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清廉潔白

作者: こじぽん

 『何事も行動しなくては意味がない』

 俺がこの言葉を座右の銘としたのは中学一年生のときだ。当時の俺は公立の中学校でサッカー部に所属していた。成績はまあまあ、女子からはモテなかったが、小学生の時から一緒だった仲の良い友達はいた。中でも同じくサッカー部だった春彦は親友で、部活終わりには俺の家でスマブラをして、テスト終わりには二人でカラオケに行った。気が強いタイプではなく、休み時間にはいつも本を読んでいるようなやつだったが、それくらいの温度感が俺にとってちょうどよかった。

 中学一年の夏休みのことだ。

「お前、いい加減にしろ。やる気ないならやめちまえよ、ヘタクソが」

「ごめんなさい」

 朝練中、ミスをした春彦に当時の部長が激しい剣幕で言い寄っていた。

「ごめんじゃなくてさ、やる気あんのかって聞いてんだよ!」

 熱くなった部長が晴彦を突き飛ばす。バランスを崩した春彦はそのまま倒れ、動かなくなった。頭から血が流れ、部長は顔が真っ青になった。

 俺はそのとき、先生を呼んでくるでも、春彦に心配の声をかけるのでもなく、ただただ自責の念にかられ、足が動かなくなっていた。薄々、こうなることはわかっていた。今までも春彦が部長にいびられている現場は何度も見てきた。俺はその状況を黙ってやり過ごした後、春彦に励ましの言葉をかけていた。でも、それじゃ遅かった。本当はもっと早く止めるべきだった。行動するべきだったんだ。

 その後、救急車で運ばれた春彦は大事にはならずに済んだ。軽い脳震盪を起こしていただけだったらしい。でも、なんとなく気まずい気持ちになった俺はその日以来、春彦を避けるようになった。今もなお、俺は春彦と一度も連絡をとっていない。

 『何事も行動しなくては意味がない』

 この座右の銘は俺が春彦と向き合わなかったかわりに絶対に忘れてはいけないものだ。この学びさえ忘れたら、俺は本当にただのクズになってしまう。過去を意味あるものにするため、この教訓は呪いのように胸に刻まれている。遅かったと後悔する前に行動をしなくちゃいけないんだ。





「ハーレイ・クインっての魅力ってなんだと思う?」

 週末、もう付き合って3年になる彼女と一緒に家で映画鑑賞をしていた時、ふと彼女に聞かれた。

「う〜ん、やっぱりセクシーさ、あとは美貌、素直さ。そんなとこ?」

「ほんと、やすくんって単純だよね〜。よく知らないけどフェミニストに怒られそう」

 ソファの隣に座る彼女がこちらを覗き込みながら言う。

「なんでこんなんで怒られなきゃいけないんだよ。じゃあ、美穂はなんだと思うんだ?」

「う〜ん、わたし的には自分を捨ててないってのが一番かなあ。女らしさを恥じてないって言うかさ。誰に何言われてようとファック!ファック!って感じがいいよね」

 画面のハーレイ・クイーンにうっとりしながら美穂は右手のワインを口に入れた。昼間から酒と映画。机の上にはとても食べきれないような量のマンガ盛りポテト。俺は彼女とこうしてぐうたら過ごす休日が人生で一番幸せだった。



「ねえ、明日は最終面接なんでしょ?なに食べたい?ちなみにオススメはお寿司」

「じゃあ、ハンバーグで」

「やだ、お寿司」

「じゃあ、寿司」

「御意」

彼女は普段料理はしないが、特別な日の前日やお祝いの日には料理をしたがった。俺も手伝いたかったが、美味しいの評価を独り占めしたいからと手伝わせてはもらえなかった。

 どこからか鉢巻きを取り出して、寿司職人のような格好で寿司を握る美穂。準備万端じゃないか。どうりで寿司を押してきたわけだ。

「へい、大将。おまちどう」

「大将は美穂でしょ」

「あ、そっか!」

 えへへと子供のように美穂は笑う。大学のサークルで出会った美穂は俺より2歳年上でとっくに立派な社会人。でも、俺の何倍も子供っぽかった。

「やすくんってニヤニヤするのが上手だよね。私に惚れているのがまるわかりだよ」

「うるさい」

こんな状況、もしも誰かが見たら、バカップルだと言われるのだろう。でも、ここには二人しかいない。二人だけの世界だ。だから誰にどう言われるかなんて関係ない。

 俺たちはただ、俺たちの幸せを享受していればいい。そしてそれは永遠に続いていく。そうなるように最大限の努力をする。頑張ってさえいればきっと、終わりなんてやってくるはずがないのだ。



