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【 6 】

 先の騒動から30分足らず──敷布団を押し入れに戻し、簡単ながら掃除機もかけて片付けを済ませると、キリンジは手持無沙汰に和室の隅で蹲っては女達の明るい声に耳を傾けていた。

 特にその内容を確認しようとしたわけではないが、楽しげなそれはどうやら、ミコトがシュラに料理の手ほどきをしているようである。


「これは何ですの? ミコトさん」

「これはカマボコ。魚のすり身で作るのよ」

「まぁ。こんな愛らしいものが魚から作れますものですの? では毒見を……」

「もー、さっきからそう言ってつまみ食いばっかり。シュラさんはお姫様なんだから毒見しちゃまずいでしょ?」

「たいへん美味しゅうございますわ♡」


 また笑い声が上がる。いろいろと問題を抱えてはいるが、こうした女性の活気が満ちる空間をキリンジは素直に好ましいと思った。

 しかしそれだけに、そんなシュラが自分達を──『天三宝』を訪ねてきたことの意味を考えては心も重くする。


 生家の天三宝とは、単なる武道団体ではない。それこそは、『とある目的』の為に存在している『組織』であるのだ。

 それゆえにそこへの接触を望むシュラの『目的』を想像し、キリンジはなおさらに気を重くしていた。


──見たところ年齢だって俺達と変わりないようだ……

   そんな良家のお嬢様が何ゆえ天三宝になんて……


 ミコトから借り受けたエプロンを身に着けて料理に勤しむシュラの姿はどこまでも楽しげで、その笑顔たるや実年齢よりもずっと幼く見えた。それゆえに、天三宝と関りを持とうとしている彼女のことを考えては気が重くなるのだ。


 そしてそのことに思いを馳せることはいつしか、過去におけるそこでの生活もまたキリンジに想起させていた。



 あの場所・あの時において、キリンジは一つの道具であった。



 その役割は鉈であり、鎚であり、そして火であった。


 道具である以上、使役される当時の自分に感情などは無い。ただ命ぜられるがままに、『主』の望むままに己が肉体を駆使した。


 このことに疑問を抱き始めたのは誰でもない(ミコト)に恋をした頃だ。……否、ミコトから迫られたものか記憶は曖昧である。しかしながらこの『他人を愛した』ことにより、幸か不幸かキリンジは目覚めてしまった。


 もしあの時ミコトと想いを通じ合わせなかったのならば、今もキリンジは迷いも疑問もなく天三宝の忠実な道具であったことだろう。しかしながらその道具に自我が芽生えてしまった。


 鉈は己が誤った使われ方をしていることに気付き悲しみ、鎚は己が作り出した惨状に気付き慄き、そして火は己が焼き払った真実に気付き絶望した。


 斯様にして『人』と化した道具は──やがて壊れた。

 あとは逃げ出して、今はゴミのように蹲るばかりである。


「う………ッ」


 そんなことを思い出してキリンジは口元を抑える。激しい吐き気に見舞われた。


──俺は……いったい何者なんだ? 何処から来て、何処へ行けば良いというんだ……?


 まだ17歳の多感な心は、斯様な『自分自身』というもの過去と未来とに潰されかけていた。


 と──そんな思索を遮るよう、室内に乾いた音が二度三度と打ち鳴らされる。

 それに反応し、針で刺されたようにキリンジも顔を上げる。どうやら外部から何者かが、この部屋をノックしたものであるようだ。


「あ、来たかな? キリンジー、ちょっと出てちょうだーい。こっちは手が離せないわー」


 同様にそれに気付くミコトの声にもしかし、キリンジはそう頼まれるよりも先に立ち上がっては歩を進めていた。言われるまでも無く自分が対応するつもりであったからだ。


「あぁ……俺が出るよ」

「頼むわよー。──って、顔が青いわよアンタ? 大丈夫?」

「大事ない……平気だよ」


 キッチンのそばを通り抜ける時にそうミコトに気遣われはしたが、応えるキリンジの心はまったくとしていいほど陰鬱に沈んだままであった。今こうして来客に対応しようというのも、何らかしらの気分転換が出来やしないものかと期待したからだ。


