10gの魂
中途半端です
「メル?大丈夫か?」
少し不安そうな声。おでこに乗せられた暖かくて大きな手の持ち主から発せられたそれはこの国の王子の声だ。そして私の兄の声。
がばりと起きてみた底は一面真っ白な雪の世界。そして自分を抱えていたのは表情が分かりにくいが少し困った顔をしているつもりなのを私は知っている。この国の第1王子、ブライド様は表情を作るのが壊滅的に下手くそだ。この雪に紛れてしまいそなほど白に近い金髪に海のような青い目をした彼はとても整っているがだからこそ感情がでないその顔が恐ろしく見えることがある。だけどこの国の皆が彼を慕い、愛している。
「メル?」
「平気です、兄様」
足首まで積もった雪のせいで転んだ私をブライド様が介抱してくれたのだと気づいて恥ずかしくなる。
急いで立ち上がりブライド様に手を差し出す。ブライド様は少し戸惑ってから私の手を取った。きっと先程まで気絶していたうえ、まだ子どもの私の手を借り
るのに気が引けたのかもしれない。だけれど、自分の立場上いつまでも地べたで座っている訳にはいかないと分かっているから。誰が見ていないとしても。
触れたブライド様の手は手袋をしていなくても温かい。それはこの世界の神様がこの方を祝福し、愛しているからだ。ブライド様は神に様々な加護を授かっている。
「メル、転移魔法で城に戻ろうか?」
「いえ、僕は大丈夫です」
僕。口にした一人称はまだ少し慣れないけど。私がこの人に女だとバレるわけにはいかないのだ。
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宗教国ベルゼンブルク。
科学技術が発展している帝国と魔族が多く住む魔族連邦国に東西で挟まれ、北には生物が死に絶えるほど凍えた土地、永久凍土がある中立国だ。
この国のしきたりで王位継承者が決まった場合、守護を目的として魔術に優れた者を養子にするというものがある。そして選ばれたのが私、メルだ。
ブライド様は生まれた時から神に祝福された特別な子だった。彼は王子として与えられるべき、趣向品や贅沢な食事を捨てて聖職者としての道を選ぶ。
いくら妹とはいえ、女の格好で聖職者の周りをうろちょろするのはどうなのだろうか?ブライド様が許すだろうか?そう思った宰相は私に弟として養子に入るようにと命じた。ブライド様に嘘をつくなど心苦しいし、なんて罪深いことかと思った。だけれどこの国のためを思えば、ブライド様をお守りする、それはどんなことよりも重要なのだ。
彼の祈りは今ではこの国を守護するために必要不可欠で、神から与えられたギフトである無尽蔵に近い魔力から作られる光の障壁は魔族からも帝国からもこの国を守っている。更に病以外の傷は例え致命傷でも治癒魔法で全て治してしまう。
彼なくてはこの国の平和は保たれないだろう。
この国で唯一の王子でなければ、このまま彼は聖人として一生を神に祈りを捧げて過ごしたに違いない。でも、ブライド様はもうすぐ15歳になられる。父王様は早く王族に戻って欲しいと願ってはいるが、ブライド様にその気持ちが分からない。元々浮世離れしたお方で庶民だろうと貴族だろうと身分に分け隔てなくとてもお優しい彼は、誰かの心を察するのがとても苦手な人なのだと一緒にいるうちに気づいてしまった。その理由も。
「メル、手を」
12歳の私では雪原を歩くことが難しいので大人しくブライド様の手を取る。ブライド様は優しい顔で私を見てゆっくりと歩き出す。
私たちの目的は永久凍土の入口、大きな橋を前に封鎖された門に問題がないかを確認すること。
ベルゼンブルクは永久凍土の管理することを任されている。かつては永久凍土にも人が住んでいたらしい。中央には立派な聖堂があるらしい。誰も見た事はない。
もしかしたら、ブライド様なら永久凍土でも加護で平気なのかもしれない。
「何も変わりはないようだ。帰ろう、メル」