「今の上司がさ、ちょっとキツいんだよね」

夜、眠る前。疲れた様子の彼女にどうしたのかと尋ねたところ、ため息まじりにそう呟いた。

「ごめん、寝る前に愚痴なんて」

「いいよ、別に。聞かせて」

お互いに目を瞑り、静かな声でゆっくりと話す。昼間は冗談のように流れてしまうから、悩み事の類は夜が一番話しやすかった。

「具体的な仕事のことはうまく説明できないんだけどさ。なんか、信用されてないっていうのかな。その人、私の仕事を全部とって自分だけでやろうとするんだよね」

「おせっかいってこと?」

「それだけならまだいいんだけどさ。それで自分が忙しくなって、私が仕事できないのが悪いんだって言うの。じゃあ私がやりますと言ってもお前には任せられないからって……。今の私の主な仕事は文句を言われて苦笑いすることだけなんだよ」

「そっか……」

 俺はまだ働いてみたことがないからよくはわからないけれど、想像してみたらとても恐ろしかった。仕事をしても、仕事をしなくても、ましてや仕事がしたいと言うことさえも許されない場所にいるなんて、俺なら窮屈で苦しくて死んでしまいたくなる。俺は彼女に最適解のアドバイスができるように、あるいは心に寄り添えるように頭をフル回転させて次の言葉を考えた。だが、何かを思いつく前に彼女が口を開く。

「ごめんね、急にこんな話。ああ、でも、社会ってこんなことばかりじゃないからね。就活がんば!」

 声のトーンを上げて、美穂はツンツンと俺の横腹をつついた。この声の高さになった時は、全部冗談ってことにしたいの合図のようなもので、俺はそれを察知できるほどには彼女を理解していた。

「明日は、寿司にしようか。今度は俺が大将になるから、楽しみにしててよ」

「やっさし〜」

 その日は少し他愛のない雑談をしてから眠った。根本的な解決は無理でも、俺なら美穂の楽しみを作ることくらいはできる。それが今の彼女にできることとして俺が出した結論だった。彼女が頑張っている間に、どうかなんとかなりますように。そう祈りながら、どうすれば彼女が喜んでくれるのかを考え続けた。



 1ヶ月後、彼女が泣きながら帰ってきた。

「もう、無理……」

 玄関に倒れ込んだ彼女を支えて抱きしめる。自分の胸元から彼女の涙を感じた。

「……おかえり。よく頑張ったね」

無力感と、上司への怒りと、いろいろな感情がない混ぜになりながら、次に取るべき行動、かけるべき言葉を考える。どうすればいい。俺にはなにができるんだろう。

「もう少しこのままでいい?」

聞こえるか聞こえないかくらいのかすれた声で美穂が呟く。

「もちろん」

空気感に気圧された俺もまた小さく震えた声になったそう返す。俺にはこんなことしかできないのか。なんとか、そのクソみたいな上司を辞めさせることはできないのか。俺はもっと彼女のために……。

「ごめんな。なにもできなくて」

 喉からするりと落ちた言葉。

 彼女の泣き声が突然止まる。

 一瞬の、しかしとても長い時間に感じられる静寂の後、彼女は俺の胸元からゆっくりと離れて、

「私に、ありがとうって言わせてよ」と、高い声のトーンで笑いながら言った。


 それから1週間後。

 美穂は突然、俺の前から姿を消した。




 前に面識があった美穂の同僚に話をきくと、美穂は会社を辞めたそうだ。驚いたのが、辞める前に美穂が美穂のことを苦しめていた上司のことをぶん殴ったらしいということだ。その事件をきっかけに上司の今までのパワハラが露出し、上司は会社を辞めることになったらしい。だからなにもみほまで止めることはなかったのに、とその同僚は言っていた。

 彼女が消えてから、どうすればよかったのか、なんでいなくなったのか。毎日のように考えた。あの時何故「ごめんね」なんて謝ってしまったのだろう。過剰な気遣いで俺にはなんの落ち度もないと安心したかっただけなんじゃないか。彼氏としての責任や自分のしてあげたいことにばかり目を向けて、美穂の気持ちなんてなに1つとして考えてあげられてなかったんじゃないか。シャワーを浴びている時、夜眠れない時、通勤している時、思い出のものに触れた時。いつだって、彼女が最後に残していった置き手紙のことを考える。


『いつも優しくしてくれてありがとう。やすくんのことは今でも大好きだよ』




『でも、私はもっと、最低に生きたかったんだと思う』

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