真実の愛を見つけたと言われた
自分で言うのもなんだが、私は面倒臭がりで変化を嫌う人間だ。
忙しく追われるようなことはしたくなく、ゆっくりまったりと日々過ごしていたい。
なんの変哲もない日常が好きで、無駄に生活を変える事は嫌い。
そんな事だから恋人はいた試しがない。自分の生活を否応なく変えなければいけないのだから当然だ。
勿論私も人並みに恋はする。
ただ、毎回毎回「あー、なんとなく好きなのかもなー」と思うだけで何か行動を起こすことも無く、気が付いたら恋が終わっている。
燃え上がるような恋など私には無縁。不要。出来る気がしないし事実出来ない。
別にそれでいいと思っている。
日々の生活に満足しているし、余計なことをして自分の時間が奪われるのは嫌だったから。
それは偶然に過ぎなかった。
帰り支度をしたりサークルへ向かおうとする人々を横目に、頬杖を突きながら隣の男子を見ていた。
彼は噂の多い男だった。
不思議と女性にモテて、いろんな女性と付き合っている姿を見たことがある。短い期間で次々と女性が変わるくせに、悪い噂は聞かなかった。
何故だろうと考えたのが始まりで、それを解明するように目で追いかけていき、特に謎が解明されることなく、気が付いたらいつもの「あー、なんとなく好きなのかもなー」と考える。
人を好きになるのに理由は必要か?
答えは否。
私の理由は常に「なんとなく」であり、毎度毎度どこを好きになったのか理由をひねり出すのに苦労する。苦労はするが、理由はなんとでも付けられた。
……今までは。
では、今回はどうだろう。
顔か? 整っているとは思うが、違うなぁ。
体格か? 好みの体格とか考えたこと無い。
性格か? 詳細に知れる程親しくした覚えはない。
じゃあなんだろうか。
今回は、いつにもまして理由が分からなかった。
ボーッとしながらとりとめのない事を考えていると、彼がこちらを向いた。
「いいよ」
「……はぇ?」
「付き合おうか」
……どうやら声に出ていたらしい。そして彼は「なんとなく」でも女性と付き合えるタイプの人間だった。
彼は立ち上がり、私に向かって言った。
「行こうか」
「……どこに?」
「んー、とりあえず、どこか話が出来るところ。そうだなぁ……珈琲は好き?」
「嫌いじゃないけど、好きでもない」
「紅茶は?」
「どっこい」
「緑茶派?」
「人工甘味料上等糖分たっぷり所望派」
「じゃ、適当なファミレスだね」
そんな会話を繰り広げながら、移動する。手を引かれることはない。
途中で一人の女性が彼と会話をする。
今度はその子? とかなんとか。そこに非難するような感情は乗っていない。
「……不思議」
ファミレスに到着して、適当に飲み物を注文して、それが届く。
「それじゃ、まずはお話合い」
互いに名前は知っていた。私が彼を知っているのは当然として、彼が私を知っていたことに少なからず驚く。
「それで、付き合うかどうかって話なんだけど、僕のこれは前提条件として理解してもらいたい」
「なに?」
イチゴのジュレをスプーンで掬い、口に含む。甘味が舌を刺激し、頬が緩んだ。
「互いに『何か違う』と思った時や、誰か別の人を好きになったとき、嘘偽りなく申告し、この付き合いを終わらせること」
可笑しなことを提案する人だなと思った。人と付き合うのに別れの話を先にするとは、どういう了見だろう。私でなかったら怒るのではなかろうか。
ただまぁ、彼はお試しで私と付き合うのであって、現時点で私の事を好きでもなんでもないのだから、それだけの話だなと思った。
付き合ってから一週間も経つと、流石に色々と会話をする。
その中には付き合う時の前提条件の話も含まれていて、その言い分が私の想像していたものとは違っていた。
てっきり彼が私を評価し、私が彼に気に入られるために……という話かと思ったら、むしろ逆であった。
彼は「なんだか思っていたのと違う」と言われる側だった。別に喧嘩したわけでも性格が一変したわけでもない。むしろ逆で、変わらな過ぎたのだ。
「話す人によって態度を変えるのは当たり前って言われるけど、それって面倒だよね」
彼は自然体のまま、何も変わることなく私に接した。
「わかりみ。普段通りの自分でいられないとかストレスしかない」
私も何も変わることなく、彼に接した。
それは男女の仲とは決して思えないような距離感だった。
噂の多い彼だったので、てっきり一夜を共にするのも早いかと思ったが、そういう話はまるで出てこなかった。
大事にされているのか、それとも彼の眼鏡に適っていないのかは分からない。