「はい」
ふわりと浮いた感じがして気づいた時には私たち2人は王城の入口に立っていた。
ブライド様の転移魔法は座標さえ分かればどこにだって飛べる便利な魔法だ。しかも、詠唱なしで使えるんだからどんなチートだと思う。
「メル、お帰りなさい。ブライドも」
「はい、ただいま戻りました。母上」
「ただいま戻りました」
城に入ると迎えてくれたのはこの国の女王。ブライド様のお母様だった。優しい笑顔で、元庶民の私も家族のように扱ってくれる。そして私が女だと知っている数少ない1人だ。そんなお優しく素敵なお母様なのだけれど、ブライド様との仲が最悪だということはこの城に来てすぐに分かった。
ブライド様が私と繋いだままの手を少し強める。
顔には出ないけれど傷ついている。
「メル、着替えたら私の部屋に来てください」
「はい、母上」
1度もブライド様とお母様の視線は交わらない。
私はブライド様を部屋に送り届けた後、自室に戻って男にしては可愛らしいデザインの服を着る。
ブライド様は私のこの服をお母様の趣味だと思っているが、女の子らしい服を着れない私への気遣い。訂正することも出来ないから、ブライド様はお母様を勘違いしたままだ。
「メル、来てくれたのね。お茶を用意しているからさあ入って」
私と二人きりの時はお母様は少女のような顔をしておられる。可愛らしい笑顔は見ていて私も嬉しくなる。
「ブライドの様子はどうかしら?」
「いつも通りです」
「ブライドのココロは神に気に入られたままなのね」
ブライド様が博愛だから感情が分からないのではない。ブライド様のココロは神様に半分取られてしまったのだ。
「折角、兄様がお城におられるのですから、お茶に誘えばよろしかったのでは?」
「ふふ、そんなことできないわ。ブライドが頑張っているのに、私の我儘でブライドと仲良くしたいだなんて、神にも民にも言い訳がたたないでしょう?人は欲深いもの。1度望めば2度目を欲するに決まっているもの」
お母様は私がこの城に来たとき、「お茶会を一緒にしてくれる娘が欲しかったの」と喜んだ。お母様の「娘が欲しかった」はどうやら口癖だったらしい。私が来てからその言葉を聞くことはなくなったが、ブライド様の心に傷を負わせた。ブライド様がお母様を避けるのは、お母様に嫌われていると思っているからだ。でも違う。お母様は本当はブライド様のことを愛している。だけれど、幼少期から聖職者として祈り続けているブライド様の邪魔にならないように、親子としての時間を持ちたいという願いを誤魔化すために自分に言い聞かせた言葉だった。
可愛らしいお姫様がいれば、私と一緒にいてくれたのではないか?そんなお母様の気持ちをブライド様は知らない。あの方は言葉の意味を言葉の通りに受け止めてしまう人だから。
「兄様が王子として俗世に戻れば、望むだけお茶会が開けます」
「ブライドは王族としての教育を受けてきました。その上で聖職者としての職務を全うしている。両立ができるのではないか、と私は思っているの」
「父上はそれを許さないのではないでしょうか?」
「ええ。この国は確かに宗教国ですが、政治に必要以上の宗教を持ち込むことを良しとしません。一度教皇が即位しましたが、他国に攻められとても酷い有様だったと聞きます。ブライドにはこのまま王族の責務を全うしてほしいとフロスト様が考えるのは仕方がないかもしれません」
「私は、兄様には王子としてお戻りになられてほしいと、思います」
庶民で、天涯孤独な私を家族と認めてくださる優しいお母様の寂しさを埋めて差し上げてほしい。私がもし女だとバレて、城から追放されたら、こうやってお茶会をしてくれる人がいなくなるから。
「そうすれば、貴方は第二王子としてではなく、第一王女として改めて迎えなくてはね。ブライドは驚くかしら?」
「怒るかも、しれませんね」
嘘を吐くことはあの方にとって罪深いことだから。