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小噺の玉手箱  作者: Suck
6/7

レイニベア

雨の湿った音に気づいてベランダを見ると、遠くに建つ灰色のビル群と世界が同化していた。


空から降る雫は街の色を奪ってしまう。だから少し景色が澱んでしまう。


雫に混じった色が地面に落ちると、それは綺麗な道になるのだろう。


そう思ってはみるが、やはり地面は曇った空を映すだけ。


僕は白と黒の模様で飾られた面白みのないリビングのソファに腰をかける。


マンションのベランダの柵にはティッシュを丸めて縛ったてるてる坊主が役目も果たさずに吊るされている。


半分開けられた扉から吹き込んでくるアスファルトのふやけた匂いが不思議と僕を高揚させた。


昔からこの匂いが好きなんだ。


湿気た空気で肺を満たしながら、僕はロールパンの背にバターをガリガリ塗ってそれを囓る。


「もう少し焼いたほうが良かったかも」


湿気のせいで冷めてしまったのだろうか。「胃」がロールパンに飽きたらしく、僕は残りをテーブルの上に置いた。


背凭れに身を預け、目を閉じてみると、雨のしんみりとした音色が耳を通して全身に染み渡る。


触れなければ煩わしくないものだな。雨というのは。


ふと、外を見ると、何かがいた。


それは巨大だった。



マンションの3階からでもその全体像は把握できないほどだ。体表は黒の剛毛に覆われ、二足でマンションの外に佇んでいる。


ずっしりとした腹に太い腕、しかし顔は屋根が邪魔して見えない。僕はソファにかけている腰をずらし、彼の顔を覗こうとした。


しかし駄目だ。巨大すぎる。

切り取った窓の奥にしか見えないその化物は動く気配もなく、ただただそこに立ち尽くしていた。


「寝惚けてるのかな...」


僕は目を擦り、もう一度彼を見た。


やはりいる。そこにいる。

マンションの目の前にいる。


奥に建立されているはずのビル達が彼のせいで見えない。



暫くその姿に釘付けになっていると、瞬きをした瞬間、彼は消えた。本来、彼が現れた時にするべきだった「ベランダに出る」という行動をやっととる。


手摺りを掴んで外に体を乗り出すがそこにはいつもの街があった。


少し鮮やかな風景。日差しが顔を照りつけ、空を見ると雨雲は明後日の方向に去っていた。


「なんだったんだ...」


体長は30mを超えているはずだ。問題は彼の情報が全く見つからないということだ。あんな巨大な生物がいたというのに噂のひとつも立たない。

確かに窓際の道路は人通りが少ないから仕方ないかもしれない。でも誰も見ていないなんてことはないはずだが。


やはり僕の脳が作り上げた幻覚だったのだろうか。





____それから、彼は雨が降るたびに僕のマンションの前に現れた。


ソファの位置から見えるのは体の一部と腕、鋭い4本の爪だけだ。


なぜか触れてはいけないと思い、僕はいつも身動(みじろ)ぎひとつしないで彼を見守った。








ある日、僕の質素な夕飯の材料を買った帰りに、灰色が来た。


突然の雨だ。



「しまった...傘持ってないや」


僕は片手にカップ麺やら惣菜の入った買い物袋を下げ、もう片手を雨除けに使い、帰路を走った。


小降りだった雨はたちまち土砂降りに変わり、買い物袋の中に池ができる。




やはり触れると煩わしい。雨というのは。



マンションの側面まで辿り着いた僕は、ついに彼の全貌を発見した。


熊のようにも見えるが、その首は麒麟のように長く、頭はハンマーヘッドシャークのように分岐している。


しかし顔は霞みがかっていて見えない。


「何でこいつ、いつもここに立っているんだ...?」


僕は雨が体を打ち付けるこの状況にも関わらず、その場に佇んでしまった。


しかし、ベランダからは見えないものを僕は見てしまった。





それは、まるでこの灰色の世界に抵抗するかのような赤い花。


名前もわからないその花は路傍に力強く咲き誇り、色を放っていた。





彼は、この花の色が奪われてしまわないように、ここに立っていたのか。







澱んだ雨の街で一輪、色鮮やかに咲くそれに、僕は一目惚れした。


きっと彼も、そうに違いない。










化け物ではない。僕の同志よ。












____小雨の降る午後。


水の粒を含んだ空気が頬を撫でる。


ベランダには影が差し込み、いつもより景色が狭い。



今日も彼は、そこに立っている。


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