あれだけ「仮に彼氏が出来たら生活は否応なく変わるだろう」と考えていたのに、私の生活はほとんど変わらなかった。
数少ない友人に「それは本当に付き合っているのか?」と問われたが、まぁ別に苦ではないし、『なんか違う』とも思わないし言われていないので付き合っているのだろう。
「あー、なんとなく好きなのかもなー」は、だんだん「あー、やっぱ好きなんだろうなー」程度に変わった。
付き合ってから一ヶ月が経った。
だらだらとカフェで喋ったり、適当にくつろぎながら小説や漫画を読んでいたりと、特に変化のない一月だった。その変化の無さが私には心地よかった。
小説を読んでいると、真実の愛などという言葉が出てきた。
真実の愛とはなんだろう。そもそも私は真実の愛どころか世間一般的な意味での愛を理解していないし、そもそも前段階である恋すら理解していると言えない。
真実の愛よりも先に知るべきはそちらだと思う。
「あー、んー、そっかー、そういうことかー、なるほどねー」
彼がスマホを眺めながら呟いた。何を読んでいるかは知らないが、ネット小説だろうか。
特に気にすることなく私は小説を読み進め、ページを一枚捲った。
と思ったら二枚捲っていたので、指をコシコシと擦ってから一枚戻した。
それから二ヶ月が経った。
普段だらだらとしながら喋る事が多かったのに、今日は真剣な目をした彼に真正面から見据えられていた。
「どしたん」
彼に面と向かって言われた。
「真実の愛を見つけた」
「…………そっか」
特に動揺は無かった。
あまりにも変わらない生活に、いつかこうなるのではないかと思っていたのかもしれない。
涙は出なかった。
嘘。
少し滲んだ。
……え?
……え?
……え?
瞬く間に三ヶ月が経った。
あの日真実の愛を見つけたと私に宣言した彼は、今も変わらず隣に居る。
そして私の手にはシンプルな指輪がある。
「????」
色々と私の理解を超越していて頭が沸騰しそうだった。
二年が経った。
気が付けば大学を卒業し、社会人になっていた。
何がどうなったのかさっぱり分からないが、彼は未だに私の隣にいる。
それどころか絶賛同棲中である。
「……真実の愛とは????」
他ならぬ彼に言われた言葉だ。まさかそんなネット小説のざまぁ役が言うようなセリフが彼の口から出てくるとは思わず、少しの間呆然としたのを覚えている。
てっきり私以外の人間に恋をして、燃え上がった末に出た言葉なのだと思った。「あぁ、彼は私ではない好きな人が出来てしまったのだな」と思い、本心から納得した。だから最初の宣言通りに付き合いが終わるのだと思って……
そのまま親に挨拶に行った。
あぁ、確かに終わったよ。今まで通りの付き合いってやつは。
その日から彼と私は恋人ではなく、婚約者となったのだ。
自虐に思えるかもしれないが私は誰かと共に生涯を過ごすなど出来ない女だと思っていた。
作る料理は不味くないが、自信をもって美味しいと誇れるものではない。どうせ自分が食べるだけだしと適当に作るだけだった。
掃除の手も抜きがち。それなりに見えれば別にいい。
容姿はそれなりに気を付けているが、それでもファッションが好きな子からすれば最低限と言えるレベル。私よりも美人は星の数ほどいる。容姿を整えて誰かの目に留まりたいと思ったことが無い。
性格は過剰に良く表現すればおおらかで穏やか。飾らなければ大雑把で細かいことを気にしない。率直に言えばずぼらで面倒臭がり。
そんなのが私だ。彼は果たして私に何を見たのだろう。
「僕はね」
私の呟きが届いたのか、彼が反応した。
「自分で言うのもなんだけど、とても面倒臭い人間なんだ」
私と彼の生活は、一緒に過ごしていることを除いてあまり変わっていない。昔から自由気ままに、必要以上に気を使わずに過ごしている。
だから私にとって彼は面倒臭い人間などではなかった。
「寂しがり屋で、人恋しくて、でも些細なことで苛々する」
「嘘」
「嘘じゃないんだなこれが」
「そんなこと感じたことないけど」
「それは君だからだよ」
「わけがわからないよ」
「人恋しいくせに、周囲に異物があるとどうにも苛々する。それを悟られないように努めていつも通りを演じていた。我慢して、それが恋愛をするってことだと、大人になるってことだと信じていたんだ」
「窮屈な生き方」
「本当にね。今なら心底思えるよ」
彼は笑った。
「ねぇ」
私は再び尋ねる。
「真実の愛って、なんだったの」
「んー、呼吸?」
思わず胡乱な目を向けた。
「いや真面目に」
「真面目なんだなぁこれが」
余計に質が悪かった。なんだその体中を活性化させて化け物を退治しそうな理由は。
