルが「Ars」ということから、誰が呼び出したかそう呼ぶようになったそうである。
通り名がつくほどの賭け狂いだ。ポーカーフェイスがうまく、表情をうまく窺えないものの、もしもチャンスがあるなら乗ってくると思っていた。
やがて、少し考えた後で彼女は手元のチップを掴むと、大男と同じ高さまで積み上げた。
「コール」
やはり平坦で抑揚のない声をしている。大男はいよいよ不気味だと思うが、しかしターンを終えてリバーへと移行し、最後のコミュニティ・カードが追加される。手元の二枚、そして場の5枚のコミュニティ・カードから最も強い組み合わせとなるように選ぶこのポーカーでは、この時点で自分の手役が完成し、確定する。
最後に開いたのは、ダイヤの3だった。大男はにやつきが止まらなかった。ストレートの目を賭けて、あの思考の時間ののち、コールしたに違いない。そう思っていたからだ。
そして、アルスは実際に「チェック」を宣言した。やはり、ストレートは完成しなかったらしい。大男は、口元を吊り上げて、そして手元のチップをさらに積み上げた。ターンで積み上げた金額の、さらに4倍のチップが加わると、威圧感がどっと増す。
「ベット! さぁ、勝負しましょうエース!」
その場が、小さなどよめきに包まれた。大男の手が強そうなのは、誰もが感じていたことだった。何しろこの大男、ポーカーフェイスなどどこ吹く風、という様子でにやつきを隠さなかったのだ。手が強いことは、誰もが理解していたことだった。
隣の夫婦が、顔を見合わせる。そうして、ちらりとアルスの方を見て、くすりと微笑み合った。
この大男が、少女の異名の意味を理解していれば、その警戒ができたのかもしれない、と。
少女は、ニヤッと笑った。それまでのポーカーフェイスが、嘘のように歪む。
少女は獲物が食いつくのを待っていたのだろうか。ひきつけて、ひきつけて、慢心するまで育てていた。
10が返ったとき、チップを積むかどうか少女は迷っていた。けれど、どうにも手が強そうな大男は、恐らく自分がチェックを続けていれば、賭け金を増やしてくれるだろう。そう考え、敢えてチェックを選択したのである。
アルスは手元のチップを引っ掴むと――大男のさらに3倍まで、金額を積み上げた。
「レイズ」
跳ねるような声音は、どこか空恐ろしい響きを持っていた。
大男はしばし唖然としていたが、しかしはっと我に帰ると、ぐっと手を握った。
チェックレイズをする準備を整えられていたのだと、理解したからである。ここに来て、大男はアルスがストレートを持っている可能性について、改めて考え直す必要が出たのである。
最後の3がストレートに関与できないカードである以上、ストレートができたのなら、10の時点ということになる。だが、アルスはその時はチェックレイズを仕掛けてこなかった。実際には悩んでいる時間があり、レイズをするか迷っていたのかもしれないが、それも何となくしっくりこない、と大男は感じた。
しかし、最後の最後にストレートの目が消えて、けれどチップを回収したいからチェックレイズで嘘を通そうとしているようにも見える。
ならば、ここは。大男は意を決して、チップを掴み、同じだけ積み上げた。
「コール!」
場に同じ金額が揃い、ディーラーが中央に最終的な賞金を整える。そうして、ディーラーが促すと、レイズを宣言したアルスが手元で開いていたカードを見て、大男は目を見開いた。
そこにあったのは、ハートのAとダイヤのQだったからである。
「ストレート」
にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべて、嬉しさを表現するアルスは、丁寧にそう告げた。大男はあんぐりと口を開いて、茫然と手元のカードを開き、確認したディーラーから賞金を贈られているアルスを茫然と見ていた。
「いや~。最後の最後にこんな強い手が引けるなんて。しかも、ストレート。明日はいいことがありそうだね」
「お見事でした、エース。今回もエースが決め手でしたな」
「素敵です、エース。途中まで手がどんな感じなのかまったく分かりませんでしたわ」
「お褒めいただきありがとうございます、ブライムラー夫妻。今日は楽しいゲームをありがとう」
アルスは後ろに立っていた従者にチップを預けると、椅子から立ち上がり、テーブルの皆へと礼をした。紳士淑女たちは和やかに礼を返し、アルスは手をひらりと振ると、そのまま裏カジノを立ち去って行った。
アルスが立ち去っていくと、また参加費を用意して、和やかにゲームは続いていった。
ほとんど手元のチップがなくなり、震える手を握り締めた、大男以外は。