「はい………」


 そうして玄関ドアを押し開き、その向こうに待っているであろう者へ応えたその時である。



 ドアの向こうには、少女が一人立っていた。



 真っ白な無垢のワンピースに身を包んだ少女──歳の頃は10に届くかというところか。

 肉厚の丸い耳と、光彩が眩しい黒く艶やかな瞳を幾度となく瞬かせながら見上げてくるその姿は、雌の獅子と思しき獣人であった。


「君は………」


 そんなライオンの少女を目の前に見下ろしながらしばしキリンジも放心する。

 笑みを堪えてでもいるのか、どこか期待に満ちたその瞳には見覚えがあったからだ。そしてキリンジは、自身の脳がこの少女のことを完全に思い出すよりも早く──


「……サヤカ、か?」

「──わぁ、やっぱり分かってくれた♡」


 その名を紡いだ。

 同時に『サヤカ』と呼ばれたその少女もまた満面の笑顔を咲かせたかと思うと、飛び込むようキリンジに抱き着いては額を押し付け甘えてくるのだった。


「サヤカ……本当にサヤカか? ライオンになったのか、お前は?」

「えへへー♪ キリンジさんは名前の通りにキリンでしたね」


 キリンジの語りかけに顔を上げると、改めて二人は互いを確認し合い、そして獣化後の再会を実感する。


 件の少女・田中 紗夜香(たなか・サヤカ)は堺家の居候である。

 とある事情からその身を預かることとなった娘ではあるが、堺家にはこのサヤカを始め数多くの子供達が同じくに共同生活を共にしていた。


 その中でもサヤカは特にキリンジに可愛がられた子供の一人である。

 それこそは実の妹のように愛でるキリンジに対し、サヤカもまた実の兄以上の感情を以て彼へと懐いていた。


「お久しぶりです! お久しぶりですッ♡」

「くすぐったいよサヤカ」


 子猫が匂い付けでもするかのように尚も額を擦りつけては、存分に今日までの喪失感を埋めるべく甘えてくるサヤカに対しキリンジも素直な笑顔を浮かべた。


「あら? お客様ですの?」


 そんな玄関での騒ぎを聞きつけてシュラもまたそこに顔を覗かせる。

 そうして目下にサヤカを見止めるや、


「まあ、愛らしいお客様ですこと」


 キリンジ同様に柔和な笑顔を浮かべた。


「私はシュラと申します。お名前は何とおっしゃいますの?」


 そうしてサヤカの前までつけると、シュラは屈みこんでは目線を合わせ互いの自己紹介をそこに望む。

 そんな暖かげなシュラの雰囲気にサヤカもまた微笑むと、


「サヤカといいます。田中サヤカです」


 元気にそれに応えては大きく礼を一つした。

 何とも微笑ましい出会いのワンシーンではあったがしかし……


「サヤ、カ? 田中……サヤカ……」


 その名を繰り返すシュラの顔がこわばった。

 そんな表情の変化を不思議そうに見上げるサヤカを前に、依然としてシュラの表情は硬い。否、それどころか蒼ざめてさえも見えるほどだ。


「シュラさん?」


 その異変に気付き小首をかしげるサヤカの両肩にシュラは両手を置く。そしてそこにジワリと力がこもる感触にサヤカも息をのんだ。


 明らかに雰囲気が違っていた。しかしながら見つめてくるシュラの、険のこもった視線に射竦められてはサヤカも背が縮こまって抵抗が出来ない。


「貴方が……貴方が、サヤカ………」


 やがて肩の置かれていたシュラの両手が内に狭まるのをサヤカは感じる。徐々に窄まりつつある両手はそっとサヤカの首根を包み込んだ。


「あ……シュラ、さん………」


 依然として見つめてくるシュラの表情は険しいものであった。

 それでもしかし、


──なんだろう……どうしてこの人は、こんな悲しがってるんだろう……?


 サヤカはそこにシュラの深い悲しみを見たような気がした。

 首に両手をかけられている行為はむしろ、自分に危害を加えるというよりは何やらすがり付いているようにも思えるのだ。

 そう感じると、


──助けたい……この人を助けたい!


 強くサヤカは思った。

 何故かは分からない。初対面の、ましてや首に手を掛けられているにもかかわらず──サヤカは強くシュラの力になりたいと感じたのだ。

 しかし次の瞬間、


「──……本当、愛らしい方ですこと」


 首根にあったシュラの両手がふいに下あごへ上がってきたかと思うと、そこにて両頬をつまみ上げサヤカを微笑ませるかのよう口角を吊り上げた。

 そうして見つめ合うシュラの顔に先ほどまでの悲壮さは無かった。元の柔和なものにもどりつつもしかし、


──違う……この人は、耐えてる。


 そこにはどこか諦観を含ませたような哀愁が残っているのもまた、サヤカは見逃さなかった。

 それを確認するや、


「あら? あらら? 何をなさいますの?」


 サヤカもまた手を伸ばし、今の自分と同じようにシュラの両頬を摘み上げてはそこに残る寂しさを笑顔の形に変えた。


「シュラさんは、笑ってる顔の方が素敵ですよ」


 そうしてさらに笑顔を見せてくるサヤカに、


「まあ……初めて会いますのに、サヤカさんはまるで私のことを知っているようですのね」


 シュラもそう答えては心からの笑顔を返した。

 そうして互いの頬を摘み上げながら微笑みあう二人を前に、


「何をやってるんだお前らは?」


 その意図を計りかねるキリンジ。

 その後も微笑みあっては互いの頬を伸ばし緩めつするサヤカとシュラに、ただキリンジは首をひねるばかりであった。




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