「意味が分かりませんことよ?」
言葉遣いから私の混乱っぷりは察していただけるだろう。いやまぁ、ただのおふざけなのだが。
「人って、そこにいるだけで音を発生するものでしょ」
足音、呼吸、咀嚼音……一つ一つ指を折りたたみながら数える。まるで生活のリズムを思い出すように。
距離の詰め方、手を繋ぐタイミング、力の籠め方、伝わる鼓動。
「それらが自分と決定的に違うのがどうにも苦しくて」
「繊細かよ」
歯に衣着せぬ言葉に彼は「本当にね」と笑った。
「今改めて思い返すとって話。だからかな、『なんか違う』って思われたのは」
「それは努めていつも通りを演じた結果なのでは?」
彼は笑みを苦笑に変える。
「それに慣れようとして、我慢して、苛々して、別れて、そんな時に君と付き合い始めた」
「私だって周囲とそう変わらないでしょ」
「ところがどっこい、君には生活音が無かった」
「私はNINJAだった?」
んなわけない。
生活音が無いとはなんぞと首を傾げると、彼は言葉を続ける。
「正確には音は出てるんだけど、そのリズムがあまりにも自分と似通っていて……大げさに言えば、他人の出した音として認識できなかった。常に周りにあった不快な音が君には無かった」
「独特の歩行で足音を消す暗殺者かな?」
正直呼吸が真実の愛だとか言われてもサッパリだ。恋愛小説なんかだと大恋愛をしたときに使う表現だというのに。
隣からトン、トンと机を指で叩く音が聞こえる。
「たかが音って思ってる?」
「正直」
「されど音。まぁこれは誰に言っても大半の人は理解出来ないと思うけどね」
とにかく。そう前置きをしてから、彼は私の手を取った。
トクントクンという鼓動が手から伝わる。あぁ、確かに。この音は心地良い。
少しだけ鼓動が早い。なるほど、愛した理由を説明するのは恥ずかしいものだ。それを聞く方も普通は恥ずかしいはずなのだが、その理由が呼吸なんて言われると、とても恥ずかしいとは思えなかった。
「燃え上がるような恋ではなかったけど、とても穏やかな、そこにあるものとして認識できる恋だった」
「あ、それなら分かる」
「自然と家族になることが想像出来た」
「それは分からない」
私にとってはいつ失ってもおかしくない人だったから。
「この人を逃すわけにはいかない。もし逃したらこんな女性とは二度と巡り合えない。他の誰でも味わえないこの安らぎが、僕の真実の愛だったってことかな」
「真実の愛が生活音だなんて、誰も想像できないわ」
私でなかったら忍者と結婚するしかないレベルではないか。いや、忍者じゃなくてくノ一か。
「このことに気付いた切掛けはSNSだけどね」
「先達が居た」
同じような感性の人がネット上には居たのだ。ネットの海は広く、闇が深い。
「だから、きっと『真実の愛』ってのは、自分が百パーセントこの人しか居ないと思った時に感じることなんだと思う」
「物語では軽く使われてるよね」
「使った側が都合よくそう思いたいだけのパターンも多いし、熱情を客観的に見つめなおすのは難しいから。僕の場合は穏やかな感情からそう思ったから、感じやすかったのかもね」
「感じやすかったってなんかエロくね」
「たまにエロ親父みたいな発言するよね」
私は一つ、大きく頷いた。
「うむ、なるほど。全く分からん」
「だろうね」
「んー、まぁ私だって、なんで好きになったのかって聞かれたら未だに上手く答えられないんだけどさぁ」
「えっ」
彼は「嘘でしょ!?」といった風に目を見開いた。
「感覚? フィーリング? いつもならそのままスルーして何事もなく過ごしたはずなのに、なぜか言葉に出ちゃったからなぁ」
「キチンと言葉にしてほしいなぁ」
「そうねぇ……私の生活がほとんど変わらなかったのはとても大きかったかな」
生活が変わることなく人と密接に関われるということは凄いことではないだろうか。私と彼の相性は抜群だったと言える。
だがそれは付き合った後の話だ。好きになったきっかけは果たしてなんだっただろうか。
はっきりとは覚えていない。人を好きになるのに理由はいらないと思うし、些細な事が理由かもしれない。
もしかしたら彼の言う呼吸音から心地良さを感じていたのかもしれない。
それから一週間後、私はとある飲み会に参加していた。
会社の同期との付き合いだ。少し狭い居酒屋に相応しく、参加人数も少ない。
甘めのお酒が好きなので、ファジーネーブルを頼んだ。
女が二人、男が三人で乾杯した。
二杯程重ねたところで、男女二人が合流する。
私の隣には年上の男性が座った。
狭い居酒屋だからか、少し席を詰めて距離が非常に近付いた。
(……いや、近くね?)
居酒屋の狭さを抜きにしても、なんだか距離が近い気がする。
空になった杯に気付いてメニューを見ていると、男が顔を寄せてきた。
「何飲もうかなぁ」
(……いやだから近ぇよ。お前さっきとりあえずビールしたじゃろがい)
胸がざわざわする。
久しぶりな感覚だった。久しく感じていなかった、パーソナルスペースを侵される感覚。多分相手は何も考えてないし何も感じていないのだろうが、無神経にこちらの線を踏み超えてくる。
私はひとまずウーロン茶を頼んだ。
距離が近い。
声がうるさい。
煙草の残り香が臭い。
汗の臭いを誤魔化すためか、制汗スプレーの匂いも混ざっている。
箸の使い方が雑でやたらと食器が音を鳴らす。
グビグビと音を立てながらビールを一気飲みし、ジョッキがゴンと音を立てて置かれる。
(あぁ、苛々する)
思わず苦笑した。
(繊細かよ)
人の事を言えないじゃないか。
(あぁ、でも……)
なんとなく、分かった気がする。
(コレ、かぁ)
私はウーロン茶を飲み干すと、帰ることを幹事に告げた。
帰り道。
電車に揺られながら、私は彼にメールを打つ。
『迎え来て』
返事はすぐに届いた。
『わかった』
短い返事だったが、その返事に安心した。
何故か甘くないお酒が飲みたいなと思った。
駅を出ると、彼が既に待っていた。
手を上げて「やっ」と小さく声を掛けてくれる。
「お迎えご苦労。ありがと」
「……ん、ちょっと、お酒でも買っていこうか」
「え?」
「なんか飲みたくなっちゃって」
私も彼もあまり飲酒をしない方だったので、彼のその提案は珍しいことだった。
「ん、いいよ。お迎えのお礼に一本奢ってあげよう」
「やったぜ」
駅に併設されているスーパーに向かう。
横に並んで、ゆっくりと歩く。
「……」
彼の空いている手を見る。
手を伸ばし、躊躇した。
何故だろう。
先程のことを思い出す。
――距離が近い。
何度も手を繋いだことはある。
今更躊躇する理由はないはずだ。
――距離がちかい。
……私は彼との距離感が好きだ。
……彼もきっと、私との距離感が好きなはずだ。
――きょりが、ちかい。
……大丈夫だろうか。私の距離感は狂っていないだろうか。
小指が触れた。
彼の小指がピクリと反応。
とっさに手を戻そうとして。
その手はあっさり掴まれて。
彼の指が、私の指の間に滑っていく。
閉じた指をゆっくりと開かせるように。
指を絡ませて、きゅっと握りこんだ時。
彼が少しだけ振り返り、「ひひっ」と笑った。
(あぁ、これだ)
恐れることなど無かったのだ。
私と彼は、非常に似ている。
仮に私の距離感が狂ったとしても、きっと彼が修正してくれる。
距離は近い。だが安心できる距離だ。
「なんか、今の手の握り方エロくね」
「やっぱたまにエロ親父みたいになるよね」
私たちは笑いながらスーパーに入った。
手を繋いだまま、お酒を何本か選ぶ。
前述した通り私は甘いお酒が好きで、それは彼も同じだった。
何本か甘いカクテル系のお酒を選ぶ。さっき甘くないお酒を飲みたいなと思ったが、ついいつも飲むお酒ばかりを選んでいた。
籠の中を確認すると、数本甘くないお酒が入っていた。
「たまにはこういう酒も飲みたくなるんだよねぇ」
彼はそんなことを言って、もう一本甘くないお酒を籠に入れた。
「ねぇ」
「んー?」
「私もだわ」
「何々、急にどうしたの」
今さっき彼が籠に入れたお酒を持って、顔の横に持っていく。
「真実の愛を見つけたってやつさ」
ニカリと笑って、言ってやった。
「酒を顔の横に持ってきて『真実の愛を見つけた』って、完全にアル中のセリフだよね」
「台無しだよ」